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【第一部】国家転覆編
5)不幸少年の夜
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ドーヴィがケチャとやいのやいの難しい話をしていたころ。魔法で眠らされたグレンは自室でぐっすりと――はしていなかった。
「ち、父上……母上……」
苦しそうに魘されるグレンの顔にはびっしりと脂汗が浮いている。それだけではなく、目の端からは涙が途切れることなく流れ続け、布団を濡らしていた。
「あにうえ……あねうえぇ……まってよぉ、ぼくも……」
おいてかないで、とグレンの声がぽとりと夜に落ち。その直後、グレンは大きな悲鳴を上げながら布団を跳ね飛ばして起き上がった。
「ぁ……あっ、は……ゆ、ゆめか……」
しばらく、胸を押さえて動悸が収まるのを待つ。こみ上げてくる吐き気も必死に我慢し、ようやく落ち着いてからグレンは大きく息を吐き出した。それでも、手が小刻みに震えるのは止まらない。
「クソッ!」
グレンがこうして悪夢に苛まれ、夜中に飛び起きるのは今日に始まったことではない。むしろ、毎日のように様々な悪夢を見続けていた。
両親がこの世からいなくなった、あの日から。
当時のグレンは10歳になったばかりの幼い子供だった。いまだに、一報が王家から届いた時の衝撃は忘れられない。
それまで、グレンは兄が領主となった時に武力面で補佐できるように、と主に魔術の勉強と訓練ばかりをしていた。というのも、家族の中で最もグレンが魔力を持っており、そして魔法について平均以上に理解が早かったからだ。
もちろん、両親や年の離れた兄が、グレンを可愛がって好きにさせていたということもある。
あの日から。グレンの生活は一変した。いつもグレンの話を楽しく聞いてくれていた兄はいつも険しい顔をして、グレンの相手をしてくれなくなった。姉はいつも悲しそうな顔をして、グレンに「兄上の邪魔をしないようにね」と言って、家を空けることが増えた。
まだ子供だったグレンでも、両親がいなくなったことで兄と姉が大変な事になっている、というのはよくわかった。だからこそ、一人で魔法の勉強と訓練の量をさらに増やし、時に兄の代わりに領民への見舞いや祭事に当主代理として参加すらしていた。
貴族の子息、それもまだ子供と言える年齢でそこまで勉学や訓練に励み、時に貴族としての振るまいをしているのは珍しいことだ。どこの貴族でも、そこまで厳しいことはしていない。
……メイド長のばあやことフローレンスは当時のグレンについて「坊ちゃまは忙しくすることでご夫妻が亡くなられた現実から目を背けていたのでしょう、おいたわしや……」と涙ながらにドーヴィに語ってくれている。
その時は、誰もがクランストン辺境領の一大事だとして急遽領主となったグレンの兄について回ることが多かった。ゆえに、どうしてもグレンの様子にまで手が回らなかったのだろう。
そうして放置されたグレンの夜泣きが激しく、不眠気味であると気づいたのは姉であるセシリアだった。
『グレン、今日から私と一緒に寝ましょうね』
『あねうえと? いいの?』
『もちろんよ。怖いお化けがでたらグレンが守ってくれるかしら?』
『まかせて! 魔法で全部やっつける!』
頼もしいわ、とグレンを抱きしめてセシリアは優しく微笑んだ。
――セシリアの事を思い出し、グレンは大きく息を吐いた。王城で牢の人となってしまったセシリア。貴族牢とは言え、不自由な思いはしているだろう。面会の時に見る顔も、いつも青ざめていて儚げだ。
「……姉上は、しっかりした環境で眠れているのだろうか……」
グレンは小さく頭を振った。セシリアが終身刑などというのは、全く信じられない。絶対、何者かに陥れられたのだ。
