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89. フレンチトースト
しおりを挟む異世界の景色を楽しみながら、のんびりと進むキャンピングカーでの旅をリリは満喫していた。
何気ない風景も彼女にとっては物珍しく興味深いものばかりだったので、予定していたよりも寄り道の多い旅になっている。
気に入った景色を見つけると、車を停めてもらい、そこで食事を楽しんだり、そのまま一泊した。
普通なら、そんな行き当たりばったりな無謀な旅は難しいのだろうけれど、リリには大魔女シオンから譲り受けた、魔法のトランクがある。
魔法のトランクは呪文を唱えると、可愛らしいお家へ変化する。
こぢんまりとした家は曾祖母であるシオンが隠れ家として整えたものなので、清潔で快適だ。
歴史を感じさせるアンティーク風の家具はどれも一流の職人が手掛けたもので、状態保存の魔法が掛けられている。
ティーカップや食器類、カトラリーのどれもがシオンが厳選したお気に入りの品らしい。
幼い頃にシオンと一緒に暮らしていたリリにはどれも懐かしく思える物ばかりで、魔法のトランクの家をすぐに気に入った。
この家を心地よく思うのは、リリだけではない。
大魔女シオンの筆頭使い魔であった黒猫のナイト。そして、シオンの相棒であったというドラゴンのルーファス。
使い魔仲間のクロエにネージュ、セオもこの家には思い出があるらしい。
かつてシオンと縁のあった辺境伯ルチアも懐かしそうに魔法の家を眺めていた。
カントリースタイルのインテリアはどこかほっとする居心地の良さを与えてくれるようだ。
最近はルーファスもキャンピングカーではなく、家で眠るようになった。
体格のいい彼では、我が家のソファでは横たわれない。
それに、人の姿の時のルーファスはリリの騎士である黒猫が背中の毛を逆立てて怒るので、同じ屋根の下で眠ることは拒否されていた。
なので、ルーファスは最近、夜になると手乗りドラゴンに変化する。
『この姿なら、ここに泊まってもいいだろう?』
『仕方ないね。その姿なら、まぁ許してあげよう』
手乗りサイズのドラゴンは、黒猫のナイトよりも小さい。
じっと佇んでいると、まるで精巧なフィギュアのようで、見ていて飽きなかった。
こうして見ると、ドラゴンとはとても美しい生き物なのだと感心する。
ルビーのように鮮やかな色のウロコは触ると、ひんやりしており気持ちがいい。
リリが手を差し出すと、小鳥のように指先に止まってくれる。
鋭い爪でリリの柔らかな肌を引っ掻かないよう、細心の注意を払って、そうっと動くルーファス。
お礼に指先で喉を撫でてあげると、それこそ猫の子のように気持ち良さそうに瞳を細めてくれる。
ナイトのような素晴らしい毛並みは楽しめないけれど、これはこれで悪くない。
リリとその忠実な騎士の許しを得たルーファスは堂々と魔法のトランクの家で寝泊まりをするようになった。
この日の朝も、リリが目覚めると腕の中に黒猫、枕元に手乗りドラゴンが眠っていた。
小さなドラゴンを潰さないよう、そっと起き上がる。
黒猫は眠りが深いようで、ぷうぷうと寝息を立てていた。
「ふふ。かわいい」
手乗りドラゴンも猫と同じように身体を丸めて、すやすや眠っている。
強者である彼らは、襲われる心配がないので眠りが深いのかもしれない。
リリはそっとベッドから起き上がった。
サイドテーブルに置いてあったショルダーバッグを持って、バスルームに向かう。
使い魔である彼らは人ではないけれど、同じ部屋で着替えるのは戸惑われたのだ。
脱衣所で、マジックバッグに収納していた服に着替える。
セーラーカラーのワンピースを選んだ。
白と濃紺のカラーリングが夏らしくて涼しげな衣装で、密かにお気に入りの一着。
髪型はハーフアップにして、リボンタイと同じ色の濃紺のリボンを結んだ。
鏡の中の自分を確認して、リリは満足げに頷く。
「それにしても、すっかり髪の色が変わってしまいました……」
指先に絡ませた髪は、鮮やかな金色だ。
