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断罪の鐘は、偽りの王国に鳴る
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厳かな鐘の音が、再び聖堂に響いた。
静寂が戻り、神父が次の名を告げる。
「――王妃陛下のご入場でございます」
その瞬間、空気が微かにざわめいた。
光差す中央の道が開かれ、上段の回廊から王妃が姿を現す。
絹を幾重にも重ねた黄金のドレス。首には宝石を惜しげもなく散りばめ、裾には白薔薇の刺繍。その豪奢さはまるで「王家の威信そのもの」を誇示するようだった。
だが――その場にいた誰もが、同じ違和感を覚える。
なぜ主役である新郎新婦の後に王妃が入場するのか。
それは礼式にも、王家の慣例にもない。
まるで自らを“世界の中心”に据えるかのような振る舞い。王妃自身が、今日という日を「自らの晴れ舞台」と勘違いしていることを、誰もが悟った。
エリザベスは静かに視線を伏せた。
表情には出さぬものの、その胸中に浮かぶのは――明確な嫌悪。
(……あの頃と、何も変わらない)
かつて、王家の会議で彼女が理路整然と提案した案を“女の分際で”と一蹴した女。
国の財政が傾いているにもかかわらず、宝飾と祭典に莫大な予算を注ぎ込んだ女。
民の声を“雑音”と呼んだ女――あのリンドブルグ王妃。
今もなお、王座に居座っている。
(その傲慢が、いずれこの国を滅ぼすわ)
嫌悪感を抱いたのは、エリザベスだけではなかった。
周囲の来賓たちが、露骨に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。とくに周辺諸国の使節たちは、互いに目を合わせ、小さく肩をすくめた。
「……やはり交易を切って正解だったな」
「独りよがりが過ぎる。あれでは国がもたぬ」
「ルシエンテス王国の興隆も納得だ……」
その小声の波が、礼拝堂のあちこちに広がっていく。祝福の場はいつしか冷ややかな潮流に変わりつつあった。
王妃はその空気を知らぬまま、ゆっくりと階段を降りてくる。その表情は自信と誇りに満ちていた。まるで、この国の光と栄華をその身に宿しているかのように。
(そう、今日は――あのヴァルメア侯爵夫妻がやってくる日)
王妃の心は、陶酔に染まっていた。
社交界の頂点に立つ存在が、このリンドブルグの王城に姿を見せる。他国の誰もが果たせなかったことを、わたくしは成し遂げたのだと。
――この功績こそ、わたくしの力の証。
この国はまだ、王妃であるわたくしが導いているのだ。
王妃の足取りはゆるぎなく、一段一段、音を立てながら降りてくる。黄金の裾が引きずるたび、陽光が反射し、眩い輝きを放つ。それはまるで、黄昏に沈みゆく太陽の最後の光のようだった。
やがて、王妃は高座に到着し、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。
その瞬間、彼女は満足げに微笑む。
(さて……どんな者かしら。話題のヴァルメア侯爵夫妻というのは)
周囲をゆっくりと見渡す。
豪奢な宝石の瞳が、観衆の海を掬うように。
そして――すぐに見つけた。
人だかりができている。
その中心に、碧と白金の輝きを纏う二つの影。優雅な微笑を湛え、民と語らう姿。
その周囲には周辺諸国の代表たちが集まり、まるで王族のように彼らへ挨拶をしていた。
――あれが、ヴァルメア侯爵夫妻。
王妃の唇がわずかに歪む。
「ふふ……やはり噂どおり、注目の的ね」
式が終わるころ、自ら声をかけてやろう。
王妃からの言葉――それは何よりの栄誉であるはず。
“光栄に思いなさい”と、心の中で勝手に祝福を与える。
ほくそ笑みながら、王妃は玉座の背にもたれた。
その姿はまるで、王国そのものを私物化した女王のようだった。
王妃は玉座に腰を下ろし、冷ややかに微笑んでいた。
その唇が、ふと小さく動く。
「……早く、その顔を見せなさい」
小さくとも、確かに響いた声だった。
それは命令の響きを帯び、まるで神の声でもあるかのように高慢だった。
ヴァルメア侯爵夫妻の周囲には、いまだに人の輪が絶えなかった。各国の使節たちが次々に挨拶を交わし、会話と笑みが途切れない。
だが、やがて潮のように人が引いていき――ふたりが、王妃へと向き直った。
その瞬間、王妃の瞳が見開かれる。
「――エリ……!!」
途中で、声が喉に詰まった。
扇子を震わせ、吐き出す息が震える。
(な、なぜあの女がここに……!? 何故、生きているの……!?)
