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118. 侯爵家の末娘 1
しおりを挟む避暑地から帰宅した妹の変わりように、兄であるウォルトは驚愕した。
ヴェローナ侯爵家の嫡男の彼は十七歳。金髪碧眼で、なかなかに整った容貌の持ち主であるため、男女問わずに友人も多い。
侯爵家にはもうひとり娘がいる。こちらは長女で、十八歳。名をキャロラインといい、纏う色彩や顔立ちもウォルトとよく似ていた。
二人とも華やかな外見をしており、高位貴族らしく社交好き。
一方で、侯爵家の末の娘であるローザは赤みがかった酷い癖毛の持ち主で、瞳の色も澄んだ青ではなく、くすんだヘーゼル。
性格も引っ込み思案で、小さいことですぐにうじうじと悩んでいるため、ウォルトはずっと鬱陶しく思っていた。
苛めることはなかったが、構ってやることも滅多になかったように思う。
(弟ならともかく、妹となんて、どんな会話をすればいいかも分からないしな)
有り体に言えば、地味で暗い妹に興味がなかったのだ。
ローザはやがて学園でも目立たないよう、厳格な教師のように髪をひっつめて地味なドレスを身に纏うようになった。
友人は少なく、周囲に侍るのは寄子貴族の子爵令嬢たちばかり。
貴族令嬢として社交が苦手なのは問題だったが、幸いにもローザは頭だけは良かった。
学園での成績はいつも首席なため、両親も好きにさせていたようだが──
(むっつりと不機嫌そうな表情をしてばかりで、つまらない妹だ)
ウォルトは密かに彼女を疎んでいた。
華やかな姉と比べるまでもない。
自分たちと本当に血が繋がっているのかさえ怪しいとさえ思っていた。
はっきりと口にしたわけではなかったが、ローザのことを不器量な妹だと蔑んでいたのだ。
なのに、避暑地から急遽戻ってきた少女はまるで蛹から蝶に孵ったかのように、美しく変化していた。
「お前……ローザか⁉︎」
その変わりぶりに驚いて、侯爵家子息としてはマイナス評価を付けられそうなほど、間抜けな表情で声を荒げてしまった。
名指しされた少女はきょとんと瞳を瞬かせて、ふわりと微笑んだ。
「ええ、私はローザですわ。ウォルトお兄さま、ただいま戻りました」
「あ、ああ……おかえり…。すまない、見違えてしまって、つい声を荒げてしまった」
「ふふ。皆さま、そう仰いますのよ。そんなに変わりました?」
悪戯っぽく笑う愛らしい少女から、目が離せない。
雨の日なんて見られないほどに膨らんでいた見苦しい癖毛が、綺麗に整えられている。
口の悪い伯爵家の子息がローザの頭を「チリチリのニンジンあたま!」などと揶揄っていたが、今の彼女の髪型はむしろ天使だろう。
王都の著名な芸術家の手による天使像を彷彿とさせる、やわらかにうねる美しい髪にはリボンが結ばれている。
繊細に編まれたレースのリボンはローザによく似合っていた。
みっともないと思っていた色合いだが、こうして見ると華やかで愛らしく見えてくるから不思議だった。
(ニンジンどころか、まるで咲き初めの薔薇の蕾のようだ……)
髪型だけではない。薄く化粧を施された姿が目をみはるほどに愛らしかった。
太かった眉が細く弓なりに整えられ、頬に赤みが増している。いつも何かを耐えるように固く引き結ばれていた唇は笑みをたたえ、淡い色の紅がのせられていた。
派手な化粧ではない。ほんの少しだけ、頬紅や口紅で色付けられただけなのに、こうまで印象が変わるのか。
(醜くなんてない。不器量でもない。ローザはこんなにも愛らしい妹だったのか……!)
