嫌われオメガは死に戻った世界でベータに擬態する

灰鷹

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【スピンオフ】孤高のベータは虚構の街で媚惑の蝶に変化(へんげ)する(稲垣×白木)

エピローグ

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 開演5分前に劇場に駆け込むと、1000席ほどある客席は既にほとんど埋まっていた。観客の多くは子供連れや若い女性で、子供を連れていないスーツ姿の男が花束を抱えて前方の席に行くのは、些か気が引ける。こそこそと身を屈めるようにして歩き、前から10列目の通路側の席に腰を下ろした。

 彼がチケットを手配してくれるときは、いつもその辺りになる。忙しい俺を気遣ってのことだろう。通路側なら、開演後に遅れて入っても、周囲への迷惑が最小限で済む。

 三か月かけた内偵がようやく終了し、本来なら今日から久々の長期休暇のはずだったが、提出した報告書のことで確認したいことがあると、早朝に課長から連絡が来た。潜入捜査中に使っていたアパートの退居日でもあったから、午前中のうちに引っ越し業者が荷物を引き取りに来て、その後、管理会社の人が来て手続きを済ませた。その足で本庁に行って聞き取りに応じ、いつもなら1時間は続く課長の雑談をどうにか20分で切り上げさせ、途中で花束を買って、どうにか開演に間に合ったのだ。
 ようやく慌ただしさから解放され、ふう、と深く溜め息を吐く。子供連れが多いせいか、開演5分前になっても劇場内はざわざわとしていた。

「このお話、ママが子供のときも見たんでしょ?」
「そうよ。ママが見たときはね、この王様役のお兄ちゃんのお父さんが王様役だったのよ」
「親子そろってイケメンなんていいわねー。私も稲垣家の嫁になりたいわ」
「アユミも王様のお嫁さんになりたーい」

 後ろの席の、友達同士らしい二組の親子の会話を耳にし、微笑ましいと同時に照れくさいような申し訳ないような複雑な気分にもなる。稲垣家の嫁……とまではいかなくても、いま最もそのポジションに近いところにいるのが自分だからだろう。
 しかし、はたしてそれがいいか悪いかについては、考え込んでしまう。
 親父のほうは、舞台から降りたらただのエロ親父だ。最近は酒を控えているだけマシになったほうだが、あの人が座長兼経営責任者で劇団が存続しているのは、よほど優秀な補佐役がいるのだろう。息子は息子で、親父さんとは正反対で、家では小姑みたいに口煩い。
 そんなことを真剣に考え込んでいると、開演のベルが鳴った。

 演目は『王様と恋の処方箋』。最近ドラマで主役も張るようになった人気俳優が、父親が座長を務める劇団の公演で、かつて父親が演じた役を演じるとあって、子供向けの演目でありながら注目を集めているらしい。
 
 今回は稲垣が王様役で、その父親である徹さんは王様に偽の惚れ薬を売りつけるインチキ錬金術師の役だそうだ。
 会場の照明が落ち、スポットライトに照らされたステージに王様の衣装を着た稲垣と、王様が無自覚に思いを寄せている侍女が現れる。拍手とまばらな歓声が上がり、懐かしさが込み上げてきた。
 稲垣に誘われて演劇を観に行ったことは何度かあるが、今回の演目を見るのは学生のとき以来だ。
 
 稲垣は今回が舞台初挑戦だ。初挑戦が親父さんの劇団で、親父さんがやっていた役を選んだことには、彼なりに思うところがあったのかもしれない。
 舞台初挑戦とは思えないほど、誰よりもよく声が通り、その上、演技には少しも芝居がかった感じはなかった。ステージから離れた場所にいても、距離を忘れてしまうほど、彼の表現する喜怒哀楽を生々しく感じられた。
 錬金術師役の徹さんとの掛け合いはさすが親子と思うような間合いとテンポで、会場を何度も笑いの渦に包んでいた。


