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4 誕生日プレゼント(1)
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十二月に入った水曜日。
いよいよ今日は神原社長の誕生日だ。
夜中の十二時ぴったりにケーキや神原グッズを並べ、写真や動画を撮りまくり、彼がこの世に生まれてくれた感謝をポエムにして朗読し、無事にひとり神原社長誕生祭を済ませた夕美だが、本番はこの後である。
夜中の一時半に就寝して、いつもと同じ時刻に起床。
出勤する身支度を整えた夕美は、玄関横に立てかけてある全身鏡の前に立ち、よしっ、と気合いを入れた。
夕美がアパートの玄関ドアを開けて外に出たと同時に、隣の住人もドアを開けて出てくる。
「あっ、おはようございます」
夕美が挨拶をすると、隣人の男性もペコッと頭を下げる。
「……はよう、ござい、ます……」
ボソリと挨拶を返した男性は、そそくさと夕美の前を通り、去っていった。
男性の雰囲気から、夕美と同じ二十代なのだろうが、彼の前髪が長く、マスクをしてメガネをかけているので、顔がよくわからない。いや顔だけではなく、名前も、何をしている人なのかも、わからなかった。
夕美が就職した頃に、この男性が隣に引っ越してきたくらいの情報しかない。
地方出身の夕美からすれば、身近な人を知らないことは有り得ないが、東京ではいちいち気にする人はいないので、それに従い詮索しないでいる。
ただ、少々引っかかることがあった。
(お隣さん、たまにこうして見かけるけど、誰かに雰囲気が似てる気がするんだよね。有名人じゃなくて……、どこかのお店のスタッフさん? ランチをしたカフェ、コンビニのレジ、ドラッグストアのお兄さん……うーん、どれも違う……)
歩きながら考えるも、わからない。
(もしかして同郷の人? だとしても、知り合いだったら声をかけてくるか……)
思い出せないのなら、堂々巡りを続けても無駄だ。
取りあえずその疑問は横に置いておき、今日の重大な予定で胸をときめかせることにした。
(私が選んだプレゼント、社長が喜んでくれますように……!)
神原社長が喜んでくれた時の笑顔を拝めるかもしれない。
そんな期待を胸に、夕美は足取り軽く、駅へと向かった。
――午後、四時過ぎ。
あたりはすでに薄暗く、時折吹いてくるビル風が身を切るように冷たい。
社内で社長の誕生日サプライズに参加できなかった夕美の身には、冬の寒さが格段に堪えた。
(こんな時に限って急に客先で打ち合わせになるとか……、ツラすぎない? Web対面じゃダメって言われたけど、いざ行ってみたらそんなことなかったし……)
急遽、古民家再生プロジェクトの件で担当している取引先に、午後から直に打ち合わせをしたいと言われて出向いたのだが、予想を上回る時間の長さになってしまったのだ。
さすがに今日だけは勘弁してほしかった、というのが正直な気持ちである。
社長にプレゼントを渡すという、時間にして十分足らずの企画とはいえ、年に一度の貴重な時間だったのだから。
でも、と夕美は顔を上げて口を引き結ぶ。
(これも社長のために頑張るお仕事なんだから、ツラいなんて思っちゃダメ。そうよ、社長の会社で仕事をすることは、私の一番の推し活なんだから。打ち合わせは上手くいったんだもの、グチグチ言わない!)
夕美はバッグからスマホを取り出し、メッセージをひらいた。
(社長があのプレゼントを喜んでくれたみたいで本当に良かった。室井さんが送ってくれた写真と動画、何回も見返しちゃう)
オフィスビルのエレベーターにひとりで乗り込んだ夕美は、スマホの画面に映る社長を見つめて頬を緩ませる。
nano-haカンパニーは70名ほどの社員で構成されており、和気藹々とした雰囲気の職場だ。ワンフロアのオフィスでは、関わる仕事は別でも皆仲が良い。
働きやすい職場を作ってくれている神原社長に、社員からささやかな誕生日プレゼントを渡すというサプライズが、夕美が入社した時にはすでに恒例となっていた。
社長に限らず、社員も仕事の貢献度によってちょっとした贈り物をもらうことがある。今年の夕美は、先輩の仕事を上手く引き継げたからということで、自分では買わない高級なバスボムをもらった。
今年はプレゼントを選ぶ係が室井だったので、夕美は彼女に社長のプレゼントを相談されたのである。
そして今日、社長がいる予定の午後にサプライズは行われた。その様子を室井がビデオに収めて夕美のスマホに送ってくれたのだ。
嬉しそうにプレゼントを開けて喜ぶ神原社長の顔が、今の夕美には最高のご褒美だった。
「私にとって社長の笑顔はファンサよ、ファンサ。ああ、この笑顔を間近で、せめて同じ空間で見たかったなぁ……」
そんな幸せな気持ちも束の間。
エレベーターを降りた途端、この後の予定が頭に浮かんで気が重くなる。
デスクに戻ったら早急に残りの業務を終わらせて、室井たちと合コンに向かわなければならないからだ。
夕美はスマホをバッグにしまって、小さくため息を吐いた。
(この動画の社長を見つめているだけのお仕事をしていたい……)
自分で合コンに参加することを決めたのに、頭に浮かぶのは神原社長のことばかり。
(本音を言えば、仕事が終わったらすぐに家へ帰って、社長のお誕生日祝いの続きをひとりで満喫したい。……なんて思ったら、室井さんに申し訳ないよね。気持ちを切り替えて、さっさと仕事を終わらせよう)
と、オフィスに入ろうとした時だった。
「奥寺さん、お帰り」
後ろから掛けられた声に、夕美の心臓がドキーンと大きな音を立てる。この声は……!
