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143. 異世界パン
しおりを挟むお行儀を気にせずに、ぶらぶらと食べ歩きをする楽しさを知ったリリだが、果実飴はともかく串焼き肉やパンはさすがに歩きながらだと食べづらい。
なので、市場から少し離れた広場のベンチに腰掛けて食べることにした。
「クミルの果実水を買ってきた」
「ありがとうございます。クミル……知らない名前です。綺麗な色」
石造りのベンチにハンカチを敷いて腰掛けると、ルーファスが屋台で飲み物を仕入れてきてくれた。
木製のカップに入った果実水は鮮やかな黄緑色をしている。
おそらく地球にはない、異世界独自の果実を絞ったジュース。
(キウィにそっくりな色だわ。香りは柑橘系ね)
黒猫のナイトが顔を近付けてきて、鼻先でカップを軽くつついた。
ひやりとした冷気が立ち昇り、果実水を彼が冷やしてくれたことに気付く。
「ありがとう、ナイト」
彼の分の飲み物はストレージバングルから取り出したミルクをあげることにした。
『何から食べる? さっきの、パン?』
「そうね。あのパンは気になる」
中に具材を詰めて焼いたパンを【アイテムボックス】から出してもらう。
リリを真ん中にして、ルーファスがベンチに腰を下ろす。
いつの間にか、自分用のランチを買ってきたようで、片手にエール入りのカップ、もう片方の手に大振りな串焼き肉を確保していた。
「リリィも食べるか? サーペント肉だが」
「サーペント……」
『魔素に晒されて巨大化した大蛇だね』
「うん。遠慮します」
にこりと笑って、お断りしておく。
いずれ挑戦するにしても、今日のところは火蜥蜴で充分だ。
ナイトが焼き立てを収納してくれていたので、パンはまだ温かい。
セミハードパンだが、中に具材が入っているからか、指先で押してみると、やわらかかった。
「いただきます」
バターではなく、ラードをまぶしたパンなんて初めて食べる。
小さく、一口。かじりついてみる。パリパリとした皮の感触。悪くない。
石窯で焼いていたので、表面はパリパリしており、中の生地はしっとりしている。
ラードはおそらく、オーク肉の背脂。独特の香りがするが、これがシンプルなパン生地と不思議と合っていた。
食べ勧めていくと、三口目で具材に行き当たった。いい具合にとろけたチーズが絡まって、これは美味しい。
玉ねぎのほのかな甘さとキノコの歯応えが絶妙だ。肉はおそらく、鶏肉だと思う。
口元にこびりついたチーズをナイトが舌で舐めとっている。
くしくしと顔を洗うと、瞳を細めた。
『……意外と悪くないね』
「かなり美味しいと思いますよ? 異世界にもお惣菜系のパンがあるなんて知りませんでした」
このパンなら、おかずは不要だ。他のパンよりも価格が高めに設定されていたのも納得である。
「お惣菜パンがあるなら、ジェイドの街でも色々と作ってもらってもいいかもしれませんね」
幸せそうに、もぐもぐとパンを食べながら、リリがぽつりとつぶやくと、ナイトとルーファスが目を輝かせた。
「惣菜パンか! 俺はソーセージパンがいいと思うぞ? カレーパンもいい」
『ボクはクリームパンをおすすめするよ。あんバターも捨てがたいけど』
「甘いパンは食事に向いていないんじゃないか。もっと腹持ちするパンがいいだろう。ジェイドの街は冒険者が多いからな」
『でも、街には女の人も多いから、きっと甘いパンは人気が出ると思う』
何やら白熱しているようだが、どちらの意見にも納得だ。
「お惣菜パンと菓子パンを別々の店舗で売ればどうかしら?」
主食となるパンはこれまで通り、領主であるルチアが運営する孤児院で作ってもらう。
ガッツリ系の惣菜パンはいっそ屋台で販売するのはどうだろう?
冒険者が購入するとすれば、早朝ダンジョンに向かう前か。
昼はダンジョンで過ごし、夜は酒屋で食事も済ませることが多いらしいので、狙いは早朝の時限販売。
菓子パンの客層は女性を中心に考えて、こちらは小さな店舗で売る方が良さそうだ。
「店内にイートインできるスペースを作ってもいいかもしれませんね。気軽に利用できるカフェとして」
「ほう。いいんじゃないか?」
肉系のお惣菜パン推しのルーファスだが、甘い食べ物も嫌いではないのだ。
焼き菓子はもちろん、菓子パンも大好きな黒猫は空色の瞳をきらきらと輝かせている。
「ちょっとした思い付きだったのですが……今度、ルチアさまに相談してみますね」
『ぜひ!』
多忙な彼女を煩わせるのは不本意だが、ルチアのことだ。
領内が盛り上がり、新しい雇用が生まれるとなると、乗り気になってくれるに違いない。
「ついでに菓子を作ってもらうよう、頼んだらどうだ?」
「ああ……それもありましたね」
雑貨店『紫苑』では茶器を扱っており、ついでに茶葉とデザインシュガー、スミレの砂糖漬けなどを販売している。
ごくたまに、お茶菓子としてクッキーなどの焼き菓子を少しだけ並べることもあったが、並べた途端に売り切れるほど人気商品だった。
「菓子をもっと扱って欲しいと、クロエたちに要望が出されていたぞ」
「そうなんですよね……。でも、日本から持ち込んだお菓子を詰め直して売るのも面倒なのです」
「だから、街の菓子屋に作らせればいいんじゃないか?」
ルーファスはパン屋と同じように、材料とレシピを売って外注することを提案してきた。
(……悪くない提案よね。うちのお店の売り物が増えるし、私も魔素入りの美味しいお菓子が食べられるようになる。お菓子屋さんにも利益がいくようにすれば……)
お菓子屋さんには『紫苑』で販売するのとは別のレシピを提供すればいい。
美味しいお菓子が異世界でも買えるようになれば、貯まっていくばかりだった金貨の使い道にも困らない。
「それもまとめて、ルチアさまに相談しましょう」
『やった!』
「うむ。楽しみだな」
ルーファスが買ってきてくれた、クミルの果実水を飲む。
ナイトが冷やしてくれたので、少し汗ばんだ身にはしみるほど美味しい。
「グレープフルーツジュースに似た味ですね。おいしい……」
酸味が少なく、ほのかな苦味があるが、まろやかで飲みやすい。
炭酸で割っても美味しそうだと思った。
「さて、食事も済ませたとこだし、買い物の続きといくか」
空のカップやゴミを引き取ってくれたルーファスにお礼を言って、ベンチから立ち上がる。
敷いていたハンカチは黒猫ナイトが【洗浄】の魔法で綺麗にしてくれた。つくづく、ふたりとも気遣いのできる使い魔だ。
「次は何処へ行きたい?」
「そうですね……。日本円を稼ぐために、ポーションと宝飾品、あとは魔道具を買いに行きたいです」
「分かった。では、まずは薬屋だな」
『ポーションならギルドの方が揃っているんじゃない?』
「それもそうか。なら、まずはギルドへ行こう」
ルーファスが差し出してきた手にリリは己のそれを重ねる。
エスコートしてくれるつもりなのか。
黒猫のナイトが身軽くリリの肩に飛び乗った。こちらは文字通り、騎士気取りなのだろう。
「冒険者ギルドですか?」
「いや、薬師ギルドだ」
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