以前は明るい栗色だったのに、今はシオンと同じ髪色になっている。
「おばあさまと同じ色……」
翡翠色の瞳と、黄金色の髪。
大好きな曾祖母とお揃いの色になれたことは、素直に嬉しかった。
異世界に移住してから少しずつ髪の色が抜けていき、気が付いたら、こうなっていたのだ。
(これも、魔素の影響なのかしら? もしかして、エルフに近付いているとか……)
あいにく、耳の形は変わらない。
薄くて丸い、見慣れた耳に触れて、なんとなくほっとした。
髪は染めたのだと誤魔化せるけれど、耳が尖ってしまうと説明に困る。
コスプレです、と言い張るのもありだろうか。
シオンは魔法で耳を隠していたらしいけれど、リリには生活魔法しか使えない。
(そろそろ、魔法を覚えてみたいな)
薬草図鑑と魔獣図鑑は読破したので、魔法の本を読んでみようか。
そんなことを考えながら、キッチンに向かう。今日は何を食べようかと魔道冷蔵庫を開けて、中を覗き込んだ。
「あ。そうだ。昨夜の内に漬け込んでいたんでした」
大きめの蓋付きの容器を魔道冷蔵庫から取り出す。
蓋を開けて確認すると、しっかりと卵液が染み込んでいるようだ。
「ふふふ。朝からカロリーたっぷりのフレンチトーストを食べましょう!」
少し硬くなったバゲットを切って、コッコ鳥の卵とハチミツ、牛乳を混ぜた液に一晩漬け込んでおいたのだ。
まるでプディングのように柔らかくなったそれを、バターで焼いていく。
ハチミツをたっぷり含ませてあるので、油断すると焦げ付いてしまう。
両面が少しだけカリッとするくらいに焼き付けると、お皿にのせた。
粉糖をふりかけて、ミントの葉を飾り付けると完成だ。
テーブルにお皿を並べて、昨夜のスープの残りを温めたところで、ルーファスとナイトが二階から降りてきた。
「おはようございます。二人とも、まだ眠そうですね」
「ああ。リリィの隣だと、なぜかよく眠れるんだ」
手乗りドラゴンから人の姿に変化したルーファスは、なぜか寝癖をつけたまま。
見た目は強面の傭兵な赤毛の大男なのに、そういう少しうっかりしたところが微笑ましい。
『リリ、なんだか甘い香りがするよ?』
すんすん、と鼻を鳴らす黒猫を抱き上げて頬ずりする。
くすぐったそうに瞳を細めるナイトが、柔らかな肉球でリリの頬を押しのけた。残念。
でも、肉球スタンプをほっぺに貰えたので結果オーライである。
「今日はフレンチトーストを作ったので、温かい内に食べましょう」
ナイトの分は切り分けて食べやすいように小皿に入れてあげた。
ルーファスは一人前では足りなさそうなので、三人前を皿に山盛りにしている。
「いただきます」
ナイフとフォークで切り分けたフレンチトーストを口に運ぶ。うん、美味しい。
あれほど固かったバゲットが、素敵な朝食に大変身だ。
表面はさくりとした食感だが、中は柔らかい。じゅわりとハチミツとバターの味が口の中に広がる。有塩バターで焼いたので、ほんのり甘じょっぱい。
「これは美味だな。硬パンがこれほど柔らかくなるとは」
『パンっていうより、ケーキだね! とっても甘くて、美味しいよ。ボク、これ好きだな』
ヒゲの先にお砂糖を付けながら、ナイトが口元をぺろりと舐める。
ルーファスは三人前はあったフレンチトーストをあっという間に完食した。
『リリ、今日の予定は?』
ナイトに尋ねられて、ふむと考え込む。
部屋に吊るしてあるカレンダーを何気なく見やって、そういえば今日は旅に出て七日目だと気付いた。
「あ……忘れていました。七日に一度はお店に帰る約束でしたね?」
ルーファスとナイトが顔を見合わせる。
二人ともすっかり忘れていたようだ。
「そういえば、そうだったな」
『旅が楽しすぎて、日にちの感覚が薄れていたかも』
「同意します。皆に怒られちゃいそうなので、お土産を持って可及的速やかに『紫苑』に帰りましょう」
そんなわけで、一週間ぶりにジェイドの街へ帰ることになった。
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