そう思っても、今のグレンに調査する力も時間もない。王家から渡された通知書にあった罪状は不敬罪に始まり横領罪、詐欺罪など多岐にわたっており、そう簡単にすべての罪を晴らす事はできそうになかった。
ゆえに、グレンは粛々と領主の仕事をするしかなかった。セシリアのために少しでも良いものを差し入れできるように、そして、少しでも良い環境で生活できるように。
罪人となったセシリアについては、当然、王家及び被害者と名乗る貴族たちから賠償金を求められている。それをグレンは何とか毎月返済し、払えないところには自ら訪問して頭を下げて、魔力の提供で遅延分を相殺して貰っていた。
幸運の悪魔ケチャは愛と性の悪魔ドーヴィに「グレン・クランストンは詰んでいる」と語った。
その通りである。
今のグレンには貴族としての知識も力もない。そしてそれらを身に着けるための時間も金もない。まさに没落の負のスパイラルに陥っていた。
「……ふぅ」
ようやく、手の震えも治まり始めたところでグレンは上着を羽織ってベッドから立ち上がった。メイド達が用意してくれただろう水桶にたっぷりと入った水を魔法で温めて、顔を軽く拭う。
「仕方ない、仕事でもするか……」
もう一度、眠る気にはならなかった。またあの夢を見たら、と思うと、どうしても眠気に抗いたくなる。
今日の悪夢は、両親も兄も姉もみな健在で、ピクニックに行く夢だった。……グレンだけなぜか家に置いてかれてしまって、あっという間に日が暮れて、夕方になって夜になっても誰も帰ってこない、夢。
夢の中のグレンは、とてもピクニックを楽しみにしていた。大好きな両親と、かっこいい兄と、優しい姉と、みんなで行くピクニックなんて楽しいに決まっている!
ピクニックのところだけ夢で見たい、と一瞬グレンは思ったが、それはそれで起きた時の現実が辛くなるだけだからやっぱりいらないな、と思い直した。どう転んでもグレンにとっては悪夢でしかない。
廊下を巡回する辺境家の守衛に見つからないように、不可視の魔法を自身にかけてグレンは執務室へと滑り込んだ。明かりが外に漏れないように、窓にはカーテンを閉め、ランプには傘をつけて。
「ええっと……魔物対策の予算計画か……うーん」
領主としての教育を受けてこなかったグレンは、執事のアーノルドの補佐を受けてなんとか仕事をしている。兄に付き従っていた補佐官もそのままスライドしてグレンの手伝いをしてくれてはいるが……それでも、没落していくクランストン辺境家に付き合ってられない、と辞めてしまった者も多い。
クランストン辺境家は人材難でもあるのだ。騎士団も維持が難しくなり、姉のセシリアが一時的に代理として辺境伯になった時に、解団している。
今はクランストン辺境家に忠誠を誓ってくれている騎士たちが私設の兵団を作って駐留しているという形になっていた。
「ここ、は、この前ドーヴィに追い払ってもらったからたぶん大丈夫だろ……で、こっちはまだだから兵士を増やして……」
独り言を呟きつつ、グレンはペンを走らせ、時に執務室にある歴代の資料を読み漁り書類仕事に精を出していた。
そうすれば、そのうち夜は明ける。明るくなれば、じいやもばあやも起きてくるし、使用人たちが慌ただしく朝の準備をする音も聞こえてくる。
その朝の雰囲気がグレンは好きだった。
この辺境領に、自分以外にも人がいるとわかるから。夜は嫌いだ、まるで自分しかいなくなってしまったみたいで。
グレンの背中には辺境領に住む数多くの領民の生活、ひいては命が乗っている。それは貴族であるグレンにとっては当然の事だった。
父も母も、兄も姉も、常に領民の事を考え、大事に守ってきた。その背中を見て育ってきたからこそ、グレンも当然のように領民を守り、慈しむ存在だと思っている。
領主の仕事がわからないから、辛いから、厳しいから――そんな言葉で逃げ出すことはグレン・クランストンには許されない。
苦しもうが辛かろうが、グレンは領主としてやらなければならないのだ。
