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119. 侯爵家の末娘 2
しおりを挟む避暑地であるバリシアの街で親しくなった『紫苑』の店長、リリ。
ホテルのダンスホールを借り切って催した特別販売会が大盛況となった。
それは良かったのだが、おかげでさらに『紫苑』の名が知られるようになり、貴族のご婦人方から王都への出店を催促されるようになったのだ。
「困りました……。うちは信用できる従業員のみでお店をやっていきたいので、王都への出店は難しいのです」
ローザとお茶を飲みながら、ため息と共にこぼされた愚痴。
可愛らしいワンピースに文房具だけでも評判になっていたのに、今回は素晴らしい品質のお化粧品を売り出してしまったのだ。
使い心地が素晴らしい、それらの品に魅了された女性陣がそう簡単に諦めるとは思えなかった。
なのでローザは「なら、侯爵家が後見人となって店舗を用意させましょうか?」とつい提案してしまったのだ。
唐突な申し出にリリは驚いたようだが、すぐに顔を輝かせた。
最近は評判を聞き付けた王都からの商人が店に押し寄せるようになって、困っていたのだと言う。
「個数制限もしているのですが、中には女性冒険者を雇って、日に何度も来店させる悪質な方もいて……」
「まぁ、そんな方が」
依頼料を弾んだとしても、王都ではそれ以上の金額で転売できるらしい。
「なので、商品を委託販売してもらえるのは助かります。ローザさんなら信頼できますから」
翡翠色の瞳を細めて、はんなりと笑うリリ。信頼できる、と言ってもらえたローザは天にも昇る気持ちで「任せてくださいまし!」と叫んでいた。
◆◇◆
そんなわけで、現在。
ローザは両親を説得中なのである。
「店舗の目安はすでに付けてあります。王都の商店街の一角。商業ギルドで見積もりはいただいています。賃貸料はこちら」
王都の学園で主席の座を一度も譲ったことのない才女であるローザは抜かりない。
両親と兄姉がぽかんとしている間に次々と書類を並べていく。
「しばらくは賃貸で様子を見るつもりです。リリさんが気に入れば、土地は建物ごと購入します。店舗予定の建物は二階建てになっておりまして、一階に文房具や雑貨類を置く予定です」
キャロラインがテーブルに置かれた書類を手にして、真剣に読み上げる。
「店舗予定の場所は一等地ね。……ああ、ネーフ宝飾店のあった建物ではなくて?」
「はい。鉱山を所有していたネーフ子爵家が経営してらした宝飾店でした、キャロラインお姉さま」
侯爵夫人が訳知り顔で頷く。
「ああ、鉱山から宝石が採れなくなって、店を畳んだと聞きました。その店舗をそのまま押さえたのですね?」
「まだ契約はしていませんが」
商業ギルド経由で手付金だけ支払って、押さえてある。
元宝飾店だけあり、瀟洒な建物は見栄えがいい。内装も洗練されているため、あまり手を加える必要もなさそうなところが気に入った。
何よりも、大きなガラス窓で店内を覗けるようなデザインが一目で気に入ったのだ。
「扱う商品は何ですの?」
「一階はガラスペンにカラーインク、レターセットなどの文房具がメインです。様子を見ながらにはなりますが、売れそうならティーセットも置こうかと」
「この素晴らしいティーセットを⁉︎ 売れるに決まっていますわ!」
茶会好きな母が声を荒げる。
そうですか、とローザは慎ましく微笑んでみせた。
内心ではぐっと拳を握っている。
(お母さまなら、ティーセットが気にいると思いました)
ローザとしては愛らしい衣装も取り扱って欲しいのだが、メイン客層が上流階級になる王都の店舗なため、リリに却下されてしまったのだ。
だが、何よりの目玉商品は別にある。
「そして、本命の二階。こちらではお化粧品を取り扱います」
一階は老若男女、誰でも利用できるが、二階は男子禁制。
女性のためのフロアにする予定だ。