 公演終了後、俺は花束を手に楽屋を訪ねた。楽屋に行くことは、事前に連絡を入れてある。
 スタッフに案内された部屋には、劇中の衣装のままの稲垣親子がいた。

「真! 来てくれてありがとう! 花束なんて、そんな気を使わなくてよかったのに」

 テンション高めの稲垣が、俺の顔を見るなりハグをしようと両腕を広げる。

「君にじゃない。これは徹さんにだよ」

 腕を広げた男をかわし、徹さんに花束を差し出した。

「徹さん、親子共演、おめでとうございます」

「え? 俺に? やっぱ、まこっちゃん、すげー好き! 愛してる!」

 同じポーズでハグをしようとしてくるところは、さすが親子だ。稲垣が慌てて父親の襟の後ろを掴んで引き留めた。

「真はあんたが俺の親父だから気を使ってくれただけ! あんたのファンとかじゃないから!」

「なに言ってんだよ。まこっちゃんは十年来の俺のファンだぞ。お前よりも俺のほうが付き合いはずっと長い」

「真のこと覚えてもいなかったやつがよく言うよ」

 言い争いを始めた二人を「まあまあ」と宥める。これが二人なりの愛情表現だということは知っているが、誰かが止めないと取っ組み合いにまで発展することがある。

「美人は三日で飽きると言うからな。美人ほど記憶に残らないものなんだよ」

「開き直ってねーで、さっさとこれ持って自分の楽屋に帰れ」

 稲垣は俺の手から花束を奪い、父親の胸元に突きつけた。

「せっかくまこっちゃんが来てくれたんだから、これから一緒に飲みに……」

「行かねーよ。俺だって三か月ぶりに真に会ったんだぞ」

 その瞬間、徹さんがニヤッと人の悪い笑みを浮かべてみせた。

「そっか。なら、しょーがねーな。邪魔者は退散するか。あ、ここでヤるのはいいけど、衣装は汚すなよ。あと、ちゃんと使ったゴムは……」

「ヤるわけないだろ! 自分と一緒にすんな!」

 徹さんの言葉を稲垣が遮る。徹さんは花束を受け取り、意味深に頬をにやつかせながらヒラヒラと手を振り、楽屋を出て行った。この部屋は稲垣専用のようだ。俺が楽屋に行くと事前に連絡していたから、徹さんもここで待っていてくれたのだろう。

 ドアが閉まるより先に、稲垣にぎゅっと抱きしめられた。
 シトラス系の香水の香りに、ほんのり汗の匂いが混じる。

「俺、主役なのに。俺に花束は?」

 あからさまに拗ねた声だった。

「君はたくさんもらっただろ」

 今回は子供向けの演目のため、カーテンコールの際に小学生以下は花束の手渡しが許可されていた。稲垣は子供達から両手に抱えきれないくらいの花束をもらっていたし、受付にもテーブルに乗りきれないくらいたくさん届けられていた。

「真からももらうのは別腹だ」

 デザートか! と胸の内でツッコミを入れる。
 ぽんぽんと頭を撫でてみたが、機嫌はすぐには治らなそうだ。

「今日来れたってことは、潜入が終わったってことだよね? 家に帰れるのか?」

「あぁ。一段落したから、今日からまた、厄介になる」

「厄介になるって……、真の家でもあるんだから……」

 拗ねた声は変わらないが、わずかに抱擁がやわらいだ。

 稲垣が俺のエス兼恋人となって1年半。半年前からは同居もしている。家賃は受け取ってもらえず、家にいる間の食費を出しているくらいだから、「居候」と言うほうが正しいかもしれない。

 半年前、年齢的に警察の寮を出ることになり、アパートを借りるか実家に戻るか悩んでいた。というのも、内偵中は、数カ月自宅に戻れないこともあるからだ。不在の家に家賃を払い続けるのは勿体ないから、本庁勤務の間だけマンスリーマンションを借りたほうが安くすむ。しかし、そうなると、住民票をどこに移すかという問題がある。実家に移すのが現実的だが、三十路近くなって実家に出戻る形となり、世間体的にどうなんだろうという気持ちもあった。

 悩みつつPCで不動産サイトを検索していたら、それを見た稲垣に事情を問い質され、「うちでいいじゃん。部屋余ってるし」と提案されたのだ。「どうせ潜入中以外はほとんどうちにいて、うちから通勤してるんだから」と言われれば確かにその通りで、それでも自分では決断できずにいるうちに寮の退去日になり、迎えに来た稲垣に段ボールに詰めた荷物ごと回収されることとなった。
 
 稲垣への花束を用意していなかったのは、それもある。同じ家に帰ることを考えると、彼に花束を贈ることは、自分用に花を買うのとさしてかわらないように思えたのだ。
 そのことでまさかこれほど彼が拗ねるとは思ってもいなかった。

