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はじまりはじまり。小さな冒険?

306、side カイルザーク。食事と、これから…。

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シシリー先輩は私の毛梳きをしてくれていた最中に寝てしまったのだけど、起きてきた彼女の手に、いまだスリッカーがしっかりと握られていた事に、思わず笑みがこぼれてしまった。

彼女をベッドへと運んだ時、ベッドに持ち込んだら痛いだろうと思って、手から外そうとしたが、スリッカーは手にガッチリと握り込まれていて、外すことができなかった。


(握力勝負で言えば、外せたのだけどね。ここまでしっかり握ってるのなら、きっと怪我の心配も無さそうだし)


……それに何より、スリッカーを外そうとしたら、抱え込むようにして、ふにゃりと幸せそうに笑みを浮かべて寝直されてしまったので、うっかり取るタイミングを失ってしまったのだった。


『おはようございます?ですかね?』


ひとまず、ゲストルームのドアの前でぼう然と立ちすくむ、シシリー先輩へ声をかけてみる。
目は開いているんだけど、どうにも視線が、目が座ってるように見える。
本当に起きているんだろうか?
まさか、立ったまま寝てるなんて事は無いよね?!


『おはよう…あれ…?』


……反応は、あった。
一応、起きているようだ。
いつもと違和感があったのは、そうだ、髪を下ろしていたからかな。


(真っ直ぐな明るい髪で、綺麗なんだから、そのままにしておけばいいのに)


ほとんど開いていないような糸目で周囲を見渡しながら、髪を纏めてひっつめにしていく。

ゲストルームの明かりは、寝やすいように落としてから来たので、執務室の照明の明るさにまだ目が慣れていないみたいだった。
眩しさに顔を顰めている変顔が、面白くて可愛い。

徐々に慣れているのかな?とは思いつつも、まぶしそうにパチパチと、まばたきをしている。


『まさか……まだ寝ぼけてます?』

『寝ぼけ…ては無い、はず』


とりあえず寝ぼけてないなら、その手に握り締められているスリッカーを、どうにかしてほしいと思った。

髪を結ったあと、なんでまた握り直しているんだろう?

毛を梳かれているのはすごく気持ち良かったし、あの時の会話も、再開してからここ最近までのぎこちない喋り方ではなくて、昔に戻ったかのように自然に出てくる、優しい声だったので……嬉しかった。

でも、その言葉を引き出すために、私が襲われなければいけないという必要は無いはずだ!
とは……思ったのだけど、どうにも無意識に握っているようなのが、中々に滑稽に思えてきて、思わず笑ってしまった。


『ふふっ…ちょうど今、軽食を頼もうと思ってたところですが、何か一緒に頼みますか?』

『あっ…お願い!』


にこり。と、微妙にまだ糸目になっていたままの笑顔。
ちょっと引きつってて変顔だったけど…まぁ良いね。
今までの酷くぎこちない笑顔よりは、ずっと良い。

自然と笑ってもらえたのは、一度だけ、シシリー先輩達の卒業式ぶりかな?
あの日だけは、お祝いと言うこともあって、ハイになってたみたいだったから。

本当にあの日だけは……私に対してもニコニコと、とても嬉しそうに反応してくれていた。
あの笑顔を見て、私もとても嬉しかったのだけど……どうやらそれは私に向けられた笑顔ではなかったらしい。

翌日になったら、またいつもの寂しそうな、酷くぎこちない、何とも言えない反応に戻ってしまっていて、愕然としてしまった。


(どう考えたって、ルーク先輩に向けられた笑顔だったんですよねぇ……)


あの日から進路を別にしてしまった、幼馴染に向けられたものだ。
……考えなくたってすぐにわかるようなことだし、当たり前のことだ。
私は、何を浮かれてたんだか。


思わず出てしまった小さなため息を誤魔化すように、タイミングよく届いた食事を……テーブルに運ぼうと思ったのだけど、全く置けそうなスペースがなかったので、諦めてカートをそのまま食卓に見立てて、椅子を用意するとシシリー先輩に勧めた。

まぁ、座る前に書類に関して少し文句を言われたけど、むしろこれはこっちが文句を言いたい!と逆ギレの如く、少し説教をしてしまった。
でも、なんとなくこうなってしまったのも分からなくは無いな、と同情もしつつ。


前室長は単なる面倒臭がりで確定だが、シシリー先輩達の場合は優秀と言うことで名が知れてしまった分、それをよく思わない他の生徒からの妨害や、出自からの差別も多かったそうだ。
……当事者でもない、同学年でもない私が知っているということは、それほどまでに、話題になるほどに酷かったのだろう。

さらに、そういう事から起きるトラブルの対応ももちろん、自分でこなさなくてはいけない。
そんな時に、処世術のように人付き合いがそこそこ出来たなら、スマートに躱すなりの動きようもあっただろうが、研究一色のシシリー先輩とルーク先輩の場合は……まぁ、どう考えても無理な話で。


(社交的とは真逆に位置する二人だからなぁ……周囲の人間すら、敵なのか味方なのか、見分け…いや、そもそも「周囲の人間」というモノ自体を認知していなさそうだ)


結果、どうしたかといえば、そのまま頭脳ちからでねじ伏せていった。
まさに「結果が全てだ」とでも言わんばかりに。
つまり、研究で妨害が入ったのなら、それ以上の成果を持って、研究を発表すれば良い。
そうやって伝説のようなことを連発してきた。

そういう伝説のように扱われている二人の噂やお話を耳に挟むたびに、最初は誇らしく思っていたのだけど、そうせざるをえない状況だったという事を知ってしまってからは、傍で寄り添う事が出来なかったことが悔しかった。

歳が離れていることも悔しかったし、距離も……自分から突き放しておいて何を言ってるんだという話ではあるのだけれど、自分の幼稚さを恨めしく思った。


それと比べて、今はどうだろうか?
死に物狂いで勉強をして、なんとか学業では追いついてきた…と思う。
同じ研究室に所属することができて……まぁ1年近く避けられまくってしまったけど。


(今は…ついさっきからのような気もするけど、なんとか普通に会話できるまでには、近づけたのかな?)


それとも……また避けられてしまうのだろうか?

まぁ……それでもいいや。
とりあえず今は普通に喋れている。
この山のような書類の処理が終わるくらいまでは、喋れるのではないかと期待を寄せて。

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