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本編
34)久々の二人旅
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クランストン宰相が一か月以上職場を離れる、と聞かされた政務官達は動揺を抑えきれなかった。あの! 優秀で優しくて人の話を聞いてくれて休暇の許可もすぐに出してくれてあとついでに可愛いクランストン宰相が!
一ヵ月以上も不在になる!
政務官達は思った、この一ヵ月、どうやって過ごそう……と。
例えばプリン片手に厳しい指示を出したり、頬が膨らむほどに美味しそうにカップケーキを食べていたり、心配そうに「君、今月は休みを取っていないようだが大丈夫か?」と上目遣いに聞いてきたり。
そんな政務室のオアシスである宰相閣下が不在だなんて……もう政務官達の士気はだだ下がりである。
やる気のない顔と空気が、ここ、政務室には充満していた。
「アンドリューさん……閣下、いつお戻りになるんですかぁ……」
「今日出立したばかりだろうが。予定は一ヵ月だからな」
アンドリューは机の上で伸びている部下の頭を丸めた書類でぺしりと叩いた。宰相閣下がいないからと言って、だらしがない。
今頃、クランストン宰相閣下は馬上の人だろう。
家族の方は一足先に辺境へ戻ったそうで、クランストン宰相閣下のみ仕事の都合で今日になったとのことだ。
そして、馬車ではなく馬で移動するのだという。貴族は誰しも馬に乗れるのは間違いないが、数日の移動で馬車を使わずに馬でだけ移動するのは珍しい。
馬車で優雅に移動し、行く先々で迷惑を吹っ掛けながら美食に舌鼓を打つのが普通だ。
聞けば、クランストン宰相閣下は例の護衛のドーヴィと二人で野営をしながら辺境に戻るのだと。本人が楽しそうに「久々に身軽な旅だ」と言っていたことから、クランストン宰相閣下はどうやら野営の旅がお好きらしい。
さすがに護衛と二人きりは……と難色を示す者もいたが、クランストン宰相閣下に困ったような顔と共に「あまり人が多いと私が守り切れない」と言われて黙った。
あ、クランストン宰相閣下、護衛される側じゃなくて護衛する側なんだ、と。
むしろ護衛する側どころか、有事の際に手が滑って護衛もろとも……となる可能性の方が高いのだとか。
そういうわけで、数日前からうきうきそわそわルンルンしていたクランストン宰相閣下は、護衛のドーヴィと共に本日の朝に、王城を出たのであった。
「クランストン宰相閣下がいない間も気を抜くなよ。帰ってきたら問題が増えてましたとなったら、閣下に顔向けできん」
アンドリューにそう発破をかけられ、ようやく政務官達はのろのろと動き出したのであった。
☆☆☆
くしゅん、とグレンが小さなくしゃみをした事を聞き咎めたドーヴィはちらりと空を見上げた。
曇り空で気温が上がらず、このままだと太陽が落ち始めてからはさらに肌寒くなるだろう。
「グレン、予定より早いが次の野営地で今日は野営にするか。思ってたより天気が崩れそうだ」
「う、うむ。薄着をしたつもりはないが、予想より寒いな……」
「風邪を引いちゃならねえからな」
ドーヴィは馬の上で器用に上着を脱ぐと、魔法でふわりと飛ばしてグレンに羽織らせた。グレンも同じように器用なもので、馬の上でバランスを取りながらぶかぶかの上着に腕を通した。
「なあに、多少予定が狂ったってどうとでもなるさ」
軽い口調でドーヴィが言った。その言葉を聞いて、グレンも顔を緩ませる。
「遅刻したら困る予定があるわけでもないしな。ドーヴィ、今日の野営食は野菜のスープがいい」
「おうよ。ちゃんとニンジンも入れるからな」
「……じゃあやっぱりパンでいい」
「野菜を食え野菜を」
