海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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風を導く者の誓い

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 別れの時、馬車に乗り込む直前のクラウディオがふと振り返った。
 穏やかな風に外套を揺らしながら、軽く笑みを浮かべる。

「エリザベス様。どうかお気を悪くなさらないでいただきたいのですが……」

 エリザベスが不思議そうに瞬きをすると、彼はわざと声を落とした。

「最初にお会いしたとき、思わず見惚れてしまいました。……危うく、婚約者に顔向けできなくなるところでしたよ」

 冗談めかした調子に、エリザベスは思わず頬を染め、エドワードは苦笑を浮かべる。
 クラウディオは肩をすくめ、風のように軽やかに言葉を添えた。

「ですが、ご安心を。お二人の絆は風でも揺るがせぬものと存じます。どうか末永く」

 そう言って馬車に乗り込み、軽やかな足取りで去っていった。
 残された空気には、確かな信頼と友好の風が吹き込んでいた。

 馬車の車輪が遠ざかり、夜の静けさが戻ってくる。
 エリザベスはまだ少し頬を染めたまま、去っていく道を見つめていた。

 そんな彼女を横目で見ながら、エドワードはふっと息を吐く。

「……あの男、最後に余計なことを言っていったな」

 その声音には、わずかに棘が混じっていた。
 エリザベスは慌てて振り返り、首を横に振る。

「い、いえ! 本当に一瞬のことで……! 私はただ驚いただけですわ」

 必死に弁明する彼女の様子に、エドワードはしばし無言で見つめ――やがて小さく笑った。

「ふふ。冗談だ。……だが、少しくらい嫉妬しても許されるだろう?」

 からかうように囁かれ、エリザベスの顔はさらに赤くなる。

「そ、そんな……。でも……」

 言い淀む彼女の手を、エドワードはすっと取った。
 その手を強く握りしめ、真っ直ぐに見つめる。

「君の心は誰にも渡さない」

 その真摯な声に、エリザベスの胸は熱く満たされる。

 互いの指が絡み合い、夜風がふたりの頬を撫でていく。
 その瞬間、言葉よりも確かな絆が、確かにそこに息づいていた。

 やがてクラウディオを乗せた馬車の轍の音も遠ざかり、静けさが戻る。
 庭先に残された二人だが、ふと、エドワードが「くくっ」と喉の奥で笑いを漏らした。

「……エドワード様?」

 不思議そうに首を傾げるエリザベスに、彼は肩を揺らしながら応じる。

「いや、何。――クラウディオのことだよ。まだ若いな、と思ってね」

「若い……ですか?」

「そうだ」

 エドワードの瞳に、ほんの僅かな皮肉と温かさが混じる。

「彼、最初に畑で君の魔法を見たとき、目を輝かせながら考えていたろう? “これを我が領に取り入れられれば”と。……まるで少年のように夢を抱いていた」

 エリザベスの脳裏に、あの時のクラウディオの真剣すぎる表情がよみがえる。
 思わず唇に笑みが浮かぶのを、彼女は隠せなかった。

「……お気づきだったのですね」

「当然だ」

 エドワードはゆるやかに微笑み、少しだけ意地悪そうに目を細める。

「だからこそ、お灸を据えておいた。夢を見るのは自由だが――あれを“実現できる”と本気で考えるのは危険だからな。貴族の野心は、時に領地を揺るがす。今回の交渉で痛みを覚えれば、彼も少しは風の扱いを覚えるだろう」

