海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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医療団へ人魚姫の微笑みを

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 医療団の本部は王都の中心街から少し離れた丘の上にあった。
 石造りの荘厳な建物は、病を癒す場にふさわしい清浄さと威厳を漂わせ、門をくぐるだけで背筋が正されるような気持ちになる。

「わあ……素敵」

 エリザベスは思わず息を呑んだ。
 磨かれた大理石の床、薬草を模した紋章が刻まれた柱、そして往来する治癒師や薬学士たちの真剣な眼差し――。すべてが彼女の胸を高鳴らせる。

「侯爵様、ここが……」

 隣を歩くエドワードに視線を向けると、彼は涼やかな表情で微笑んだ。
 差し出された大きな手が、自然に彼女の背を支える。

「足元に気をつけろ。ここは段差が多い」

 その声は、医療団の者たちにはごく普通の注意のように聞こえただろう。だがエリザベスの耳には、過剰なほど甘やかす響きにしか聞こえなかった。
 案の定、通りすがった治癒師たちがひそひそと声を潜める。

「侯爵様が、女性にあんなに優しいなんて……」

「しかも、あれ、婚約者だろう? 本当に……?」

「いや、でも侯爵様が微笑んでおられる。信じられん……」

 ざわめきは瞬く間に広がった。
 冷徹無比、仕事一筋と噂されてきた侯爵が、婚約者の肩にさりげなく手を添え、階段では手を取ってエスコートする。
 その姿は、医療団員たちの認識を根底から揺るがすものだった。

「侯爵様……少し、皆さまが……」

 エリザベスが耳打ちすると、エドワードは意に介さぬ様子で唇を歪める。

「構わん。知らしめる良い機会だ。――私の最愛が誰なのかを」

「っ……!」

 平然と告げられ、エリザベスの頬は一瞬で朱に染まる。
 そんな彼女の反応に気づいているのかいないのか、エドワードはそのまま案内役の団員に声をかけ、面会の場へと進んでいった。


 会議室に通されると、白衣をまとった治癒師たちが並んでいた。
 机の上には薬草の束や調合器具が置かれ、すでに準備が整っている。

「お待ちしておりました。団長」

「ああ、朝早くすまないな。それにしても」

 エドワードは、ずらりと並んだ白衣の列に一瞬まばたきをした。
 ざっと見ただけでも、二十人はいる。予め聞いていた数の倍以上だ。

「……これはまた。随分と多いな」

 低く呟くと、副団長が苦笑交じりに一歩前へ出た。

「これでも最小人数です、団長。実際の参加希望者は団員の八割でしたから」

「八割?」

 思わず眉を寄せたエドワードの蒼の瞳が、ぐるりと白衣の列を見渡す。
 冷徹な視線に射抜かれた団員たちが背筋を伸ばした。

「……だが、団員は全員男だったはずだ。まさか、美容や薬草の効能にそこまで関心があるとは到底思えんが」

 皮肉めいた声音に、副団長は肩をすくめる。

「関心は“そちら”ではありませんよ。……それよりも、早く紹介していただけませんか? 皆、首を長くして待っているんですから」

 あくまで真面目な声音だが、後ろに並ぶ団員たちの耳は赤く染まり、期待に揺れているのが一目で分かる。

 エドワードはため息をひとつ零し、仕方ないとばかりに身を翻した。

「……紹介しよう。本日、君たちから薬草について学ぶ――私の婚約者、エリザベスだ」

 その声音には、わずかに不満げな色が滲んでいた。
 案の定、紹介の瞬間、団員たちの視線が一斉にエリザベスへと注がれる。

 副団長が一歩進み出て、朗々とした声で告げた。

「ヴァルメア侯爵ご婚約者様、ようこそ。我ら医療団一同、心より歓迎いたします」

 深々と頭を下げるその所作に続き、団員たちも一斉に礼を取る。
 視線を浴びたエリザベスは一瞬だけ胸を高鳴らせたが、淑女らしい優美な所作で裾をつまみ、礼を返した。

「こちらこそ、お忙しい中をお時間を割いてくださり、心より感謝申し上げます」

 凛と響く声と、微笑み。
 その瞬間、列のあちこちから「おおっ……!」と感嘆の声が上がった。

「えっ……?」

 エリザベスが瞬きをすると、副団長が柔らかく笑った。

「これは失礼致しました。実は――ご婚約者様の“ある噂”を、耳にしておりまして」

「噂?」

 すかさずエドワードが低く問い返す。
 蒼の瞳が鋭く細められるが、副団長は臆することなく口を開いた。

「“人魚姫の微笑み”を向けられた者は、加護を得る――と」

「……なんだと?」

 団員たちがざわめく。副団長は落ち着いた声で続けた。

「噂の出所は、風の令息クラウディオ様と、水の令嬢レティシア様です。お二人が急速に成長されたのは、エリザベス様から“人魚姫の微笑み”を受けたからだと、今や貴族社会では話題になっております。
 ――“人魚姫の加護を授かる者は幸福になる”と」

「……なるほど。それで最近、やたらと茶会の招待状が届くわけだ」

 エドワードは低く呟き、合点がいったという表情を見せる。彼宛てではなく、エリザベス宛てに次々と舞い込む招待状。それが、この“人魚姫の噂”に起因するものだと分かったのだ。

