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88. レインボーサーモン
しおりを挟む結局、あれからリリはレインボーサーモンを二匹釣った。
エサにしていた干し肉がなくなったので、こちらも保存食の堅パンを釣り針にぶら下げてみると、なんと続けて食い付いてきたのだ。異世界のサーモンはパンがお好みだったらしい。
ルーファスは歓声を上げるリリを横目で見て、そっとエサを付け替え、どうにか一匹を釣ることができた。
ちなみに黒猫のナイトは釣竿を使わずに、自前の尻尾を湖に垂らすことにしたようだ。
リリを背に乗せて運んでくれた時のように巨大化した姿で、自慢の尻尾を揺らして魚を誘う。
その絶妙な動きが良かったのだろう。
エサもないのに、レインボーサーモンはナイトの尻尾に食い付いた。
「ニャッ!」
尻尾を振り回して、レインボーサーモンを地面に振り落とすことを何度か繰り返して、ナイトは見事に五匹のレインボーサーモンを獲ることに成功した。
その結果──
「ナイトが五匹で優勝です!」
『ふふん。魔法を使わなくても、簡単だったよ』
「私は三匹なので、準優勝ですね」
「俺は一匹だけだ……」
落ち込むドラゴンを、リリはよしよしと宥めてやる。
「数は最下位だけど、ルーファスが釣った魚がいちばん大きかったですよ?」
初めての釣りはとても楽しかった。
魚を釣る行為よりも、のんびりと景色やおしゃべりを楽しむのも醍醐味なのだろう。
レインボーサーモンはルーファスが締めて、血抜きをしてくれたので、そのままリリが調理することにした。
魚の捌き方は、日本に帰った際に動画をダウンロードしてある。
魔法のトランクの家に戻ると、さっそくタブレットで動画を流すことにした。
「……お魚の捌き方はこうするのですね」
「っ、危ないぞ、リリィ。刃物の持ち方がなっていない。それでは怪我をするぞ!」
隣に座って、一緒に動画を眺めていたルーファスも興味を持ったのか。
お手伝いを名乗り出てくれたので、並んで三枚におろすことにした。
◆◇◆
四苦八苦しつつも、どうにかレインボーサーモンを切り身にすることができた。
「魔道具の解体用ナイフでは、お肉しか解体ができないのが残念です……」
調理しやすいように三枚におろしたレインボーサーモンの切り身を使って、今夜の夕食を作ることにした。
「やはり、ここは定番のムニエルがいいですね」
「ムニエル。初めて聞く料理名だな」
『ボクは美味しいなら、何でもいいよ』
ムニエルだけでは健啖家のルーファスはきっと物足りなくなることは明白なので、クリームシチューも作ることにした。
アゲットの街で買った、新鮮で美味しい野菜を使おう。
「玉ねぎ、ニンジン、ほうれん草。美味しそうなカブがあるので、これも使っちゃいましょう」
釣りをしている湖のそばで見つけたキノコも入れることにした。見た目がマッシュルームにそっくりな食用キノコだ。
キノコは中毒が怖いので、しっかりと【鑑定】してある。食用可、美味。食べるのが楽しみだ。
今回は黒猫のナイトだけでなく、ルーファスも手伝ってくれることになった。
「自分で釣った魚だからな。調理も自分でしたくなった」
「素敵。いいことだと思います! では、さっそくですが、ルーファスにはお野菜の皮剥きをお願いしますね」
日本製のピーラーをそっと渡して、使い方を教えてやる。
「おお! すごいぞ、するすると皮が剥ける。面白い。こんなに薄く切れるとは驚きだ」
子供のように目を輝かせるルーファス。
大きな身体を縮こませるようにして、ちまちまと野菜の皮を剥く姿が微笑ましくて、リリはそっと笑みを噛み殺した。
レインボーサーモンの切り身を一口サイズにカットして、薄力粉を薄くはたいていく。
ナイトには底の分厚いフライパンを中火で熱して、有塩バターを溶かしてもらう。
頃合いを見て、粉をまぶしたサーモンを炒めていく。ジュワッと油が弾ける音が気持ちいい。両面に火を通すと、ひとまず火を止めておく。
「こっちの深鍋で野菜を煮込んでね、ナイト」
『ん、分かったよ』
一口サイズにカットした根菜類を茹でていく。火が通ったら、クリームシチューのルーを入れる。
(時間があったら、薄力粉からシチューを作るのだけど、今日は時短!)
