夜の公園で出会った彼女は、死のうとしていた。

秋月とわ

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10.最後の〈やりたいこと〉

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 時計の針は午後七時半を指していた。すでに日はとっぷり暮れおり、遠くにそびえる山々が黒いシルエットを見せている。
 僕たちは幼馴染の家から線路を境に反対側に位置する小学校の前に来ていた。これからタイムカプセルを発掘するのだ。
 小学校の周辺はほとんど民家がなく田んぼばかりだ。一応確認したが、駅の裏側にあたるこのエリアには人通りもない。僕と野宮は正々堂々と正門を乗り越え敷地内に入った。
「確かあの木の下に埋めたと思います」
 野宮が指さしたのは校庭の隅に並んだ木の一つだった。その木の幹は独特な形をしていた。まるで双頭の大蛇が石化されたみたいにグネグネとカーブを描いている。
 根元まで来ると用具入れから拝借したスコップで野宮が指示した辺りの地面を掘り返した。
 誰も踏み込まない校庭の端の土は芝生が根を張り固くなっていた。スコップの先を立てるようにして掘り進める。
 野宮も隣で同じようにスコップを立てる。根を切断するぶちっぶちっという音だけが辺りに響いた。
 根もあらかた除去するとあとは幾分掘りやすくなった。サクサクとテンポよくスコップを動かしているとガンっと硬いものにぶつかった感触がした。もうすこし周辺を掘ると白いプラスチックが見えた。そこから先は素手で土を払うようにして掘る。
 すると一抱えほどの大きさの衣装ケースが姿を現せた。持ち上げるとズシリと重い。これが思い出の重さかとくだらないことを考えながら衣装ケースを穴の外へ出した。
 もともとは白かっただろう衣装ケースの表面は土で汚れてくすんでしまっている。側面には「二〇XX年度 五年一組タイムカプセル」と子供のあどけない字で書かれてあった。
「これか?」
「ええ、これです。懐かしいな」
 野宮は小さくうなずくきながら、タイムカプセルの蓋を開けた。
 中はいろいろな物が乱雑に詰め込まれている。──絵、表彰状、スポーツ大会のメダル、手紙、赤点のテスト……。
 小さい箱の中は子供たちの思い出がいっぱいだった。本当は何年後かにクラス全員を介して行われるはずの開封の儀。それを僕たちが先にやってしまったことに少し後ろめたい気持ちだ。
 一方野宮はそんな後ろめたさもなく餌を与えられた犬のように、しゃがんだままタイムカプセルに腕を突っ込んで中身を漁っている。
 そして一枚の封筒を引っ張り出した。
「あった!」
「何か見つかったのか?」と野宮の肩越しに手許を見ると、そこには『十年後の私へ 小学五年生の野宮優月より』とかわいい字で書かれていた。
「未来の自分への手紙?」
 野宮は答える代わりに振り返った。
「一人一個づつ思い出の品を入れることになってたんです。十年後に開けて懐かしい物を入れようって。他の子は絵や表彰状なんかを入れてましたけど、私は未来の自分に向けた手紙を入れたんです」
「へぇー。小学生のくせに青春してんだな」
「当時の担任がそういうの好きだったんですよ」
 そして野宮は遠い目をして話し出した。
「あれは家族を亡くす一年前の出来事でした。先生がその年いっぱいで転任することになって、思い出作りにってタイムカプセルを埋めることになったんです」
「そんな大切なもの、勝手に掘り返していいのか?」
「いいんです。だって考えてみて下さい。あと何年かしてコレを掘り起こした時、死人の、しかも自殺者の手紙なんか出てきたら、せっかくの雰囲気ぶち壊しでしょ?」
 そう言いながら、野宮はビリビリと封筒の端を破き始めた。封が全部解かれると中からは一枚の可愛らしいキャラクターの便箋が出てきた。
「かわいい便箋だな」