 エリザベスは、頬が赤くなるのを必死に抑えた。
 内心は恥ずかしさでいっぱいだが――王妃教育で培った平常心で、微笑みを崩さない。

「まあ……噂とは不思議に広がるものですわね」

 凛とした声でそう返すと、団員たちはますます瞳を輝かせた。

 ひとしきり場が落ち着くと、エリザベスは一歩前に出て、にこりと微笑んだ。

「――医療団長、エドワード様」

 柔らかな声音で呼びかけ、まるで舞踏会で次の曲を促すように、視線を副団長へと導く。
 その意図を察したエドワードはわずかに口角を上げ、重厚な声で告げた。

「こちらは副団長のノエル・シルフリード。水属性の優れた治癒師であり、私の右腕だ」

 名を呼ばれた青年は、すっと一歩前に進み出た。
 淡い青色の髪をきちんと後ろへ撫でつけ、澄んだ碧眼には水面のような静謐さが宿っている。
 年の頃はエリザベスと変わらず、しかし整った顔立ちと冷静な所作は、すでに堂々たる貴族の風格を感じさせた。

「ご紹介にあずかりました、ノエル・シルフリードと申します。エルマー・シルフリード公爵の甥にあたります」

「まあ……!」

 エリザベスの瞳が大きく見開かれた。
 シルフリードといえば――水の令嬢レティシアの本家。
 つまり、彼は彼女の従兄にあたるのだ。

「それでは、あなたは……レティシア様のご親戚でいらっしゃるのですね?」

「ええ。幼い頃からよく知っております」

 ノエルは穏やかに頷いた。
 その表情に柔らかな笑みが浮かび、場の空気が和らぐ。

「そして――エリザベス様に心からお礼を申し上げたいのです」

「わたくしに……?」

 小首を傾げる彼女へ、ノエルは言葉を選ぶように続けた。

「以前のレティシアは、率直に申し上げて……わがままでした。気位が高く、周囲を振り回してばかりで、そのせいで婚約話も決まらず、親族としても心を痛めておりました」

 そこまで語ると、彼はふっと目を細めた。

「ですが、最近の彼女はまるで人が変わったようです。柔らかさを身につけ、他人を思いやり、真摯に努力を重ねるようになった。――そして今では、婚約を望む者が後を絶ちません」

 その声音には、親族としての安堵と喜びが溢れていた。

「皆が口を揃えて言うのです。『人魚姫の加護を受けたからだ』と。エリザベス様の微笑みを受けてから、彼女は変わったのだと。……ですから、改めて感謝を」

 ノエルは深々と頭を垂れた。
 その真摯な礼に、エリザベスは一瞬言葉を失い――やがて柔らかく微笑んだ。

「……わたくしは、ただ友としてお話しをしただけですの。けれど、レティシア様が成長なさったと伺えて、わたくしもとても嬉しいですわ」

 彼女の声が、会議室に清らかに響いた。
 その微笑みを目にした団員たちが、またしても感嘆の吐息を漏らしたのは言うまでもない。

 清らかな声と微笑みに、会議室の空気がふわりと和らぐ。
 団員たちが思わず感嘆の吐息を漏らす中、ノエルは小さく呟いた。

「……クラウディオが心酔するのも分かるな」

「ノエル」

 鋭い声音が響き、場の空気がぴしりと張り詰めた。
 エドワードが、冷徹な団長の顔で副官を制する。

 しかし、ノエルは慌てることなく、どこか愉快そうに肩を竦めた。

「団長。相手が貴方でなければ危なかったですよ。……いっときのクラウディオになるところでした」

「え?」

 エリザベスは瞬きを繰り返す。何の話かと首を傾げたが、ノエルは軽く笑った。

「“知らぬは本人のみ”、というやつでしょうか。……過保護ですね、団長」

「当然だ」

 即答するエドワードに、エリザベスはますます混乱した。小さく手を挙げて、二人のやり取りへ割り込む。

「あ、あの……置いていかないでくださいまし。わたくしにも説明を……」

「ふふ、失礼しました」

 ノエルは口元に手を添えて、柔らかく微笑む。

「実は、“人魚姫の加護”の噂よりも前に、もうひとつ囁かれていた話がありましてね」

「噂……?」

「――“人魚姫の虜になった風の令息”」

 はっとして目を見開いたのは、エリザベスではなくエドワードだった。

 ノエルは続ける。

「クラウディオとは立場上、幼い頃からよく知る仲でした。あの子は私を“ノエルおにいさま!”と呼んで後ろをついて回る、可愛らしい弟分だったのです。……ですが、ある時から急に、口を開けば“エリザベス様”“エリザベス様”と」

「……!」

 エリザベスは息を呑み、胸元に手を添える。
 けれどノエルの声は責めるのではなく、どこか愉快そうだった。

「もっとも、それも今は昔。最近の彼は目覚ましく成長されて、婚約者のヴァンディール伯爵令嬢セシリア嬢と、随分うまくやっているようですよ。政略結婚ゆえに、最初は一方通行だと囁かれていたものですが……」

 そこで言葉を区切り、ノエルはちらりとエリザベスを見やった。

「どうやら、何かをきっかけに急に距離が縮まったらしく。今では仲睦まじい姿をあちこちで見かけると、耳にしています。二人で何やら懸命に取り組んでいるようだ、とも」

 エリザベスはその視線を柔らかい笑顔で受け止め、何も言わずに首を振った。
 余計なことは語らずとも、彼女の優しさがそこに滲む。

「そして最近では……」

 ノエルはわざと間をとり、楽しげに続けた。

「二人して“エリザベス様”と口にするのですから」

 苦笑混じりの声音に、会議室の空気が和やかに揺れる。
 当のエリザベスは頬を赤らめながらも微笑みを崩さず、エドワードは黙して二人を見守っていた。
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