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シリル視点①
しおりを挟む僕の初恋の人は七歳年上の家庭教師だった女性。
彼女が話すラナン語はとても美しい発音で、僕は涼やかで透明感のあるその声が好きだった。
全く知らない言葉はまるで歌のように心地よく響く。僕は彼女と勉強するその時間を楽しみにしていた。
「ヴィア先生、ここはどう表現するんですか?」
「え?どこかしら?」
彼女は身を乗り出し僕のノートを覗き込む。ふと漂う甘い香りにくらりとして、僕は思わず仰け反った。
「この場面なら…………この単語を使う方が丁寧な印象になりますね……ん?」
彼女は振り返り、反った姿勢の僕を見て首を傾げた。
距離の近さに僕は照れてしまって……。
だけど、彼女は何も気にせず僕の方に手を伸ばした。
「あら?シリル様、顔が赤いですわ。具合でも悪いのかしら?」
その柔らかな手のひらを額に当てられ一気に顔が熱くなった。
「だ、大丈夫です」
恥ずかしさで思わず彼女の手を振り払い、そしてぶっきらぼうな態度をとった。
「あっ……ごめんなさい。触られるのイヤでしたか?」
ヴィア先生が気まずそうに謝った。けれど、悪いのは彼女じゃない。
恥ずかしいだけです、なんて格好悪くて言えなくて、僕はその後も不機嫌なフリをして授業を受けた。
結局、2年間ずっとヴィア先生は僕の事を子供扱いした。きっと弟のように思っていたのだと思う。
同世代の友人たちの中では、冷めていて落ち着いているなんて言われていたけれど、彼女の前で、僕はどうしようもないほど子供だった。
「シリル様、勉強が終わったら甘いミルクティーといちごのケーキを一緒に食べませんか?新しく出来たお店で人気ですのよ」
「僕はいいです」
「あら、残念。いちごのケーキがお好きだと、公爵夫人から伺ったのですが……」
「母が?それは昔の事でしょう?最近は甘いお菓子は食べません」
甘いケーキが大好きなんて、子供っぽい気がして急いで否定した。母の前では、喜んで甘いケーキを食べてたくせに……。
そばにいた使用人たちはそんな僕を見て、どう思っていただろう。有能な使用人たちは感情を表に出さず、知らんぷりしてくれた。きっと僕が無理して大人ぶっていることなんてお見通しだっただろう。
今でも思い出すと恥ずかしくなる、そんな記憶。
彼女の子供扱いが悔しくて、僕は彼女の前で大人びた言葉を遣った。
ニコニコとお喋りすることは子供っぽいと思い込んでいたんだ。
だけどそのせいで、彼女の前では不機嫌そうに振る舞うことが多くなって、留学した後で随分と後悔することになった。
公爵家の嫡男である僕には山ほどの縁談が届く。顔合わせのためのお茶会にも沢山参加させられた。
けれど、みんな夢見がちで子供っぽくて……。僕を物語の王子様と重ねているんじゃないかと思う。
僕はそんな令嬢たちに興味が持てなくて……。
「父上、僕の結婚相手は自分で選ばせてください。薦められた令嬢何人かとお会いしましたが、みんな流行りのファッションの話や噂話ばかりで退屈です」
「そうか?まあ、帰国してからも良いがな。もしくは……ラナンクルスで良縁を結ぶか……」
父上は結婚に関しては僕の意思を優先してくれた。公爵家を守るために、可愛いだけの女性では困る。それは父上も僕も一致していた。
母上は僕の気持ちを知っていたのだろう。
「自分を磨いて帰ってらっしゃい。あと、素直になれるといいわね」
そう言って笑っていた。
「シリル様、もう少しで留学ですね」
「はい。ヴィア先生。今までありがとうございました」
彼女は小さな鈴を僕に渡してくれた。
「ラナンクルスでは、旅立つ人の無事を願い鈴を渡すそうです。お身体にお気をつけくださいね」
彼女の声のように涼やかな音色。僕はその小さな鈴を握りしめ、ラナンクルスへと旅立った。
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