海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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黄金の毒花

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 長い一日が、ようやく終わった。
 土島の屋敷には、潮騒と虫の声だけが静かに響いている。

 夜風が庭を撫で、南方特有の甘い潮の香りを運んできた。
 窓の向こうでは、月が満ち、波を照らして白く光を散らしている。昼の喧騒と祝宴の熱はすでに過ぎ、屋敷の中には穏やかな安堵と、ほんの少しの疲労が漂っていた。

 エドワードとエリザベスは、応接間のソファに並んで座っていた。
 暖炉には小さな火が灯され、橙の炎が穏やかに揺れている。
 エドワードは手にしたグラスを軽く傾け、琥珀の酒を一口。その喉の動きを見つめながら、エリザベスは湯気の立つハーブティーをそっと唇に運んだ。彼女の指先はまだ微かに震えている。それを悟らせぬよう、静かにカップを置いた。

「まさか、お父様と陛下を蝕んでいたのが“リンドブルグ”だったなんて……」

 その名を口にした瞬間、エリザベスの瞳に深い陰が落ちた。
 リンドブルグ――それは国の名であり、同時に王家の象徴とされた花の名でもある。黄金の花弁は栄光と繁栄を意味すると信じられ、宮廷の至るところに飾られていた。だが、その蜜には猛毒が潜んでいた。薬学に通じる者でなければ決して見抜けぬ、緩やかに命を蝕む毒。
 まるで、その国そのものを象徴しているかのように。

「王妃はその花の蜜を……紅茶に混ぜたのですね」

 エリザベスの声はかすかに震えていた。
 彼女は父の容態を思い出した。あの、少しずつ衰弱していく姿。医師たちは原因を掴めず、ただ手をこまねいていた。
 ――まさか、その影に“王家の象徴”が潜んでいたとは。

 エドワードは静かに頷いた。

「国王と宰相、そして三人の聖女――皆に同じ茶を出すよう、侍女に命じたそうだ。聖女はそれを知っていながら、王妃の言葉を信じた。“貴女は聖女なのだから、毒など効くはずがないわ”と」

 苦い笑みがエドワードの唇をかすめた。
 愚かで、そして残酷な信仰の皮肉。信じる者ほど、最も深く裏切られる――その真理を思い知るかのように。

「幸い、聖女は軽い症状で済んだらしい。魔力がなくとも……やはり彼女は聖女だったのだ」

 エドワードはグラスを置き、手を組んだ。

「毒に侵された二人を癒すことで、自らの存在を証明できる――王妃はそう考えた。だが結局、己の野心で最も大切なものを失った」

 エリザベスはそっと瞼を伏せた。
 静かに息を吐きながら、ふと微笑のようなものが浮かぶ。

「……皮肉ですね。彼女が幽閉されたのは、貴方がかつて閉じ込められていた離宮だなんて」

「二度と外の光を見ることはないだろう」

 その声は淡々としていたが、どこか哀れみが滲んでいた。
 エドワードは炎の揺らぎを見つめる。かつて己が味わった孤独を、今度はあの女王が味わうのだ――そのことに、奇妙な因果を感じずにはいられなかった。