 からかいまじりの口調で言うと野宮はさっと手紙を懐に隠した。恥ずかしいのか耳が赤い。
「ちょっと、勝手に見ないでください! プライバシーですよ」
「あ、ごめん。ここからだと肩越しに見えちゃうんだよ」
 怒られて咄嗟に視線を逸らした。
 別にいいじゃん、自分だって人のプライバシーには土足で踏み入るくせに……。
 無言の時間が流れた。名前も知らない虫が鳴いている。鳴き声的に秋の虫だろうか。季節が変わっていくのを感じる。
 風はないが少し肌寒く空気はもう秋それだった。知らぬ間に夏が終わっていた。
「もういいですよ。読み終わりましたから」
 野宮は振り返りながら、手紙を綺麗に折り畳んでブレザーのポケットにしまった。そしてタイムカプセルを指さした。
「これも埋め直して大丈夫です。このタイムカプセルから私の存在は消えましたから。あとはクラスのみんなが私のことを忘れて懐かしんでくれれば上出来です」
 寂しそうな影がちらちらと頬の辺りを掠める。
 僕はその時、あることを思いついて口許を歪めた。
「野宮、悪いこと思いついちゃった」
「なんです?」
 目を丸くして傾げる野宮に僕は続けた。
「君の他にも手紙を入れている奴がいるだろ? ほら、これなんか封が甘いから読んでもバレないよ」
 僕がタイムカプセルから取り出した封筒は口の部分をのり付けでなく、可愛らしい猫のキャラクターのシールで留められている。
「ダメですよ。そんな友達を裏切るような真似」
「いいじゃん。僕たちもうすぐ死ぬんだし。冥土の土産だよ」
「でも……」
 口許に指を当てて思案顔の野宮。
「大丈夫だって。綺麗に戻すし、せっかく掘り出したんだから少しくらい見たってバチは当たらないよ!」
「……じゃあ少しだけ、ですよ?」
 野宮は僕が手に取った一枚を受け取ると中身を出した。そして読み始める。それを皮切りに封が甘そうな手紙を何枚か読んだ。
 僕も彼女の後ろから手紙を覗いてみたが、内容は将来の夢なり、好きな人なり、懺悔なり、様々だった。
 気がつけば開けれそうな封筒は全部読んでしまっていた。
「もう、いいね? 埋め直すよ」
「はい、結構読んじゃいましたし」
 タイムカプセルに蓋をして穴の中に戻した。掘った土をその上にかぶせていく。
 穴はあっという間になくなり、ただの土の地面に戻った。掘る時に比べて埋めるのはほんの一瞬だった。
「よし、これで元通り」
 埋めた所をしっかりと踏みならす。
「どう? 〈やりたいこと〉全部終わらせた気分は?」
「最高ですね。もう思い残すことはありません」
 野宮は満足そうに顔を綻ばせた。
「それは良かった」
 それから僕たちは用具入れにスコップを返して小学校を後にした。
「あ、ちょっと待ってください」
 国道につながる農道を歩いていると野宮が声をあげた。
「どうした?」
 振り向くと、彼女は畑の傍らで燻っている野焼きの火を見ていた。刈り取った草を一か所に集めて焼却処分している様は田舎ならおなじみの光景だ。
 目の前の野焼きは火がつけられてまだ時間が経ってないのか雑草の隙間からちろちろと赤い炎が顔を出している。
「野宮?」
 野宮はブレザーのポケットからさっきの手紙を取り出すと炎の中に落とした。キャラクターの便箋は炎に包まれ、焦げ茶色になって消えていく。
「えっ? それ大事な物なんじゃないの?」
 目を見開いて驚く僕に野宮は「これでいいんです」と言った。
「どうせ、持っていても死んじゃうんですし、お焚き上げです」
 そして野焼きに向かって俯きながら手を合わせた。僕も野宮の隣で手を合わせて祈った。
 ——僕たちの旅が無事に終わりますように。
「さ、私の未練も天に帰ったことですし——」
 拝み終えた野宮は前屈みになって僕を見上げた。
「天原さん。星、見に行きません?」
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