喉の奥で言葉が焼けた。
数年前、確かに彼女に“流刑”を命じた。あの冷たい牢の奥で、二度と陽を浴びることはないはずだった。
それが――この光に満ちた場で、何事もなかったかのように立っている。
白金の髪、碧の瞳、そしてかつてよりも遥かに気高い気配。
その隣には――エリザベスの腰に、自然に手を回す男。その姿を見た瞬間、王妃の背筋を氷が駆け抜けた。
(あの髪……その眼差し……既視感がある……)
優美でありながら、どこか恐ろしく威厳を帯びた立ち姿。
王家にしか持ち得ぬ風格。
そして、その微笑――
「……ま、さか……」
男が、ゆっくりと笑んだ。
その笑みには静かな余裕があり、まるで“勝利の証”を見せつけるかのようだった。
エドワード・ヴァルメア侯爵。
リンドブルグが切り捨て、ルシエンテスが拾い上げた“かつての王子”。
王妃の脳裏に、かつての悪夢が蘇る。
あの女の息子――国王陛下の寵愛を一身に受けた女。
そして、その女の子として生まれた男。
“聖なる力”を持って生まれ、王太子ウィリアムに与えられるはずだった“神授の光”を奪ったと、王妃が叫んだあの日。
「……エドワード……!」
扇子越しに、王妃は歯を噛みしめた。ドレスの下で、膝が細かく震える。
この瞬間――彼女の王国の崩壊が、確かに始まっていた。
「――これより、婚姻の儀を執り行います」
神父の声が、荘厳に響いた。
黄金の光が差し、花弁が舞う。民衆は静まり返り、ウィリアムと聖女エリカが壇上に立つ。
神父が聖書を掲げ、朗々と読み上げた。
「ウィリアム・リンドブルグ王子。
汝はこの聖なる契りのもと、民を導き、聖女と共にこの国を護ることを誓うか」
ウィリアムは、わずかに間を置いた。
その視線は、壇下――人々の中に佇む“彼女”を追っていた。
白金の髪、そして凛とした横顔。
目が合うことはなかったが、ウィリアムの心はその影から離れない。
エリザベス。
かつての婚約者。
その面影が、胸の奥を締めつけた。
「……誓います」
ようやく絞り出した声には、かすかな迷いが滲んでいた。
神父は次に聖女へと向き直る。
「聖女エリカ・フローレンス。汝はこの聖なる契りのもと、王子を支え、国母として民を導くことを誓うか」
しかし、返答はなかった。
沈黙が場を支配する。
ざわ……ざわ……
人々が小声で囁きあう。
壇上のウィリアムが焦ったように振り向いた。
「……エ、エリカ?」
呼びかけに、聖女ははっとして顔を上げた。
「……ち、誓います!」
慌てて声を上げるが、その響きは震えていた。
誰の目にも明らかだった――彼女の心が乱れていることが。
そして――その瞬間。
「……おや」
澄んだ低音が、静寂を切り裂いた。
壇下。
ヴァルメア侯爵、エドワードが一歩前へ出た。
「神父殿。――少々、よろしいか」
会場の空気が一瞬で張り詰める。
神父が戸惑い、ウィリアムが顔をしかめた。
聖女の指先が、震えていた。
「この契りに、疑いがあるように見受けられまして。誓いとは“真実”を以って成るもの。偽りの上には、神の加護は降りません」
エドワードの声は穏やかだが、底冷えするほどの威圧を孕んでいた。
「……何の真似だ、ヴァルメア侯爵!」
ウィリアムが叫ぶ。
だが、その声は民衆の波に呑まれ、震えた。
「真似、ですと? いえ――」
エドワードはゆっくりと聖女を見た。
その瞳はまるで氷のように冷たく、美しかった。
「あなたがその“聖なる力”を得た経緯を、もう一度お聞きしたいだけです」
「……っ!」
聖女エリカの顔から、血の気が引いた。
聖堂の空気が、氷のように冷えた。
壇上の神父が凍りついたように動けず、ウィリアムは眉をひそめながらも声を失っていた。
