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光を得た夜、牙を隠した獣の国
しおりを挟む夜が静まり返り、月の光がカーテン越しに差し込む。
ベッドの上、エドワードは眠るエリザベスの髪をそっと指で梳いた。
その寝顔は、柔らかな光に包まれたようで、彼の胸の奥を静かに満たしていく。
───やりすぎた。
あの痕、三回は彼女の中に精を注いだ。小さく限界を主張する彼女の声ですら心地良くて、腰を振ってしまった。
彼女の身体中、赤痕が残っている。
そして自分の背中にも、彼女とは違う痕が残っている。
けれどそれは痛みではなく、互いの存在を確かめた証のように見えた。
エドワードはそっとタオルを取り、汗ばんだ彼女の頬を拭った。
さすがに侍女を呼ぶことはできない。
この姿を他の誰かに見せるなど、エドワードには到底できるはずがなかった。
(ようやく手に入れた。これでもう、彼女は“俺”のものだ)
けれどその独占の想いの奥にあるのは、愛というより“祈り”だった。
華やかな世界から一転し、誰にも理解されずに追放された彼女。
それでも気高く、決して折れなかった背筋。
まるで――荒波に咲く一輪の百合のようだった。
彼女を手折る資格があるとすれば、それはこの手だけ。
そう、ずっと昔から決まっていた。
彼の記憶は自然と、幼き日のあの日へと遡っていく。
◆
離宮で暮らしていた幼いエドワード。
母を亡くし、誰からも顧みられず、ただ王族という名だけが鎖のように重くのしかかっていた。
そんなある日、外の道を通る馬車に気づいた。
馬車から降り立ったのは、若き宰相と、美しい女性――そして、その手に導かれた少女。
ふわふわの髪に、花びらのような微笑。
彼女が身にまとう青い、海を連想させるドレス。
彼女が両親に向けて笑うその瞬間、少年の心臓が大きく跳ねた。
「……人魚がいる」
その言葉が、思わず口をついて出た。
「?」
「!」
見過ぎたせいか、人魚がこちらへ視線を向けた。ドキリと胸が鳴り、思わず逃げるように窓から身を隠した。
「あの子は誰?」
侍女が言った。
「宰相様のご息女、エリザベス・エリクセン様ですよ」
それが、すべての始まりだった。
「エリザベス……エリクセン……」
その日から、世界が変わった。
閉ざされていた彼の心に、再び鼓動が生まれた。
思えば、母を失ってから止まっていた気がする。久々の感覚に胸が苦しいほどだった。
「人魚姫……。え」
そして同時に――彼の中で眠っていた光魔法が覚醒した。
ひとりぼっちの空間に、溢れ出る光の魔力。
「これって、もしかして……」
王族だけが継承している属性“光”。何代も前から失われつつある力、現国王ですら所持していない王位継承権の現れ。
「ウィリアムだって、無い……」
正妃の息子、腹違いの兄だって無い力。
それが己にある。
「この力があれば、人魚姫と結婚できるかも……!」
暗闇の中に差す、一筋の光と希望。生きる目的。
それがエリザベスだった。
それからエドワードの孤独な努力が始まった。
素質があれど、使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。
妾の息子であるエドワードに、優しくする侍女や従者はここには居ない。
正確にはいた。だが、彼ら彼女らはいつの間にか解雇されていたのだ。
どうやら、正妃派の侍女が正妃に報告して、正妃が解雇していたらしい。
正妃はエドワードを嫌っているからだ。
つまり、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる侍女も、身の安全を守る護衛もエドワードにはいないのだから、これは逆に都合が良かった。
「ねえ、光魔法が使えれば、父上も母上も僕のことを認めてくれるかな?」
「……はっ、エドワード様が光魔法を? 天と地がひっくり返ろうともそれはあり得ません」
「そんなの、やってみなくては分からないよ。光魔法に関する本を持ってきてよ」
「……それで大人しくなるのなら」
敢えて、無能が親に認められようと努力する無様な様を見せる。そうすれば、どれだけ資料を求めても違和感はないだろう。
夜、侍女たちが居なくなった頃、エドワードは光魔法の練習を始めた。
だが、それだけでは人魚姫を娶るのに足りない。
剣の訓練も始めた。
「私も騎士になったら、王城へ行けるだろうか」
「さあ? 無理じゃないですか。だって貴方様は」
王妃陛下に嫌われてますから。
皆まで言わなくても理解している。
「やってみなくてはわからないだろ」
そう言って、騎士達に剣を振わせた。
この全ては人魚姫を娶るため。
光魔法が覚醒したことは、誰にも知られてはならない秘密。
