海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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叙爵式と控え室からの想い

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 王城の大広間は、普段の謁見の場よりもさらに威厳を増していた。
 高窓から差し込む光が磨き上げられた大理石を照らし、赤い絨毯の上に整然と並ぶ兵士や廷臣の姿を浮かび上がらせる。
 静寂を破るのは、時折鳴り響く号鐘と、厳かな詠唱のような司式官の声のみ。

 ――今日は、エドワード・ヴァルメアが「侯爵」の位を正式に授かる日である。

 壇上の王座には、王家の象徴たる金の百合を背負った国王が鎮座し、その右手に控えるのは王太子カルロス。
 ふたりの存在が、この場の重みをいっそう際立たせていた。

 その広間の、民や貴族たちの視線が一心に注がれる先――。
 真紅の絨毯を堂々と歩む男の姿があった。

 長身に深碧の正装を纏い、胸を張って進むエドワード。
 彼の歩みには一片の迷いもなく、凛とした風格はすでに「侯爵」のそれであった。
 いや、彼が纏う気迫こそ、誰もが納得していた。やはり彼は「王族」なのだと。大国の真の王太子としての姿そのものだった。








 一方その頃。

 広間から一歩離れた控え室に、エリザベスの姿があった。
 豪奢な椅子に腰掛けながらも、落ち着かない様子で手を組んだり解いたりしている。

 彼女は式典の表舞台に立つことは許されなかった。
 正式な婚約者として公には紹介されていない以上、あの場に姿を現すのはまだ早い。
 けれど、ただ部屋に籠もるのではなく、こうして隣室からでも彼を感じていたいと願ったのだ。

 鏡の前には、すでに仕立てられた舞踏会用のドレスが吊るされている。
 カルロスから贈られた宝石箱も机の上に置かれ、サファイアが静かに光を放っていた。
 それらは夜会――叙爵式の後に開かれる祝いの場のためのもの。

(……これを身に着け、彼の隣に並ぶのね)

 胸の奥が高鳴る。
 その瞬間を思うだけで、背筋が熱く、同時に少し心細くもなる。

「お嬢様、髪の結い上げはそろそろ始めてもよろしいでしょうか?」

 王家侍女の問いかけに、エリザベスは小さく頷いた。

「ええ。お願いします」

 ゆっくりと時間をかけて髪を梳かれる感触に、次第に心が落ち着いていく。
 化粧師が控えめに色を差し、ドレスが肌に沿うように調整されていく。
 それは一朝一夕に整えられるものではなく、式典の一日まるごとを費やす「身支度」という儀式そのものだった。

 鏡越しに、自分が変わっていく。
 侯爵の婚約者として王都の舞踏会に立つための姿に整えられていく。







 壇上の国王が立ち上がり、叙爵の宣言が朗々と響き渡る。

「エドワード・ヴァルメア。汝の忠誠と才覚を以って、王国に仕えし功を称える。よってこの日を以て、汝を侯爵に叙す」

 廷臣たちが一斉に頭を垂れる。
 その中央で、エドワードは片膝をつき、騎士の礼をもって答えた。

「謹んで拝命いたします」

  胸に勲章が掲げられるその瞬間、彼はふと顔を上げた。
 まるで人々の喝采を超えて――控え室に潜む彼女を見透かすかのように。

 さあ、これからが本番だ。

 叙爵式が終わるや否や、新たに侯爵位を得たエドワードの周りに、名だたる貴族たちが雪崩のように押し寄せたのだ。

「ヴァルメア侯爵! このたびは誠におめでとうございます!」

「ぜひ我が娘をお目にかけたいのですが――」

「いやいや、うちの家の娘こそが侯爵にふさわしい伴侶にございます!」

 言葉巧みに自家の娘を売り込む声が次々と飛び交う。
 彼らの眼差しには羨望と打算、そして必死の焦りが混じっていた。
 王家お抱え医師として王の信任を受け、さらに侯爵の地位まで手にした男。
 この国において、これ以上の縁談相手など存在しないのだから。

