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125. 海堂家の女主人
しおりを挟むメッセージアプリの通知音に気付いて、沙織はスマートフォンを確認する。
可愛い姪っ子からのメッセージだ。
素早く目を通して、「あらまぁ」とつぶやいた。今からルーファスがこちらを目指して飛んでくるらしい。
綺麗な赤毛の美丈夫の顔を思い起こして、沙織は笑みを浮かべた。
異世界からの客人である彼は、なんと正体がドラゴンなのだ。
まさかそんなと半信半疑でいたが、その立派な巨体を目にしては信じざるを得なかった。
体の大きさは自由に変更できるようで、我が家では人型を取るか、リリ曰くの『手乗りドラゴン』姿でいることが多かったのだが。
「ぼんやりしていると、すぐに到着しちゃうわね」
幸い、今は午前九時過ぎ。
料理長は夕方前に出勤予定なので、ルーファスとかち合う心配はない。
契約しているハウスクリーニングが入るのも午後の予定。
ちょうど屋敷には誰もいない時間帯だったので、ほっと胸を撫で下ろした。
理由を付けて人払いをするのも面倒なのだ。
ドラゴンの姿でこちらまで飛んでくる際には姿を消してくれているが、庭に突然、赤毛の美男子が現れるとなると、さすがに言い訳に困ってしまう。
「今日はリリちゃんが一緒じゃないのは寂しいけれど、せっかくのイケメンですもの。堪能しなくてはね」
ウキウキしながら、庭に出た。
ちょうど日陰になるベンチに座り、のんびりと待つ。
リリから連絡があって、きっかり十分後にドラゴンは到着した。
音も気配もなく、庭に姿を現す赤毛の大男を、沙織は笑顔で出迎える。
「いらっしゃい、ルーファスちゃん」
「おお。リリィの伯母殿。息災のようで何よりだ」
「ルーファスちゃんも元気そうで良かったわ」
屋敷に招いて、手ずからお茶を淹れる。
いつもは紅茶を出していたけれど、今日はいただきものの羊羹があったので、玉露と共に出してみた。
「どうぞ」
「いただこう」
ドラゴンの口に和菓子は合うのか。
ちょっとした好奇心からの悪戯だったが、ルーファスは笑顔でぺろりと平らげてくれた。
どうやらドラゴンは和菓子もイケるらしい。
「うむ、美味かったぞ」
「お口に合ったようで良かったわ」
瞳を細めて玉露茶を飲んでいることから、本心から気に入ってくれているのが分かる。
まだ三本ほど羊羹は残っているので、お土産に渡してあげよう。
「リリィから話は聞いているか?」
「ええ、もちろん。いつものお肉を持ってきてくれたのよね? ……それと、特別な薬草を」
「ああ、そうだ。聞いているなら、話は早い。肉はあとで厨房に運び込んでおけばいいか?」
「ええ、お願い。キッチンの業務用の冷蔵庫があるから、あとで案内するわ」
「分かった。こっちはリリィからの土産だ。『聖域』で採ったハチミツは疲労回復にいい」
「まぁ、それは嬉しい効果ね。ありがとう」
ガラス瓶に入ったハチミツを受け取る。とろりとした蜜は黄金色に煌めいており、とても綺麗だ。
続いて、ルーファスはドライフラワーのように束にした薬草を【アイテムボックス】から取り出した。
「そして、これが本命の薬草だ。状態異常を完全に回復する効果がある」
「ありがとう。ちゃんと対価は用意してあるから、安心してね」
状態異常、とはどのようなものなのか。沙織はあまり理解できていなかったが、息子たちが興奮していたので、価値のある薬草なのだろう。
「ひとまず、一束を百万でお支払いするわね。こちらで薬草の効能を確かめるので、価値が高いと判断できたら、次回からはもっと色を付けることができると思うわ」
「ああ、分かった。今日は三束ほど採取してきたが……」
「すべて買い取るわ。もちろん、魔獣肉のお金も用意しているわよ?」
にっこりと微笑んで、札束を四つルーファスに手渡した。
最近は現金で彼らに対価を支払っているので、我が家の金庫は大活躍だ。
このくらいの金額は惜しくないほど、異世界のポーションにはお世話になっている。
「魔獣肉も持ち込んでくれた分はすべて買い取ります。我が家は皆、夢中で食べているのよ? お客さまもすっかり虜になって……」
くすり、と笑う。
どんなに自分たちに不利な商談でも、魔獣肉を使った料理でもてなすと、客人は夢見心地で承諾してくれる。
さすがに申し訳ないので、お土産として料理長渾身の作、オーク肉ベーコンなどを持たせてあげているおかげか、その後の関係も円満だ。