「お化粧品……!」
「ローザが使っている口紅も売るのですねっ?」
「はい、もちろんですわ」
母と姉がすごい勢いで食い付いてくる。あまりお洒落に興味のなかったローザでさえ夢中になったのだ。
美容に並々ならぬ執念を抱く彼女たちが無視するはずもなく。
「こちらバリシアの街で手に入れたお化粧品ですが、ちょうど本日、リリさんから荷物が届きましたの」
両親が帰宅する直前に配達された、リリからの荷物。
すばらしいタイミングに、幸運に後押しされていると感じた。
手紙も嬉しかったが、お土産だと渡された品がどれも素晴らしい。
洗顔用石鹸にパウダーファンデーション、頬紅に口紅は今使っているものと違う色のものだ。
アイメイク用のセットも同梱されており、母と姉の目の色が変わる。
美しい色合いの木の櫛や夢のような使い心地の化粧ブラシ。
指先や爪のお手入れ道具というものもあったが、これは説明文を後でじっくり読んで確認しなければ。
母はシミやそばかすを隠すコンシーラーに目を輝かせていたし、姉はアイシャドウや口紅を欲しがった。
二人ともうっとりと頬を上気させて、夢見心地で口を開く。
「これらを、ローザのお店で売り出すのですね……?」
「はい、飽くまで雑貨店『紫苑』の代理販売として、の形ですが」
「問題ありません。この母が支援しましょう。契約書を寄越しなさい。サインします」
「ずるいわ、お母さま! 私も支援いたします。お友達にも宣伝するわ」
「ありがとうございます、心強いです」
女性陣が笑みを交わし合う姿に慌てたのは侯爵とその子息だ。
「待て待て! 店を経営するとなると、そんな簡単にはいかんぞ?」
「そうだぞ。落ち着け、ローザ。第一、そんな費用がどこに……」
「ありますわよ? 私、お小遣いをずっと貯めていましたもの。軽く試算してみましたが、店舗の賃貸料と従業員のお給料を半年分支払えるくらいのお金はあります」
「は……⁉︎」
お小遣いとは毎年、父である侯爵が妻や子供たちに計上している予算のことだ。
侯爵家の令嬢として恥ずかしくない身形を整えるために、毎年それなりの金額が渡るようになっている。
「……俺、ほとんど使ってしまっているんだが」
かなりの金額が渡されているが、王都住まいで社交的なウォルトは赤字とまではいかないが、ほぼ使い切る生活を送っていた。
侯爵家子息ともなれば普段着も気が抜けないため、衣装代に交遊費、婚約者への贈り物にもお金を使っている。
「私なんて足りないくらいですわ……」
キャロラインも同様らしい。
彼女の場合、ドレスや宝飾品、お化粧代に交遊費が嵩張っていた。
そんな兄姉をローザは呆れた風に一瞥する。
「私はお兄さまやお姉さまのように社交にそれほどお金を掛けておりませんでしたから、余裕があるのですわ」
化粧はほとんどしなかったし、髪はひっつめていただけ。家にあったシンプルで地味なドレスを仕立て直して着用していたローザは自分用の予算を持て余していた。
せっかくなので、と色々と面白そうな分野に投資していたら、三倍以上になって返ってきたのだ。
(おかげで両親に頼まなくても、自分でお金を出せます)
唯一の趣味は読書。が、勉学に関する費用は父が惜しまなかったので、お小遣いはほぼそっくり残っていた。
「従業員は商業ギルド経由で面接して選ぶ予定です。計画書も作ってあります。あとはお父さまたちのサインさえいただければ、迷惑もかけません。……ダメですか?」
残念ながら、いくら資金があって滅多にいない才女であろうとも、ローザはまだ十四歳。未成年なのだ。
まるで薔薇の蕾の妖精のような愛娘から上目遣いで訴えられて、きっぱりと突き放せる父親がいるだろうか。
かくしてローザは見事にヴェローナ侯爵の承諾を得て、『紫苑』王都代理販売店を経営することになった。
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