海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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夕暮れの衝突

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 潮の香りを含んだ風が頬を撫でる。
 エリザベスの隣では、お忍びで訪れたアナスタシア姫が緊張に包まれた観客席から、蒼い海と広大な砂浜を見下ろしていた。

 今日行われるのは、年に一度の「軍事演習」。
 だが、それは単なる訓練ではない。

 ――ルシエンテス視点。
 隣国から嫁がれる王女が招かれている以上、これは小国が国の威信をかけ、大国に侮られぬ力を示す舞台。

 ――アナスタシア視点。
 たった一人の理解者である従者ヴィクトールと、自らの価値がこの国で試される場。

「準備は整った」

 耳元で囁いたカルロス殿下の声音は落ち着いていた。
 その笑みはどこまでも冷静で、しかし瞳の奥は鋭く燃えている。

「この演習を成功させることができれば、隣国との交渉は一気に優位に立てる」

 エリザベスは小さく息を吐き、頷いた。

 一方その頃、騎士団の後方。
 医療団を率いる団長エドワードは黙して戦場を見つめていた。
 その瞳は氷のように冷ややか――だが奥底には、誰よりも強い独占欲が潜んでいる。
 彼はまだ知らない。カルロスには既に「婚約者候補」が存在することを。

「では――人魚姫エリザベス嬢」

 カルロスのエスコートで壇上へ進む。
 赤き軍旗が風にはためき、整列した騎士団の鎧が陽光を反射した。
 百名に満たぬ兵力ながら、その動きは鍛錬の積み重ねを示し、荘厳な光景を描き出していた。

 最前列から、ひときわ堂々とした壮年の騎士が進み出る。
 燃えるような赤髪に混じる白髪、背筋を伸ばした巨躯。

「王国騎士団長、ライナルト・イグナーツ、ここに参上仕ります!」

 大地を震わせる声に、観客席が揺れるほどの緊張が走る。
 ――火の一族、イグナーツ侯爵家。その威名を肌で感じ、エリザベスは静かに目を細めた。

 続いて陽気な青年が現れる。
 栗色の髪を揺らし、肩に赤い外套を掛けた彼は弾けるような笑みを浮かべた。

「副団長、エルヴェ・フラメル、ただいま参上仕りました!」

 その明るい声が広場を和ませ、視線が自然と彼へと集まる。
 ふとエリザベスと目が合い、彼は愉快げに唇を緩めた。
 その様子を横目に、カルロスは心中で呟く。

(ふふ、またエドワードが嫉妬するな)


 やがて号令と共に演習が始まった。
 盾を掲げた歩兵が列を組み、その背後から魔導兵が詠唱する。
 轟――炎が槍に灯り、突き出すごとに空気を裂いた。
 さらに騎兵が横陣を描いて突撃し、火と鉄の動きが観覧席を圧倒する。

「おお……!」

「勇ましい!」

 貴族たちが喝采を上げる中、エリザベスの胸には複雑な感情が芽生えていた。

(確かに勇ましい……けれど、この炎は脆い。制御を誤れば自らを呑み込む危うさがある)

 カルロスが低く囁いた。

「さすがエリザベス。気付いたか」

「……はい。けれど、殿下のお立場では口にできぬことでしょう」

「だからこそ、婚約者に彼女を選んだ」

 視線がアナスタシアに移る。
 姫は小声で呟いていた。

「第一部隊の布陣は薄い……第二部隊は、逆に詰めすぎていますわ」

 隣から小さく漏れた声に、エリザベスは思わず横を向いた。
 アナスタシア姫は視線を前に据えたまま、唇をかすかに動かしている。

「火槍兵の間隔が狭すぎると、熱がこもって詠唱に支障が出ます……いえ、前衛の盾兵は三列ではなく二列で十分。そうすれば――」

 それは独り言というより、緻密な分析。
 耳を澄まさねば届かぬほどの声量で、しかし淀みなく次々と改善策を口にしていた。

(……これは……?)

 エリザベスは息を呑む。

 ただの“軍事知識”ではない。
 現場を見慣れた将軍がするような冷静かつ的確な指摘。
 なぜ彼女がそんなことを知っているのか――その答えはすぐに浮かんだ。

(……そういうこと。表舞台に立てず、居場所を奪われていた彼女は……)

 王族の誰も顧みぬ書庫に籠もり、戦や兵の資料を読み漁り、ただひたすら頭に叩き込んだのだ。
 水魔法を持たぬ“欠陥姫”と呼ばれ、舞踏会にも政務にも呼ばれず……だからこそ彼女は、知識という誰にも奪えぬ力を選んだ。

(……この子は、“役立たず”などではない。努力と孤独が鍛え上げた、氷の刃を心に隠しているのね)

 驚きと同時に、エリザベスの胸に強い敬意が湧き上がった。



 ――次の瞬間。

 轟、と火柱が天を衝き、突如として暴走した炎が観覧席へと流れ込んできた。

「――っ!」

 エリザベスは咄嗟にアナスタシアを抱き寄せる。
 悲鳴、ざわめき。混乱の渦が広がった。

「慌てるな! 陣形を組み直せ!」

 ライナルト団長の怒声が飛ぶ。
 盾兵が前に出て火を抑えるが、炎の破片が幕を焼き、火花が観客に降り注いだ。

「危ないっ!」

 影のように飛び込んだのは副団長エルヴェ。
 赤い外套を翻し、剣を一閃させて炎を裂いた。
 散った火花が舞い、彼は笑みを浮かべる。

「……まったく、派手にやらかすもんだな」

 その明るさの奥に、鋭い鍛錬の匂いがあった。
 エリザベスは彼を見つめ、心の内で呟く。

(軽く見えて本質は違う。鍛え抜かれた即応力ね)

