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第2会 ぬくもりのありかを探す駅
第11話 聡介さんとの想い出①
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真夜中のしんとした空気が苦手だ。その静寂は、聡介さんがいないということを否応にも自覚させるから。
不思議だな、と思う。彼と一緒に暮らしていたのは、プロポーズされてから彼が亡くなるまでの短い間だけ。お互いの家に泊まりに行くことは時々あったけれど、一人暮らしの私にとって、ひとりで迎える夜の方が多かったはずなのに。
でも今夜はそんなことを気にしなくてもいい。彼に会えるまでもうすぐだ。
深森さんとの約束の時間より少し早めに着いた私は、その時間まで駅の近くを流れる疏水沿いを散歩していた。琵琶湖の水を京都市まで引っ張ってくるために作られたこの疏水は、一見すると普通の川にしか見えない。
以前、聡介さんと伏見稲荷大社に行ったとき、帰りに疏水沿いを散歩しながら帰ったことを思い出す。そのとき、この普通の川が琵琶湖の水を通すために人工的に作られたもので、長さが約20kmもあるのだと教えてもらった。
「明治の人も、思い切ったことするよな」
そんな感想をもらしながら笑っていた彼の横顔は、今でも昨日のように覚えている。こんな小さなエピソードだって私にとってはかけがえのない宝物だ。
どこからか聞こえた踏切の音に、はっとする。
スマホを確認すると、日付が変わるまでもうすぐ。確か終電は0時過ぎだったから、そろそろ戻った方がよさそうだ。
それでも、もう少しだけ彼との思い出に浸ってから、稲荷口駅へ戻った。ちょうど終電が着いたようで、改札口の上に設置された電光掲示板には『本日の運転は終了しました』と出ていた。電車から降りてきた今日最後の乗客たちと改札口ですれ違う。
稲荷口駅は何度か利用したことがあったけれど、深夜に来るのは初めてだ。電源の落ちた券売機、シャッターの下りた切符売り場の窓口、すべてのゲートが閉じられた改札機──。
普段は観光客でごった返す駅は、今や見る影もない。神社を模した造りの駅舎は、昼こそ目の前の伏見稲荷大社と馴染んで趣きがあるが、この時間に見ると、どこか妖しさも感じられて、なんだか不気味だ。だが、死者と会う雰囲気はバッチリ出来上がっている。
これから、この世の理を越えるんだという感覚が全身を駆け抜ける。
大きく深呼吸をひとつして、私は背筋を伸ばす。それから夜の闇で鏡になったガラスで、身だしなみをもう一度確認する。
私は、いつも仕事で着用しているスーツを着ていた。せっかく聡介さんに会うんだから、おしゃれをしてもよかったのだけれど、“面会”という言葉の堅苦しさに引っ張られて、結局無難なスーツを選んでしまった。こんなことなら服装についても深森さんに尋ねておけばよかった。
肩に掛けたバッグを掛け直す。こちらも通勤に使っているバッグだ。中には聡介さんが喜びそうなものをいくつか入れてきた。重くなってしまったが、彼の喜ぶ姿が見れると思うと苦ではない。
身だしなみを整え終えると、私は深森さんを探した。約束の時間は過ぎているが、彼はまだ現れない。
改札横の窓口を覗いても彼の姿はなかった。奥の駅務室に声をかけるも反応はなし。ひょっとするとホームにいるのかもしれない。
──もしかして、騙されたのかもしれない。この不気味な雰囲気も、すべて私を騙すために仕組まれたものだとしたら?
不穏な考えを振り払う。ここまで来て、今さらそれもないだろう。怪しいのなんて最初からなんだし。
残るはホームだけだけど、残念ながら改札口からホームには短い階段があって見上げても向こうの様子はわからない。改札を抜けて探しにいったほうがいいのだろうか?