バレれば、明日がどうなるか分からなかったからだ。
「どうせ、殺されるか利用されるかのどちらかだろうけどね」
この頃には、エドワードの心に“憎悪”の種が撒かれていた。
そうして月日が流れ、光魔法を我が力として駆使出来るようになった頃、エドワードの耳に最悪の情報が流れ込んできた。
第一王子ウィリアムとエリクセン公爵令嬢の婚約が成立した。と。
絶望で目の前が真っ暗になった。それと同時に、足踏みしていた自分に腹が立った。
「くそ、遅すぎたか」
ならば仕方がない。
この力を見せつけて、王位継承権を手に入れ、正式に彼女を伴侶として迎え入れよう。
「おい」
「“おい”? 生意気、っひ!?」
「国王陛下へ謁見の取次をしろ。大至急だ」
その時の侍女の表情たるや、腹を抱えてしまった。いつも偉そうに踏ん反り返っていた女が、魔力放出をした瞬間、足を震わせ、尻尾を巻いて逃げたのだから。
「初めからこうすれば良かったのか。───あれは」
この偶然は神の悪戯か、それとも魔神の采配か。王庭で足首を痛めた人魚姫が涙を滲ませていた。
きっとダンスの特訓をしたのだろう。
ひどく腫れた足首を摩っては、涙を流しては王太子妃失格だと、唇が動いている。
「……行こう」
王庭の片隅で、涙を滲ませたエリザベスの姿を見つけた瞬間、エドワードは迷わず駆け寄った。
「……大丈夫か?」
「エ、エドワード様……?」
エリザベスは驚いたように顔を上げた。
その足首は腫れ上がり、靴を脱ぐことすら辛そうだった。
周囲には誰もいない。王太子妃としての立場がある彼女に、誰も軽々しく手を貸すことができないのだ。
「足、痛いんだろう?」
エドワードは手を翳した。
掌の上に、柔らかな光が生まれる。
温もりが空気に溶けるように広がり、彼女の足を包み込んだ。
「……これは、光魔法?」
返事は笑顔を返すだけにした。否定にも肯定にも取れるその返事に、聡明な彼女は唇を噛み、静かに頷いた。
その瞳が――あの頃と同じ優しい色をしていた。
彼はそれだけで満たされてしまった。
だが、それが最後の安らぎになるとは思いもしなかった。
◆
謁見の申し出は、すぐに王妃の耳へ届いた。
光魔法を使ったこと、王庭で“彼女”を癒したこと、そしてその力が正妃の息子ウィリアムに脅威をもたらす可能性。
それらが誇張され、歪められ、王妃の怒りを燃え上がらせた。
「……あの子を、拘束なさい」
それは命令だった。
その夜、エドワードは兵に囲まれ、反逆罪の容疑で連行された。
「俺が、反逆だと? ……笑わせるな」
牢の中。
手足を縛られたまま、彼は暗い天井を見上げた。
国王の署名入りの処刑命令書が読み上げられる。
その裏にあるのが王妃の指示であることなど、わざわざ説明されるまでもない。
それでも、王妃の冷たい瞳は彼の脳裏に焼きついて離れなかった。
「光を“呪い”と呼ぶのか……。なら、俺はその呪いでこの国を照らしてやる」
縄が焦げる音がした。
光の魔力が静かに迸り、鎖を焼き切る。
手が自由になると同時に、彼の中に積もっていた何かが――音を立てて崩れた。
代わりに芽吹いたのは、憎悪と執着。
「ウィリアム、王妃……そして、すべてを奪ったこの国も」
牢の扉が光に焼かれ、夜風が吹き込む。
彼は一歩、また一歩と歩き出した。
もう、戻る場所などどこにもない。
◆
小舟で荒れた海を越えながら、エドワードは考え続けた。
――この国の“光”とは何なのか。
王族が代々失い続けた光魔法。代わりに召喚に頼り続けた“聖女”。
かつて語られた伝説が脳裏をよぎる。
祖母が聖女として召喚され、この地に降り立った。
その血が自分に受け継がれているのだとしたら――
光の継承者は、もはや王ではなく、自分なのかもしれない。
「……皮肉だな。呪い扱いされる力が、この国の唯一の救いだとは」
やがて、彼の口元に笑みが浮かぶ。
冷たく、静かな、決意の笑みだった。
「王妃はまた聖女召喚を行うだろう。今度こそ成功させたいと血眼になって……」
ならば――そこに、手を貸してやればいい。
自分の光魔力を注げば、召喚は必ず成功する。
そして、聖女が現れた時、王妃は邪魔者を排除するはずだ。
“エリザベス”――あの人魚姫という完璧な標的を。
「そうなれば……あの人魚姫は、俺の元へ堕ちてくる」
その声にはもはや、哀しみも迷いもなかった。
光と闇が入り混じる瞳が、水平線を見据える。
「小国ルシエンテス……か。牙を隠した獣の国。そこから全てを始めよう」
夜の海に、ひとすじの光が走った。
それはかつて聖なる力と呼ばれた輝き。
今や、ひとりの男の復讐の灯であった。
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