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お茶会の真意
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温かな空気に包まれ、和やかなひとときが流れた。
だが、やがて王妃の瞳がわずかに真剣味を帯びる。
「エリザベス。今日お招きしたのは、ただ懐かしさからではないの。――会っていただきたい方がいるのよ」
その言葉と同時に、奥の扉が音もなく開いた。
薔薇園の光が差し込む中、一人の少女が静かに歩みを進める。
雪のように透き通る肌、銀糸のごとく流れる髪、氷を宿す蒼の瞳。
薄青のドレスに包まれたその姿は、まるで氷湖から顕れた精霊のごとく凛としていた。
「ご紹介いたしますわ。こちらが、隣国アウローラ王国のアナスタシア姫。そして……カルロスの、未来の婚約者候補です」
セラフィナ王妃の言葉に、広間の空気がひやりと凍りつく。
エリザベスは優雅な微笑を崩さぬまま、胸の奥で小さく息を呑んだ。
(……やはり、これが真の目的)
軍事演習も、表向きの社交の招待も――すべては、この出会いのために。
カルロスと隣国を結ぶ婚姻、その外交の一端を自分に見せるために。
アナスタシア姫はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には冷たい光が宿りながらも、芯の強さを秘めた蒼の輝きが覗いていた。
「はじめまして。お噂はかねがね……“人魚姫”エリザベス様」
わずかに微笑を浮かべてから、彼女は言葉を続ける。
「いえ、ご無沙汰しております……リンドブルグ元王太子妃様」
その声音は柔らかい。だが、その奥には外交の緊張を隠しきれない張り詰めた響きがあった。
幼さを残す唇の奥に、若き王女としての決意が透けて見える。
エリザベスは深く息を吸い、ゆるぎない声音で応じた。
「お目にかかれて光栄ですわ、アナスタシア姫」
二人の視線が交錯した。
海の深淵を思わせる静けさと、氷の刃を思わせる冷ややかさ――相反する気配が、同じ空間で火花を散らす。
氷と海が交わる瞬間。
それが、この秘密の茶会の幕開けであった。
互いに挨拶を交わしたあとも、しばし沈黙が漂う。
アナスタシアは背筋を正し、氷のように澄んだ瞳をまっすぐに向けていた。
「……エリザベス様。こうしてお目にかかれたこと、光栄に思います」
その声音は震えてはいなかった。だが、張り詰めた糸のように脆い緊張が隠されているのを、エリザベスは敏感に感じ取った。
「わたくしもですわ、アナスタシア姫」
柔らかな声で応じると、王妃がそっと扇を閉じた。
「お二人には、ぜひ心を通わせていただきたいの。実は、アナスタシア姫はこの国へ……特別な思いを抱いて来てくださったのです」
その言葉に、姫はわずかに目を伏せた。
銀糸の髪がさらりと揺れ、氷色の瞳がほんの一瞬翳る。
「……わたくしは、アウローラに生まれながら、水の魔力を一滴も持たなかったのです」
エリザベスの胸が小さく震える。
「氷の王家において、これは致命的な欠陥。幼いころから“恥晒し”と呼ばれ、影に隠れて育ちました。いずれ政治的に利用されるのは分かっていましたが……」
彼女は、苦笑とも諦めともつかない表情で続けた。
「……まさか“小国への厄介払い”として嫁ぐことになるとは思いませんでしたわ」
広間の空気が一瞬凍りつく。だが、その声音に自嘲はあっても、弱音はなかった。
彼女の瞳には、諦観の奥に強い炎が宿っていた。
「では……なぜ、こうして王都へ?」
エリザベスが問いかけると、アナスタシアは静かに息を整えた。
「人魚姫のお噂を耳にしたからです。不遇にあってもなお、美しく立ち上がり、国を、民を導こうとなさる方がいると」
その視線が、氷を溶かすようにまっすぐエリザベスを射抜いた。
「わたくしは……強くなりたい。せめて、わたくしに付き従うたった一人の従者のために」
「従者?」
「ええ。わたくしには、ただ一人の護衛がいます。名はヴィクトール。土属性の魔力を持つ青年です。けれど周囲からは“役立たず同士、お似合いだ”と嘲られ、共に蔑まれてきました」
彼女はきゅっと拳を握った。