印象ががらりと変わったのは髪型と化粧だけではなく、服装も一役買っている。
肌を極力隠す、ひと昔前の堅苦しいデザインの服を好んで着ていたローザが、今は身軽なワンピースを身に纏っていた。
侯爵家の令嬢としてはいささか軽装ではあるが、避暑地からの長旅の間の外出着なため、目くじらは立てにくい。
何よりも、そのワンピースはローザにとてもよく似合っていたのだ。
パフスリーブの半袖のワンピースにはレースとリボンがたっぷりと飾られている。
薄手のやわらかな生地にピンクの小花の刺繍が施されており、コルセットはない。
ウェスト部分は幅広のリボンベルトが通されており、背後で蝶結びしてある。
スカートは膝丈。レースのフリル付きのパニエが重ねられており、花びらのよう。
夏らしく涼しげで、少女らしいチャーミングな衣装だった。
十人中九人は確実に美少女であると断言するだろう。
ローザは己の魅力をはっきりと理解した表情で、悪戯っぽく笑った。
「とても素敵な出会いがあって、変わることができたのです」
「そうか……。それは、良かった」
「私、お父さまとお母さまにお願いがあって帰省を早めましたの」
「お願い……?」
「ええ。私、王都で自分の店を持ちたいのです」
愛らしい妖精のように微笑みながら、これだけは変わらない聡明なヘーゼルの瞳を煌めかせながら、ローザはそう宣言した。
◆◇◆
ヴェローナ家の末娘のその発言は、歴史ある侯爵家の面々を仰天させた。
美しく着飾ったローザの姿を侯爵家夫妻は大喜びで出迎えたのだが、まだ成人前の娘のおねだりにはさすがにすぐに承服しかねたのだ。
「私、バリシアの街でとても素敵な女性とお友達になったの。年若いのに、とてもしっかりした実業家で、素晴らしい方よ。自分を卑下して、ずっと俯いているしかなかった私をこんなに変えてくれたの」
同性として、思うところがあったのだろう。父よりも母と姉の方がローザの話に真剣に耳を傾けていた。
「もしかして、貴方がこんなに素敵な姿に変身したのも、そのひとのおかげなのかしら?」
「はい……! そうなのです。大嫌いだった、この髪もリリさんのおかげで好きになれたんです」
「そう。……ええ、ほんとうに素敵よ。まるで妖精のお姫さまみたい」
母親にそっと頭を撫でられて、ローザがくすぐったそうに笑う。
兄の目から見ても、とても魅力的な少女だった。これは新学期から騒がしくなりそうだと思う。
(特に、これまでローザのことを野暮ったいだの不細工だのと虐めていたあいつがうるさいだろうな……)
幼い頃に決められた、ローザの婚約者である伯爵家子息の顔を思い出して顔を顰めるウォルト。
(ローザがここまで拗らせたのは間違いなく、あいつの所為だ)
チリチリのニンジン頭だと最初に笑ったのは、あの男だ。
その悪口が広がって、すっかり社交嫌いになったローザは髪をひっつめて大きなリボンで頭を隠し、時代遅れの地味な服で壁の花となることを選んだ。
「ねぇ、もしかしてローザのお友達って、ジェイドの街の……?」
それまでじっと口を噤んで妹を凝視していたキャロラインがおそるおそる声を掛けた。
「はい、そうです。リリさんは雑貨店『紫苑』の店長さんです」
「まあ! あの、なかなか手に入らない素晴らしい商品を売り出しているという、雑貨店の!」
学園の最上級生であるキャロラインは王都の流行に敏感だ。
ジェイドの街でしか手に入らない幻の商品を求めて、あの手この手で奔走して、ようやくレターセットなどを手に入れて喜んでいたことを思い出す。
「まさか、この服……?」
「はい、『紫苑』のワンピースです。リリさんと色違いの双子コーデなんですのよ」
「ふ、双子コーデとは⁉︎ もしかして、そのお化粧も……っ?」
「落ち着きなさい、キャロライン。はしたないわよ」
「ごめんなさい、お母さま」
興奮状態の姉を宥めるためにか、ローザはバリシアの街で手に入れた商品をリビングに運ばせた。
ウォルトもだが、高価な芸術品を見慣れた父も思わず声を上げたほどの素晴らしい品々に、うっとりと見惚れてしまう。
色鮮やかなガラスペンにカラーインクにレターセットも美しいが、ティーセットが特に素晴らしい。
「話には聞いていたけれど、これほどの商品を取り扱っているとは……。よほど凄腕の実業家なのですね」
ほうっとため息を吐くキャロラインに、ローザはくすくすと朗らかに笑ってみせた。
「凄腕ではあると思いますが、リリさんはとっても愛らしくて優しい方なんですよ。むしろ商売っ気がなさすぎて心配なくらい」
「ほう……?」
ぴくり、と父が肩を揺らす。
何となく妹の言いたいことが分かって、ウォルトもソファに座り直した。
「私、リリさんの王都進出を後押しするお店を営業したいのです」
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