誰もが、ヴァルメア侯爵の言葉の続きを待っている。
「誓いを立てられるのであれば――その前にお聞きしたいことがあるのです」
エドワードの声は低く、しかし確実に響き渡った。
静寂が聖堂を包み、花弁が空中で静止したかのように思えた。
「何故、リンドブルグの王妃陛下が、我が医療団の“薬”を求められたのか」
その言葉に、ざわめきが走る。
王妃の背筋がびくりと震え、扇子を握る手に力がこもった。
だが、エドワードは淡々と続ける。
「しかも――“昏睡状態の人間に効く薬”を製薬せよとのご依頼。そして、その後速やかに“製造記録を抹消せよ”との通達。いやはや、驚きましたよ。このような要望が大国リンドブルグで通ると、本気でお思いだったのかと」
「……貴様!」
玉座の上で、王妃が立ち上がった。扇子がパキリと音を立てて折れる。
「貴様、それ以上の発言は許さぬッ!」
だが、エドワードは一歩も退かない。
その目には、静かな嘲笑が宿っていた。
「おや? “それ以上”とは……。つまり、身に覚えがあると仰るのですね」
「っ――!」
その一言で、王妃の顔から血の気が引いた。
会場全体がざわめき出す。
「なんだそれは……」
「薬を求めただけでなく、証拠を残すなと?」
「聖女がいるというのに、昏睡患者に薬を……まさか……」
誰かの言葉が、次々と波紋のように広がる。貴族たちはざわめき、外交使節団の間では明確な動揺が走った。
王妃はその視線を避けるように扇子で顔を隠すが、その震えは止まらない。
エドワードは続けた。
静かに、しかし一言一句を神の審判のように響かせながら。
「そちらにおられる“聖女様”のお力を上回る薬など、この世に存在するのだろうか? ――答えは否、です。聖女の扱う光魔法は最上位の治癒力。薬はあくまで、その恩恵を受けられぬ者への補助。なのに、なぜ“昏睡状態に陥った者”を救わぬのです?」
聖女エリカの肩がびくりと震えた。その顔は青ざめ、唇が小刻みに動いている。
ウィリアムが横目で彼女を見るが、彼女は目を合わせようとしなかった。
エドワードはその光景を確認し、わずかに瞳を細める。
そして――決定的な言葉を放つ。
「私は思うのです。リンドブルグでいまだ床に伏しておられる方々を――我が愛妻の御父上、エリクセン公爵を助けないのは、“聖女様にその御力がないからではないか”と」
会場が、一瞬にして静まり返る。風の音さえ消えた。その沈黙の中で、王妃の目が絶望に染まっていく。
エリザベスは微動だにせず、ただ冷たい瞳でその光景を見ていた。
「ゆえに、今ここで――明らかにしていただきたい」
エドワードの声が、聖堂全体に響き渡る。
その声には怒りではなく、圧倒的な威厳と、天の秤のような正義が宿っていた。
「その“聖なる力”が、本当にあなたに与えられたものなのか。――それとも、“私の兄”のように、無力なのかと」
その言葉が落ちた瞬間、
聖堂にいた全員の息が止まった。
神父が聖書を落とし、床に響く乾いた音が、やけに大きく感じられる。
王妃は怒りを隠すことをやめたのか隠しきれなかったのか、憎悪を明らかにした。
「貴様、やはり!!」
民衆の中からどよめきが広がっていく。
「兄?」
「待て、たしかリンドブルグには二人の王子がいたはず」
「だがその王子は病で他界されたと聞いたが」
「私は王家を汚した反逆者と聞いたが」
そのざわめきが渦を巻き、聖堂の中で波のように広がった。
ウィリアムが蒼白な顔で立ち上がる。
「お前……まさか……!」
エドワードは、ゆっくりと笑った。
それは挑発でも嘲りでもない。
ただ、王家の血を継ぐ者としての宣告の笑みだった。
「――エドワード・フォン・リンドブルグ。
現王陛下の第二子にして、“忌み子”と呼ばれた者。
