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3.スターライト
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「逆に天原さんに支払わせることになってすみません。このお礼は必ず……」
帰りの電車を待つホームで野宮がぺこりと頭を下げた。
レジの前で慌てふためく野宮の代わりに二人分の代金、二千五百十円を支払ったのだ。
「それなら僕を解放してくれ。もしくは学生証を返せ」
「いやぁ、それは……」
頭を上げた彼女は縋るような目で僕を見上げた。
「冗談だよ。どうせ返してくれないって分かってるから」
「ホント、すいません。いつもは三千円くらいは入っているんですけど、なんでだろ?」
「それより定期券があってよかったな。電車賃まで出さなくてすんだ」
「もし持ってなくても三百円あれば電車賃くらいは払えますよ」
野宮は通学カバンからスマホを取り出していじりはじめた。それから、ほら、と画面を僕に向けた。のぞき込むと乗り換え案内アプリの検索結果画面が表示されていた。確かにこの駅から家の最寄り駅までの運賃は三百円となっており今の野宮の所持金ぴったりだ。
「じゃあ、今の野宮は家までの運賃しか持ってないのか。その三百円はさながら六文銭みたいだな」
「六文銭?」と野宮が首を傾げた。
「知らないのか? 三途の川の渡賃だ。他にも真田家紋にも使われている」
「なんか聞いたことあるかも……。それでなんで私の三百円が六文銭なんですか?」
「死んだら三途の川を渡って黄泉の国に行くだろ? その渡賃が六文。この六文が現代の価値で三百円くらいといわれているんだ。もし渡賃を持っていなかったら川のほとりにいる脱衣婆に衣服を取られてしまう。だから六文銭があったら死んでも安全に黄泉の国に行けるって話だ」
「それなら私は今すぐ死んでも大丈夫ってことですね。でも未練があるから幽霊になっちゃうかも」
野宮はそう言っておばけみたいに手をしなだらせた。
「こんな話をしてなんだが、僕は死んだら無になると思う。だから幽霊なんてありえない」
「そんなの死んでみないとわからないじゃないですか。私たちが気づかないだけで、実は身近なところにいるかもしれませんよ。天原さんの隣にもいたりして……」
怖いこと言うなよ、と怯む僕に、野宮はいたずらっ子のようにシシシと笑った。
「幽霊信じてないならいいじゃないですか」
「信じてないけど、それとこれは別だ!」
僕の声に被さるように電車が到着することを知らせるアナウンスが流れた。
金澤朱里亜への仕返しが完了して数日がたった。
あの日、野宮は僕の「宇宙に行きたい」という〈やりたいこと〉が叶えられるかもしれないといっていたが、あれ以来何の連絡もない。
やはり互いの〈やりたいこと〉を手伝うというのは単なる口実だったのだろうか。
メールが来たのはそんなモヤモヤした気分のときだ。野宮かと思って画面を覗くと、石山からだった。
期末考査も終わり、晴れて夏休みに突入したらしい彼から遊びに行く日について、具体的な日時がメールで送られてきた。
大学のサークルやバイトが忙しいそうで早くても八月の二週目、お盆の直前になりそうだ、とのことだった。
僕としてはいつでもオーケーだ。そう返信すると、すぐに『八月の第二水曜日はどうだ?』と返ってきた。
八月の第二水曜日、もちろん何の予定もない。
了承を伝えるメールで、ついでに見たい作品があるからと、映画を提案してみた。すると石山は快くその提案を受け入れてくれた。
それにしてもサークルやバイトという文面を見る限り石山の大学生活は充実しているようだ。本当なら僕も同じように充実した大学生活を送っているはずだったのに……。
そう思うとなんだか悲しくなってしまう。いや、そんな悲観的になるな、と自分に言い聞かせた。楽しかった日々を取り戻すために石山と会うんだ。それがたった一日だけでも。
結局、野宮から連絡が来たのはそれから三日後のことだった。今日の午前十一時にいつもの公園に来てください、という簡潔なメールだった。
いつものことながら、これから何をするのかさっぱりわからない。しかし野宮のあの言葉は嘘ではなかったことに、なんとなく気分が良く口もとから笑みがこぼれてしまう。