白い指先がかすかに震えているのを、エリザベスは見逃さなかった。
「彼は……ずっとわたくしを支えてくれました。だから今度は、わたくしが彼を支えたいのです。数日後の軍事演習に彼も参加することになっています。彼が自信を取り戻せるように、わたくしも共に歩みたい」
その声は、年若き少女のものとは思えないほどに毅然としていた。
その奥に隠された孤独と痛みを察し、エリザベスの胸が温かくも切なく満ちていく。
(……氷の姫。けれど、その心は決して冷えてはいない。誰よりも真っ直ぐで、優しいのね)
エリザベスはそっと手を差し伸べ、微笑んだ。
「アナスタシア姫。わたくしもまた、土の力に救われた者です。ですから、彼がきっと力を見つけられるよう、心から願っております」
その言葉に、姫の蒼い瞳が揺れた。
氷が初めて春の陽に溶かされる瞬間のように、かすかな光が差し込む。
「……ありがとうございます。やはり、こうしてお会いできてよかった」
アナスタシアは深く一礼した。
エリザベスもまた、静かに頭を垂れ、心の中で一つの誓いを立てていた。
(彼女の願いを――必ず、見届けましょう)
氷と海、二つの姫の出会い。
それは新たな絆の始まりであり、やがて運命の流れを変えていく序章となるのだった。
薔薇園の茶会が幕を閉じ、侍女たちが器を片付けてゆく。
客人たちはそれぞれ退出の準備を始め、広間に静けさが戻りつつあった。
そのとき――。
「エリザベス様」
透き通るような声に呼び止められ、エリザベスは振り返った。
そこに立っていたのは、アナスタシア姫。氷のように整った顔立ちに、しかしどこか迷いを帯びた色が浮かんでいる。
「少しだけ……お時間をいただけますか」
「もちろんですわ」
王妃の目が届かぬ一角へと足を運ぶと、アナスタシアの後ろから、ひとりの青年が歩み出た。
やや粗末な従者服に、真面目そうな黒髪。肩幅は広いが、うつむきがちな姿勢が自信のなさを物語っている。
「ご紹介いたします」
アナスタシアは凛とした声で言った。
「こちらはわたくしの従者、ヴィクトール。先ほどお話しした、たった一人の従者ですわ」
「……ヴィクトール・カーネルと申します。姫の従者にございます。『人魚姫』と呼ばれる貴女に、こうしてお目にかかれるなど、身に余る光栄にございます」
彼は深々と頭を下げた。
しかし、その声音は誠実だが、どこか震えていた。
エリザベスは静かに目を伏せ――そして、ゆるやかに微笑んだ。
「……貴方が、アナスタシア姫の“土騎士”なのね」
柔らかく微笑みながら告げるエリザベスの言葉に、二人は一瞬、時が止まったように目を見開いた。
「土騎士……? そんな立派な肩書き、私には到底……!」
ヴィクトールは慌てて頭を振り、苦渋を滲ませた声で続ける。
「私は、土属性ゆえに役に立たぬと罵られ、余り者として押しつけられただけの存在です。姫の傍に立つ資格など……」
その卑下する響きに、アナスタシアの眉が曇る。
だが、エリザベスはふわりと扇を閉じ、静かな微笑を崩さずに首をかしげた。
「なぜ、そう思うのかしら?」
ヴィクトールは俯いたまま、搾り出すように答えた。
「……土だから、です」
瞬間――エリザベスの唇に、静かな笑みが広がった。
「まあ……奇遇ですわね」
銀の瞳が優雅に細められる。
「わたくしもまた、土の力を持っておりますのよ」
アナスタシアとヴィクトールの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
「まさか……“人魚姫”と呼ばれる貴女が……?」
アナスタシアの声は震えていた。
ヴィクトールも思わず顔を上げ、息を呑む。
「信じられない……! では先ほどの菓子や、薬草の調合は……」
エリザベスは、深く頷いた。
「そう。土に根差した力があればこそ、育つものがあるのです。土は目立たず、華やかでもありません。けれど――すべての命を育み、支える礎。欠かすことのできぬ、大地そのものなのですわ」
その声音は、穏やかでありながら揺るぎない。
アナスタシアの胸に熱が走り、ヴィクトールの瞳に光が差した。
「土属性は、決して“余りもの”ではありません」
エリザベスはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どうか誇りを持ってください。あなたが姫を支えるのは……もしかすれば、神の采配かもしれませんわ」
ヴィクトールの頬がわずかに震え、今まで落としていた背筋が、ほんの少しだけ伸びる。
「土は、すべてを育む大地の力。蔑まれる理由など、一つもございません。むしろ、誰よりも尊く、偉大な力ですわ」
その確信に満ちた声に、二人は息を呑む。
今まで誰一人として、そんな風に語ってくれる者はいなかった。
「……わたくし……」
アナスタシアは堪えきれず、声を震わせる。
「ずっと彼を支えたいと思ってきました。けれど、わたくし自身が“欠陥”と呼ばれる身。だから……」
エリザベスはそっと、彼女の手を取った。
その手を包む掌は、凛として温かい。
「アナスタシア姫。水を持たぬことを恥じる必要はありません。むしろ、それは他の誰も持たぬ道を切り拓く力となりましょう」
蒼の瞳が、大きく揺れた。
「そして……ヴィクトール」
エリザベスは従者に向き直り、静かに告げる。
「軍事演習では“守り”に徹しなさい。土の力は城壁となり、盾となる。誰かを護り抜くことでこそ、その真価を示すのです」
その言葉に、青年の瞳に初めて光が灯る。
「……私が……役に立てる……?」
「ええ」
エリザベスは微笑んだ。
「あなた方が互いを信じ合い、支え合って歩んできた絆。それはどんな強力な魔法よりも固く、揺るぎないものですわ」
アナスタシアの白い頬に、紅が差す。
彼女は震える声で、けれど確かな意志を込めて答えた。
「……わたくし……軍事演習で証明してみせます。この国にとっても、彼にとっても、そしてわたくし自身にとっても……“無価値”ではないと」
その横で、ヴィクトールが深く頭を垂れる。
「……姫をお守りするためなら、何度でも立ち上がります」
エリザベスは静かに二人を見つめ、優雅に頷いた。
「――どうか、この国の未来に、あなた方の力を示してくださいませ」
その瞬間、氷の姫と土の従者の心に、確かな灯がともった。
アナスタシアの蒼い瞳には涙が滲み、ヴィクトールの拳は固く握られていた。
こうして氷の姫と土の従者は、“人魚姫”との出会いを通じて、新たな希望を胸に抱き始めるのだった。
だが、やがて王妃の瞳がわずかに真剣味を帯びる。
「エリザベス。今日お招きしたのは、ただ懐かしさからではないの。――会っていただきたい方がいるのよ」
その言葉と同時に、奥の扉が音もなく開いた。
薔薇園の光が差し込む中、一人の少女が静かに歩みを進める。
雪のように透き通る肌、銀糸のごとく流れる髪、氷を宿す蒼の瞳。
薄青のドレスに包まれたその姿は、まるで氷湖から顕れた精霊のごとく凛としていた。
「ご紹介いたしますわ。こちらが、隣国アウローラ王国のアナスタシア姫。そして……カルロスの、未来の婚約者候補です」
セラフィナ王妃の言葉に、広間の空気がひやりと凍りつく。
エリザベスは優雅な微笑を崩さぬまま、胸の奥で小さく息を呑んだ。
(……やはり、これが真の目的)
軍事演習も、表向きの社交の招待も――すべては、この出会いのために。
カルロスと隣国を結ぶ婚姻、その外交の一端を自分に見せるために。
アナスタシア姫はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には冷たい光が宿りながらも、芯の強さを秘めた蒼の輝きが覗いていた。
「はじめまして。お噂はかねがね……“人魚姫”エリザベス様」
わずかに微笑を浮かべてから、彼女は言葉を続ける。
「いえ、ご無沙汰しております……リンドブルグ元王太子妃様」
その声音は柔らかい。だが、その奥には外交の緊張を隠しきれない張り詰めた響きがあった。
幼さを残す唇の奥に、若き王女としての決意が透けて見える。
エリザベスは深く息を吸い、ゆるぎない声音で応じた。
「お目にかかれて光栄ですわ、アナスタシア姫」
二人の視線が交錯した。
海の深淵を思わせる静けさと、氷の刃を思わせる冷ややかさ――相反する気配が、同じ空間で火花を散らす。
氷と海が交わる瞬間。
それが、この秘密の茶会の幕開けであった。
互いに挨拶を交わしたあとも、しばし沈黙が漂う。