思わずドーヴィはツッコミを入れた。辺境の料理長とグレンの食生活について検討を重ねているうちに、すっかりグレン専属の栄養士になりつつあったりする。
馬の背に載せた荷物の中には辺境までの旅路に必要な食料が積まれていた。もしそれで足りなければ、道すがらの村や町で調達すればいいし、それでも足りなければその辺で適当に野生動物を狩れば良いのだ。
何でもできる悪魔ことドーヴィは、料理もできるがサバイバルの知識も技術もある。スーパーベビーシッターだ。
国政について真面目な雑談をしつつ、二人は野営地に到着する。街道の脇にある、小さな空き地だ。
他に人はいないようで、ドーヴィはひっそりと他の人間が来ないように結界を張る。せっかくの二人旅なのだから、野営だって二人きりでやりたいじゃないか。
まあ万が一、緊急性の高い旅人がいればその時は仕方なく入れてやろう。そう、ドーヴィはなんだかんだいって、悪魔なのだ。追い出さずに野営地に入れてやることをも一応は考慮するあたり、やはり非常に優しい悪魔である。
そんな事を護衛がやっていると知らない宰相閣下殿は、ぶかぶかな上着を着たままに馬を木に繋いでいる。
「グレン、どうする、もう少し厚着にするか?」
自分の上着を着たまま、かなり余っている袖を持て余しているグレンに聞く。グレンはそう言えば上着を借りていたのだった、と思い出した。
「荷物を引っ張り出すのも面倒だから……ドーヴィが寒く無ければ、このままで良いと思うのだが」
「俺は別に寒さも感じねえからなあ。お前がその袖、邪魔にならないって言うならそれ着とけよ」
「わかった」
ドーヴィはグレンの前に体を屈め、上着の前を閉めてやった。そして、袖も巻くって邪魔にならないように革紐で腕に括りつける。
「これでいいだろ」
よし、とドーヴィがグレンの頭にぽんと手を置く。
ドーヴィが着れば腰あたりまでしかない上着も、グレンが着れば膝上あたりに裾が並ぶ。サイズ感の違いがはっきりわかって……ドーヴィは悪くないな、眼福眼福、とグレンを眺めた。
「……ドーヴィの上着は、ずいぶん大きいな」
どうやらグレンもだいたい似たような事を思っていたらしい。グレンの華奢な肩で上着を支え切れるのかと心配になるほど、上着の方がどう見てもグレンを食っている。
「そりゃあ俺のやつは貴族用じゃなくて平民用の旅装だからなぁ。しかもどっちかって言えば、戦場を走る戦士や傭兵が着るようなごついやつだ」
貴族用の旅装となれば、やはり機能面よりも装飾面が重視されるというもの。
グレンは物珍しそうに平民用の旅装を手で触って確かめていた。貴族用と違い、一切刺繍も何もない、ただ防寒と防水を重視しただけの無骨な上着。
「平民用と言っても、それかなり高い品物だけどな」
「そうなのか……しかし、それでも僕たちが使っているものよりは安いんだろう?」
ドーヴィは野営の準備を進めつつ、グレンの問いに頷く。ちなみにグレンは野営地に用意されている木製のベンチにちょこんと座って待っているだけだ。その辺は、さすが貴族子息。様々な準備は、全て使用人がやってくれるのが当然。
まあ、ドーヴィもそうやって待っているグレンにどうしても幼鳥のような可愛さを見出してしまうので……だいぶグレンの可愛いさに頭をやられている。
「ふむ。だとしたら、これに多少の飾りを付けて王城の使用人の普段使いにするというのはどうだろうか? 一から個人個人に上着を仕立てるよりは、安上がりではないだろうか」
「あーなるほどな。さすがにこのまんまじゃ嫌がるやつも多いだろうが、それっぽい飾りをつけるなら案外ありじゃないか?」
「検討の余地は十分ありそうだな……」
こんな時でも、真面目な宰相閣下だ。グレンはごそごそと自分の荷物からメモ帳を取り出してサラサラと今の話を書き留めている。
