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138. 王都店、開店です 3
しおりを挟む二階の化粧品売り場とネイルサロンの従業員は、クロエとネージュが付きっきりで技術を伝授してある。
予約必須の個室へ案内して、それぞれの肌質やカラーに合わせてのタッチアップ。
化粧品だけでなく、さりげなくメイク道具もおすすめする──もはや美容部員のプロである。
日本から持ち込んだ化粧品でメイクアップされたご婦人方はあまりの変わりように言葉もなく、鏡の中の自分の姿に見惚れていたようだ。
当然、使用された化粧品、メイク道具もすべてお買い上げされた。
そうして当初は化粧品のみ購入する予定だった彼女たちは流れるようにネイルサロンへと誘導され──爪を美しく彩るという、新しい美容に夢中になった。
「お化粧品もその技術も素晴らしいけれど、私の指先がこれほど美しくなるなんて驚いたわ」
手指は軟膏を塗り、爪はやすりで削って形を整えるくらいの手入れしかしていなかったのだ。
マッサージ用のオイルで血行を良くして、ネイルを施せばマイナス十歳は若く見えるようになる。
(今日のところは、まだポーション入りの美容オイルは使っていないようですが、充分反響はあるようですね)
少しずつ小出しにする方がいい、と侯爵家の女性たちと相談して決めたのだ。
今はまだピーリングオフのマニキュアを使っているが、そのうち除光液を使うタイプのマニキュアを披露する予定だ。
除光液もマニキュアもネイルサロンでしか使えないようにして、ピーリングオフのマニキュアは店頭で販売する。
(普段使いは毎日オフできるマニキュアを。『特別な日』にサロンを使ってもらえるように。……乙女心をよく分かっているのはさすがです)
ネイルサロンの金額は、一度の施術で銀貨五枚。ハンドマッサージとマニキュアを塗るだけで五万円を必要とする。
日本だと、ジェルネイルでもそこまでの金額は滅多にしないが、ここは異世界で相手は貴族のご婦人方。
これでも良心的な金額らしい。
「一日で剥がれるのに……」
『お化粧もそうでしょ? 同じようなものじゃない?』
ニンゲンは大変だね、と黒猫のナイトが後ろ足で首をかきながら言う。
反論しづらくて、リリは沈黙を守った。
ネイルサロンは予約がびっしり埋まっているそうだ。
お化粧品のタッチアップも盛況。
貴族のご婦人方は侍女にメイクをお任せするため、個室にはメイクの仕方を覚えようと同席されているようだ。
メイク道具はひととおり購入し、ついでに新作の手鏡や櫛も売れている。
異世界にプラスチックケースをばら撒くのはどうかと思い、販売している化粧品はすべて金属製のケース入りのものを用意していた。
口紅もリップスティックタイプではなく、瀟洒なガラスや陶器の器に詰められた京紅を揃えてある。
薬指で唇にのせてもいいが、紅筆とセットでよく売れていた。
(100パーセント天然成分を使った口紅だから、安心して使ってもらえるわ)
オーガニックコスメとして、昨今注目されているため、色々なカラーバリエーションが作られているのだ。
(重ね塗りをすると色や艶も都度、違った色合いを楽しめるのもいいのよね)
かくいうリリも密かに愛用していた。
一度使うと、品質の良さからリピーターになるのは確実だ。
化粧品はとくに高値で販売している商品なのだが、消耗品なので継続的な売り上げが期待できる。
『これだけたくさん売れているなら、安心だね、リリ』
「そうね。毎週、こっそり倉庫に搬入するのは大変そうだけど……」
『そっちはボクとルーファスで担当するから、リリは商品が途切れないように注文を忘れないでね?』
「……はい、気を付けます」
さすが筆頭使い魔、しっかりしている。
「では、一階に戻りましょうか。そろそろ、レジが混雑していそうなのでお手伝いに行きます」
階段を降りて、バックヤードからこっそり覗いたところ、予想通りの混雑ぶりに黒猫が嫌そうに鳴いた。
「ナイトはここで待っていて」
レジ前は大混雑だ。
商品を預かり、計算する従業員。割れ物は特に慎重に梱包する従業員。
