夜の公園で出会った彼女は、死のうとしていた。

秋月とわ

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4.二人目

3

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 大学の最寄り駅から電車で三十五分、僕と野宮は府県境を超え大津市に来ていた。駅前から伸びる太い道路の先には琵琶湖がかすかに見える。
 僕たちは、野宮がこの前盗み出した情報にあった住所をたどった。
 その場所はJR大津駅にほど近いところにあるマンションだった。一階にはテナントとして整体院が入居していて、二階から上が居住区のようだ。
 奥本教諭の部屋は四階の一番奥にあった。外廊下からは午後の光を受けた琵琶湖が光って見える。
「それでは始めましょう。これ持っててください」
 野宮が通学カバンから取り出した紙の束を半分受け取った。
「私は下のフロアとエントランスに撒いてきますから、天原さんはこのフロアと上のフロアをお願いします。終わった外に出てきてください」
 野宮はスカートを翻すと去っていった。
 僕は奥本教諭の悪行がしたためられた告発書を、ひらりひらりと外廊下に撒き散らした。それから上のフロアにあがって、同じことを繰り返していく。その間、幸運にも住民と出会すことはなかった。
 夏休み中とはいえ、平日の午後で助かった。こんなところを見られては通報待ったなしだろう。
 エントランスに下りると、ここも告発書だらけだった。告発書の海を抜けて外に出たところで野宮は待っていた。
「お待たせ。上は終わったよ」
「じゃあ、誰かに見られる前に逃げましょう」
 僕たちはマンションを離れた。
「少し休憩しませんか」と野宮が提案したので、湖畔にある公園でひと息つくことになった。
 整備された芝生の原っぱにはポツンと東屋が建っていた。僕たちはそこで腰を下ろした。眼前には琵琶湖が広がっている。さすが日本一なだけあって対岸が見えない。
「これで二人目も完了だな!」
 途中で買った本日二本目のオレンジジュースを野宮に渡した。
「まだですよ。これは事前準備、いわゆる『仕込み』ってやつです。本番はもう少しあと、告発書の効果が出た頃です」
 野宮はプルタブを開けるとゴクリと缶をあおった。
「ところで奥本教諭は野宮に何をしたんだ? 一人目の金澤はいじめだろ? 奥本教諭は……セクハラ?」
「天原さんってデリカシーないんですね。私がセクハラだって言ったらどうするんですか」
「え、そうなの?」
 一瞬、全身の血液が凍った。まずいことを聞いてしまった。
 しかし、野宮は「ま、違うんですよね」とおどけた。
 僕は野宮の答えにつんのめってしまった。違うんかい!
「奥本はですね、私が一年の時の担任だったんです。その頃から私はいじめられていたんですけど、そんな私を彼は見捨てるどころか、自分も一緒になって生徒と同じことをはじめたんです」
「いじめってこと?」
 僕が問うと野宮は頷いた。
「奥本は私に対して他の生徒より厳しく接してきました。授業中、あくびをしただけで怒鳴りつけられ、私がどれだけ不真面目な生徒かクラスメイトの前でクドクドとあげつらうんです。他にも些細なことで私を叱るんです。それに呼応して生徒たちも不真面目な私への罰という大義名分のもと堂々といじめをするようになりました」
「そういえば人間は自分より弱い存在を差別することでコミニュティを安寧に保っている、という話を聞いたことがある」
「きっとそれです。奥本は私を自分のクラスの穢多非人にすることで教室内の秩序を安定させようとしたんです。だから私は自分の関係ないことでも怒られたし、やってもいないことの犯人にもされました」
 野宮の膝の上に置かれた拳がスカートの生地を握りしめた。
「それで仕返ししようと……」
 僕が言いかけたところで、彼女は「それだけじゃないんです」と口をはさんだ。
「私、ある日、奥本に直訴しに行ったんです。私ばかり叱られるのはおかしいんじゃないかって。するとあいつは私を誰もいない面談室に連れて行きました。そして私の手をそっと撫でながら、いやらしい目つきでこう言ったんです。『俺は常に生徒とウィンウィンの関係でいたいんだ。もし俺が君への態度を改めたら、君は俺に何をしてくれるんだ?』って」
「それって……」
 言葉が出なかった。生徒にそんな要求をする教師がいるなんて。
 ジュースで喉を潤すと野宮は続けた。
「その時、私分かっちゃったんです。奥本が私に求めているものを。だから私は断りました。すると次の日からの奥本の態度はさらに酷いものになりました」
 野宮の瞳が濡れていた。虹彩が揺れている。
 まだ話し続けようとする野宮に僕は無理矢理ストップをかけた。
「もういい。もうそれ以上、辛い過去を思い出さなくていい」
 そうですか、と目元を拭う野宮に僕は何を思ったのだろう。気がつくと小さい子供をあやすように頭をポンポンと軽く撫でていた。
 こうしていると、まだ小さい頃、泣き虫だった妹をあやしていたことを思い出す。今は反抗期真っ盛りでこんなふうに頭を撫でることもなくなったが。
「……私を子供扱いしないでください」
 涙にしめった声で野宮が抗議する。
 はっとして僕は「ごめん」と手をどけた。
「僕にも泣き虫の妹がいたから、つい」
「優しいお兄さんで、妹さんは幸せですね」
「どうだろう。中学生になったぐらいから反抗的になって、励ましてやることもなくなった」
 ふと、僕が死んだら家族がどうなるか頭をよぎった。みんな悲しんでくれるだろうか。
「妹さん、今いくつなんですか」
「今年高校一年生になった。野宮が高二だから一つ下だな」
 野宮は一瞬、顔に悲しげな影を漂わせると、すぐに表情を作った。
「きっと照れてるんですよ。嬉しいって正直言うのが恥ずかしい年頃なんです」
 オレンジジュースを飲み干すと野宮は勢いよく立ち上がった。
「さ、そろそろ帰りましょ」
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