 やがて火は収束し、団長ライナルトが深々と頭を垂れた。

「無様を晒しました。――これが、我らが軍の現実にございます」

 その震える声に観客は沈黙する。

 カルロス殿下が立ち上がった。

「恥じることはない」

 その声は凛と響き渡る。

「軍の力は、鍛えれば増す。だが今ここで示されたのは――鍛え続ける意志だ。
 それこそが我が国の誇りであり、未来を築く礎である!」

 喝采が起こる。恐怖は消え、貴族たちの顔には団結の色が浮かんでいた。

 カルロスはエリザベスの手を取る。

「人魚姫よ。あなたもまた、この国の未来を見届ける証人となってくれるだろうか」

 胸が熱を帯びる。
 エリザベスは一礼し、静かに答えた。

「――ええ。殿下の国が誇りを忘れず歩み続ける限り、必ず」

 拍手が広がる中、エリザベスは視線を遠くへ向けた。
 群衆の影に、俯き、拳を震わせる一人の青年。

 アナスタシアの従者――ヴィクトール。
 何も出来なかった己を悔やみ、唇を噛みしめていた。






 軍事演習の余韻が、まだ王都の空気に残っていた。
 夕暮れの陽が海辺を朱に染める中、エリザベスは医療団の任務を終えたエドワードと並んで歩いていた。

「火傷の処置が多かったな。だが思ったより重傷は出なかった。団長がよく収めてくれた」

「本当に……あの混乱の中で犠牲者が出なかったのは奇跡ですわ」

 他愛もない会話。
 けれど、そんな穏やかな時間のはずが――周囲の視線が、妙に突き刺さってくるのに気付く。

 行き交う騎士たちが、ちらちらとこちらを見ては囁いている。
 その中心にいるのは、もちろん“人魚姫”と呼ばれる彼女だった。

「……やはり、君は人の目を惹く」

 低く呟いたエドワードの声に、エリザベスは小さく瞬きをした。

「まあ……軍事演習という晴れの場ですもの。珍しさも手伝って、少し目を惹いたのでしょう」

 軽く笑って受け流そうとしたその言葉が――彼の胸に火をつけた。

 瞬間、硬い壁が背に迫る。
 どん、と音を立てて、エドワードの腕が彼女の肩を囲い込む。
 氷のように冴えた瞳が、わずかに熱を帯びていた。

「……先ほどの副団長。君に目をつけていたな」

「……目が合っただけですわ」

「それが気に入らない」

 低く囁かれる声は、嫉妬を隠そうともしない。
 だがその声音には、荒れ狂う激情ではなく、鋭い独占欲が滲んでいた。

「カルロス殿下の振る舞いもそうだ。騎士たちの前で、まるで君が婚約者であるかのように扱った」

「……」

 エリザベスは言葉を詰まらせた。
 カルロスにはすでに婚約者候補がいる。だが、それを今ここで明かすわけにはいかない。
 否定すれば、余計にややこしくなるだけ。だから――流そうとした、その瞬間。

「……私にも、そんな顔をするのか?」

 低く押し殺した声と共に、彼の指が彼女の顎を強引に上げさせる。
 次いで、熱のこもった唇が首筋に触れた。

「っ――」

 痕を残すように、吸い付く痛み。
 エリザベスの心臓が跳ね上がる。

(だめ……ここは騎士団のすぐ近く。誰かに見られたら……!)

 必死に手で彼の胸を押し返す。

「やめてください、エドワード!」

 強い拒絶の声が、夕暮れの浜辺に鋭く響いた。

 彼の動きが止まる。
 沈黙の中で、蒼の瞳が揺れた。だが次の瞬間には、それを覆い隠すように静かな冷気を纏う。

「……君の立場を考えられなかった。すまない」

 短い言葉。それは、怒りでも拗ねでもなく――彼なりの誠実な後退だった。

「…………こんな場で、わたくしの立場も考えてくださいまし」

 彼の眉間に皺が刻まれる。
 エリザベスの声も、知らず強まっていた。

 ――二人が初めて真正面から衝突した瞬間だった。

 エドワードは、いつもなら即座に言葉で反論するはずだった。けれど、今は違う。
 彼の腕が、すっと壁から離れる。

「……分かった」

 低く短い声。その響きには怒りも、甘さも、なかった。
 ただ、鋭く切り捨てるように。

 エリザベスの胸は締め付けられるように苦しい。
 その場に立ち続けることができず、彼の腕を振り払い、一歩後ずさる。

「……わたくし、これ以上は……失礼いたします」

 きびすを返し、エリザベスは足早にその場を立ち去った。
 残されたエドワードは動かず、ただその背中を無言で見送る。

 やがて、脇から低く笑う声が響いた。

「……おいおい、侯爵閣下」

 現れたのはカルロス殿下だった。
 兄のような笑みを浮かべ、エドワードの肩を軽く叩く。

「珍しいものを見せてもらったよ。滅多に見られない顔だ。だけど、女を壁に追い詰めて縋るのは、あまりに青い。君ほどの男なら、堂々と奪いに行きなよ」

「……余計なお世話だ」

 吐き捨てるように答えながらも、エドワードの瞳には悔恨の影が残っていた。


 一方その頃。
 エリザベスのもとに、アナスタシア姫が静かに歩み寄っていた。

「……侯爵にも、あのような一面があるのですね」

 蒼い瞳が驚きと好奇を帯びる。

「愛されていますわ。とても」

「そんなことはありません」

 エリザベスは即座に否定する。

「わたくしたちは政略的な婚約を結んでいるに過ぎません」

 だがアナスタシアは首を振り、薄く微笑んだ。

「そうでしょうか。……わたくしには、そうは見えませんでした」

 その言葉が、エリザベスの胸に小さな棘のように残った。
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