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108. ワイルドボアのアヒージョ
しおりを挟む車が発進する音を耳にして、リリはようやく詰めていた息を吐き出した。
「ふぅ。ビックリしました……」
「焦ったな」
「すまない。私が荷物運びを頼んだからだな」
申し訳なさそうな伯父に謝られた。
リリに渡すためのお土産をわざわざ持ち帰ってくれたようだ。
手乗りドラゴン姿のルーファスが興味深そうにお土産を横目で見ている。
「ふふ、お土産は後でね。ルーファスちゃん」
「そうだな。まずは家族揃ってのディナーを楽しもう」
「昨日は鹿肉。今夜はシシ肉だそうだ。楽しみだな、リリ」
「料理長が張り切っていたもの。きっと美味しく調理してくれているはずです」
養殖の特別なイノシシ肉だと説明して手渡したワイルドボアの肉がどんな料理になったのか、楽しみだった。
◆◇◆
リリはジンジャーエール。皆はシャンパンを食前酒にして、乾杯した。
黒猫のナイトだけはミネラルウォーターを所望している。
今夜はコース料理は遠慮して、デザート以外は一度に持ってきてもらった。
(その方がナイトも落ち着いて食べられるものね)
人の気配を察知するたびにテーブルの下に隠れるナイトを皆が気の毒がって、料理長に頼んでくれたのだ。
表向きには家族水入らずで食事を楽しみたいから、としている。
(ルーファスもいるのだけど……。ああ、この表情はきっと誤解しているわ、料理長)
何やら微笑ましげな視線をリリと人の姿に戻ったルーファスへと投げかけられてしまっている。
もしかしなくても、ルーファスとは家族ぐるみの関係なのだと誤解されているに違いない。
(……まぁ、ナイトとルーファスはもう家族みたいなものだけど)
テーブルいっぱいに並べられた料理は華やかで、どれも美味しそうだ。
夏らしく、さっぱりとした枝豆のポタージュ。
アゲットの街で購入した野菜を蒸して、チーズベースのソースをまぶしてあるものも色鮮やかで食欲をそそる。
何よりもまず皆の視線を浴びたのは、ワイルドボアの内臓を使ったアヒージョだ。
「お嬢さまから、これは新鮮な内臓だと聞きましたので、日本酒で臭みを取って下処理したものをアヒージョにしてみました」
料理長の説明に、皆は目を輝かせる。ガーリックの香りがダイレクトに食欲を刺激してきた。ごくり、と誰かが生唾を飲み込む音が響いてくる。
「メインの肉料理はブランケットに。上質なイノシシ肉でしたので、とろけるような舌触りに仕上がっております」
「まぁ、楽しみだわ」
「とても美味しそうだ」
「ありがとうございます。では、どうぞごゆっくりお楽しみください」
料理長が退室すると、さっそく料理に手を付けた。
まずは魅惑的な香りに誘われるまま、アヒージョを食べてみる。
「新鮮な内臓って、こんなに美味しいものなのですね。思ったよりもクセがなく、やわらかいです」
フォアグラやレバー、魚の肝料理などは口にしたことがあるが、イノシシの内臓を食べたのはこれが初めてだ。
伯父も伯母も目を丸くしながら、アヒージョを口にしている。
「いや、ここまで美味だとは私も驚いたよ。レバーなら食べたことはあるが、ここまで芳醇な味わいはなかったね」
「ええ、本当に。レバー以外の内臓も使っているようだけど、どれも美味しいわ。これはクセになりそうね」
食通の二人がこうまで感心するとは。
従兄二人はバゲットにアヒージョをのせて食べている。リリも真似をしてみたが、うっとりするほど幸せな気分になった。
これはとてもいいもの。
「美味しい。これは手が止まらなくなりそうです」
「酒がすすむな」
「ワインもいいが、ビールが欲しくなる」
たっぷりとガーリックと香辛料がきいたアヒージョだったが、黒猫のナイトとルーファスも気に入ってくれたようだ。
「この辛いスープ、飲み干したくなるな」
『分かる! 残すのがもったいないよ』
「こうやって、パンですくって食べればいいのよ」
教えてあげると、大仰に感謝されてしまった。
「このアヒージョでパスタが食べたいわ」
「同感です、伯母さま」
「リリィ。家に帰ったら、作ってくれ」
「新鮮な内臓があれば、頑張ります」
ルーファスのリクエストに、素直に頷いた。この美味しいアヒージョは是非とも、お留守番組の皆に食べてもらいたい。
ルーファスとナイトが真顔で頷いた。
「新鮮な内臓が必要なら、狩ってこよう」
『ボクも獲ってきてあげるよ! ボアだけでいい? ディアや他の魔獣の内臓も美味しいのかな!』
無邪気な質問に困惑してしまう。
鹿の内臓も美味しいのだろうか?