 淡々とした言葉の奥に、確かな策と配慮がにじんでいた。
 ――エドワードにとっては、島を守るための駆け引きであると同時に、若き嫡男を導くための一手でもあったのだ。

 エリザベスはふっと息を漏らし、横目で彼を見上げた。

「……ふふっ。本当に、悪い人ですね」

 笑みを浮かべる彼女に、エドワードは軽く眉を上げる。

「悪い人?」

「ええ。優しさで包んでいるようで、実は相手を計算づくで導いてしまうのですもの。けれど――」

 エリザベスは絡めた手に力を込め、真っ直ぐに見つめた。

「私は、そんなあなたを誇りに思います」

 その言葉に、エドワードの瞳が柔らかに揺れた。
 そして、とても嬉しそうに微笑んだのだった。








 シルフリード公爵領――広大な館の執務室。
 壁一面を覆う地図と交易記録を前に、当主エルマー・フォン・シルフリードは重々しく腰を下ろしていた。

「……これが今回の交渉の記録か」

 低く響く声に、息子クラウディオは居心地悪そうに背筋を伸ばす。

「はい。結果として、ヴァルメア侯爵家が主導権を握り、我が家は……割高で薬草を仕入れることとなりました」

 その言葉を聞くなり、机を叩く音が執務室に響いた。
 エルマーの瞳は風を裂く稲光のごとく鋭い。

「割高だと? しかも輸出していた食糧の流れすら断たれたと記されている!
 我らが尻拭いに赴いたのに、なぜ“風”が土に頭を垂れねばならんのだ!」

 怒声に空気が震え、クラウディオは息を詰めた。だが必死に声を絞り出す。

「父上……! 確かに交渉では敗北しました。ですが、どうかお聞きください!」

 叱責の嵐の中で、彼は一歩前へ踏み出す。その瞳は熱を帯びていた。

「この結果は屈辱かもしれません。けれど島で目にしたのは、それ以上の価値がある光景だったのです!」

 言葉と共にあふれ出すのは、畑で見た奇跡。
 土が脈打つように肥え、薬草も野菜も瑞々しく育つ大地。
 そして――その中心に立ち、四属性を自在に操る女性、エリザベス。

「彼女は土を根本から変えていました! もし我が領に取り入れられれば、薬草も食糧も飛躍的に増産できるのです。都の市場を独占することだって――」

 そこまで言い切る前に、エルマーは低く咳払いをした。
 その一音でクラウディオは言葉を呑む。

「……お前は熱を帯びて帰ってきたようだな」

 父はゆっくりと茶を口に運び、沈黙ののち口を開く。

「四属性を扱える魔導士など、伝承の中にしか存在しない。お前の報告を疑うわけではない。だが――本当に彼女が一人で四つを扱っていたのか?」

「はい。私の目で確かに見ました。土に水を留め、風で循環させ、火で温め……そして土魔法で畝を築く。彼女一人の手で畑が息づいていたのです」

 クラウディオの熱弁に、エルマーは目を細めた。
 確かに、すべての報告に辻褄は合う。だが――彼の胸には別の疑念が湧き上がっていた。

(信じ難い。だが、もし本当に四属性を操れるのだとしたら……なぜリンドブルグ王国は彼女を手放した?)

 彼女は王太子妃であったはずだ。
 大国が抱え込むべき力を、なぜ辺境へと追いやったのか。
 力を恐れたのか、それとも価値を見抜けなかったのか――。

 いずれにせよ、常識を超えた存在であることは間違いない。
 だからこそ、父として、領主として、結論はただ一つだった。

「……我が領で再現することは不可能だ」

 エルマーの声は静かでありながら、鋭く切り捨てる響きを持っていた。

「エリザベス嬢は特別な存在だ。その力を欲するのは理解できる。だが――真似ることはできぬ。だからこそ、ヴァルメア侯爵家と正しく協定を結ぶのだ。力を奪うのではなく、信頼を積み重ねる。……それが、風を導く我らシルフリードの在り方だ」

 その言葉に、クラウディオの胸にあった昂りは、ゆるやかに沈静していく。
 理性では理解していたことを、父から改めて突きつけられたのだ。

「……はい。承知しました、父上」

 深く頭を垂れる息子に、エルマーはわずかに口元を緩めた。

「その熱は悪くない。だが熱は時に暴風となる。お前が次代を担うなら――風を活かし、土に従え。そうすれば領は揺るがぬ」

「……肝に銘じます」

 父の言葉が執務室に静かに落ち着きをもたらした。
 クラウディオはなおも俯いていたが、やがて顔を上げる。
 その瞳には、先ほどまでの昂りとは違う、凛とした光が宿っていた。

「……父上。ならば私は、この縁を守ります」

 静かな決意を帯びた声に、エルマーの眉がわずかに動く。

「ヴァルメア侯爵家と、エリザベス様との協定。確かに私は交渉で押し切られました。しかし、あの島で感じたのは敗北ではなく――新たな可能性でした。彼らが築いた豊かさを壊さず、友として手を携える。それが、次代の我が責務だと」

 エルマーはしばし無言で息子を見つめ、やがてゆるやかに頷いた。

「……ようやく風が定まったな。よかろう。友を得る風ならば、いずれ我らの翼をも広げるだろう」

 その言葉にクラウディオは深く頭を垂れる。
 胸の中で、島の土の匂いと共に吹き抜けた柔らかな風を思い出していた。
 ――それは敗北の風ではなく、未来へと繋がる友好の風。

(次にあの地を訪れるときは、父に誇れる成果を持ち帰ろう。エリザベス様とヴァルメア家に、恥じぬように……)

 若き嫡子の胸に、新たな誓いが静かに刻まれた。
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