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第2会 ぬくもりのありかを探す駅
第5話 氷見聡介という男③
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ラーメン屋の一件から、私は氷見さんに惹かれるようになった。積極的に心を開き、コミュニュケーションを増やす。もちろん、ちゃんと彼のポリシーを守りながら。
休憩時間や仕事終わりに彼の元に近寄って、私が気づいた“今日のフォロー”がどのタイミングであったかの答え合わせをする。
彼は「わざわざ報告しにくるな」とそっけない口調だったけれど、まんざらでもない様子だった。それを見るたび、私は誰よりも彼に近づけた気がする。彼の本心を知っているのは、私だけなんだから。
そんなことを続けているうちに、私たちは仕事以外でご飯や出かけることも増えた。プライベートの彼は、仕事の時と打って変わって、笑顔をよく見せる。
この人はこんな風に笑うのか、と新たな一面を知れたことで、さらに彼のことが知りたくなった。その好奇心はいつしか愛しさに変わり、気がつけばクリスマスを一緒に過ごす関係までに発展していた。
──じゃあ、結婚する?
プロポーズされたのは、交際を始めて2年近く経ったある日。ちょうど彼が家で、職場に近い場所に引っ越そうと新しい物件を探していたときだった。
私がせっかくなら同棲しようよ、と提案すると彼は静かに首を振った。
「そういう中途半端なことは良くない。玲子の両親の身にもなってみろ。自分の大切な未婚の娘が、どこぞの知らん男と一緒に住んでるなんて聞いたらどう思う?」
いつも適当な彼から意外に真面目な話が飛び出てきて、私は目を瞬く。彼なら「ラッキー、家賃半額になるじゃん」ぐらいの軽口を叩くと思っていた。
「30歳前の娘がどこに住んでいようと、うちの両親は気にしないよ。むしろ早くいい人でも見つけて安心させてくれって、電話の度に言ってくるんだから」
「玲子はさ、俺でいいの? 俺と一緒に住みたいの?」
「当たり前じゃん。そうじゃなかったら、同棲しようなんて言わないよ」
私の言葉に彼は押し黙った。それから手のひらで首の後ろを撫で、何かを決意する前みたいに一点をじっと見つめる。
沈黙。
数十秒か数分か、どれだけの時間が経ったかは分からない。ようやく彼が、ふーっと細く長い息を吐く。
「……玲子」
私の名前を呼ぶその顔は仕事でも見ないような真剣な表情だった。これから何が起こるのだろう──。持ち前の臆病さのせいで最悪の事態を想像して、つい身構えてしまう。
「……な、なに?」
「──じゃあ、結婚する?」
あまりに唐突で、頭の中が真っ白になった。彼の言葉を何度も頭の中で反芻して、ようやくその意味を理解する。
「──えっ?」
「玲子、結婚してください」
今度は私の目をまっすぐ見つめて言う。
「嘘じゃないよね……?」
「もちろん。こんな嘘つくわけないだろ」
頬が熱くなった。嬉しいはずなのに目からは涙が、ホットケーキに載せたバターみたいにぶわっと流れる。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私は「よろしくお願いします」と何度も頷いた。
とても幸福なことを“バラ色の”と表現するけれど、今の私がまさにそれだ。バラ色の日々──、バラ色の人生──。
臆病な私ですら、このときばかりは彼との未来に想いをはせ、胸を踊らせた。どんな災難ですら、彼と一緒なら跳ね返せるような、そんな無敵感。今までの人生ではありえないほどの未来への楽観視。
幸せな日々がこれからずっと続いていく。そう信じて疑わなかった。
──彼が車の事故で亡くなるまでは。
新しく契約する予定のテナントを見に行った帰り道。彼の運転する車は、信号無視をしたトラックと衝突し、電柱に叩きつけられた。
即死だったらしい。警察署に呼び出され、身元確認をした時の記憶は、今でもぼんやりとしか残っていない。頭の中が真っ白だった。
これから一緒の人生を歩もうと言ってくれた人の最期にしては、実感がないほどあっけない。今にも「俺が死ぬわけねぇだろ」とあの不器用な笑顔で帰ってくるような気がした。
だけど、彼と一緒に住むために借りた部屋に、彼はいない。ひとりになるのが怖くて、私はずっと彼の痕跡をそのままにしておいた。ベッドの位置も、読みかけの雑誌も、仕事カバンも。触れてしまえば、すべてが夢だったように消えてしまいそうで──怖かった。
休憩時間や仕事終わりに彼の元に近寄って、私が気づいた“今日のフォロー”がどのタイミングであったかの答え合わせをする。
彼は「わざわざ報告しにくるな」とそっけない口調だったけれど、まんざらでもない様子だった。それを見るたび、私は誰よりも彼に近づけた気がする。彼の本心を知っているのは、私だけなんだから。
そんなことを続けているうちに、私たちは仕事以外でご飯や出かけることも増えた。プライベートの彼は、仕事の時と打って変わって、笑顔をよく見せる。
この人はこんな風に笑うのか、と新たな一面を知れたことで、さらに彼のことが知りたくなった。その好奇心はいつしか愛しさに変わり、気がつけばクリスマスを一緒に過ごす関係までに発展していた。
──じゃあ、結婚する?