いま、この場にて――偽りの王国の罪を問う。」
雷鳴のようなざわめきが爆ぜた。
貴族たちが立ち上がり、聖女は膝から崩れ落ちた。
王妃は立ち上がることすらできず、扇子を握りしめたまま震えている。
「神父殿」
エドワードは一歩前に出る。
「この婚姻に、神の御加護があるというのなら――なぜ、聖女は沈黙したのです?」
誰も答えなかった。
誰も、息をしていなかった。
そして、鐘が鳴る。
祝福ではなく、断罪の鐘として。
エドワードは振り返らずに言い放った。
「――“光”を欺き、“神”を騙った者たちよ。今日、この聖堂が――あなた方の墓標となる」
エドワードの声が静寂を裂く。
だが、次の瞬間。
「ふざけるなああああああッ!!」
甲高い絶叫が響いた。
王妃が勢いよく立ち上がり、背後の玉座を倒した。金と宝石の装飾が床に砕け、乾いた音を立てる。その音が、彼女の崩れゆく威厳の象徴のようだった。
「黙っていれば調子に乗りおって!!!」
王妃の顔は怒りと恐怖で歪み、紅い唇が裂けるほど叫ぶ。
「我が国の第二王子は呪いの力を宿した忌み子! 神の裁きが下ったのだ! ゆえに、そなたのような者が“本物”であるはずがない! ――偽物めが!!」
扇子を投げ捨て、指を突きつける。
「この男を捕らえよ!! 偽王子の名を語る逆賊を、今すぐに!!!」
だが――誰も、動かない。
近衛の騎士たちは互いに顔を見合わせ、足が竦んでいた。
「に、第二王子……?」
「殿下の……弟君……?」
誰もが混乱し、誰もが動けなかった。
その沈黙の中、エドワードの瞳がぎらりと光った。それは、怒りというより――長年封じていた“魂の炎”の解放。
「……お前は、俺を“息子”と言うのか」
静かな声だった。
だが、その一語に含まれた冷気に、王妃は思わず身をすくめる。
「母を亡くしてから、俺を離宮に閉じ込め――登城すら許さなかった。誰も会わせず、誰も信じず、俺の存在を消し去ったお前が、いまさら“母”を名乗るか。」
「くっ……!」
「ふざけるな」
その言葉は、刃のように冷たく、容赦がなかった。王妃の体がびくりと震える。
その瞬間――横からウィリアムの声が割り込む。
「エドワード……」
その声は低く、しかしどこか薄ら笑いを含んでいた。
「そんなに、私が“光”に選ばれたのが悔しいのか?」
エドワードの表情が一瞬で凍りつく。
(……何を言っている? この期に及んで)
ウィリアムは胸を張り、聖女を庇うように前に出た。
「そうか……悔しいよな。誰にも見向きもされず、ただ耐えるしかなかった日々。辛かったろう。兄として、気付いてやれなかったことを……すまない。」
その台詞の空虚さに、聖堂全体がざわめく。
慰めのような声の中に滲むのは、嘲りと自己陶酔。
エドワードは黙っていた。
だが、その沈黙の奥底に、怒りの音がきしむ。
ウィリアムは続ける。
「私を超えたくて、元婚約者であるエリザベスを娶ったのか? まさかエドワードがここまで私を敬っていたとは――思ってもみなかったよ。」
――その瞬間。
ブチッ。
乾いた音が、空気を裂いた。
怒りではない。
魂のどこかで何かが“切れた”音だった。
静寂が戻り、神父が次の名を告げる。
「――王妃陛下のご入場でございます」
その瞬間、空気が微かにざわめいた。
光差す中央の道が開かれ、上段の回廊から王妃が姿を現す。
絹を幾重にも重ねた黄金のドレス。首には宝石を惜しげもなく散りばめ、裾には白薔薇の刺繍。その豪奢さはまるで「王家の威信そのもの」を誇示するようだった。
だが――その場にいた誰もが、同じ違和感を覚える。
なぜ主役である新郎新婦の後に王妃が入場するのか。
それは礼式にも、王家の慣例にもない。
