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137. 王都店、開店です 2
しおりを挟むヴェローナ侯爵家が経営に携わった『紫苑』王都店のプレオープンには、大勢の招待客が押し寄せていた。
女性客がほとんどだが、同伴の男性客の姿もちらほら見える。
皆、侯爵家の家紋入りの招待状を手にした貴族階級の招待客だ。
「うちと交流のある方々をお招きしましたので、練習台にはちょうどいいかと」
侯爵夫人が微笑みながら軽口を叩くと、緊張した面持ちの従業員たちの肩の力がふっと抜けたようだ。
「皆さま、『紫苑』でのお買い物をそれは楽しみにされていらっしゃいます。良い体験ができるよう、心を砕いて接客してくださいね」
やわらかな口調でローザが言う。
我が家の使い魔たちからみっちり接客をしこまれた従業員たちは「はい!」と笑顔を浮かべた。
接客を担当する従業員は全員、女性だ。
倍率が凄まじい採用試験を見事突破してきた彼女たちは、みな優秀な売り子である。
この日のために誂えた『紫苑』の制服を誇らしげに身に纏っていた。
濃紺と白をベースにしたワンピースは落ち着いたデザインで、ラインが美しい。
これはいつも衣装を購入させてもらっているロリィタ服のデザイナーに頼んで作ってもらった制服だ。
見本となる完成品一着と型紙、材料となる布地に糸、リボンにボタンなどを用意してもらい、縫製自体は侯爵家が抱えるお針子さんたちにお願いした。
既製品ではなく、オーダーとなるため、身に纏った時の美しさは格別だ。
一階の雑貨品売り場、二階の化粧品売り場も同じ制服である。
エレガントなシルエットなのに、動きやすい制服は目にした少女たちの憧れの的となり、『紫苑』で働くことを夢見る子が大勢現れるようになるのだが、それはまた別の話。
本日のプレオープンの客層が、侯爵家の身内や親しいご令嬢方であると知って、従業員たちは余裕をもって接客することができた。
和やかに入店する招待客はみな、期待に満ちた瞳で食い入るように店内を見据えている。
ローザの友人である年若いご令嬢たちはリボンやヘアアクセサリー、茶器の売り場に殺到して、華やかな歓声を上げた。
「リボンがたくさんあるわ。こんなに鮮やかな色で、ムラがないなんて素晴らしい染色技術ね」
「まぁ、こちらはなんて繊細なレース編みなのかしら。凄腕の職人を抱えているのでしょうね。素敵だわ」
バックヤードからこっそり店内を覗き見ていたリリは心の中で「すみません。どれも大量生産品です」と謝りつつも、良い反応にほっと胸を撫で下ろしていた。
王都店ではワンピースを販売しないため、せめて華やかにしたいとヘアアクセサリー売り場は充実させてある。
髪を飾るリボンはロールで二百種は揃えたし、シュシュはもちろん、バレッタやカチューシャも色柄デザインを変えて仕入れてあった。
こちらの世界では珍しい装飾品なため、少女たちは夢中で商品を見比べている。
「お嬢さま方、こちらのカゴをどうぞ」
さりげなく小さなバスケットを笑顔で手渡すのはクロエだ。
艶やかな黒髪をツインテールにした美少女に微笑みかけられた令嬢たちはほんのり頬を赤らめながら、そっとバスケットを受け取っている。
「購入したい商品をこちらに入れて、あちらのカウンターまでお持ちください」
「分かったわ。ありがとう」
「いえ。どうぞ、ごゆっくりお選びくださいまし」
ジェイドの街の雑貨店で看板娘をしているクロエにしたら、慣れた接客だ。
プレオープンである本日はお行儀のいい高位貴族のご令嬢やご婦人ばかりなため、落ち着いて対峙できる。
(向こうでは、気の荒い女性冒険者が買い物に来たりしていたから……)
たまに酔って暴れる者もいて、そういった連中をクロエやネージュは軽々と制圧していた。護衛のはずのセオの出番がないくらい、彼女たちは強いのだ。
ご令嬢たちが可愛らしいアクセサリーに夢中になっている傍らで、年配のご婦人方はティーセットに目の色を変えていた。
『絶対に売れます。むしろ、売り切りますので、大量入荷をお願いしますね、リリさん』
ローザにそう念押しされていたので、リリは頑張ってティーセットを揃えたのだ。
顔の広い伯母にも協力してもらったため、どうにかかき集めることができた。
まるで真珠のように美しく、一点の曇りさえ見つけ出すことが難しいボーンチャイナ。
絵付けはすべて手描きの、コバルトブルーが鮮やかな陶磁器ブランドの品。
