夜の公園で出会った彼女は、死のうとしていた。

秋月とわ

文字の大きさ
31 / 50
7.帰省とライブと

3

しおりを挟む
 ホールの中は自分の席を探してうろうろする観客や席に座って連れと楽しくお喋りする人でいっぱいだった。僕もその人たちと同じになって自分の席を探した。
 チケットの席は前から三列目という良席だった。ここからならアントリアのメンバーの顔もはっきり見えるはずだ。
 振り返ると一階席の他に二階席が見えた。ここからだとそこにいる人たちが豆粒のようだ。
 糸川さんの席がどの辺りかは分からないが、もし後ろの方だったらと考えると少し申し訳ない気持ちになる。
 しかし、さっき言っていた通りめいいっぱい楽しんだ方が彼女も喜んでくれるだろう。
 僕は今までの細々とした考えに一旦蓋をして、目の前の舞台に意識を集中した。
 その瞬間、客席の照明がふわっと消えた。観客たちはお喋りをやめ、みんな舞台に視線を向けた。
 ほんの少しの静寂な時間が過ぎると、ギターの軽快なメロディーが聞こえてきた。観客たちもそれに合わせて手拍子を始める。観客に負けじとメロディーにドラム、ベースと楽器がだんだん追加されていく。
 その場にいる全員がリズムに乗ったとき、舞台がぱぁっと明るくなりアントリアのメンバーが登場した。
 客席は一瞬で沸騰したように色めきたった。どの人も手を振り上げ、歓声をあげている。
 僕も初めて間近で見る芸能人、それも大好きなバンドのメンバーということに興奮し、周りの客と同じように手を振っていた。
 メンバーたちは舞台中を練り歩き、観客の歓声に応える。ボーカルを担当するメンバーが中央に立つと、アップテンポの曲が始まった。
 この曲は数ヶ月前にリリースされた新曲だ。僕も近所のCDショップでこの曲を発売日に買った。
 演奏はこの新曲とライブ定番曲の二曲で一旦終了した。
 ここからはトークタイムだ。サポートメンバーだけが舞台袖にはけていき舞台上にはアントリアだけが残された。
「みんなー! 楽しんでる?」
 ボーカルがペットボトルの水で喉を潤してから問いかけた。
 観客たちは口々に「楽しんでるー!」や「楽しい!」などの言葉を叫んでいる。
 そこからメンバーの近況報告やこの街の印象や名物の話など楽しいトークが繰り広げられた。
 そしてまた演奏が始まる。今度はしんみりとバラード曲だ。
 アンコール曲も含め、すべての演目が終わった後、僕は満足感に打ちひしがれていた。生で聴く音楽はこれほどにも心を揺さぶるのか!
 高揚感の中会場を出ると外は真っ暗になっていた。雨は相変わらず降り続けていて、観客たちの傘が駅の方向へ流れを作っている。
 すると、そこに会場のスタッフらしきジャンパーを着た人がやって来て拡声器を掲げた。
「アントリアのライブにご参加されましたお客様にご案内します。現在、JR線は大雨により運転を見合わせております。なお私鉄各線につきましては運行している模様ですが大幅な遅れが出ています。繰り返しお客様に……」
 会場の前に残った人たちは運行状況を調べているのか心配そうにスマホを眺めている。
 僕の下宿は私鉄沿線にある。私鉄は大幅な遅れとのことだが、動いているなら大丈夫だろう。この後、何か別の予定もあるわけではないし急ぎはしない。とりあえず今の情報を調べておこう。
 そう考えてスマホをつけると、ロック画面に大量の通知が表示された。そのほとんどが不在着信でどれも野宮からのものだった。ライブ中は電源を切っていたから気づかなかったのだ。
 もしかして気が変わったのかな……。どうしたんだろ?
 一番新しい通知は一時間前に来たメールだった。それを開けた途端、全身から血の気が引いた。
『奥本に監禁されている。天原さん、助けて』
 どういうことだ? 野宮が奥本に監禁された?
 僕は念のために野宮に電話をかけた。どうか間違いであってくれ……。
 プルルルとコール音が続く。誰も出ない。一度切ってもう一回かけ直した。プルルル、プルルル……。やっぱり誰も出ない。
 背中から脂汗がじわじわと染み出てくる。嫌な予感がする。
 野宮を助けに行かないと!
 傘もささずに会場を飛び出したところでふと思い出した。奥本のマンションがJR沿線だったことを。
「JR、止まってるんだった……」
 乗り換え案内のアプリで調べてみると奥本のマンションから離れているが、私鉄も通っているようだ。しかも地下鉄と乗り入れしているようでコンサートホールの最寄り駅から乗り換えなしで行ける。
 大雨の影響でこちらも遅れているみたいだが動いているならまだ希望はある。
 しかしその希望は地下鉄の駅に着いた時、脆くもあっさりと崩れてしまった。
 駅には僕と同じように考えた人がたくさんいたのだ。
 JRの振り替え輸送客が駅の入り口に長蛇の列を形成している。この分だと駅の構内に入るだけでも相当な時間がかかりそうだ。電車に乗るならさらにかかるだろう。
 僕は列の最後尾に並びスマホである人に電話をかけた。こちらはワンコールでつながった。
「もしもし、倉井か? 今、大丈夫か?」
『今? バイト中だけど客いねーからいいよ」
「大変なんだ。野宮が奥本に監禁されたって」
 監禁という不穏な言葉に前に並んでいた人が怪訝に振り返る。僕は周囲に聞こえないように電話口を手で覆い声を静めた。
『それどういうことだよ!』
「僕も詳しいことはわからない。さっきスマホにメールが来ているのに気づいたんだ。それから電話したんだけど繋がらなかった」
『それやべーじゃんか。オマエ、今どこだ』
「地下鉄東条駅。これから奥本のマンションに向かうとこだ。でも人が多すぎて駅に入れない。どうしよう」
 電話の向こうで舌打ちが聞こえた。
『奥本のマンションに優月がいるんだな?』
「分からないけど、可能性は高い」
『マンションはどこにあんだ?』
「大津駅の近くだ」
 倉井がぶつぶつと「大津ならバイクのほうが早いか……」と呟くのが聞こえた。
『おい、オマエ。そこで待ってろ二十分で行く』
 それだけ言うと電話はぶつっと乱暴に切れた。
 行くって言っても倉井はバイト中らしいし、いくら客がいないといえ勝手に出てきて大丈夫なのだろうか。
 雨脚がどんどん強くなってきた。時より吹く強い風が傘を連れ去らおうとしてくる。
 十分経ったが相変わらず列は大して進まず、代わりにJRに乗れなかった人が後ろに続々と追加されていく。
 吹き付けられた雨が僕のシャツを濡らす。濡れたシャツが僕の体にぴっちゃりとくっつき体温を奪う。
 夏だというのに今はとっても寒い。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

処理中です...