まるで自らを“世界の中心”に据えるかのような振る舞い。王妃自身が、今日という日を「自らの晴れ舞台」と勘違いしていることを、誰もが悟った。
エリザベスは静かに視線を伏せた。
表情には出さぬものの、その胸中に浮かぶのは――明確な嫌悪。
(……あの頃と、何も変わらない)
かつて、王家の会議で彼女が理路整然と提案した案を“女の分際で”と一蹴した女。
国の財政が傾いているにもかかわらず、宝飾と祭典に莫大な予算を注ぎ込んだ女。
民の声を“雑音”と呼んだ女――あのリンドブルグ王妃。
今もなお、王座に居座っている。
(その傲慢が、いずれこの国を滅ぼすわ)
嫌悪感を抱いたのは、エリザベスだけではなかった。
周囲の来賓たちが、露骨に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。とくに周辺諸国の使節たちは、互いに目を合わせ、小さく肩をすくめた。
「……やはり交易を切って正解だったな」
「独りよがりが過ぎる。あれでは国がもたぬ」
「ルシエンテス王国の興隆も納得だ……」
その小声の波が、礼拝堂のあちこちに広がっていく。祝福の場はいつしか冷ややかな潮流に変わりつつあった。
王妃はその空気を知らぬまま、ゆっくりと階段を降りてくる。その表情は自信と誇りに満ちていた。まるで、この国の光と栄華をその身に宿しているかのように。
(そう、今日は――あのヴァルメア侯爵夫妻がやってくる日)
王妃の心は、陶酔に染まっていた。
社交界の頂点に立つ存在が、このリンドブルグの王城に姿を見せる。他国の誰もが果たせなかったことを、わたくしは成し遂げたのだと。
――この功績こそ、わたくしの力の証。
この国はまだ、王妃であるわたくしが導いているのだ。
王妃の足取りはゆるぎなく、一段一段、音を立てながら降りてくる。黄金の裾が引きずるたび、陽光が反射し、眩い輝きを放つ。それはまるで、黄昏に沈みゆく太陽の最後の光のようだった。
やがて、王妃は高座に到着し、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。
その瞬間、彼女は満足げに微笑む。
(さて……どんな者かしら。話題のヴァルメア侯爵夫妻というのは)
周囲をゆっくりと見渡す。
豪奢な宝石の瞳が、観衆の海を掬うように。
そして――すぐに見つけた。
人だかりができている。
その中心に、碧と白金の輝きを纏う二つの影。優雅な微笑を湛え、民と語らう姿。
その周囲には周辺諸国の代表たちが集まり、まるで王族のように彼らへ挨拶をしていた。
――あれが、ヴァルメア侯爵夫妻。
王妃の唇がわずかに歪む。
「ふふ……やはり噂どおり、注目の的ね」
式が終わるころ、自ら声をかけてやろう。
王妃からの言葉――それは何よりの栄誉であるはず。
“光栄に思いなさい”と、心の中で勝手に祝福を与える。
ほくそ笑みながら、王妃は玉座の背にもたれた。
その姿はまるで、王国そのものを私物化した女王のようだった。
王妃は玉座に腰を下ろし、冷ややかに微笑んでいた。
その唇が、ふと小さく動く。
「……早く、その顔を見せなさい」
小さくとも、確かに響いた声だった。
それは命令の響きを帯び、まるで神の声でもあるかのように高慢だった。
ヴァルメア侯爵夫妻の周囲には、いまだに人の輪が絶えなかった。各国の使節たちが次々に挨拶を交わし、会話と笑みが途切れない。
だが、やがて潮のように人が引いていき――ふたりが、王妃へと向き直った。
その瞬間、王妃の瞳が見開かれる。
「――エリ……!!」
途中で、声が喉に詰まった。
扇子を震わせ、吐き出す息が震える。
(な、なぜあの女がここに……!? 何故、生きているの……!?)
