薄明を待つ天女達~南川下町診療所浮世草子

風鈴

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第三章

遊女の恋(茜凛)(6)

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 その夜、茜凛は古くから『藤ノ井』をご贔屓していただいている、南川町の老舗和菓子店のご隠居様に紹介された一見さんのお客様をお迎えするために2階の部屋で待っていた。茜凛の目は少し腫れは引いてもう涙は出ていない。ただ、ご紹介のお客様でお一人で来るお客様はとても珍しい。大体のご紹介される方と一緒に会食後だったり、お仕事の後だったりに一緒に来られるのが普通であった。その上に8時の妓楼は開店していてもラウンジにもお客様がほとんどいない。
 妓楼の時間としては宵の口でお座敷に上がれる一見さんはご紹介者の特別なお客様に当たると予想できた。茜凛はご紹介者のご隠居様の顔を潰さないようにと心掛けようと思っていた。誰だろかと思案しながも、神田でのご隠居様のお客様なら悪い人はいないと考えていた。
 8時に黒い車が到着する。村雨が玄関に座って出迎えた。2人は目を合わせたが無言で階段を登って行き、茜凛の待つ部屋の前で立ち止まる。村雨はドアをノックしてお客様を案内する。
「お客様のお着きです」
 村雨の声を聞いて茜凛は頭を下げて出迎える。ドアが開いてお客様が部屋に入って行く。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま、旦那さんだよ。茜」
 茜凛は声を聞いて驚いて顔を上げる。茜凛の目は涙でもう崩壊していた。
「……旦那さん……おかえりなさい」
 茜凛は立ち上がり旦那さんの胸に飛び込んだ。言葉を詰まらせて言う。
「平太さん、もう会えないと思っていた」
「大丈夫だよ、しばらく会えないだけだよ」
 平太は、優しく彼の身体を抱きしめる。そして、茜凛の涙をハンカチで拭って話しかけた。
「あまり時間がない、急いで言うから不服でも従って欲しい」
「はい」
 2人はソファに腰をかけて見つめ合いながら話す。
「第一に俺はαになった。だからここにはいられない。第二に、学がない俺を育ててくれると言う方が居て、その方に色々と教えてもらうためにその方の秘書として頑張る。第三にお前の身請け話だが、怪しいところとの関係があると言う事で破談にすると聞いている。その件は楼主と支配人が動くのでお前は気にしないように知らない顔で過ごせば良い。第四に、お前の発情期の床入りは、始めの計画通りにするらしい。第五に俺はお前を身請けに来るからどんな事があっても頑張れ」
 茜凛は、平太の状況が思って悩んでいたこととは違ったことに安堵した。そして、平太の顔を見て紅玉と話して決めたことを平太に告げた。
「わかった。僕から一つ僕の旦那さんは平太だよ、二つ、平太がぐずぐずしたら、僕が清算して旦那さんのところに押しかける。だからそれまでに迎えに来て欲しい」
「わかった。二つ目はすごく魅力的だな」
「うん、紅玉と話してて決めたんだ」
 瞳に涙を溜めてそしていつもの茜凛の声で平太に話す。涙声で別れたくないと必死に腹に力を入れていた。
「紅玉は、賢い人だから何かあれば相談すると良い、久乃先生がもれなくついて来る」
「うん」
 平太はもう一度茜凛の目の下をハンカチで押さえて見つめる。茜凛は平太の顔に手を添えて網膜だけでなく掌にも平太を刻んだ。見つめる2人の唇は合わさって深くなるが、その気配を察知しながら絶妙なタイミングで村雨が声を掛けてきた。
 一見のお客様と長くはいられない。平太は今ここでは神田のご隠居様のご紹介者であり、茜凛とは初対面であるのだ。長年ここに暮らす2人には嫌と言うほど知っている現実だ。残された僅かに平太はスーツのポケットから箱を取り出した。
「茜、待ってて欲しい、次に君に会いに来るまで」
 箱を茜凛の前に差し出す。茜凛はそれを見て箱を黙って開けるとそこにはアメジストのブローチが入っていた。彼はとびきり可愛く笑って平太を見た。そして平太も笑いながら茜凛の胸元につけてあげた。
「ありがとう、旦那さん。大事にする」
 茜凛は嬉しそうにブローチを見つめる。平太は頷き立ち上がり愛しい人の手を離さずに玄関まで連れて行く。そして、名残惜しそうに手を離した。黒い車の後部座席が開く。平太は玄関に向かい『藤ノ井』に最敬礼をして車に乗った。
 茜凛は車を追いかけていたかったが、村雨が後ろから優しくそして強く抱きしめてくれたからそれ以上は動けなかった。
 茜凛のプロモーターからの身請けは、相手側の事務所より海外のセレブに売り渡す念書が出てきた、それを突き付けると相手側から身請けを引っ込めた。その後平太の穴は少しずつ埋まっていく。
 茜凛が次の発情期に旦那様と床入りすることになった。それからの茜凛は、吹っ切ったように明るくなった。お客様も明るい茜凛見たさに店を訪れる。
 楼主が、ラウンジにピアノを置きピアニストを呼んで、茜凛のステージを開催した。それで若いお客様も増えてきた。
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