糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
222 / 644
3章 死神が誘う遊園地

瑠璃、幼少期 5

しおりを挟む
   すると、どこからか甘くていい匂いが漂ってきた。ポップコーンワゴンだ。ダッフィーとトランクを模したバスケットに詰まれたミルクチョコレート味のポップコーン。
   甘いポップコーンは大好きだ。それがダッフィーのバスケットに入ってくるのなら物欲が湧いてくるのは自然の道理というものだ。
   「早く行って来い」
   ベンチに座る父。自分の要望を出した矢先、「あれが欲しい」とは言えなかった。
   「シェリーメイに会えるわよ」
   待ち30分の長い行列とぬいぐるみとの触れ合いが数分。割合わない時間配分でも当時のあたしにとっては些細な時間差だ。一瞬の夢を味わった後、父が待つベンチに戻った。
   父の脇にはダッフィーとトランクのバスケットが収まり、その中にはポップコーンが詰まっている。
   「それ、どうしたの?」
   男1人でワゴンの前に並び、可愛らしいバスケットを買い、2人を待っていたのだ。母が驚いて尋ねると父は無言のままバスケットをあたしに差し出す。
   私はますます訳が分からなくなり、目を丸くさせて父を見上げた。
   「珍しい。瑠璃のために買ったの?」
   「暇だったんだ。どうした?欲しくないのか?だったら返品するぞ」
   いつもと変わりない父の威圧的な発言。けれど、その手にはあたし為に並んで買ったポップコーンがある。
   手を伸ばしてポップコーンバスケットを受け取ると正面のダッフィーと目が合った。可愛いい熊のぬいぐるみはこちらに笑顔を向け、あたしも笑顔で返す。
   「ありがとうパパ」
   明るく跳ねた声色は自然と父に感謝を述べた。
   それを言われるとは思っていなかっただろう。父が驚いていると母が嬉しそうに微笑んだ。
   「よかったわね。私もポップコーンちょうだい」
   娘におねだりする母の様子がなんだか面白くて、もっと楽しませようと1粒のポップコーンを母の口へと投げ入れた。2人はおかしく笑い合う。弾んだ心は父にも向けられ、あたしはポップコーンを父に差し出した。
   「パパの分」
   母とよく似た青い目を細めて言った。この時の私は機嫌が良かった。父もそうだった。だから、暇な時間を使ってバスケット付のポップコーンを買おうと思えたし、あたしも笑顔で父と向き合えた。
   「ありがとう」
   父は素っ気なく答えながらもあたしからの贈り物を受け取った。
   あたしが作ったお菓子は食べようとしなかった父がやっと貰ってくれた。口一杯に広がるミルクチョコレートは幸せで甘い味がした。
   日本での思い出と言えばこれぐらいしかない。移住してから父は新しいプロジェクトとかで更に家を空けるようになり、母は1年経っても日本語を覚えられなかった。
   母には母国語以外の言語は必要ないと父が決めつけていた。挨拶の言葉ですら覚えるのを許さんかった。
   そうすると、言葉の壁が母を狼狽させ、ぎこちない意思表現の姿を恥だと認識してしまったせいで挨拶すらしようとせず、近所の人とコミュニケーションをとろうとしなかった。
   あたしも同じく新しい環境で、日本人ばかりいるクラスメイトに馴染めずにいた。
   学校は父が投げやりに選んだ。フランスからの転校生ということで最初は物珍しく、あたしに集ったけれど、矢継ぎ早に飛び交う異国の言葉を理解出来なかった。
   日本語はわからないわけじゃない。だからといって馴染んでもいない。だから、単調で短い返答しかできないし、言葉が理解できない言動は曖昧な笑みで返した。
   誰に対しても同じ反応をするから次第にクラスメイトもつまらない人と判断されて寄り付かなくなった。
   担任の先生はわかりやすい日本語教本をくれたが、すぐに日本語の授業についていける訳じゃない。国語の朗読もまともにできず、更に口を噤む。
   学校に行くのが怖くなっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

捨てられた者同士でくっ付いたら最高のパートナーになりました。捨てた奴らは今更よりを戻そうなんて言ってきますが絶対にごめんです。

亜綺羅もも
恋愛
アニエル・コールドマン様にはニコライド・ドルトムルという婚約者がいた。 だがある日のこと、ニコライドはレイチェル・ヴァーマイズという女性を連れて、アニエルに婚約破棄を言いわたす。 婚約破棄をされたアニエル。 だが婚約破棄をされたのはアニエルだけではなかった。 ニコライドが連れて来たレイチェルもまた、婚約破棄をしていたのだ。 その相手とはレオニードヴァイオルード。 好青年で素敵な男性だ。 婚約破棄された同士のアニエルとレオニードは仲を深めていき、そしてお互いが最高のパートナーだということに気づいていく。 一方、ニコライドとレイチェルはお互いに気が強く、衝突ばかりする毎日。 元の婚約者の方が自分たちに合っていると思い、よりを戻そうと考えるが……

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...