途中でおやつを摘んだけれど、慣れない運動をしたためか、とてもお腹が空いているのだ。
牛乳を追加して、焦げ付かないようにくるくる混ぜながら弱火で煮込む作業はナイトにお願いする。
「その間に、レインボーサーモンのムニエルを作ります」
ルーファスにはガーリックをみじん切りにするように頼み、切り身に塩をなじませた。
五分ほど置いて、水分をキッチンペーパーで拭き取ると、小麦粉をまぶしていく。
身の部分にはまんべんなく、ただし焦げやすくなるので、皮には付けない。
余分な粉は丁寧にはたき落とすと、オリーブオイルを入れたフライパンにサーモンの切り身を置いた。
「料理長は冷たいまま油とお魚は入れなさいって言っていたのよね……」
油を熱した状態でサーモンを入れると、表面に一気に火が入り、身が硬く縮んでしまうとか。
弱火で皮目側をじっくりと焼き上げてから、バターを加えて、身を焼いていく。
「バターは焦げやすいから、フライパンをゆすって温度を一定に保つ……重いです…」
いい具合に使い古された鉄のフライパンはとても重い。奮闘していると、見兼ねたルーファスが背後に立ち、代わりにフライパンをゆすってくれた。
綺麗な焼き色が付いたら、裏返して溶けたバターをスプーンですくって身にかける。
「バターの香りが堪らないな」
『お腹空いたよぉ、リリ!』
「もう少しの我慢です。空腹は最高の調味料らしいですよ?」
とはいえ、リリのお腹も限界だ。
クリームシチューとムニエル、どちらの香りも魅惑的で、早く食べたくて仕方ない。
上手に焼き上がったレインボーサーモンを皿に盛り付けて、フライパンに残ったバターで焦がしソースを仕上げていく。
「ふつふつと泡が立って茶色く色付き始めたら、火から外してお醤油を加える。ん、いい香りです」
そこに、みじん切りにしたガーリックや湯剥きトマトなどを加えて煮込み、パセリを散らせば焦がしバターソースは完成だ。
「おお、旨そうだ」
『さっそく食べようよ、リリ!』
テーブルをセッティングして、サーモンのクリームシチューとムニエルの皿を並べていく。
中央にはバターロールを山盛りにしておいた。シチューのお供として、きっとルーファスはたくさん食べるだろうと見越してだ。
シチューにはソテーしておいたサーモンを最後に投入したので、食感も楽しめるはず。
「では、本日の釣果を楽しみましょうか」
「俺たちが釣ったレインボーサーモンだな!」
『焼いた魚しか食べたことがないから、楽しみ』
まずは、クリームシチューから手を付けていく。スプーンですくって、味わう。
弱火でじっくりと煮込んだおかげで、玉ねぎがとろけるよう。
甘くて濃厚な野菜にリリは瞳を細めて、うっとりする。ほくほくのニンジンに、やわらかなカブ。ほうれん草の微かな苦味が味を引き締めてくれていた。
マッシュルームそっくりのキノコの食感もいい。
しかし、何よりもソテーしたサーモンの美味しさに驚かされた。
「魚臭さが皆無だな。レインボーサーモンとは、こんなに美味だったか?」
『リリの料理の腕が良いんだよ! こんなに美味しいシチューは初めてだ』
「ふふ。ありがとう。素材が新鮮なのが良かったのよ、きっと」
スプーンを置いて、次はムニエルだ。
料理長直伝のレシピで作ったので、不味くはないはずだが──
カトラリーを使って、一口サイズに切り分ける。ソースをしっかりと身に纏わせて、口に含んだ。焦がしバターソースが絡んだサーモンをゆっくりと咀嚼する。
(美味しい。飲み込むのが惜しいくらい)
よく肥えていたレインボーサーモンはほどよく脂がのり、控えめに言っても絶品だった。
「旨い! これは本当に魚なのか?」
『ふわぁ……! 尻尾の先がびびってするよ。美味しいねぇ』
ルーファスとナイトは、クリームシチューはもちろん、ムニエルのバターソースも残すのはもったいない、とバターロールで綺麗に拭って完食してくれた。
「料理長のレシピに感謝ですね」
あまりの美味しさに、ルーファスとナイトがもう一泊して、レインボーサーモンを根こそぎ釣ろうと張り切るのを止めるのが大変だった。
絶滅させるのはダメです、とどうにか説得して、皆のお土産分だけ確保した。
もちろん、湖の畔も魔法のドアの転移先として、しっかり登録したのは言うまでもない。
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