そこから、料理の合間にドーヴィはグレンの質問にいろいろと答えてやった。いくらぐらいで買えたのか、どの店で買ったのか、他のサイズはあるか、もう少し薄手のものはあるか……などなど。
この上着はクランストン辺境領で購入したものだ。以前、貴族会議に出席するグレンと二人で旅をした時用に。
(もう懐かしく感じる、か……そんな経ってないはずなんだが)
あの時は、王都に近づくにつれてグレンは食事も覚束なくなり、常に青白い顔をしていた。道中で、たまに吐くものも無いのに嘔吐していたことも覚えている。
そして、帰りは――グレンは、意識を失っていた。だから、ドーヴィはグレンを抱えてさっさと転移して、辺境に帰っている。
「いやあ、やっぱ懐かしいねえ……」
「? 何の話だ?」
「……何でもないさ」
あの時の事を、『懐かしい』と気軽に語れるほど、グレンの傷は治っていない。まだまだ、思い出すだけで具合を悪くするのだ。
本人も無意識に記憶を抑え込んでいるのか、よほど直接的にあの時の事を話しかけない限りは、声を掛けられてもグレンはきょとんとした顔を返すことが多い。
貴族会議前後の記憶が混濁したまま、いまだはっきりしていないのも原因だろう。
だが、ドーヴィはそれでいいと思っている。あんなに辛く苦しいものを別に思い出す必要なんてない。
そのうち、いつかグレンがそれらを『懐かしい』と言える日も来るだろう。それまで長い付き合いになるだろうが、ドーヴィはどこまでも付き合っていくつもりだ。
(あの時は、まだグレンともそこまで信頼関係を築けていなかったなぁ)
どこかグレンはドーヴィの力を疑っていたし、甘えることもできなかった。ドーヴィはドーヴィで「必要になれば向こうから言ってくるだろ」と高を括っていた部分もある。
……沸騰した鍋にスープの材料を入れながら、ドーヴィは苦虫を嚙み潰したような顔をした。あれは、明らかに自分の大失態だ。
従来の契約主がすぐに何でもかんでもドーヴィに「おねだり」をしてきたものだから……グレンも、そうして言ってくれるものだとばかり。
ドーヴィはため息をついて首を振った。グレン程ではないが、ドーヴィもあまりあの辺は思い出しても面白くない。
「グレン、そろそろスープができるから器を持ってきてくれないか」
「わかった」
いつの間にかグレンは何かしらの書類を熱心に読んでいた。それでも、ドーヴィがそうやって声を掛けると書類を片付けて、いそいそと嬉しそうに器を用意する。
「……ドーヴィ、僕の器にニンジンが入っているのだが? 宰相の器にニンジンは不要ではないかな?」
「なーに馬鹿な事言ってんだ、宰相閣下殿にもニンジンは必要に決まってんだろ」
「うう……ドーヴィがいじわるだ……」
「はいはい、いじわるでも何とでも。俺は料理長にお前の食生活を何とかしてくれって頼まれてんだ」
料理長の名前を出せば、グレンは唇をぐっと引き結ぶ。やはり辺境の、ずっとグレンを支えてくれた味方だった人たちには弱いグレンだ。
「……口直しにちゃーんと王都の有名菓子店が作ったシュークリームを用意してあるからな」
「なんだと!? それを早く言えドーヴィ!」
ニンジンを前に渋い顔をしていたグレンは、ぱぁっと顔を輝かせた。出立の前日に、ドーヴィが長時間並んで入手したとっておきのシュークリームだ。
悪魔の力を持ってすれば、何でも冷蔵できる。つまり、シュークリーム以外にも、グレンのためにどっさりお菓子を買い込んであったりする。
強面の長身男性が菓子店で「左から右まで全部1つずつ」と注文したものだから、少しばかり騒々しくはなったが。グレンのこの笑顔が見れると思えば、簡単で安い買い物だ。
---
土日は更新ありません
ゆっくり休みます……
ドーヴィのぶかぶかな上着を着るグレンくんは可愛い
超ぶかぶかで萌え袖ですようひょーー
一ヵ月以上も不在になる!