唐草模様パターンがここ異世界でも受け入れられるか不安だったけれど、神秘的な柄だと、むしろ高評価のようで嬉しい誤算だ。
その他にもアール・デコを基調とした繊細なデザインのティーセット。
世界最大級の陶磁器ブランドメーカーのボタニカルなデザインの作品も多く取り揃えてある。
同じ品がかぶることを嫌う高位貴族のため、どれも色や柄、デザイン違いのティーセットを用意した。
一点物のセットですよ、と小声で女性従業員が客の耳元で囁くと面白いほどによく売れた。
茶器コーナーには紅茶缶も並べている。
紅茶のシャンパンと称されるダージリン、独特な甘みのある風味が特徴的なアッサム。すっきりとして飲みやすいニルギリ、セイロンティーも仕入れてある。
(本当はフレーバーティーも販売したいところだけれど、しばらくは様子見かしら)
爽やかな柑橘の香りをまとうアールグレイはきっとご令嬢方に人気が出るに違いない。
茶葉だけでなく、ティーバッグも販売しており、こちらもよく売れていた。
ティーセットを購入する客は茶葉だけでなく、デザインシュガー、すっかり『紫苑』の定番商品となったスミレや薔薇の砂糖漬けももれなく手にしてくれる。
今回はそこに焼き菓子も追加された。
「うふふ。やっぱり、思った通りによく売れていますわよ、リリさん」
「今日はマフィンでしたよね?」
「はい! 明日はマドレーヌ、明後日は紅茶風味のクッキーの予定ですわ」
オープン記念として、最初の一週間のみ焼き菓子も限定販売することにしたのだ。
どれも日本で購入してきたものを瓶詰めにして販売しているのだが、あっという間に棚が空になってしまっていた。
雑貨店『紫苑』でたまに売られている菓子類はほっぺたが落ちそうになるくらい美味しいのだと、すでに王都では噂になっていたようだ。
「もう完売ですの⁉︎ 出遅れました……」
「ローザさま、ぜひ再販を!」
おそらくは友人らしき少女たちに囲まれるローザを置いて、リリはそっとその場を離れた。
(ごめんなさい。リクエストが多いようなら、レシピを渡すので!)
心の中で謝りつつ、他の売り場を見ていく。
文房具売り場は落ち着いた客層で、それぞれ好みのインクや便箋などを厳選している。
ガラスペンもカラーバリエーションを豊富に揃えて販売しているので、お気に入りの一本を見つけることは可能だろう。
ちなみにセオは本日も女性体で接客している。キツネ耳の美少女は『紫苑』の制服がとてもよく似合っていた。
こっそり観察しているリリに気付くと、花が綻ぶような可憐な微笑を浮かべて手を振ってくれる。とても愛らしい。
すぐそばに立っていたため、微笑の被弾を喰らってしまった少年の初恋泥棒になっていないか、心配だ。
『性質が悪いキツネだね、あいかわらず』
呆れたように嘆息する黒猫、ナイト。彼は姿を消して、リリの肩に乗っている。
あいかわらず、と言うことは前科があるのか。
(……もしかして、尻尾が九本だったりしないですよね?)
従業員が傾国の美女だと困る。
『アレはからかって遊んでいるだけだから大丈夫だよ。国を傾けるより、リリのご飯を食べて映画を観る方が楽しいもの』
「期せずして国を救ってしまっていました……」
軽口を交わしつつ、二階に向かう。
一階の売り場の盛況さは予想通りだったが、この国初の試みである、ネイルサロンと化粧品売り場の様子がとても気になる。
ハンドマッサージとネイルの施術は予約必須。化粧品売り場も各個室での接客となる。
「メイン客予定の貴族のご婦人方は自宅に商人を呼び寄せるのが一般的だと聞いたから、サロンにお客が入るか心配だったのだけど……」
バックヤードから覗き込んだ二階の様子に、リリはほっと胸を撫で下ろした。
個室はすべて埋まっており、待合室と化した売り場のソファでは高貴な女性たちが楽しげに歓談している。
『考えたね。待ち時間を有効活用するとは』
「ローザさん、やり手です。私より」
ゆったりとソファに腰掛けたご婦人方には一階で販売しているティーセットを使ったお茶と菓子を提供していた。
彼女たちが興味深そうに眺めているのは、商品のカタログである。
一階で販売している品をここで注文できるようにしているのだ。
『お化粧品もすごい勢いで売れているみたいだね?』
「そうですね。従業員が倉庫を往復しています」
補充するや否や、綺麗に売れていっている。予想以上の売れっぷりに、皆が嬉しい悲鳴を上げていた。
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