両親と兄が残してくれたこの地を守るために。姉がまた帰ってくる地を守るために。
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土日は更新ない可能性高いです
「ち、父上……母上……」
苦しそうに魘されるグレンの顔にはびっしりと脂汗が浮いている。それだけではなく、目の端からは涙が途切れることなく流れ続け、布団を濡らしていた。
「あにうえ……あねうえぇ……まってよぉ、ぼくも……」
おいてかないで、とグレンの声がぽとりと夜に落ち。その直後、グレンは大きな悲鳴を上げながら布団を跳ね飛ばして起き上がった。
「ぁ……あっ、は……ゆ、ゆめか……」
しばらく、胸を押さえて動悸が収まるのを待つ。こみ上げてくる吐き気も必死に我慢し、ようやく落ち着いてからグレンは大きく息を吐き出した。それでも、手が小刻みに震えるのは止まらない。
「クソッ!」
グレンがこうして悪夢に苛まれ、夜中に飛び起きるのは今日に始まったことではない。むしろ、毎日のように様々な悪夢を見続けていた。
両親がこの世からいなくなった、あの日から。
当時のグレンは10歳になったばかりの幼い子供だった。いまだに、一報が王家から届いた時の衝撃は忘れられない。
それまで、グレンは兄が領主となった時に武力面で補佐できるように、と主に魔術の勉強と訓練ばかりをしていた。というのも、家族の中で最もグレンが魔力を持っており、そして魔法について平均以上に理解が早かったからだ。
もちろん、両親や年の離れた兄が、グレンを可愛がって好きにさせていたということもある。
あの日から。グレンの生活は一変した。いつもグレンの話を楽しく聞いてくれていた兄はいつも険しい顔をして、グレンの相手をしてくれなくなった。姉はいつも悲しそうな顔をして、グレンに「兄上の邪魔をしないようにね」と言って、家を空けることが増えた。
まだ子供だったグレンでも、両親がいなくなったことで兄と姉が大変な事になっている、というのはよくわかった。だからこそ、一人で魔法の勉強と訓練の量をさらに増やし、時に兄の代わりに領民への見舞いや祭事に当主代理として参加すらしていた。
貴族の子息、それもまだ子供と言える年齢でそこまで勉学や訓練に励み、時に貴族としての振るまいをしているのは珍しいことだ。どこの貴族でも、そこまで厳しいことはしていない。
……メイド長のばあやことフローレンスは当時のグレンについて「坊ちゃまは忙しくすることでご夫妻が亡くなられた現実から目を背けていたのでしょう、おいたわしや……」と涙ながらにドーヴィに語ってくれている。
その時は、誰もがクランストン辺境領の一大事だとして急遽領主となったグレンの兄について回ることが多かった。ゆえに、どうしてもグレンの様子にまで手が回らなかったのだろう。
そうして放置されたグレンの夜泣きが激しく、不眠気味であると気づいたのは姉であるセシリアだった。
『グレン、今日から私と一緒に寝ましょうね』
『あねうえと? いいの?』
『もちろんよ。怖いお化けがでたらグレンが守ってくれるかしら?』
『まかせて! 魔法で全部やっつける!』
頼もしいわ、とグレンを抱きしめてセシリアは優しく微笑んだ。
――セシリアの事を思い出し、グレンは大きく息を吐いた。王城で牢の人となってしまったセシリア。貴族牢とは言え、不自由な思いはしているだろう。面会の時に見る顔も、いつも青ざめていて儚げだ。
「……姉上は、しっかりした環境で眠れているのだろうか……」
グレンは小さく頭を振った。セシリアが終身刑などというのは、全く信じられない。絶対、何者かに陥れられたのだ。
そう思っても、今のグレンに調査する力も時間もない。王家から渡された通知書にあった罪状は不敬罪に始まり横領罪、詐欺罪など多岐にわたっており、そう簡単にすべての罪を晴らす事はできそうになかった。
