薄明を待つ天女達~南川下町診療所浮世草子

風鈴

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第一章

妓楼『藤ノ井』へ

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 紅が、妓楼『藤ノ井』に入楼する日は朝からよく晴れていた。診療所の朝は早く相変わらず子供の声があふれていた。
 久乃とはこの1週間でいろいろと話し、紅にとっては有意義な時間だった。特にあまり知らなかった南川遊郭と南川下町診療所との関係は詳しく教えてもらった。遊女としての基本の作法等も細かに話をしてくれた。そして、外出もままならなくなると言って、繁華街にあるデパートに連れて行ってもらった。紅にとっては初めての経験だったので何もかもが物珍しくしている様子を久乃が嬉しそうに眺めていた。
 紅にとって久乃はあの時に嗅いだ匂いにとても似ていて安心する。久乃は紅の素直な心根を好ましく思うのだった。
 入楼の日は久乃は仕事の為に紅はひとりで迎えを待つことになっていた。彼女への挨拶はこれから先に何度も会えるから無しで良いと言われたので、紅は診療所の前でひとり迎えを待った。
 9時に診療所の前には良弥の指示で『藤ノ井』より黒塗りの車が迎えに来た。妓楼『藤ノ井』とは遊女としての契約を昨日のうちに良弥が診療所に再訪問して久乃の立ち会いの下に終わっている。こまごました書面は読んでおくようにと渡されて紅はしっかりと頭に入れた。
「おはようございます、今日からよろしくお願いします」
 紅は、迎えの人に挨拶する。
「おはようございます、今日から頼みます」
 彼は笑顔で声を掛けた。そして紅を後部席に乗せて、南川遊郭の中へと入って行く。南川遊郭には、大小20の妓楼がある。各妓楼の周りは堀がめぐらされている。これは昔の名残で遊女が逃げても簡単に行けないようにするための物だった。今は、車の行き来もあるので埋められている場所もあるが、それでも遊女が逃げられないように考えられていた。各妓楼の店構えはそれぞれ意匠を凝らせて和風、洋風、中華風等様々だった。
 妓楼『藤ノ井』は、南川遊郭の1番奥に位置して、和、洋折衷で一、二階部分は和風で、三階以上は洋風な窓が沢山ついていた。車は、『藤ノ井』の横側の橋の前に横づけされた。紅が『藤ノ井』に向かって橋を渡り迎えの人と塀の中に入るとするすると橋が跳ね上がり、紅の視界は真っ暗になった。自分が先ほどまでいた場所と自分がこれから進む場所を分け隔てられ閉ざされてしまった感じがした。羽根橋を驚きながら見ていると迎えの人がその様子を見ながら言う。
「勝手に遊女が、1人で『藤ノ井』から出ることは許されません。遊女の出入りはここしかありません。この橋は遊女が年季が終わって清算して出るか、他の所に移籍するか、亡くなって渡る時以外は一人で渡ることは許されていません」
 迎えの者の言葉が重く紅に響く。紅は不安になり彼を見た。彼は紅の不安を気付かぬようにニコリと笑った。
「はい」
 かろうじて返事するが、急に浮き足立っていた心に大きな石を投げつけられたように思った。
「紅玉さんは、久乃先生のお手伝いに行くために大門を出入りされますが、その時は必ず世話をする侍従が付き添います。ただ、遊郭内と言えども一人で勝手に歩き回ることはできませんのであしからずご了承ください」
「紅玉?」
「それは、中で支配人が待っておりますので、支配人にお聞きください」
「わかりました」
 引き戸の横にあるボタンを迎えの人が押すと塀の内側の戸が開いた。中は、土間が切ってあって、そこで靴を脱いで靴袋に入れて男の後をついて行く。
 そこには色々な人が掃除をして忙しそうに動いていた。誰も紅を見ることはない、今している仕事に集中している様だった。
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