 だが、当のエドワードは微動だにせず、冷ややかに彼らを見渡した。
 鋭く整った横顔は、押し寄せる言葉の波を一瞬で退けるほどの力を持っていた。

「諸卿のご厚意は痛み入る」

 低く通る声が響くと、広間の喧噪がすっと引いていく。
 彼は一拍置いて、はっきりと言葉を紡いだ。

「ですが、私はすでに婚約者を得ているので」

 ざわ、と空気が揺れる。
 口を開きかけていた貴族たちの表情が凍りつき、互いに顔を見合わせた。

「も、もうご婚約が……?」

「お相手はどこの令嬢で?」

 問いかけが続くが、エドワードはそれ以上答えない。
 ただ冷然とした態度で、彼らの視線を切り捨てる。
 まるで「それ以上は無礼だ」と沈黙で告げるかのように。

 重苦しい沈黙が広がったその時。
 軽やかな笑い声が場をほぐした。

「やれやれ、侯爵の婚約者を知らぬとは、諸卿も勉強不足だね」

 声の主は、王太子カルロスだった。
 悠然と歩み出た彼が片手を上げると、誰もが一斉に頭を垂れる。

「婚約者の存在は、いずれ皆が知ることになる。ならばこの僕が言おうじゃないか」

 カルロスはにやりと笑い、隣のエドワードをちらりと見やった。

「――ヴァルメア侯爵の婚約者は、噂の『亡命妃』だ」

 貴族たちがざわめきを隠せずに息を呑む。
 驚きと疑念、そして興味の入り混じったざわめきが広がる。

 エドワードは小さく眉をひそめたが、否定はしなかった。
 むしろその瞳には、はっきりとした覚悟が宿っている。



 ようやく人払いが済み、静まり返った回廊を並んで歩きながら、カルロスがくすりと笑った。

「いやあ、見事に狼どもを黙らせたな」

「わざと煽っただろ」

「んー? さて、どうかな?」

 カルロスはわざとらしく肩をすくめ、楽しげに目を細める。

「何にせよ。侯爵位、おめでとう。これで王都中がますますお前を放っておかなくなるね!」

 わざとらしい言い方にエドワードが鋭い視線を向ければ、カルロス王太子が涼やかな瞳でこちらを見ていた。
 からかうように言いつつも、その瞳は誇らしげだ。

「ありがたい話ではないな」

 皮肉を返すエドワードに、カルロスは声を低めて囁いた。

「だからこそ、だ。予定通り今夜、夜会を開こうと思う。表向きは叙爵の祝賀……でも実際は」

「……婚約者のお披露目、か」

「察しが早くて助かるよ。彼女を隠し続けるのは不可能だし、無用な憶測はお前をも彼女をも傷つける。ならば堂々と示すしかない」

 エドワードはしばし黙したのち、息を吐き、静かに頷いた。

「……逃げはしない。彼女は私の誇りだ」

 カルロスは満足げに目を細めた。

「いい答えだ。なら、夜会を楽しみにしていろ。お前の隣に立つその女性が、どれほど人々を魅了するか――僕も早く見たいものだよ」









 王城の舞踏会場は、今宵ばかりは昼の太陽を閉じ込めたように眩い光で満ちていた。
 高窓から垂れるシャンデリアは百もの燭台を煌めかせ、磨き上げられた大理石の床に幾重もの光の粒を散らしている。
 叙爵式を終えたばかりの余韻を背に、王国の名だたる貴族たちが集い、酒杯を傾けながら新侯爵を祝う言葉を交わしていた。

 ――だがその夜会の真の趣旨は、誰もが薄々気付いていた。
 それは「ヴァルメア侯爵の婚約者」を世に示すための、お披露目の場であるということを。

 扉口に楽団の奏でる音色がひときわ高まった瞬間、人々の視線が一斉に向けられた。
 その中央に現れたのは、碧のドレスを纏ったひとりの女性。

 ドレスは深い海を思わせる色合いで、光の角度によって冷ややかな蒼にも、温かな碧にも揺らぐ。
 それは、エドワードの瞳をそのまま布地に写したかのような色だった。
 細やかな銀糸の刺繍が夜空の星のように散りばめられ、裾を揺らすたびに淡い光が生まれては消えていく。

