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に
しおりを挟むふわふわと幸せな夢を見ていたーー
小さな手、柔らかな髪、ミルクの甘くて優しい匂い。
日に日に大きく力強くなる鳴き声とふっくらしていく頬に成長を感じて喜んだ。
自分のくしゃみに目を真ん丸にして驚く顔も、沐浴でお湯に浸かると必ず「ほーっ」口を窄めるところも全てが可愛いくて仕方なかった。
僅か三ヶ月だけしか一緒にいてあげられなかった私の赤ちゃん。ずっと繰り返し思い出しながら自分を慰めてきた記憶。脳に焼き付いていたはずの我が子の姿が薄れていくのが、ただ悲しかった。
「おはようございます、イーリス様。お身体は大丈夫ですか?」
目を覚ますとそこは王太子妃の部屋。
私の枕元には公爵家からついて来た侍女ジュディが立っていた。
「え?ジュディ……どうして?……ぁ痛っ!」
驚いて身体を起こそうとして下半身の痛みに顔を顰めた。
「イーリス様、大丈夫ですか?」
心配そうに私を見つめるジュディ。彼女は私が流行り病だと診断され離宮に移された時に暇を出されたはずだった。殿下にはジュディは実家に帰ったのだと教えられていた。
今、目の前に居る彼女はあの頃のまま若くて……まるで離宮に隔離される前の一番幸せだった頃に、時間が戻ったみたいだった。
「イーリス様は一日がかりの出産でしたもの。お疲れなのでしょう。もう少しお休みくださいませ」
「……え?……私……出産……」
言われてみると下半身のいいようのない痛みとだるさ。記憶にある産褥期のようで……。
その後のジュディとの会話でどうやら私は昨日息子を出産したらしい事が分かった。
ーーーこれは夢?
塔の上から飛び降りたはずなのに……、目覚めると私は傷ひとつ無いどころか、時を遡っている?
そして、私の胸にあった守り石はチェーンだけ残して消えていた。
「イーリス様、殿下がお見えです」
「えっ……」
ヒューバート殿下……。
私は彼に冷たくされた記憶がない。だから……政略結婚だとしても、相思相愛なのだと……そう思っていた。
けれど、私を裏切っていた人ーー
「まだ、寝ていると言って」
頭の整理が追い付かず、一旦面会を断った。
けれど、その日殿下は私の部屋に何回も面会へと訪れた。流石にずっと寝ているフリをする訳にはいかないと思いヒューバート殿下に会う事にした。
「イーリス!ありがとう。よく頑張ってくれた」
彼は上機嫌でベッドの側まで歩いてきて、布団の上に置いてある私の手に自分の手を重ねた。そして……まるで私を労うように微笑みかける。
「……は、はい」
この人が私を裏切りあんな目に合わせたのだと思うと虫酸が走る。
私は自然に見えるようにそっと手を引いて殿下の手から逃れた。
「疲れたろう。ゆっくり休んでくれ」
こんな笑顔で私を騙していたのか……。
私はずっと愛されているのだと勘違いしていた。けれど今は彼の笑顔が薄っぺらく見える。
「息子の名は俺が考えたんだ。ザッカリーなんてどうだろうか?」
「ザッカリー……ですか?」
その名前はカサンドラ様と考えたのでは?
そう思うと素直には頷けなかった。
「申し訳ありませんが、陛下に……一任したいのですが……」
思わぬ申し出だったのか殿下は驚いたように目を見開き、そして微かに「チッ」っと舌打ちするような音が聞こえた。
「……そ、そうか……陛下……そうだな。陛下に相談することにしよう」
陛下に名前を付けてもらいたいというお願いは拒否出来ないのだろう。『ザッカリー』という名前だけは嫌だった。ずっと私を可愛がってくれた陛下が付けた名前なら受け入れられる。
殿下はしぶしぶ頷くと、気分を害したのか足早に部屋を出ていった。
「はぁー」
「良いのですか?あんな事を言って?イーリス様が殿下の言うことに反対するのを初めて見ましたわ」
「ええ、構わないわ。機嫌をとるのは止めたの」
「うふふ。たまにはいいですね。イーリス様は殿下に従順過ぎて少し心配していましたの」
「そう?これからは変わるわ。私が母親だもの」
急いで何とかしないと、このままでは私は三ヶ月後に流行り病だと診断されて離宮へと隔離されてしまう。
もし守り石が時間を戻してくれたのなら、このチャンスを無駄にしたくない。
離宮に移される時、私が公爵家から連れてきた侍女も護衛も皆、解雇された。
当時の私は『離宮には医学の心得のある者を集めて、最高の環境でイーリスに療養してもらいたい』と言う殿下の言葉を鵜呑みにしていた。
恐らく私の父も陛下でさえもその言葉を信じていただろう。父は私の夫であるヒューバート殿下の後ろ楯として支援を続けていたはずだ。
今度はそんな事はさせない!
私は産まれたばかりの息子の世話をしながらも出来る範囲で三ヶ月後に向けての準備を進めていった。
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