海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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白金の花嫁、碧の影

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 その荘厳なる入場の余韻を、聖堂はしばし飲み込んでいた。
 人々がようやく我に返ったのは、扉が完全に閉じ、陽光が途切れた瞬間だった。

 最初にざわめきを発したのは、リンドブルグ王国の貴族たちだ。
 白金の光を纏うヴァルメア侯爵夫人――その横顔を見た途端、息を詰まらせる。

「まさか……あれは、エリクセン公爵令嬢では……?」

「いや、ありえぬ。あの方は断罪され、国外追放になったはず――」

「だが、見間違えるものか。あの立ち居振る舞い、目の光……間違いない」

 ざわつきは瞬く間に広がり、貴婦人たちが扇を握りしめる音があちこちで響く。
 だが、やがて彼らの表情は次第に変わっていった。
 驚愕から、戸惑い、そして――都合の良い笑みに。

「なるほど……そうか。あれは“他国の夫人”などではなく、“祖国へ戻ってきた娘”ということだ」

「まさしく。我が国を愛し、再びこの地を“赦した”のだろう」

「王家に反した過去を水に流し、今は属国に貢献している。なんと健気なことか」

 まるで自分たちの寛容さを誇示するかのように、言葉が並ぶ。
 ――それが、彼らの“解釈”だった。
 失われた誇りを繕うための、薄っぺらな赦し。

 しかし、周辺諸国の代表たちの反応はまるで違っていた。
 彼らは目を見開き、やがて深く頷く。

「やはり、ヴァルメア侯爵夫人はエリクセンの令嬢であったか……」

「噂は真実だった。ルシエンテス王国の繁栄の裏には、彼女の采配があったのだ」

「我が国も取引の道を開こう。彼女と手を結ばぬ国は、やがて取り残される」

 その眼差しは野心と敬意を帯びていた。
 “有能な夫人”――その評価は確信に変わり、各国の使節たちは密やかに動き出す。
 静かな外交戦が、この瞬間から幕を開けたのだった。





 やがて、聖職者の声が再び響く。

「――これより、新郎新婦の入場です」

 扉が開かれる。
 人々の視線が再び、王家の花道へと注がれた。
 純白の花弁が舞い、金糸の垂れ幕が揺れる。

 新郎・ウィリアム王子は緊張と誇りを湛えた顔で、ゆっくりと歩み出る。
 その隣には、聖女エリカ。
 象牙色のヴェールに包まれたその姿は、神々しくも儚い。
 ――だが、不思議なことに。
 その神聖さは、先ほど入場したヴァルメア夫妻の光の残滓に、かき消されていた。

 誰かが小さく手を打つ。
 それを皮切りに、祝福の拍手が聖堂を満たしていく――はずだった。

 ……けれど、その音はどこかまばらだった。
 響きは薄く、波のように散っていく。
 まるで人々の心が、そこに集中していないかのように。

 ウィリアムは戸惑った。
 眉をひそめ、周囲を見渡す。
 隣の聖女エリカも、次第に不安の色を浮かべていく。
 祝福のはずの場が、どこか寒々しく感じられた。

 ――そのとき。
 ウィリアムの視線が、一人の女性を捉えた。

 白金と碧の光を纏い、静かに佇む彼女。
 民衆の視線を一身に受けながらも、怯むことなく、ただ真っ直ぐにこちらを見つめ返す。
 エリザベス・ヴァルメア侯爵夫人。

 その名を、王子の胸が思い出した。
 彼の唇が自然と動く。

「――エリザベス!」

 その声は、聖堂の静寂を切り裂いた。
 会衆のざわめきが、一斉に波立つ。
 振り返る者、息を呑む者、そして固まる者。
 王都の民は知らぬ。かつてこの名が、王国の最も醜い断罪の象徴として囁かれていたことを。

 だが呼ばれた本人――エリザベスは、眉ひとつ動かさなかった。
 静かに視線を向けただけで、微笑すらしない。

 その沈黙の中、ウィリアムは一歩踏み出した。
 胸の奥から、久方ぶりの安堵が溢れる。

「無事で……よかった!」

 ――その言葉が放たれた瞬間。
 空気が凍りついた。

 聖女エリカが小さく振り向き、目を見開く。
 唇が震え、かすれた声が漏れた。

「どうして……」

 聖女エリカの頬が強張る。
 その隣でエドワードが、わずかに眉を上げた。
 そしてエリザベスは、ゆっくりと瞼を伏せる。

 ――この人は何を言っているのだろう。

 彼は、己の行いを覚えていないのだろうか。
 あの日、自らの手で「断罪」を宣告した口で。
 彼女を罪人に貶め、民の嘲りの中へ突き落としたその声で。
 いまさら、何を――。