プロポーズされたのは、交際を始めて2年近く経ったある日。ちょうど彼が家で、職場に近い場所に引っ越そうと新しい物件を探していたときだった。
私がせっかくなら同棲しようよ、と提案すると彼は静かに首を振った。
「そういう中途半端なことは良くない。玲子の両親の身にもなってみろ。自分の大切な未婚の娘が、どこぞの知らん男と一緒に住んでるなんて聞いたらどう思う?」
いつも適当な彼から意外に真面目な話が飛び出てきて、私は目を瞬く。彼なら「ラッキー、家賃半額になるじゃん」ぐらいの軽口を叩くと思っていた。
「30歳前の娘がどこに住んでいようと、うちの両親は気にしないよ。むしろ早くいい人でも見つけて安心させてくれって、電話の度に言ってくるんだから」
「玲子はさ、俺でいいの? 俺と一緒に住みたいの?」
「当たり前じゃん。そうじゃなかったら、同棲しようなんて言わないよ」
私の言葉に彼は押し黙った。それから手のひらで首の後ろを撫で、何かを決意する前みたいに一点をじっと見つめる。
沈黙。
数十秒か数分か、どれだけの時間が経ったかは分からない。ようやく彼が、ふーっと細く長い息を吐く。
「……玲子」
私の名前を呼ぶその顔は仕事でも見ないような真剣な表情だった。これから何が起こるのだろう──。持ち前の臆病さのせいで最悪の事態を想像して、つい身構えてしまう。
「……な、なに?」
「──じゃあ、結婚する?」
あまりに唐突で、頭の中が真っ白になった。彼の言葉を何度も頭の中で反芻して、ようやくその意味を理解する。
「──えっ?」
「玲子、結婚してください」
今度は私の目をまっすぐ見つめて言う。
「嘘じゃないよね……?」
「もちろん。こんな嘘つくわけないだろ」
頬が熱くなった。嬉しいはずなのに目からは涙が、ホットケーキに載せたバターみたいにぶわっと流れる。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私は「よろしくお願いします」と何度も頷いた。
とても幸福なことを“バラ色の”と表現するけれど、今の私がまさにそれだ。バラ色の日々──、バラ色の人生──。
臆病な私ですら、このときばかりは彼との未来に想いをはせ、胸を踊らせた。どんな災難ですら、彼と一緒なら跳ね返せるような、そんな無敵感。今までの人生ではありえないほどの未来への楽観視。
幸せな日々がこれからずっと続いていく。そう信じて疑わなかった。
──彼が車の事故で亡くなるまでは。
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即死だったらしい。警察署に呼び出され、身元確認をした時の記憶は、今でもぼんやりとしか残っていない。頭の中が真っ白だった。
これから一緒の人生を歩もうと言ってくれた人の最期にしては、実感がないほどあっけない。今にも「俺が死ぬわけねぇだろ」とあの不器用な笑顔で帰ってくるような気がした。
だけど、彼と一緒に住むために借りた部屋に、彼はいない。ひとりになるのが怖くて、私はずっと彼の痕跡をそのままにしておいた。ベッドの位置も、読みかけの雑誌も、仕事カバンも。触れてしまえば、すべてが夢だったように消えてしまいそうで──怖かった。
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