政務官達は思った、この一ヵ月、どうやって過ごそう……と。
例えばプリン片手に厳しい指示を出したり、頬が膨らむほどに美味しそうにカップケーキを食べていたり、心配そうに「君、今月は休みを取っていないようだが大丈夫か?」と上目遣いに聞いてきたり。
そんな政務室のオアシスである宰相閣下が不在だなんて……もう政務官達の士気はだだ下がりである。
やる気のない顔と空気が、ここ、政務室には充満していた。
「アンドリューさん……閣下、いつお戻りになるんですかぁ……」
「今日出立したばかりだろうが。予定は一ヵ月だからな」
アンドリューは机の上で伸びている部下の頭を丸めた書類でぺしりと叩いた。宰相閣下がいないからと言って、だらしがない。
今頃、クランストン宰相閣下は馬上の人だろう。
家族の方は一足先に辺境へ戻ったそうで、クランストン宰相閣下のみ仕事の都合で今日になったとのことだ。
そして、馬車ではなく馬で移動するのだという。貴族は誰しも馬に乗れるのは間違いないが、数日の移動で馬車を使わずに馬でだけ移動するのは珍しい。
馬車で優雅に移動し、行く先々で迷惑を吹っ掛けながら美食に舌鼓を打つのが普通だ。
聞けば、クランストン宰相閣下は例の護衛のドーヴィと二人で野営をしながら辺境に戻るのだと。本人が楽しそうに「久々に身軽な旅だ」と言っていたことから、クランストン宰相閣下はどうやら野営の旅がお好きらしい。
さすがに護衛と二人きりは……と難色を示す者もいたが、クランストン宰相閣下に困ったような顔と共に「あまり人が多いと私が守り切れない」と言われて黙った。
あ、クランストン宰相閣下、護衛される側じゃなくて護衛する側なんだ、と。
むしろ護衛する側どころか、有事の際に手が滑って護衛もろとも……となる可能性の方が高いのだとか。
そういうわけで、数日前からうきうきそわそわルンルンしていたクランストン宰相閣下は、護衛のドーヴィと共に本日の朝に、王城を出たのであった。
「クランストン宰相閣下がいない間も気を抜くなよ。帰ってきたら問題が増えてましたとなったら、閣下に顔向けできん」
アンドリューにそう発破をかけられ、ようやく政務官達はのろのろと動き出したのであった。
☆☆☆
くしゅん、とグレンが小さなくしゃみをした事を聞き咎めたドーヴィはちらりと空を見上げた。
曇り空で気温が上がらず、このままだと太陽が落ち始めてからはさらに肌寒くなるだろう。
「グレン、予定より早いが次の野営地で今日は野営にするか。思ってたより天気が崩れそうだ」
「う、うむ。薄着をしたつもりはないが、予想より寒いな……」
「風邪を引いちゃならねえからな」
ドーヴィは馬の上で器用に上着を脱ぐと、魔法でふわりと飛ばしてグレンに羽織らせた。グレンも同じように器用なもので、馬の上でバランスを取りながらぶかぶかの上着に腕を通した。
「なあに、多少予定が狂ったってどうとでもなるさ」
軽い口調でドーヴィが言った。その言葉を聞いて、グレンも顔を緩ませる。
「遅刻したら困る予定があるわけでもないしな。ドーヴィ、今日の野営食は野菜のスープがいい」
「おうよ。ちゃんとニンジンも入れるからな」
「……じゃあやっぱりパンでいい」
「野菜を食え野菜を」
思わずドーヴィはツッコミを入れた。辺境の料理長とグレンの食生活について検討を重ねているうちに、すっかりグレン専属の栄養士になりつつあったりする。
馬の背に載せた荷物の中には辺境までの旅路に必要な食料が積まれていた。もしそれで足りなければ、道すがらの村や町で調達すればいいし、それでも足りなければその辺で適当に野生動物を狩れば良いのだ。