 聖堂の空気が震える。祝福の鐘の音が、再び鳴り響く。
 だがその音はもはや、祝福ではなかった。
 ――崩れゆく王国の、始まりの鐘だった。

「ウィリアム!」

 新婦が今日一番幸せな彼女が、怒りと羞恥の色を滲ませ新郎の名を叫ぶ。
 腕を引き、行かせまいとする。
 ウィリアムは戸惑い、周囲の視線に気づく。
 誰もが彼を見ていた――しかし、それは敬意でも羨望でもなく、痛ましげな哀れみ。

 ウィリアムとエリザベスの視線が、ふと絡んだ。
 その瞬間、時が止まる。
 かつて互いを“婚約者”と呼んだ者たちの間に、かすかな風が通り抜ける。

 だが――その沈黙を最初に破ったのは、エリザベスだった。

 彼女はゆっくりと、裾を摘み上げ、完璧な淑女の礼をした。
 動作の一つひとつが流麗で、まるで舞のよう。
 姿勢は凛と、微笑は静謐。そこには“感情”も“未練”もない。
 ただ――純粋な礼儀と、気品のみがあった。

 「……ほお」

 「久方ぶりに見ましたな……あの礼を」

 周囲から、感嘆の息が漏れる。
 誰もがその洗練された所作に、心を奪われた。王城の空気が、一瞬にして“彼女の舞台”へと変わる。

 だが、ウィリアムだけは違った。
 隣で、何百回も見てきた礼――その懐かしい動きを、今は“正面から”受けることになる違和感。
 まるで、自分の知らぬ誰かへ向けられたようで。胸の奥に、奇妙なざわめきが広がった。

 エリザベスが礼を終えると、隣にいたエドワードが静かに一歩前へ出た。
 胸に手を当て、目線を下げる。その所作はまるで舞台の一幕のように洗練されており、微笑んだその瞬間、聖女エリカですら頬を染めた。

 「ルシエンテス王国より参りました。ヴァルメア侯爵、エドワードと申します」

 低く、よく通る声。その一言に、周囲が息を呑む。

 「妻のエリザベスでございます。此度はご結婚、誠におめでとうございます」

 ――妻。
 その言葉に、ウィリアムの表情が露骨に曇った。唇が震える。信じられないという色が、そのまま瞳に宿る。

 「……妻、だと?」

 かすれた声。
 まるで、自分が見た夢が壊れていくように。

 ――男というものは、過去の女が今も自分を想っていると錯覚する生き物だ。
 それが、どんな愚かな幻想であれ。

 「エリザベス! 君は、僕という男がいながら――別の男と、結婚したというのか!」

 その言葉に、空気が震えた。
 歓声でも、驚愕でもない。
 ただ静かに、呆れが満ちていく。

 笑顔――だが、目がまったく笑っていない。
 エドワードがエリザベスの前へ一歩出た。まるで護るように。まるで“所有”を示すように。

 「新郎である王子が――」

 静かな声が、聖堂を切り裂いた。

 「新婦の前で、別の女性を。それも既婚の身を、呼び捨てにされるのはいかがなものかと」

 「っ……!」

 ぎくり、とウィリアムが固まる。
 慌ててエリカの方を振り返ると、そこにあったのは――“祝福”などではなかった。聖女の顔が怒りと嫉妬に歪み、目には憎悪の炎が宿っていた。

 「……ヴァルメア侯爵!」

 絞り出すような声。だが、その声音には焦りが混じる。

 会話の途切れを察したかのように、周辺諸国の代表たちが次々に立ち上がる。
 互いに視線を交わし、次の瞬間には――エドワードとエリザベスの周囲を取り囲んだ。

 「お初にお目にかかります、侯爵閣下!」

 「本日ようやく、ご挨拶が叶いました!」

 「我が国ともぜひ、交易のお話を!」

 その場がまるで“祝賀の中心”であるかのように沸き立つ。
 新郎新婦ではなく、ルシエンテスの貴族を祝福する声が響く。エドワードは微笑み、エリザベスは優雅に受け答える。

 ――この瞬間、誰もが悟った。
 本日の主役は、もはや王子と聖女ではない。
 世界が注目するのは、ヴァルメア侯爵夫妻。新しき秩序の象徴である。

 壇上の聖女は、震える指で自らの唇を噛んだ。
 爪が白く、血の気を失うほどに。

 「……なによ……死んだはずじゃなかったの。話が……違うじゃない……」

 囁きは誰にも届かぬほど小さかったが、
 その怨嗟の声が、確かに“終焉”の鐘に混じって響いた。




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