「リリ、ナイトくんは何て?」
「ええと……他の魔獣の内臓も美味しいのか、って聞かれました。……美味しいの?」
「ああ。ディアの内臓は旨いぞ。ベア系の魔獣の内臓も絶品だ」
ルーファスがぺろりと舌なめずりする。ワイルドな仕草に、リリはどきりとした。
ルーファスはドラゴンなので、料理はしない。この場合の味見は『生』でしたのだろう。
(レバーのお刺身は危険だけど、美味しいとは聞くわね……)
伯父が眉を顰めた。
「生食は危険だぞ。調理するにしても、リリはその都度【鑑定】スキルで確認しなさい」
「はい、伯父さま。もちろんです」
そう言えば、伯父だけには収納スキルやマジックバッグを使うと寄生虫の心配がないことを伝えていなかった。
(収納スキルで寄生虫を取り除いて、さらに【鑑定】スキルを使えば、お肉の刺身も楽しめそうね……)
脂がのっているオーク肉は別として、綺麗な赤身肉のワイルドディアはお刺身にしたら美味しそうだと思う。
馬肉に似た肉質なので、きっと口の中でとろけそうなほど美味に違いない。
「リリィ、これはシチューだな」
コッコ鳥のホワイトシチューを食べたことのあるルーファスがワイルドボアのブランケットを指差して、嬉しそうに聞いてくる。
たしかに見た目はよく似ていた。
「これはシチューではなく、クリーム煮よ。お肉の表面を焼かずに、香味野菜と一緒に出汁と生クリームでやわらかく煮込んだ料理なの」
素材の旨味がたっぷり溶け込んだソースと共に味わう、ブランケットだ。
小麦とバターも加えているので、フリカッセと共にクリームシチューとよく間違われる。
「パイ包みにしても美味しいのよね」
伯母が上品に口に含み、瞳を細めた。満足な出来だったようだ。
「これも旨い。にほんには色々な料理があるのだな」
「ブランケットはフランス料理ですけどね。……はぁ、お肉がやわらかいです」
『このクリーム、牧場で買ったミルクじゃない? 魔素を感じるよ』
はぐはぐと食べていたナイトに指摘されて、リリも気付いた。
どうりで美味しいクリームだと思った。
(異世界の牧場で買ったミルクは脂質が多くて美味しかったから、そのままバターを作ってみたのね、料理長……)
ペットボトルに入れて、ひたすら振る料理長の姿を想像して、くすりと笑ってしまった。
(ああ、あの美味しいミルクからできるバターはぜひとも手に入れたいわ)
シンプルにパンに塗って食べるのもいいし、料理に使うのもいいだろう。
お菓子作りにも試してみたい。
「昨夜のワイルドディアのローストも旨かったが、ブランケットも悪くないな」
「俺はアヒージョが気に入った」
和やかにディナーを堪能し、デザートのチーズケーキまでたっぷり味わい、その夜は遅くまで家族の対話を楽しんだ。
リリの初めての異世界旅行の話で盛り上がり、こっそり撮った写真や動画を皆で眺める。
伯母はホテルでの特別販売会の話に興味津々だった。
「あ、そういえば……伯母さまに見てもらいたいものがありました」
バリシアの街で縁あって購入した、ヴィクトリアン風のレースドレスだ。
「まぁ! なんて繊細で美しいドレスなの」
異世界産の本物のドレスを前にして、伯母は少女のように頬を染めて喜んでくれた。
こんなに喜んでもらえるとは思わなかったので、次は伯母に似合いそうなドレスをお土産にしようと思う。
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