喉の奥で言葉が焼けた。
数年前、確かに彼女に“流刑”を命じた。あの冷たい牢の奥で、二度と陽を浴びることはないはずだった。
それが――この光に満ちた場で、何事もなかったかのように立っている。
白金の髪、碧の瞳、そしてかつてよりも遥かに気高い気配。
その隣には――エリザベスの腰に、自然に手を回す男。その姿を見た瞬間、王妃の背筋を氷が駆け抜けた。
(あの髪……その眼差し……既視感がある……)
優美でありながら、どこか恐ろしく威厳を帯びた立ち姿。
王家にしか持ち得ぬ風格。
そして、その微笑――
「……ま、さか……」
男が、ゆっくりと笑んだ。
その笑みには静かな余裕があり、まるで“勝利の証”を見せつけるかのようだった。
エドワード・ヴァルメア侯爵。
リンドブルグが切り捨て、ルシエンテスが拾い上げた“かつての王子”。
王妃の脳裏に、かつての悪夢が蘇る。
あの女の息子――国王陛下の寵愛を一身に受けた女。
そして、その女の子として生まれた男。
“聖なる力”を持って生まれ、王太子ウィリアムに与えられるはずだった“神授の光”を奪ったと、王妃が叫んだあの日。
「……エドワード……!」
扇子越しに、王妃は歯を噛みしめた。ドレスの下で、膝が細かく震える。
この瞬間――彼女の王国の崩壊が、確かに始まっていた。
「――これより、婚姻の儀を執り行います」
神父の声が、荘厳に響いた。
黄金の光が差し、花弁が舞う。民衆は静まり返り、ウィリアムと聖女エリカが壇上に立つ。
神父が聖書を掲げ、朗々と読み上げた。
「ウィリアム・リンドブルグ王子。
汝はこの聖なる契りのもと、民を導き、聖女と共にこの国を護ることを誓うか」
ウィリアムは、わずかに間を置いた。
その視線は、壇下――人々の中に佇む“彼女”を追っていた。
白金の髪、そして凛とした横顔。
目が合うことはなかったが、ウィリアムの心はその影から離れない。
エリザベス。
かつての婚約者。
その面影が、胸の奥を締めつけた。
「……誓います」
ようやく絞り出した声には、かすかな迷いが滲んでいた。
神父は次に聖女へと向き直る。
「聖女エリカ・フローレンス。汝はこの聖なる契りのもと、王子を支え、国母として民を導くことを誓うか」
しかし、返答はなかった。
沈黙が場を支配する。
ざわ……ざわ……
人々が小声で囁きあう。
壇上のウィリアムが焦ったように振り向いた。
「……エ、エリカ?」
呼びかけに、聖女ははっとして顔を上げた。
「……ち、誓います!」
慌てて声を上げるが、その響きは震えていた。
誰の目にも明らかだった――彼女の心が乱れていることが。
そして――その瞬間。
「……おや」
澄んだ低音が、静寂を切り裂いた。
壇下。
ヴァルメア侯爵、エドワードが一歩前へ出た。
「神父殿。――少々、よろしいか」
会場の空気が一瞬で張り詰める。
神父が戸惑い、ウィリアムが顔をしかめた。
聖女の指先が、震えていた。
「この契りに、疑いがあるように見受けられまして。誓いとは“真実”を以って成るもの。偽りの上には、神の加護は降りません」
エドワードの声は穏やかだが、底冷えするほどの威圧を孕んでいた。
「……何の真似だ、ヴァルメア侯爵!」
ウィリアムが叫ぶ。
だが、その声は民衆の波に呑まれ、震えた。
「真似、ですと? いえ――」
エドワードはゆっくりと聖女を見た。
その瞳はまるで氷のように冷たく、美しかった。
「あなたがその“聖なる力”を得た経緯を、もう一度お聞きしたいだけです」
「……っ!」
聖女エリカの顔から、血の気が引いた。
聖堂の空気が、氷のように冷えた。
