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舞踏会の夜に
よりによって
小説の主人公であるセレナと出会ったときも、その相手役である自分自身の顔を鏡で見ても、今まで何一つ思い出さなかった。それがカインを見た瞬間に前世の記憶を取り戻した理由は、なんとなくわかる気がする。カインが『推し』だったからだろう。
この物語は、悪役令嬢の陰謀によって公爵令嬢であるセレナが断罪され、王太子との婚約を解消されるところから話が始まる。その後、セレナは王太子の弟であるこの俺、エドワードと協力して、悪役令嬢やその父の悪事を暴くための証拠を集める。その過程で二人は惹かれ合い、最後はいわゆる「ざまあエンド」で、悪役令嬢親子と、彼女に操られていた王太子を失脚させ、エドワードが王太子、セレナが王太子妃になるのだ。
そのクライマックスの一つが、セレナの血の繋がらない兄であるカインが彼女をかばって命を落とす場面だ。
『我が命より大切なお前を守れたのだから、本望だ』
今わの際に彼が口にしたその台詞には、長年のセレナへの秘められた思いが込められていて、読むたびに涙したものだ。
前世の俺は、子供の頃から友達と遊ぶより小説や漫画に夢中になるタイプだった。高校二年生頃から見よう見まねで自分でも小説を書くようになったのだが、きっかけとなったのがこの物語だった。推しキャラだったカインの非業の死をどうしても受け入れられず、彼が幸せになるアナザーストーリーを妄想しているうちに、それを文章に残したくなったのだ。いざ書き始めてみると、読む以上にハマってしまい、投稿サイトに投稿するまでになった。
人と接することが苦手でまともな恋愛経験もなかったが、それでも、創作とそれを通じて出会えた仲間や読者のお陰で、それなりに充実した楽しい人生を送ることができた。
そういう理由で、『王太子に婚約破棄されたら、弟殿下の独占愛に囚われました』は、前世の俺にとって人生で最も思い入れのある小説であり、最も繰り返し読んだ小説でもあったのだ。
(しかし、何故、よりによってエドワードなんだろう……)
転生したことを受け入れた途端、そんな不満が湧き上がってくる。
エドワードに転生したことを心から喜べない理由は一つ。王になりたくないからだ。
小説はエドワードが王太子になるところで完結するが、その後も俺の人生が続くのであれば、王太子になった俺には、いずれ王になる未来が待っている。それは心底、ごめんこうむりたかった。
王子に転生してなお、俺は華やかな宮廷生活にも政治や社会情勢にも興味のない、架空の物語と空想を愛する、コミュ障なオタクだった。
俺は一生、大好きな本に囲まれて、虚構の世界で推しの幸せだけを妄想して生きていけたら、それでいい。それに小説通りに話が進めば、推しであるカインが若くして非業の死を遂げることになる。それだけは何としてでも阻止したい。
(でも……。阻止するとして、一体どうすればいいのだろう)
小説を冒頭から順に思い返してみて、俺はある重大なことを思い出した。
そもそもセレナが婚約破棄されるのは、悪役令嬢であるヴィオラ・フォン・クラウスが仕掛けた罠が原因だ。その罠は、王太子の成人祝賀の舞踏会――すなわち、今夜この場所で、仕掛けられる予定だった。
背筋がぞくりと震え、心臓が激しく鼓動を打ち始める。
(セレナはどこだ!?)
似たような髪型や服装の男女が入り乱れる広間を見回す。
彼女と思しき令嬢は、すぐに見つけられた。
カインから数メートル離れたところにいる、編み込んだブロンドの髪を頭の後ろでゆるくまとめ、ふんわりとした淡いピンク色のドレスを身につけた令嬢が、おそらくセレナだ。
ほとんどこちらに背を向けているのに彼女だとわかったのは、彼女が話をしている人物が同時に目に入ったからだ。
まるで炎を巻き上げるかのように高く結い上げられた赤毛と、紫の豪奢なドレス――。挿絵に描かれていたイラストそのものの目を引く装いをしている女性こそが、悪役令嬢のヴィオラだった。
小説通りに話が進むのであれば、セレナは今まさに、ヴィオラの策略によって媚薬を飲まされるところだろう。
小説では、媚薬を飲んだセレナはヴィオラに小部屋へと連れて行かれ、彼女の息のかかった地方の男爵に襲われそうになる。セレナ自身に王太子との婚約を辞退させようとしたか、あるいは、事実を暴露して断罪することが目的だったか。
いずれにしても、自室へ戻ろうとしていたエドワードが物音を不審に思い、部屋を覗いたことで、陰謀は阻止される。薄暗い部屋の中で襲おうとした男の顔は確認できず、逃げられてしまったが、未遂のうちに彼女を助け出すことはできた。
だが、隠れて成り行きを見守っていたヴィオラは、転んでもただは起きない女だった。
セレナはヴィオラによってエドワードとの密会の噂を流され、相手が王子のため罪は問われなかったものの、セレナと王太子との婚約は破談となる。
そしてその後はヴィオラが新たに王太子の婚約者になり、ヴィオラの父はその立場を利用して権力を拡大していく。不正な賄賂で私腹を肥やして、宮廷も軍部も意のままに操るようになるのだ。
クラウス親子のような悪人がのさばる未来は嫌だ。かと言って、筋書き通りに行動して、兄を失脚させて自分が王太子になるのも困る。
筋書きを変えた影響を予測する時間の余裕はなく、咄嗟の判断でヴィオラの陰謀を阻止することにした。
小走りに近い速足で彼女達の元へと向かう。
同時に、盆に二つのグラスを載せたメイドが彼女達へと近付いて来る。小説の通りなら透明な液体が媚薬入りのレモン水で鮮やかな赤い液体がラズベリーの果実酒。ヴィオラから飲み物を勧められ、お酒に弱いセレナはレモン水を取るはずだった。
彼女達まであと数歩のところで、セレナがグラスを取る。
前世同様に今世でも他人と積極的に関わってこなかった俺には、かける言葉がすぐには浮かばない。
(すごく喉が渇いているふりをして、俺がかわりに水を飲むしかない!)
唯一思いつけた策がそれだった。
媚薬がどんなものかはわからないが、自室にこもっていれば、どうにかやり過ごせるだろう。
「ちょ、ちょっと待って! その水、俺に……」
言い終わる間もなく、セレナがグラスを口元に運ぶ。
咄嗟に手を伸ばし、グラスを掴み取ったはいいが……、その勢いで中の水が大きく揺れた。
「キャッ」とセレナが小さな悲鳴を上げ、直後、パシャ、という音と共に、勢い余って背後に反らせたグラスが何か硬いものにぶつかった。
恐る恐る背後を振り返ると……、そこにいたのは、『水も滴るいい男』な推しだった。
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