 白い首元には、王家の象徴を刻んだ銀細工に、蒼玉の輝きを抱く首飾り。
 カルロスから贈られたそのサファイアは、彼女の澄んだ瞳と響き合うように、気高い光を放っていた。

 リンドブルグの元王太子妃。その名を囁く声が場に広がる。
 貴族の令息たちは思わず息を呑み、既に婚約者がいると知りながらも心を揺らされていた。
 そして驚くべきは、王太子カルロスでさえ一瞬、視線を奪われるほどだった。

 その隣に並び立つエドワードの胸には、抑えがたい誇りが満ちる。
 ――彼女は自分の婚約者だ。
 王国の誰もが羨望するその姿を、ただひとり独占する権利を持つのは自分だけなのだと。

 優越感と独占欲を混ぜ合わせた眼差しを、彼は周囲に向けた。
 鋭くも静かなその牽制に、若き令息たちはたじろぎ、口をつぐむ。

 だが一方で、女性陣の間には嫉妬と羨望の囁きが渦巻いた。

「よりにもよって……亡命妃だなんて」

「どんな手管で侯爵を――」

 押し殺した声が波のように広がる。
 けれど、その矢はエリザベスには届かない。
 元王太子妃として幾多の視線に晒され、時には侮蔑も浴びてきた彼女にとって、この程度の囁きなど痛くも痒くもないのだ。

 むしろ、彼女の背筋はすらりと伸び、唇には静かな微笑みが浮かんでいる。
 その毅然とした姿を横で見やり、エドワードの胸はさらに誇らしく、そして愉快にさえなった。

(やはり……君は誰よりも強く、美しい)

 ふたりが真っ先に歩みを向けたのは、主催者であるカルロスのもとだった。
 王太子の前に進み出たエリザベスは、裾を広げ、淑女の礼を完璧にこなす。
 静かな会釈ののち、柔らかな声が響いた。

「カルロス殿下。再びお目にかかれて光栄に存じます」

「久方ぶりだね。息災で安心したよ」

 その声音には再会の喜びと、遠き日への懐かしさが滲んでいる。
 続けて彼女は胸元の首飾りに触れ、深く礼を取った。

「このたびはご厚意を賜り、心より感謝申し上げます。……殿下からの祝福、決して忘れはいたしません」

「あの宝石、まさか」

「うそ、なんで亡命者の手に渡るの!?」

 場の空気が揺れる。
 王太子から婚約者への宝石――その意味は誰の目にも明らかだったからだ。

 カルロスは優しく微笑み、その蒼玉が彼女の肌に映える様を愛おしげに眺めた。

「……よく似合っている。僕が想像した以上に」

 その眼差しに、一瞬エリザベスは頬を染めた。
 その光景を横で見ていたエドワードの胸に、淡い嫉妬が灯る。

 ――カルロス。
 盟友であるがゆえに信じている。だが同時に、彼の視線に揺れる情を見逃すわけにはいかない。

 エドワードはエリザベスの手を取ると、あえて周囲にも見えるよう強く握った。
 そして淡い笑みを浮かべ、だが瞳には鋭い光を宿してカルロスを見据える。

「殿下のご厚意、確かに賜りました。……ですが彼女を飾るのは、私の役目です」

 その一言に、再び会場がざわめいた。
 誰もが悟った――
 ヴァルメア侯爵が、彼女をいかに大切にし、また誰にも譲るつもりがないかを。

 そしてその宣言は、王太子すらも牽制する力を持っていた。

 カルロスは一瞬目を細め、すぐに愉快そうに笑った。

「……ああ、そうだったな。まったく、君には敵わないよ」

 そう言って杯を掲げる。
 周囲の廷臣たちもそれにならい、やがて拍手と称賛の波が広間を満たしていった。

 夜会は始まったばかり――。
 だがこの瞬間、王都の誰もが知ったのだ。
 ヴァルメア侯爵とその婚約者の存在が、もはや誰にも揺るがぬものであることを。
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