「か、神原社長!」
勢いよく振り向いた夕美は、神原に深くお辞儀をした。
「ただいま戻りました! 社長、お誕生日おめでとうございますっ!」
緊張のあまり、彼の顔をほとんど見ずに挨拶をしてしまう。
「ありがとう。奥寺さんもお疲れ様でした。横浜に行ってたんだってね。急に呼ばれたって聞いたから」
「あっ、いえ、ありがとうございます。古民家の件でT社に行ってまいりました」
顔を上げると、こちらを優しく見つめる神原と目が合った。夕美の頬がますます熱くなる。
誕生祝いの場に夕美がいなかったのを知っていてくれた。それだけで、とてつもなく嬉しい。
夕美を見つめていた神原がニコッと笑い、腕に着けている時計をこちらへ向けた。
「さっきみんなからいただいた、このプレゼント。奥寺さんが選んでくれたんだって? 室井さんから聞いたよ、ありがとう」
思わず彼の笑顔に見とれてしまったが、夕美は慌てて手のひらを自分の顔の前で振った。
「いえ、とんでもないです! 気に入っていただければ嬉しいのですが……」
「もちろん気に入ったよ。すごく素敵な腕時計だね」
優しげに笑う彼の表情に胸がじんとする。喜んでもらえたことに心から安堵し、笑顔を返した。
「良かったです。本当に素敵な時計ですよね」
「本気でこれから毎日着けようと思ってる。それで、この時計について君に聞きたいことがあるんだけど、仕事の後で、少し話を聞けないかな?」
いよいよ今日は神原社長の誕生日だ。
夜中の十二時ぴったりにケーキや神原グッズを並べ、写真や動画を撮りまくり、彼がこの世に生まれてくれた感謝をポエムにして朗読し、無事にひとり神原社長誕生祭を済ませた夕美だが、本番はこの後である。
夜中の一時半に就寝して、いつもと同じ時刻に起床。
出勤する身支度を整えた夕美は、玄関横に立てかけてある全身鏡の前に立ち、よしっ、と気合いを入れた。
夕美がアパートの玄関ドアを開けて外に出たと同時に、隣の住人もドアを開けて出てくる。
「あっ、おはようございます」
夕美が挨拶をすると、隣人の男性もペコッと頭を下げる。
「……はよう、ござい、ます……」
ボソリと挨拶を返した男性は、そそくさと夕美の前を通り、去っていった。
男性の雰囲気から、夕美と同じ二十代なのだろうが、彼の前髪が長く、マスクをしてメガネをかけているので、顔がよくわからない。いや顔だけではなく、名前も、何をしている人なのかも、わからなかった。
夕美が就職した頃に、この男性が隣に引っ越してきたくらいの情報しかない。
地方出身の夕美からすれば、身近な人を知らないことは有り得ないが、東京ではいちいち気にする人はいないので、それに従い詮索しないでいる。
ただ、少々引っかかることがあった。
(お隣さん、たまにこうして見かけるけど、誰かに雰囲気が似てる気がするんだよね。有名人じゃなくて……、どこかのお店のスタッフさん? ランチをしたカフェ、コンビニのレジ、ドラッグストアのお兄さん……うーん、どれも違う……)
歩きながら考えるも、わからない。
(もしかして同郷の人? だとしても、知り合いだったら声をかけてくるか……)
思い出せないのなら、堂々巡りを続けても無駄だ。
取りあえずその疑問は横に置いておき、今日の重大な予定で胸をときめかせることにした。
(私が選んだプレゼント、社長が喜んでくれますように……!)