何でもできる悪魔ことドーヴィは、料理もできるがサバイバルの知識も技術もある。スーパーベビーシッターだ。
国政について真面目な雑談をしつつ、二人は野営地に到着する。街道の脇にある、小さな空き地だ。
他に人はいないようで、ドーヴィはひっそりと他の人間が来ないように結界を張る。せっかくの二人旅なのだから、野営だって二人きりでやりたいじゃないか。
まあ万が一、緊急性の高い旅人がいればその時は仕方なく入れてやろう。そう、ドーヴィはなんだかんだいって、悪魔なのだ。追い出さずに野営地に入れてやることをも一応は考慮するあたり、やはり非常に優しい悪魔である。
そんな事を護衛がやっていると知らない宰相閣下殿は、ぶかぶかな上着を着たままに馬を木に繋いでいる。
「グレン、どうする、もう少し厚着にするか?」
自分の上着を着たまま、かなり余っている袖を持て余しているグレンに聞く。グレンはそう言えば上着を借りていたのだった、と思い出した。
「荷物を引っ張り出すのも面倒だから……ドーヴィが寒く無ければ、このままで良いと思うのだが」
「俺は別に寒さも感じねえからなあ。お前がその袖、邪魔にならないって言うならそれ着とけよ」
「わかった」
ドーヴィはグレンの前に体を屈め、上着の前を閉めてやった。そして、袖も巻くって邪魔にならないように革紐で腕に括りつける。
「これでいいだろ」
よし、とドーヴィがグレンの頭にぽんと手を置く。
ドーヴィが着れば腰あたりまでしかない上着も、グレンが着れば膝上あたりに裾が並ぶ。サイズ感の違いがはっきりわかって……ドーヴィは悪くないな、眼福眼福、とグレンを眺めた。
「……ドーヴィの上着は、ずいぶん大きいな」
どうやらグレンもだいたい似たような事を思っていたらしい。グレンの華奢な肩で上着を支え切れるのかと心配になるほど、上着の方がどう見てもグレンを食っている。
「そりゃあ俺のやつは貴族用じゃなくて平民用の旅装だからなぁ。しかもどっちかって言えば、戦場を走る戦士や傭兵が着るようなごついやつだ」
貴族用の旅装となれば、やはり機能面よりも装飾面が重視されるというもの。
グレンは物珍しそうに平民用の旅装を手で触って確かめていた。貴族用と違い、一切刺繍も何もない、ただ防寒と防水を重視しただけの無骨な上着。
「平民用と言っても、それかなり高い品物だけどな」
「そうなのか……しかし、それでも僕たちが使っているものよりは安いんだろう?」
ドーヴィは野営の準備を進めつつ、グレンの問いに頷く。ちなみにグレンは野営地に用意されている木製のベンチにちょこんと座って待っているだけだ。その辺は、さすが貴族子息。様々な準備は、全て使用人がやってくれるのが当然。
まあ、ドーヴィもそうやって待っているグレンにどうしても幼鳥のような可愛さを見出してしまうので……だいぶグレンの可愛いさに頭をやられている。
「ふむ。だとしたら、これに多少の飾りを付けて王城の使用人の普段使いにするというのはどうだろうか? 一から個人個人に上着を仕立てるよりは、安上がりではないだろうか」
「あーなるほどな。さすがにこのまんまじゃ嫌がるやつも多いだろうが、それっぽい飾りをつけるなら案外ありじゃないか?」
「検討の余地は十分ありそうだな……」
こんな時でも、真面目な宰相閣下だ。グレンはごそごそと自分の荷物からメモ帳を取り出してサラサラと今の話を書き留めている。
そこから、料理の合間にドーヴィはグレンの質問にいろいろと答えてやった。いくらぐらいで買えたのか、どの店で買ったのか、他のサイズはあるか、もう少し薄手のものはあるか……などなど。