アナスタシアは背筋を正し、氷のように澄んだ瞳をまっすぐに向けていた。
「……エリザベス様。こうしてお目にかかれたこと、光栄に思います」
その声音は震えてはいなかった。だが、張り詰めた糸のように脆い緊張が隠されているのを、エリザベスは敏感に感じ取った。
「わたくしもですわ、アナスタシア姫」
柔らかな声で応じると、王妃がそっと扇を閉じた。
「お二人には、ぜひ心を通わせていただきたいの。実は、アナスタシア姫はこの国へ……特別な思いを抱いて来てくださったのです」
その言葉に、姫はわずかに目を伏せた。
銀糸の髪がさらりと揺れ、氷色の瞳がほんの一瞬翳る。
「……わたくしは、アウローラに生まれながら、水の魔力を一滴も持たなかったのです」
エリザベスの胸が小さく震える。
「氷の王家において、これは致命的な欠陥。幼いころから“恥晒し”と呼ばれ、影に隠れて育ちました。いずれ政治的に利用されるのは分かっていましたが……」
彼女は、苦笑とも諦めともつかない表情で続けた。
「……まさか“小国への厄介払い”として嫁ぐことになるとは思いませんでしたわ」
広間の空気が一瞬凍りつく。だが、その声音に自嘲はあっても、弱音はなかった。
彼女の瞳には、諦観の奥に強い炎が宿っていた。
「では……なぜ、こうして王都へ?」
エリザベスが問いかけると、アナスタシアは静かに息を整えた。
「人魚姫のお噂を耳にしたからです。不遇にあってもなお、美しく立ち上がり、国を、民を導こうとなさる方がいると」
その視線が、氷を溶かすようにまっすぐエリザベスを射抜いた。
「わたくしは……強くなりたい。せめて、わたくしに付き従うたった一人の従者のために」
「従者?」
「ええ。わたくしには、ただ一人の護衛がいます。名はヴィクトール。土属性の魔力を持つ青年です。けれど周囲からは“役立たず同士、お似合いだ”と嘲られ、共に蔑まれてきました」
彼女はきゅっと拳を握った。
白い指先がかすかに震えているのを、エリザベスは見逃さなかった。
「彼は……ずっとわたくしを支えてくれました。だから今度は、わたくしが彼を支えたいのです。数日後の軍事演習に彼も参加することになっています。彼が自信を取り戻せるように、わたくしも共に歩みたい」
その声は、年若き少女のものとは思えないほどに毅然としていた。
その奥に隠された孤独と痛みを察し、エリザベスの胸が温かくも切なく満ちていく。
(……氷の姫。けれど、その心は決して冷えてはいない。誰よりも真っ直ぐで、優しいのね)
エリザベスはそっと手を差し伸べ、微笑んだ。
「アナスタシア姫。わたくしもまた、土の力に救われた者です。ですから、彼がきっと力を見つけられるよう、心から願っております」
その言葉に、姫の蒼い瞳が揺れた。
氷が初めて春の陽に溶かされる瞬間のように、かすかな光が差し込む。
「……ありがとうございます。やはり、こうしてお会いできてよかった」
アナスタシアは深く一礼した。
エリザベスもまた、静かに頭を垂れ、心の中で一つの誓いを立てていた。
(彼女の願いを――必ず、見届けましょう)
氷と海、二つの姫の出会い。
それは新たな絆の始まりであり、やがて運命の流れを変えていく序章となるのだった。
薔薇園の茶会が幕を閉じ、侍女たちが器を片付けてゆく。
客人たちはそれぞれ退出の準備を始め、広間に静けさが戻りつつあった。
そのとき――。
「エリザベス様」
透き通るような声に呼び止められ、エリザベスは振り返った。
そこに立っていたのは、アナスタシア姫。氷のように整った顔立ちに、しかしどこか迷いを帯びた色が浮かんでいる。
「少しだけ……お時間をいただけますか」
「もちろんですわ」
王妃の目が届かぬ一角へと足を運ぶと、アナスタシアの後ろから、ひとりの青年が歩み出た。
やや粗末な従者服に、真面目そうな黒髪。肩幅は広いが、うつむきがちな姿勢が自信のなさを物語っている。
「ご紹介いたします」
アナスタシアは凛とした声で言った。
「こちらはわたくしの従者、ヴィクトール。先ほどお話しした、たった一人の従者ですわ」
「……ヴィクトール・カーネルと申します。姫の従者にございます。『人魚姫』と呼ばれる貴女に、こうしてお目にかかれるなど、身に余る光栄にございます」
