売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹

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王弟騎士の思い人

王弟騎士の思い人(3)

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 痛いほどに空気が張りつめる。
 時間が止まったかのように目に映る全てのものが静止していて、耳の奥で鼓動だけが煩く響いていた。
 今すぐ走って逃げ去りたいのに、体が石になったみたいに瞬き一つできなかった。 

「殿下?」

 緊迫した静寂を破ったのは、カレンだった。
 目を見開き、硬直していたラインハルトが、我に返ったように立ち上がった。表情を険しくし、こちらに近づいてくる。
 張りつめた空気が少しだけやわらぎ、息ができるようになる。息苦しかったのは無意識に息を止めていたせいだと遅れて気が付いた。
 膝が震え、踏ん張りがきかなくなる。
 崩れ落ちる前に、地面に片膝をついた。

「ユリウスではないか。どうして君がここにいる?」

 ユリウスの前で足を止めると、ラインハルトは他人行儀にそう言った。
 ここにいることを知られてしまったことよりも、彼に愛称ではなく正式な名前で呼ばれたことのほうが辛かった。
 ユリウスはそろそろと顔を上げる。
 剣呑な表情から、歓迎されていないだけでなく、もっと強い拒絶の意志があることを察していた。
 平坦な声とは裏腹に、こちらを見下ろす明らかな怒気を孕んだ眼差しに、そのことを痛切に思い知らされた。

「あら。もしかして、殿下のお知り合いなの?」

 昨日とは打って変わった鈴の音のような声が聞こえてくる。

 ――あぁ。僕はここに来てはいけなかったのだ……。

 ラインハルトが初めて見せた冷ややかな眼差しに、その事実を痛感させられた。

 認識されなくても、近くで働いて、間接的にでも彼の役に立てるのなら、それでよかった。
 けれど、その眼差しの強さは、「迷惑」を通り越して、明らかに拒絶の意志を示している。

「従兄弟のご令室の弟君です。この者は庶子なので平民ですが、実家はカッシーラー辺境伯領の伯爵家です」

 顔はユリウスに向けたまま、ラインハルトがカレンの問いに答える。

「まぁ、そうでしたの! 何も仰らないから、ただの使用人だと思っておりましたわ。では、殿下ともお知り合いなのね?」
「もしかして、『今日は使用人をお茶に招いている』と仰っていたのは、この者のことですか?」

 ラインハルトが体ごと振り返ったため、壁のように視界を遮っていた体が横にずれる。カレンと、その隣で男の子の人形を抱えて座っている夫人の姿が、ユリウスの位置からも見えるようになった。

「ええ。昨日、その者が薬草を探して庭に迷い込んで来ましたの。お菓子をあげたらとても喜んでいたから、欲しかったらまた明日もおいでなさいと言っておきましたのよ」

 なんだかまるで、ユリウスがお菓子欲しさにここに来たようではないか。
 そんな引っかかりも、怒りに変える気力は持ち合わせていなかった。

「この者が都に出てきたときに、従兄弟の家で一度会ったことがあります。従兄弟の結婚式のときにも会っているはずですが、そのときのことは私は覚えておりません。あのときは初めて会ったウェルナー辺境伯の姫君に心を奪われておりましたから」

「まぁ」

 カレンが、ぱあっと顔を綻ばせ、頬に両手をあてた。
 最後の言葉は、ユリウスとの関係を説明するものではなく、彼女に好意を伝えるためのものだった。あるいは、彼女に好意があることを、ユリウスに知らしめるためのもの。
 ラインハルトが嘘を吐くのも初めて聞いた。
 自身の従僕だったことを隠したのは、万が一、ユリウスがオメガであることが発覚したときに、仲を疑われたくないからだろう。

 泣かずにすんだのは、なんだか全く知らない誰かを見ているようだったからだ。
 ラインハルトの表情も声も、まるで別人だった。
 初めて会った時でさえ、その威圧感に圧倒されたものの、これほど酷薄な印象は受けなかった。
 冷水を浴びせられたというより、冷たい湖の中へ背後から蹴り落とされたような、そんな気分だった。
 急速に体中の熱が引いていき、指先が冷たくなっていくのがわかる。

 カレンに向けていた顔を戻し、ラインハルトがふたたび厳しい眼差しでユリウスを見据えた。

「なぜ、君がここにいるのだと訊いている。ご両親はご存知なのか?」
「はい……」

 ユリウスはうなだれ、消え入るような声で答える。

「働き口を探すにあたり、都や故郷では外聞が悪いかと思いまして……。ここならば、故郷に近いですし、ラインハルト殿下もおられて、知人が誰もいないところよりは安心できたので、十日前からこちらで働いておりました。両親には手紙で報告しております」
「いくら身分が平民とはいえ、君は伯爵家の庶子だ。こんなところで使用人として働けば、ご両親や姉君の名誉を傷つけることになる。後ほど路銀を届けさせるから、即刻、故郷に帰りたまえ」

 何も考えられない。考えたくない。
 ただ、自分が答えるべきことだけはわかっていた。

「……路銀は……以前働いていたときの給金がまだ残っているので……いりません。殿下の仰る通りに致します……」

 これ以上、恩を仇で返すようなことはしたくなかった。
 ラインハルトは、ユリウスがここからいなくなることを望んでいる。
 ユリウスが彼のためにできる唯一のことは、一刻も早くここから去ることだけだ。

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