 窓の外で波が岩に砕け、夜風がカーテンを揺らす。そのわずかな音の合間に、エリザベスが静かに問いを落とした。

「……ウィリアム殿下は、どうなさっているのですか」

 エドワードは少し目を伏せ、答えた。

「立ち直れぬほど心が折れてしまったらしい」

 彼はグラスを軽く揺らし、残った酒を見つめた。

「光魔法もなく、召喚も偽りだった。真の“光”が弟であると知って……もう、自分を保てなくなったんだ」

「……可哀想に」

 エリザベスは膝の上で手を組み、指をきゅっと握り締めた。
 元婚約者であった人間の崩壊を思うと、胸の奥にわずかな痛みが残った。

「私は言ったよ。“力がなくとも、知識を、頭脳を磨け”と」

 「ええ……貴方らしい言葉です」

 彼女が微笑むと、エドワードも穏やかに肩を寄せた。その動作は自然で、言葉など必要としないほどの信頼があった。

「君が王太子妃にしたことを真似ただけだ」

「まあ。ふふ、エドワード様ったら」

 炎の揺らめく暖炉が、二人の影を壁に映し出す。柔らかな灯りが、互いの頬を照らして溶け合う。

 「それにしても……リンドブルグはもう終わったな」

 「……はい」

 エドワードの視線が遠くを見つめる。

 「今日の結婚式のあと、王都以外の地をすべてルシエンテスへ献上した。これは、貴族たちの総意だ。王家は残ったが……国土の九割が我が国のものだ」

 エリザベスの指がカップの縁をなぞった。

 「寝返ったのですね」

 「そうだ。聡い者は分かっていた。ルシエンテスの背後にアウローラ王国が控えていることを。逆らえば、国が滅ぶ。だが、それだけじゃない」

 エドワードは彼女を見た。
 その瞳には優しさと誇りが同居している。

「それだけではない、エリザベス。君という存在自体、彼らに決心させたんだ」

 エリザベスは目を瞬かせた。

 「わたくしが……?」

 「今件で真っ先に寝返ったのは、エリクセン公爵家だった。被害者である一家が王家への忠誠を失い、娘を救い続けた国に属する――それを非難する者など、誰もいなかった。宰相が我が国についた時点で、潮目は変わったんだ」

 エリザベスは、胸の奥に淡い痛みを覚えた。
 裏切りではない。けれど、それでも胸のどこかがきゅっと締めつけられる。かつて愛した故国の終焉。その哀しみを、エドワードの掌が優しく包んだ。

「だからこそ、彼らは選んだ。――生き残る道を」

 二人はしばし黙した。
 窓から差し込む月光が、まるで国の命運を静かに見届けているかのようだった。

「陛下は、何も仰られませんでしたわね」

 「誠意を見せたんだろう。ここまでの惨事を引き起こした家族の後始末を、毒に伏せていた陛下がするのも、無体だが」

 「仕方ありませんわ。当事者達ではとても……」

 炎がぱち、と弾けた。
 その音に紛れるように、エドワードが口を開く。

「カルロスは帰国して、すぐに国王夫妻へ報告したそうだ」

 「きっと驚かれたでしょうね」

 「空いた口が塞がらなかったらしい」

 二人の間に、柔らかな笑いが生まれる。

 「そして――やっと“あの約束”を話したそうだ」

 「……約束?」

 エドワードは目を細め、グラスを掲げた。

 「“願いを叶える協力の報酬は、属国の鎖を断ち、国土を広げること”――男同士の約束だ」

 エリザベスの唇に、静かな笑みが浮かぶ。

 「ふふ、それは貴方が?」

 「どうして分かった?」

 「カルロス殿下なら、属国撤廃のみを望まれたと思ったからですわ」

 「君はどこまでも頭が回る」

 「大きく出るのは、エドワード様の専売特許ですもの」

 ふたりの笑い声が重なり、暖炉の光が柔らかく揺れた。
 穏やかな幸福が、静かに部屋を満たしていく。

 「彼は誇っていた。“エドワードは、私の弟であり盟友だ”と」

 エドワードはその言葉を口にしながら、胸の奥に温かな熱を感じていた。
 孤独だった青年時代。冷たい牢の中で見上げた小さな月。それを思い出しながら、今、自分の隣には確かな温もりがある。

 ぱちん、と火がまた弾けた。
 外では波が穏やかに引き、夜が静かに更けていく。

 エリザベスはエドワードの肩に頭を預け、囁く。

 「……これで、本当に終わったのですね」

 エドワードは彼女の髪を撫でながら、静かに答えた。

 「いいや。ここから始まるんだ」

 その声は確信に満ち、優しかった。
 月光が二人を包み込み、潮風がそっとカーテンを揺らす。
 遠くで波が静かに寄せ、引いていく。

 ――新しい国の夜が、穏やかに、そして永遠のように静かに更けていった。
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