神原社長が喜んでくれた時の笑顔を拝めるかもしれない。
そんな期待を胸に、夕美は足取り軽く、駅へと向かった。
――午後、四時過ぎ。
あたりはすでに薄暗く、時折吹いてくるビル風が身を切るように冷たい。
社内で社長の誕生日サプライズに参加できなかった夕美の身には、冬の寒さが格段に堪えた。
(こんな時に限って急に客先で打ち合わせになるとか……、ツラすぎない? Web対面じゃダメって言われたけど、いざ行ってみたらそんなことなかったし……)
急遽、古民家再生プロジェクトの件で担当している取引先に、午後から直に打ち合わせをしたいと言われて出向いたのだが、予想を上回る時間の長さになってしまったのだ。
さすがに今日だけは勘弁してほしかった、というのが正直な気持ちである。
社長にプレゼントを渡すという、時間にして十分足らずの企画とはいえ、年に一度の貴重な時間だったのだから。
でも、と夕美は顔を上げて口を引き結ぶ。
(これも社長のために頑張るお仕事なんだから、ツラいなんて思っちゃダメ。そうよ、社長の会社で仕事をすることは、私の一番の推し活なんだから。打ち合わせは上手くいったんだもの、グチグチ言わない!)
夕美はバッグからスマホを取り出し、メッセージをひらいた。
(社長があのプレゼントを喜んでくれたみたいで本当に良かった。室井さんが送ってくれた写真と動画、何回も見返しちゃう)
オフィスビルのエレベーターにひとりで乗り込んだ夕美は、スマホの画面に映る社長を見つめて頬を緩ませる。
nano-haカンパニーは70名ほどの社員で構成されており、和気藹々とした雰囲気の職場だ。ワンフロアのオフィスでは、関わる仕事は別でも皆仲が良い。
働きやすい職場を作ってくれている神原社長に、社員からささやかな誕生日プレゼントを渡すというサプライズが、夕美が入社した時にはすでに恒例となっていた。
社長に限らず、社員も仕事の貢献度によってちょっとした贈り物をもらうことがある。今年の夕美は、先輩の仕事を上手く引き継げたからということで、自分では買わない高級なバスボムをもらった。
今年はプレゼントを選ぶ係が室井だったので、夕美は彼女に社長のプレゼントを相談されたのである。
そして今日、社長がいる予定の午後にサプライズは行われた。その様子を室井がビデオに収めて夕美のスマホに送ってくれたのだ。
嬉しそうにプレゼントを開けて喜ぶ神原社長の顔が、今の夕美には最高のご褒美だった。
「私にとって社長の笑顔はファンサよ、ファンサ。ああ、この笑顔を間近で、せめて同じ空間で見たかったなぁ……」
そんな幸せな気持ちも束の間。
エレベーターを降りた途端、この後の予定が頭に浮かんで気が重くなる。
デスクに戻ったら早急に残りの業務を終わらせて、室井たちと合コンに向かわなければならないからだ。
夕美はスマホをバッグにしまって、小さくため息を吐いた。
(この動画の社長を見つめているだけのお仕事をしていたい……)
自分で合コンに参加することを決めたのに、頭に浮かぶのは神原社長のことばかり。
(本音を言えば、仕事が終わったらすぐに家へ帰って、社長のお誕生日祝いの続きをひとりで満喫したい。……なんて思ったら、室井さんに申し訳ないよね。気持ちを切り替えて、さっさと仕事を終わらせよう)
と、オフィスに入ろうとした時だった。
「奥寺さん、お帰り」
後ろから掛けられた声に、夕美の心臓がドキーンと大きな音を立てる。この声は……!
「か、神原社長!」
勢いよく振り向いた夕美は、神原に深くお辞儀をした。
「ただいま戻りました! 社長、お誕生日おめでとうございますっ!」
緊張のあまり、彼の顔をほとんど見ずに挨拶をしてしまう。
「ありがとう。奥寺さんもお疲れ様でした。横浜に行ってたんだってね。急に呼ばれたって聞いたから」
「あっ、いえ、ありがとうございます。古民家の件でT社に行ってまいりました」
顔を上げると、こちらを優しく見つめる神原と目が合った。夕美の頬がますます熱くなる。
誕生祝いの場に夕美がいなかったのを知っていてくれた。それだけで、とてつもなく嬉しい。
夕美を見つめていた神原がニコッと笑い、腕に着けている時計をこちらへ向けた。
「さっきみんなからいただいた、このプレゼント。奥寺さんが選んでくれたんだって? 室井さんから聞いたよ、ありがとう」
思わず彼の笑顔に見とれてしまったが、夕美は慌てて手のひらを自分の顔の前で振った。
「いえ、とんでもないです! 気に入っていただければ嬉しいのですが……」
「もちろん気に入ったよ。すごく素敵な腕時計だね」
優しげに笑う彼の表情に胸がじんとする。喜んでもらえたことに心から安堵し、笑顔を返した。
「良かったです。本当に素敵な時計ですよね」
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