そして、オープン記念特典のノベルティを手渡す従業員で大忙しだ。
侍女がレジで支払っている間、客であるご婦人方を接待するのは侯爵家の面々だ。
さすがにヴェローナ侯爵と令息は不在だが、侯爵夫人と侯爵家の令嬢二人がにこやかに会話を交わしている。
そっと様子を見ていると、気付いたローザが歩み寄ってきた。
「ローザさん、お疲れさまです」
「リリさんこそ、見回りありがとうございます!」
「お店が盛況なようで良かったです」
「ええ、おかげさまで大成功ですわ! 商品はもちろん、こちらの記念品も皆さま喜んでくださっています」
記念品は、日本のとあるメーカーに発注したオリジナルのポーチにした。
がま口タイプのポーチは薄紫色の布地に黒猫のシルエットと『紫苑』の店名をロゴマークにしたものを印刷してある。
ショルダーバッグのようにぶら下げることができるよう、肩紐付きだ。
お財布を入れるポシェットにしてもいいし、小物入れにも使える、優れものだ。
「とっても可愛らしいので、私は化粧ポーチとして使っています」
「ふふ、良かったです。うちのロゴも入っているので、普段使いをしてもらえれば宣伝になると思って」
トートバッグと迷ったが、こちらの方が可愛らしいデザインに仕上がりそうだったので、がま口ポーチを選んだ。
「宣伝効果! なるほど、勉強になりますわ! あと、このポイントカードもすばらしいですっ」
興奮した様子のローザが掲げたのは、名刺サイズのカードだ。
こちらも日本の印刷会社で刷ってもらった『紫苑』のポイントカードだ。
シオンの花の色をイメージした薄紫色のカードに金でロゴマークを箔押しされた、自慢のカードである。
可愛さと上品さ、高級感もある、なかなかの出来栄えだと思う。
ちなみに、このポイントカードは、銀貨一枚以上のお買い上げでハンコをひとつ押す予定だ。
十個分のハンコが貯まるごとに、記念品をプレゼントする。
(金額からしたら、ささやかなプレゼントなんですが……こちらの世界では、ポイントカードはまだないから、物珍しいのでしょうね)
ハンコ十個で、『紫苑』オリジナルロゴ入りのハンカチ。
ハンコ二十個で、同じくオリジナルロゴ入りのコンパクトミラー。
三十個を集めると、ミニボトルの香水をプレゼントする予定だ。
どの品にもさりげなくロゴを入れるので、宣伝効果を期待できるし──何より、人は『特別』や『限定』という言葉に弱い。
(お客さまにはリピーターになっていただかないと!)
今回はがま口ポーチのノベルティの他に、プレオープンのお客さまだけに『特別な』菓子を用意してある。
侯爵家令嬢のキャロラインが「とっておきですのよ……?」と華やかな美貌に悪戯っぽい笑みを浮かべて渡すのは、以前にローザにプレゼントした、キャラメルだ。
百貨店に出店しているスイーツショップの人気商品で、口にしたローザがとても気に入り、今回の記念品として用意することになったのだ。
レトロなパラフィン紙で包まれた高級キャラメルは見栄えをよくするため、ガラスの小瓶に詰め替えて可愛いリボンでラッピングしてある。
年若いご令嬢だけでなく、ご婦人方にも好評らしく、リリはほっと胸を撫で下ろした。
「とても素晴らしい体験ができたわ」
「良い買い物を楽しめました」
「また、ぜひお邪魔したいわ。次のサロンの予約もお願い」
どのお客さまも笑顔で帰宅された。
後に続く従者が大荷物を抱えて大変そうだったが、そこはそれ。
「ありがとうございました……!」
商品が売れると、我がことなように嬉しそうな従業員と共に、お客さまを見送る。
いつのまにか、すぐ傍らに立っていた赤毛の大男がリリの耳元でこっそり囁く。
「リリィ、楽しそうだな」
「楽しいです。売れると思って入荷した商品だけれど、やっぱり不安でしたから」
「そうか。リリィが楽しいと俺も楽しい」
「なんですか、それ」
くすりと笑う。
ルーファスはまぶしそうに、そんなリリを瞳を細めて見つめてきた。
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