壇上の神父が凍りついたように動けず、ウィリアムは眉をひそめながらも声を失っていた。
誰もが、ヴァルメア侯爵の言葉の続きを待っている。
「誓いを立てられるのであれば――その前にお聞きしたいことがあるのです」
エドワードの声は低く、しかし確実に響き渡った。
静寂が聖堂を包み、花弁が空中で静止したかのように思えた。
「何故、リンドブルグの王妃陛下が、我が医療団の“薬”を求められたのか」
その言葉に、ざわめきが走る。
王妃の背筋がびくりと震え、扇子を握る手に力がこもった。
だが、エドワードは淡々と続ける。
「しかも――“昏睡状態の人間に効く薬”を製薬せよとのご依頼。そして、その後速やかに“製造記録を抹消せよ”との通達。いやはや、驚きましたよ。このような要望が大国リンドブルグで通ると、本気でお思いだったのかと」
「……貴様!」
玉座の上で、王妃が立ち上がった。扇子がパキリと音を立てて折れる。
「貴様、それ以上の発言は許さぬッ!」
だが、エドワードは一歩も退かない。
その目には、静かな嘲笑が宿っていた。
「おや? “それ以上”とは……。つまり、身に覚えがあると仰るのですね」
「っ――!」
その一言で、王妃の顔から血の気が引いた。
会場全体がざわめき出す。
「なんだそれは……」
「薬を求めただけでなく、証拠を残すなと?」
「聖女がいるというのに、昏睡患者に薬を……まさか……」
誰かの言葉が、次々と波紋のように広がる。貴族たちはざわめき、外交使節団の間では明確な動揺が走った。
王妃はその視線を避けるように扇子で顔を隠すが、その震えは止まらない。
エドワードは続けた。
静かに、しかし一言一句を神の審判のように響かせながら。
「そちらにおられる“聖女様”のお力を上回る薬など、この世に存在するのだろうか? ――答えは否、です。聖女の扱う光魔法は最上位の治癒力。薬はあくまで、その恩恵を受けられぬ者への補助。なのに、なぜ“昏睡状態に陥った者”を救わぬのです?」
聖女エリカの肩がびくりと震えた。その顔は青ざめ、唇が小刻みに動いている。
ウィリアムが横目で彼女を見るが、彼女は目を合わせようとしなかった。
エドワードはその光景を確認し、わずかに瞳を細める。
そして――決定的な言葉を放つ。
「私は思うのです。リンドブルグでいまだ床に伏しておられる方々を――我が愛妻の御父上、エリクセン公爵を助けないのは、“聖女様にその御力がないからではないか”と」
会場が、一瞬にして静まり返る。風の音さえ消えた。その沈黙の中で、王妃の目が絶望に染まっていく。
エリザベスは微動だにせず、ただ冷たい瞳でその光景を見ていた。
「ゆえに、今ここで――明らかにしていただきたい」
エドワードの声が、聖堂全体に響き渡る。
その声には怒りではなく、圧倒的な威厳と、天の秤のような正義が宿っていた。
「その“聖なる力”が、本当にあなたに与えられたものなのか。――それとも、“私の兄”のように、無力なのかと」
その言葉が落ちた瞬間、
聖堂にいた全員の息が止まった。
神父が聖書を落とし、床に響く乾いた音が、やけに大きく感じられる。
王妃は怒りを隠すことをやめたのか隠しきれなかったのか、憎悪を明らかにした。
「貴様、やはり!!」
民衆の中からどよめきが広がっていく。
「兄?」
「待て、たしかリンドブルグには二人の王子がいたはず」
「だがその王子は病で他界されたと聞いたが」
「私は王家を汚した反逆者と聞いたが」
そのざわめきが渦を巻き、聖堂の中で波のように広がった。
ウィリアムが蒼白な顔で立ち上がる。