「じゃあ、君の分も花束を買って帰るから、俺は先に出るよ」

 そう言って体を押しのけようとしたが、びくともしない。

「三か月ぶりに会ったんだぞ。真を一人で帰せるわけないだろ」

「じゃあ、帰りに花屋に寄ろう。君が好きな花を花束にしてもらうから」

 迷っているのか、答えが返ってくるまで、少し間が開いた。

「楽屋でもらいたいから、花束は次の舞台のときでいい。そのかわり――」

 肩口で身じろぐ気配がし、耳元に吐息の熱が触れる。

「家まで待てないから、シャワーに付き合って」

 俺はバッと顔をのけ反らせて彼を見た。

「おいっ! お前、親父さんに、楽屋ではヤらないつってたよな?」

 思わず「お前」なんて言葉が出てしまったが、一応、声は潜めている。

「楽屋ではやらないよ。シャワールームだと掃除もいらないし、声もシャワーの音でごまかせるでしょ。最後まではしないから、ダメ?」

 稲垣のこの、小首をかしげて言われる「ダメ?」に俺は弱い。
 大型犬がパタパタと尻尾を振って餌をおねだりしているように見えてしまうのだ。

 上目遣いで睨んでみせたが、答えを返せないことが答えだった。家まで待てない気持ちは、わからないでもない。なんせ三か月ぶりだ。

 稲垣はニヤリと片笑み、俺の額にチュッと音を立ててキスをすると、一度離れて楽屋の入り口の鍵を閉めた。

 手を引かれ、部屋の奥にあるシャワールームへと連れて行かれる。

「『自分と一緒にすんな!』なんて、よくもまぁ、親父さんに言えたもんだな」

 背中に向かって毒づくと、ははっ、と快活な笑い声がした。

「俺と親父、なんだかんだ言って似た者親子だから。ベータに惚れ込むところとか」

 胸の辺りがむず痒くなり、言葉を返せなかった。

 俺がマネージャーとして稲垣と出会った頃は、徹さんは演劇への情熱を失っていて、酒に溺れて稲垣に金をせびることもあり、親子仲は最悪だったらしい。一応は座長として劇団を引っ張って行けるようになったのは、息子の活躍に触発された部分も大きいのではないかと思っている。「似た者親子」とさらりと口にできるようになった彼も、過去とはそれなりに折り合いをつけられたのだろう。

『親子そろってイケメンなんていいわねー。私も稲垣家の嫁になりたいわ』

 劇場内で聞いた親子連れの母親の言葉が脳裏をよぎる。
 まぁ、確かに悪くはないか……。と秘かに口元を緩めた。




 ……『孤高のベータは虚構の街で媚惑の蝶に変化へんげする』 fin.……




 ****



 最後までお付き合いくださった方、本当にありがとうございました!!
 短編なのに更新が休み休みになってしまい、誠に申し訳ありません(>_<)

 本棚(お気に入り登録)が漸減していく中、お付き合いくださっている方々の存在だけが励みでした。

 書きたいものはあるのになかなか形にできず、言語力の乏しさに歯痒い思いをする毎日です。三間視点のanswer storyも、完全にタイミングを逸してしまって申し訳ありません。今後の予定については先行き不透明ですが、また何か投稿できた際には覗いていただけると嬉しいです。

 交流や宣伝活動はうまくできないので、せめて作品だけでも、書いてよかったと思えるものを一つずつ増やしていけたらいいなと思っております。
 文章も人間性も未熟な文字書きですが、これからもあたたかくお見守り頂けたら幸いです。
 作品を通して一人でも多くの読者様と再会できますことを、心より願っております。


           灰鷹



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感想 137

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みんなの感想(137件)

ねぇね
2025.12.22 ねぇね
ネタバレ含む
2025.12.22 灰鷹

ねぇね様

ノミネート登録だけでもありがたいです!
ありがとうございました!!😊💕
お風邪とのこと。どうかあたたかくしてゆっくり休んでくださいね😊

解除
ねぇね
2025.12.18 ねぇね
ネタバレ含む
2025.12.22 灰鷹

ねぇね様

たくさん感想を送ってくださり、ありがとうございます!😊
また番外編を書けたときはよろしくお願いします。
近況ボードにも書きましたが、ちるちるさんのほうも、応援していただけるようでしたらよろしくお願いします!!😊💕

解除
ねぇね
2025.12.17 ねぇね
ネタバレ含む
2025.12.17 灰鷹

ねぇね様

無事に届いたようでよかったです!😊
そうなんですよ。本編完結後の三間はだいたい可愛い(残念?)な感じになっています😅💦
私も気に入ってる話なので、お読みいただけて嬉しかったです🥰
こちらこそ、ありがとうございました!

解除

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