彼は深々と頭を下げた。
しかし、その声音は誠実だが、どこか震えていた。
エリザベスは静かに目を伏せ――そして、ゆるやかに微笑んだ。
「……貴方が、アナスタシア姫の“土騎士”なのね」
柔らかく微笑みながら告げるエリザベスの言葉に、二人は一瞬、時が止まったように目を見開いた。
「土騎士……? そんな立派な肩書き、私には到底……!」
ヴィクトールは慌てて頭を振り、苦渋を滲ませた声で続ける。
「私は、土属性ゆえに役に立たぬと罵られ、余り者として押しつけられただけの存在です。姫の傍に立つ資格など……」
その卑下する響きに、アナスタシアの眉が曇る。
だが、エリザベスはふわりと扇を閉じ、静かな微笑を崩さずに首をかしげた。
「なぜ、そう思うのかしら?」
ヴィクトールは俯いたまま、搾り出すように答えた。
「……土だから、です」
瞬間――エリザベスの唇に、静かな笑みが広がった。
「まあ……奇遇ですわね」
銀の瞳が優雅に細められる。
「わたくしもまた、土の力を持っておりますのよ」
アナスタシアとヴィクトールの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
「まさか……“人魚姫”と呼ばれる貴女が……?」
アナスタシアの声は震えていた。
ヴィクトールも思わず顔を上げ、息を呑む。
「信じられない……! では先ほどの菓子や、薬草の調合は……」
エリザベスは、深く頷いた。
「そう。土に根差した力があればこそ、育つものがあるのです。土は目立たず、華やかでもありません。けれど――すべての命を育み、支える礎。欠かすことのできぬ、大地そのものなのですわ」
その声音は、穏やかでありながら揺るぎない。
アナスタシアの胸に熱が走り、ヴィクトールの瞳に光が差した。
「土属性は、決して“余りもの”ではありません」
エリザベスはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どうか誇りを持ってください。あなたが姫を支えるのは……もしかすれば、神の采配かもしれませんわ」
ヴィクトールの頬がわずかに震え、今まで落としていた背筋が、ほんの少しだけ伸びる。
「土は、すべてを育む大地の力。蔑まれる理由など、一つもございません。むしろ、誰よりも尊く、偉大な力ですわ」
その確信に満ちた声に、二人は息を呑む。
今まで誰一人として、そんな風に語ってくれる者はいなかった。
「……わたくし……」
アナスタシアは堪えきれず、声を震わせる。
「ずっと彼を支えたいと思ってきました。けれど、わたくし自身が“欠陥”と呼ばれる身。だから……」
エリザベスはそっと、彼女の手を取った。
その手を包む掌は、凛として温かい。
「アナスタシア姫。水を持たぬことを恥じる必要はありません。むしろ、それは他の誰も持たぬ道を切り拓く力となりましょう」
蒼の瞳が、大きく揺れた。
「そして……ヴィクトール」
エリザベスは従者に向き直り、静かに告げる。
「軍事演習では“守り”に徹しなさい。土の力は城壁となり、盾となる。誰かを護り抜くことでこそ、その真価を示すのです」
その言葉に、青年の瞳に初めて光が灯る。
「……私が……役に立てる……?」
「ええ」
エリザベスは微笑んだ。
「あなた方が互いを信じ合い、支え合って歩んできた絆。それはどんな強力な魔法よりも固く、揺るぎないものですわ」
アナスタシアの白い頬に、紅が差す。
彼女は震える声で、けれど確かな意志を込めて答えた。
「……わたくし……軍事演習で証明してみせます。この国にとっても、彼にとっても、そしてわたくし自身にとっても……“無価値”ではないと」
その横で、ヴィクトールが深く頭を垂れる。
「……姫をお守りするためなら、何度でも立ち上がります」
エリザベスは静かに二人を見つめ、優雅に頷いた。
「――どうか、この国の未来に、あなた方の力を示してくださいませ」
その瞬間、氷の姫と土の従者の心に、確かな灯がともった。
アナスタシアの蒼い瞳には涙が滲み、ヴィクトールの拳は固く握られていた。
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