この上着はクランストン辺境領で購入したものだ。以前、貴族会議に出席するグレンと二人で旅をした時用に。
(もう懐かしく感じる、か……そんな経ってないはずなんだが)
あの時は、王都に近づくにつれてグレンは食事も覚束なくなり、常に青白い顔をしていた。道中で、たまに吐くものも無いのに嘔吐していたことも覚えている。
そして、帰りは――グレンは、意識を失っていた。だから、ドーヴィはグレンを抱えてさっさと転移して、辺境に帰っている。
「いやあ、やっぱ懐かしいねえ……」
「? 何の話だ?」
「……何でもないさ」
あの時の事を、『懐かしい』と気軽に語れるほど、グレンの傷は治っていない。まだまだ、思い出すだけで具合を悪くするのだ。
本人も無意識に記憶を抑え込んでいるのか、よほど直接的にあの時の事を話しかけない限りは、声を掛けられてもグレンはきょとんとした顔を返すことが多い。
貴族会議前後の記憶が混濁したまま、いまだはっきりしていないのも原因だろう。
だが、ドーヴィはそれでいいと思っている。あんなに辛く苦しいものを別に思い出す必要なんてない。
そのうち、いつかグレンがそれらを『懐かしい』と言える日も来るだろう。それまで長い付き合いになるだろうが、ドーヴィはどこまでも付き合っていくつもりだ。
(あの時は、まだグレンともそこまで信頼関係を築けていなかったなぁ)
どこかグレンはドーヴィの力を疑っていたし、甘えることもできなかった。ドーヴィはドーヴィで「必要になれば向こうから言ってくるだろ」と高を括っていた部分もある。
……沸騰した鍋にスープの材料を入れながら、ドーヴィは苦虫を嚙み潰したような顔をした。あれは、明らかに自分の大失態だ。
従来の契約主がすぐに何でもかんでもドーヴィに「おねだり」をしてきたものだから……グレンも、そうして言ってくれるものだとばかり。
ドーヴィはため息をついて首を振った。グレン程ではないが、ドーヴィもあまりあの辺は思い出しても面白くない。
「グレン、そろそろスープができるから器を持ってきてくれないか」
「わかった」
いつの間にかグレンは何かしらの書類を熱心に読んでいた。それでも、ドーヴィがそうやって声を掛けると書類を片付けて、いそいそと嬉しそうに器を用意する。
「……ドーヴィ、僕の器にニンジンが入っているのだが? 宰相の器にニンジンは不要ではないかな?」
「なーに馬鹿な事言ってんだ、宰相閣下殿にもニンジンは必要に決まってんだろ」
「うう……ドーヴィがいじわるだ……」
「はいはい、いじわるでも何とでも。俺は料理長にお前の食生活を何とかしてくれって頼まれてんだ」
料理長の名前を出せば、グレンは唇をぐっと引き結ぶ。やはり辺境の、ずっとグレンを支えてくれた味方だった人たちには弱いグレンだ。
「……口直しにちゃーんと王都の有名菓子店が作ったシュークリームを用意してあるからな」
「なんだと!? それを早く言えドーヴィ!」
ニンジンを前に渋い顔をしていたグレンは、ぱぁっと顔を輝かせた。出立の前日に、ドーヴィが長時間並んで入手したとっておきのシュークリームだ。
悪魔の力を持ってすれば、何でも冷蔵できる。つまり、シュークリーム以外にも、グレンのためにどっさりお菓子を買い込んであったりする。
強面の長身男性が菓子店で「左から右まで全部1つずつ」と注文したものだから、少しばかり騒々しくはなったが。グレンのこの笑顔が見れると思えば、簡単で安い買い物だ。
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