出かける支度(と言ってもスマホと財布をジーンズのポケットに押し込むだけだが)をして家を出た。まだ午前十時台だというのに外の世界は灼熱地獄のような暑さだ。天から降り注ぐ日差しもさることながら、アスファルトに跳ね返された日光が肌を突き刺して痛い。
公園に着くと、野宮はベンチに座って丘からの景色を眺めていた。それから気配に気づいたのか、不意にくるりと振り返った。
「あ、天原さん。やっぱり五分前に来るんですね」
野宮は公園の中央に立っている時計を確認していった。
「そっちも相変わらず待ち合わせ時間と場所だけのメールを直前に送ってくるよな」
「癖なんで……」
頭の後ろを掻くように片手をあげると「へへっ」と照れ臭そうに野宮は笑った。
「で、今日はなんだ? 僕の〈やりたいこと〉を叶えてくれるのか」
「はい、そうです! 流石に宇宙まで、とは言えませんがそれに近い体験を約束しますよ」
野宮はスッと立ち上がると「それでは出発です!」と歩き出した。僕もそのあとをついて行く。
「それに近い体験って、具体的には何?」
「それは着いてからのお楽しみです。ちなみ今から電車に乗りますが、お金持ってます?」
「ICOCA持ってるから大丈夫だけど、遠出するの?」
「今から大阪に行きます」
「大阪⁉」
「そんなに驚かなくてもいいですよ。特急で四十分ほどで着きますから、それほど遠出ではありません」
ここから大阪まで、そう遠くないのは知っていた。何を隠そう僕の実家は大阪の片田舎にあるからだ。高校も大阪市内まで通っていた。だから、大阪の都心部の地理については自信がある。
しかし、わざわざ大阪まで行って野宮は何をするつもりなのだろう?
最寄り駅からは特急と各駅停車を乗り継いで大阪へ移動した。その間、僕は何度も野宮にどこに向かっているのか尋ねた。その度、彼女は「秘密です」「きっと喜ぶと思います」と取りあってくれなかった。挙げ句の果てには「しつこい!」と怒られてしまった。
それからというものの僕は考えることを放棄して、野宮が「この駅で降りますよ」と話しかけてくるまで黙り込んでいた。
電車はいつの間にか地下区間に入っていたようで、下車した駅も都会的な地下駅だった。この駅の近くで宇宙に関する場所……。
僕はこの時、野宮がどこに向かおうとしているのか分かった気がした。
駅を降りて地上に出ると目の前には大きな川が流れていた。野宮はスマホで地図アプリを開き、周囲を確認しながら川沿いに歩き出した。
帰りの電車を待つホームで野宮がぺこりと頭を下げた。
レジの前で慌てふためく野宮の代わりに二人分の代金、二千五百十円を支払ったのだ。
「それなら僕を解放してくれ。もしくは学生証を返せ」
「いやぁ、それは……」
頭を上げた彼女は縋るような目で僕を見上げた。
「冗談だよ。どうせ返してくれないって分かってるから」
「ホント、すいません。いつもは三千円くらいは入っているんですけど、なんでだろ?」
「それより定期券があってよかったな。電車賃まで出さなくてすんだ」
「もし持ってなくても三百円あれば電車賃くらいは払えますよ」
野宮は通学カバンからスマホを取り出していじりはじめた。それから、ほら、と画面を僕に向けた。のぞき込むと乗り換え案内アプリの検索結果画面が表示されていた。確かにこの駅から家の最寄り駅までの運賃は三百円となっており今の野宮の所持金ぴったりだ。
「じゃあ、今の野宮は家までの運賃しか持ってないのか。その三百円はさながら六文銭みたいだな」
「六文銭?」と野宮が首を傾げた。
「知らないのか? 三途の川の渡賃だ。他にも真田家紋にも使われている」
「なんか聞いたことあるかも……。それでなんで私の三百円が六文銭なんですか?」
「死んだら三途の川を渡って黄泉の国に行くだろ? その渡賃が六文。この六文が現代の価値で三百円くらいといわれているんだ。もし渡賃を持っていなかったら川のほとりにいる脱衣婆に衣服を取られてしまう。だから六文銭があったら死んでも安全に黄泉の国に行けるって話だ」
「それなら私は今すぐ死んでも大丈夫ってことですね。でも未練があるから幽霊になっちゃうかも」
野宮はそう言っておばけみたいに手をしなだらせた。
「こんな話をしてなんだが、僕は死んだら無になると思う。だから幽霊なんてありえない」
「そんなの死んでみないとわからないじゃないですか。私たちが気づかないだけで、実は身近なところにいるかもしれませんよ。天原さんの隣にもいたりして……」