どうしたらいいか考えをめぐらせていると、ホームの方からこちらに下りてくる人影を目の端で捉えた。顔を向けると、それは深森さんだった。
「お待たせしてしまって、すいません」
私は胸をなでおろす。疑うことはやめたはずなのに、どこかほっとしている。
「……駅務室に声をかけてもいないから、ホームまで探しに行こうか迷っていたところだったんですよ」
「そうでしたか。ちょうどいま、ホームに残ったお客様がいらっしゃらないか確認に行ってたんです。たまに酔っ払ってホームやトイレで寝てしまわれる方がいましてね」
やれやれといった風に、彼は肩をすくめた。駅員の仕事も楽ではなさそうだ。
「少し、お待ちください」
駅務室の奥へ深森さんが消えると、1分もしないうちに戻ってきた。彼の手には小さくて硬い紙切れが握られている。
「こちらをどうぞ。たそがれ鉄道は、まもなく到着します」
彼から受け取ったそれはどうやら切符のようだ。普段使う切符より分厚くて、硬い。確か硬券という昔使われていた切符だ。
券面には『たそがれ鉄道 稲荷口駅』という印字の下に『特別入場券』と記されていた。さらにその下にはひとまわり小さな文字で『一生に一回限り有効』と書かれている。
「たそがれ鉄道……?」
不思議だな、と思う。彼と一緒に暮らしていたのは、プロポーズされてから彼が亡くなるまでの短い間だけ。お互いの家に泊まりに行くことは時々あったけれど、一人暮らしの私にとって、ひとりで迎える夜の方が多かったはずなのに。
でも今夜はそんなことを気にしなくてもいい。彼に会えるまでもうすぐだ。
深森さんとの約束の時間より少し早めに着いた私は、その時間まで駅の近くを流れる疏水沿いを散歩していた。琵琶湖の水を京都市まで引っ張ってくるために作られたこの疏水は、一見すると普通の川にしか見えない。
以前、聡介さんと伏見稲荷大社に行ったとき、帰りに疏水沿いを散歩しながら帰ったことを思い出す。そのとき、この普通の川が琵琶湖の水を通すために人工的に作られたもので、長さが約20kmもあるのだと教えてもらった。
「明治の人も、思い切ったことするよな」
そんな感想をもらしながら笑っていた彼の横顔は、今でも昨日のように覚えている。こんな小さなエピソードだって私にとってはかけがえのない宝物だ。
どこからか聞こえた踏切の音に、はっとする。
スマホを確認すると、日付が変わるまでもうすぐ。確か終電は0時過ぎだったから、そろそろ戻った方がよさそうだ。
それでも、もう少しだけ彼との思い出に浸ってから、稲荷口駅へ戻った。ちょうど終電が着いたようで、改札口の上に設置された電光掲示板には『本日の運転は終了しました』と出ていた。電車から降りてきた今日最後の乗客たちと改札口ですれ違う。
稲荷口駅は何度か利用したことがあったけれど、深夜に来るのは初めてだ。電源の落ちた券売機、シャッターの下りた切符売り場の窓口、すべてのゲートが閉じられた改札機──。
普段は観光客でごった返す駅は、今や見る影もない。神社を模した造りの駅舎は、昼こそ目の前の伏見稲荷大社と馴染んで趣きがあるが、この時間に見ると、どこか妖しさも感じられて、なんだか不気味だ。だが、死者と会う雰囲気はバッチリ出来上がっている。
これから、この世の理を越えるんだという感覚が全身を駆け抜ける。
大きく深呼吸をひとつして、私は背筋を伸ばす。それから夜の闇で鏡になったガラスで、身だしなみをもう一度確認する。
私は、いつも仕事で着用しているスーツを着ていた。せっかく聡介さんに会うんだから、おしゃれをしてもよかったのだけれど、“面会”という言葉の堅苦しさに引っ張られて、結局無難なスーツを選んでしまった。こんなことなら服装についても深森さんに尋ねておけばよかった。
肩に掛けたバッグを掛け直す。こちらも通勤に使っているバッグだ。中には聡介さんが喜びそうなものをいくつか入れてきた。重くなってしまったが、彼の喜ぶ姿が見れると思うと苦ではない。
身だしなみを整え終えると、私は深森さんを探した。約束の時間は過ぎているが、彼はまだ現れない。
改札横の窓口を覗いても彼の姿はなかった。奥の駅務室に声をかけるも反応はなし。ひょっとするとホームにいるのかもしれない。
──もしかして、騙されたのかもしれない。この不気味な雰囲気も、すべて私を騙すために仕組まれたものだとしたら?
不穏な考えを振り払う。ここまで来て、今さらそれもないだろう。怪しいのなんて最初からなんだし。
残るはホームだけだけど、残念ながら改札口からホームには短い階段があって見上げても向こうの様子はわからない。改札を抜けて探しにいったほうがいいのだろうか?
どうしたらいいか考えをめぐらせていると、ホームの方からこちらに下りてくる人影を目の端で捉えた。顔を向けると、それは深森さんだった。
「お待たせしてしまって、すいません」
私は胸をなでおろす。疑うことはやめたはずなのに、どこかほっとしている。
「……駅務室に声をかけてもいないから、ホームまで探しに行こうか迷っていたところだったんですよ」
「そうでしたか。ちょうどいま、ホームに残ったお客様がいらっしゃらないか確認に行ってたんです。たまに酔っ払ってホームやトイレで寝てしまわれる方がいましてね」
やれやれといった風に、彼は肩をすくめた。駅員の仕事も楽ではなさそうだ。
「少し、お待ちください」
駅務室の奥へ深森さんが消えると、1分もしないうちに戻ってきた。彼の手には小さくて硬い紙切れが握られている。
「こちらをどうぞ。たそがれ鉄道は、まもなく到着します」
彼から受け取ったそれはどうやら切符のようだ。普段使う切符より分厚くて、硬い。確か硬券という昔使われていた切符だ。
券面には『たそがれ鉄道 稲荷口駅』という印字の下に『特別入場券』と記されていた。さらにその下にはひとまわり小さな文字で『一生に一回限り有効』と書かれている。
「たそがれ鉄道……?」
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