ゆえに、グレンは粛々と領主の仕事をするしかなかった。セシリアのために少しでも良いものを差し入れできるように、そして、少しでも良い環境で生活できるように。
罪人となったセシリアについては、当然、王家及び被害者と名乗る貴族たちから賠償金を求められている。それをグレンは何とか毎月返済し、払えないところには自ら訪問して頭を下げて、魔力の提供で遅延分を相殺して貰っていた。
幸運の悪魔ケチャは愛と性の悪魔ドーヴィに「グレン・クランストンは詰んでいる」と語った。
その通りである。
今のグレンには貴族としての知識も力もない。そしてそれらを身に着けるための時間も金もない。まさに没落の負のスパイラルに陥っていた。
「……ふぅ」
ようやく、手の震えも治まり始めたところでグレンは上着を羽織ってベッドから立ち上がった。メイド達が用意してくれただろう水桶にたっぷりと入った水を魔法で温めて、顔を軽く拭う。
「仕方ない、仕事でもするか……」
もう一度、眠る気にはならなかった。またあの夢を見たら、と思うと、どうしても眠気に抗いたくなる。
今日の悪夢は、両親も兄も姉もみな健在で、ピクニックに行く夢だった。……グレンだけなぜか家に置いてかれてしまって、あっという間に日が暮れて、夕方になって夜になっても誰も帰ってこない、夢。
夢の中のグレンは、とてもピクニックを楽しみにしていた。大好きな両親と、かっこいい兄と、優しい姉と、みんなで行くピクニックなんて楽しいに決まっている!
ピクニックのところだけ夢で見たい、と一瞬グレンは思ったが、それはそれで起きた時の現実が辛くなるだけだからやっぱりいらないな、と思い直した。どう転んでもグレンにとっては悪夢でしかない。
廊下を巡回する辺境家の守衛に見つからないように、不可視の魔法を自身にかけてグレンは執務室へと滑り込んだ。明かりが外に漏れないように、窓にはカーテンを閉め、ランプには傘をつけて。
「ええっと……魔物対策の予算計画か……うーん」
領主としての教育を受けてこなかったグレンは、執事のアーノルドの補佐を受けてなんとか仕事をしている。兄に付き従っていた補佐官もそのままスライドしてグレンの手伝いをしてくれてはいるが……それでも、没落していくクランストン辺境家に付き合ってられない、と辞めてしまった者も多い。
クランストン辺境家は人材難でもあるのだ。騎士団も維持が難しくなり、姉のセシリアが一時的に代理として辺境伯になった時に、解団している。
今はクランストン辺境家に忠誠を誓ってくれている騎士たちが私設の兵団を作って駐留しているという形になっていた。
「ここ、は、この前ドーヴィに追い払ってもらったからたぶん大丈夫だろ……で、こっちはまだだから兵士を増やして……」
独り言を呟きつつ、グレンはペンを走らせ、時に執務室にある歴代の資料を読み漁り書類仕事に精を出していた。
そうすれば、そのうち夜は明ける。明るくなれば、じいやもばあやも起きてくるし、使用人たちが慌ただしく朝の準備をする音も聞こえてくる。
その朝の雰囲気がグレンは好きだった。
この辺境領に、自分以外にも人がいるとわかるから。夜は嫌いだ、まるで自分しかいなくなってしまったみたいで。
グレンの背中には辺境領に住む数多くの領民の生活、ひいては命が乗っている。それは貴族であるグレンにとっては当然の事だった。
父も母も、兄も姉も、常に領民の事を考え、大事に守ってきた。その背中を見て育ってきたからこそ、グレンも当然のように領民を守り、慈しむ存在だと思っている。
領主の仕事がわからないから、辛いから、厳しいから――そんな言葉で逃げ出すことはグレン・クランストンには許されない。
苦しもうが辛かろうが、グレンは領主としてやらなければならないのだ。
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