「お前……まさか……!」
エドワードは、ゆっくりと笑った。
それは挑発でも嘲りでもない。
ただ、王家の血を継ぐ者としての宣告の笑みだった。
「――エドワード・フォン・リンドブルグ。
現王陛下の第二子にして、“忌み子”と呼ばれた者。
いま、この場にて――偽りの王国の罪を問う。」
雷鳴のようなざわめきが爆ぜた。
貴族たちが立ち上がり、聖女は膝から崩れ落ちた。
王妃は立ち上がることすらできず、扇子を握りしめたまま震えている。
「神父殿」
エドワードは一歩前に出る。
「この婚姻に、神の御加護があるというのなら――なぜ、聖女は沈黙したのです?」
誰も答えなかった。
誰も、息をしていなかった。
そして、鐘が鳴る。
祝福ではなく、断罪の鐘として。
エドワードは振り返らずに言い放った。
「――“光”を欺き、“神”を騙った者たちよ。今日、この聖堂が――あなた方の墓標となる」
エドワードの声が静寂を裂く。
だが、次の瞬間。
「ふざけるなああああああッ!!」
甲高い絶叫が響いた。
王妃が勢いよく立ち上がり、背後の玉座を倒した。金と宝石の装飾が床に砕け、乾いた音を立てる。その音が、彼女の崩れゆく威厳の象徴のようだった。
「黙っていれば調子に乗りおって!!!」
王妃の顔は怒りと恐怖で歪み、紅い唇が裂けるほど叫ぶ。
「我が国の第二王子は呪いの力を宿した忌み子! 神の裁きが下ったのだ! ゆえに、そなたのような者が“本物”であるはずがない! ――偽物めが!!」
扇子を投げ捨て、指を突きつける。
「この男を捕らえよ!! 偽王子の名を語る逆賊を、今すぐに!!!」
だが――誰も、動かない。
近衛の騎士たちは互いに顔を見合わせ、足が竦んでいた。
「に、第二王子……?」
「殿下の……弟君……?」
誰もが混乱し、誰もが動けなかった。
その沈黙の中、エドワードの瞳がぎらりと光った。それは、怒りというより――長年封じていた“魂の炎”の解放。
「……お前は、俺を“息子”と言うのか」
静かな声だった。
だが、その一語に含まれた冷気に、王妃は思わず身をすくめる。
「母を亡くしてから、俺を離宮に閉じ込め――登城すら許さなかった。誰も会わせず、誰も信じず、俺の存在を消し去ったお前が、いまさら“母”を名乗るか。」
「くっ……!」
「ふざけるな」
その言葉は、刃のように冷たく、容赦がなかった。王妃の体がびくりと震える。
その瞬間――横からウィリアムの声が割り込む。
「エドワード……」
その声は低く、しかしどこか薄ら笑いを含んでいた。
「そんなに、私が“光”に選ばれたのが悔しいのか?」
エドワードの表情が一瞬で凍りつく。
(……何を言っている? この期に及んで)
ウィリアムは胸を張り、聖女を庇うように前に出た。
「そうか……悔しいよな。誰にも見向きもされず、ただ耐えるしかなかった日々。辛かったろう。兄として、気付いてやれなかったことを……すまない。」
その台詞の空虚さに、聖堂全体がざわめく。
慰めのような声の中に滲むのは、嘲りと自己陶酔。
エドワードは黙っていた。
だが、その沈黙の奥底に、怒りの音がきしむ。
ウィリアムは続ける。
「私を超えたくて、元婚約者であるエリザベスを娶ったのか? まさかエドワードがここまで私を敬っていたとは――思ってもみなかったよ。」
――その瞬間。
ブチッ。
乾いた音が、空気を裂いた。
怒りではない。
魂のどこかで何かが“切れた”音だった。
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