怖いこと言うなよ、と怯む僕に、野宮はいたずらっ子のようにシシシと笑った。
「幽霊信じてないならいいじゃないですか」
「信じてないけど、それとこれは別だ!」
僕の声に被さるように電車が到着することを知らせるアナウンスが流れた。
金澤朱里亜への仕返しが完了して数日がたった。
あの日、野宮は僕の「宇宙に行きたい」という〈やりたいこと〉が叶えられるかもしれないといっていたが、あれ以来何の連絡もない。
やはり互いの〈やりたいこと〉を手伝うというのは単なる口実だったのだろうか。
メールが来たのはそんなモヤモヤした気分のときだ。野宮かと思って画面を覗くと、石山からだった。
期末考査も終わり、晴れて夏休みに突入したらしい彼から遊びに行く日について、具体的な日時がメールで送られてきた。
大学のサークルやバイトが忙しいそうで早くても八月の二週目、お盆の直前になりそうだ、とのことだった。
僕としてはいつでもオーケーだ。そう返信すると、すぐに『八月の第二水曜日はどうだ?』と返ってきた。
八月の第二水曜日、もちろん何の予定もない。
了承を伝えるメールで、ついでに見たい作品があるからと、映画を提案してみた。すると石山は快くその提案を受け入れてくれた。
それにしてもサークルやバイトという文面を見る限り石山の大学生活は充実しているようだ。本当なら僕も同じように充実した大学生活を送っているはずだったのに……。
そう思うとなんだか悲しくなってしまう。いや、そんな悲観的になるな、と自分に言い聞かせた。楽しかった日々を取り戻すために石山と会うんだ。それがたった一日だけでも。
結局、野宮から連絡が来たのはそれから三日後のことだった。今日の午前十一時にいつもの公園に来てください、という簡潔なメールだった。
いつものことながら、これから何をするのかさっぱりわからない。しかし野宮のあの言葉は嘘ではなかったことに、なんとなく気分が良く口もとから笑みがこぼれてしまう。
出かける支度(と言ってもスマホと財布をジーンズのポケットに押し込むだけだが)をして家を出た。まだ午前十時台だというのに外の世界は灼熱地獄のような暑さだ。天から降り注ぐ日差しもさることながら、アスファルトに跳ね返された日光が肌を突き刺して痛い。
公園に着くと、野宮はベンチに座って丘からの景色を眺めていた。それから気配に気づいたのか、不意にくるりと振り返った。
「あ、天原さん。やっぱり五分前に来るんですね」
野宮は公園の中央に立っている時計を確認していった。
「そっちも相変わらず待ち合わせ時間と場所だけのメールを直前に送ってくるよな」
「癖なんで……」
頭の後ろを掻くように片手をあげると「へへっ」と照れ臭そうに野宮は笑った。
「で、今日はなんだ? 僕の〈やりたいこと〉を叶えてくれるのか」
「はい、そうです! 流石に宇宙まで、とは言えませんがそれに近い体験を約束しますよ」
野宮はスッと立ち上がると「それでは出発です!」と歩き出した。僕もそのあとをついて行く。
「それに近い体験って、具体的には何?」
「それは着いてからのお楽しみです。ちなみ今から電車に乗りますが、お金持ってます?」
「ICOCA持ってるから大丈夫だけど、遠出するの?」
「今から大阪に行きます」
「大阪⁉」
「そんなに驚かなくてもいいですよ。特急で四十分ほどで着きますから、それほど遠出ではありません」
ここから大阪まで、そう遠くないのは知っていた。何を隠そう僕の実家は大阪の片田舎にあるからだ。高校も大阪市内まで通っていた。だから、大阪の都心部の地理については自信がある。
しかし、わざわざ大阪まで行って野宮は何をするつもりなのだろう?
最寄り駅からは特急と各駅停車を乗り継いで大阪へ移動した。その間、僕は何度も野宮にどこに向かっているのか尋ねた。その度、彼女は「秘密です」「きっと喜ぶと思います」と取りあってくれなかった。挙げ句の果てには「しつこい!」と怒られてしまった。
それからというものの僕は考えることを放棄して、野宮が「この駅で降りますよ」と話しかけてくるまで黙り込んでいた。
電車はいつの間にか地下区間に入っていたようで、下車した駅も都会的な地下駅だった。この駅の近くで宇宙に関する場所……。
僕はこの時、野宮がどこに向かおうとしているのか分かった気がした。
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