中級、上級ポーションの提供で、我が家が得た利益は凄まじい。
化粧水や美容液に下級ポーションを混ぜたものは上流階級のご婦人方に大好評。
おかげで沙織は社交界の中心に堂々と立つことができている。
国内だけでなく、海外からも我が家に接触があるので、影響範囲は広がりそうだ。
(あまり、やり過ぎても面倒なことになりそうだから、今回の薬草は慎重に取り扱う必要がありそうだけど……)
玲王や瑠海が言うには二日酔いの薬どころか、あらゆる毒を解毒できる可能性が高いらしい。
治験は必須だが、もしかすると薬物中毒やアルコールの依存症なども治せるのではないか、とも口にしていた。
(そんなことが可能なら、この薬草も『高く』売れそうね)
富豪の親族には、そういった薬や酒、煙草などに耽溺した者が多くいる。
副作用もなく、依存症を瞬時に完治できると分かれば、喉から手が出るほど欲しがる者は大勢でてくるだろう。
「この薬草は煎じて飲むものなのかしら?」
「俺たちはそのまま齧っていたが……。人ならば、茶葉として使うのがいいと思うぞ」
「茶葉……。なるほど、試してみるわね」
彼の言う通り、粉末で薬として飲むよりも、お茶にした方がまだ飲みやすそうだ。
薬草はハーブとよく似た爽やかな香りがする。患者にはハーブティーと偽って飲ませてやればいい。
おかわりした玉露茶を飲み干すと、ルーファスは身軽く立ち上がった。
肉を厨房に運び込んだら、すぐに帰ると言う。
「せっかく日本に来たのですもの。せめて、ランチを一緒にしてほしいわ」
「ランチ……」
日本での昼食に心が揺れているのが伝わってくる。ここだ、と女の勘が訴え掛けてきた。
「お客さまにおもてなしをさせてちょうだい。とっても美味しいお店を押さえてあるのよ。リリちゃんたちへのお土産も包んでもらうから、お願い、ルーファスちゃん」
「リリィへの土産か……」
しばし悩んだルーファスだが、「リリちゃんも気にいるはず」という一言で、渋々頷いてくれた。
◆◇◆
「──で、ルーファスくんを昼食に連れ出したのか」
「ええ。リリちゃんから連絡があってすぐにオーナーに個室を押さえてもらっていたの」
「ふ。さすがに抜かりがないな」
無理を言って部屋を用意してもらったのは中華料理店。
高級な食材をたっぷり使った、贅沢なコース料理を二人はめいっぱい堪能した。
もちろん約束通りに、リリたちへのお土産もたくさん包んで持ち帰ってもらった。
「満足してくれたわよ、ルーファスちゃん」
「それは良かった」
リリからの連絡は家族用のグループメッセージで届いたので、ドラゴンが我が家を訪ねたことは皆もう知っている。
が、夫には直接報告したかったのだ。
息子たちはルーファスと会えなかったことを残念がっていたが、さすがに会社と大学を抜け出すような真似は控えたようだ。
(リリちゃんが来るって知ったら、抜け出して来ていたかもしれないけれど)
我が家の息子たちは立派なシスコンに育ってしまったので、仕方ない。
「それで、肝心の薬草は茶葉にできたのかい?」
「失敗するのが怖いから、とりあえず少量だけ試してもらっているわ」
蒸して、揉み込んで空炒りする作業を繰り返し、乾燥してもらっているところなので、明日には完成しているはずだ。
「そうか。なら、最初の治験には私が挑戦しよう」
「そんなことを言って、お酒をたらふく飲みたいだけでしょう?」
「はは、バレたか。二日酔いが瞬時に治るお茶ができたら最高だね」
夫婦で軽口を叩き合って、ダイニングに向かう。
本日のディナーはルーファスが持ち込んでくれた魔獣肉料理。
「楽しみね、あなた」
「ああ、そうだな。……リリは今頃、異世界で映画を観ている頃か」
「ルーファスちゃんやナイトちゃんたちが驚く顔、私も見てみたかったわ」
「それは私も見てみたいぞ」
異世界のファンタジーな品物には驚かされてばかりなのだ。
「王都でのお店でも、たくさんの人を驚かせることができるといいわね」
「そうだな」
残念ながら、沙織が愛するロリィタ服は王都店では扱わないらしい。
(なら、別の方向で稼げばいいわね)
楽しい玩具を見つけた少女のような無邪気な笑顔を浮かべながら、沙織はすばやく頭の中で電卓を叩いていた。
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