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お仕事初日
しおりを挟む午前中の間ずっと、役所の中を案内され、時々会う職員に挨拶した。全員はすぐに覚えられないが、ここで働いていたらそのうち覚えるだろう。
輪廻転生案内課に戻ると、みんなが「おかえり」と迎えてくれた。何故かそれがひどく嬉しくて、茜はこれっぽっちも覚えていない生前に思いを馳せた。
「もうすぐお昼だし、あちこち回ってお腹空いたでしょ。お昼は交代で行くの。みちおとあかねは先に行っていいわよ」
そう言う麗の言葉に甘えて、茜は食堂に行くことにした。神代はというと、持ってきているということで、ついてこなかった。
先ほど案内された食堂に、今度は一人で行く。階段を上がって、廊下を歩いて、曲がる。時間が早いのか、食堂はそんなに混雑していなかった。
プラスチックケースの中に本日の日替わり定食AとBが置いてある。Aは肉野菜炒め、Bは焼き魚定食だ。食券機を見ると、カレーもうどんもラーメンもある。
どれにしようかと悩んでいると、後ろから声がした。
「オレ、カツ丼」
「え」
振り返ると天真がいた。悩む茜を置いて、さっさと券売機に小銭を入れる。
「あ、順番!」
「お前がモタモタしてるからだろ」
「じゃあ、カレー!」
ピッと音がして天真がカツ丼の食券を取るのを見て、すかさず茜も小銭を入れる。カレーのボタンを押すと、すぐに食券が飛び出してきた。
お盆を持ってレーンに行くと、前には天真が並んでいる。どうやらカツ丼もカレーも同じところから出されるらしく、茜は仕方なく天真の後ろに並んだ。
「どうよ? 初日」
「まだこの中案内だけ。そっちは」
「オレも」
「……バイク運転できんの?」
「練習すればできんじゃね?」
何気なく出た審問に帰ってきた答えが意外すぎて、茜は思わず隣の天真を見上げた。天真も神代くらいの背丈があるから、自然と見上げる形になる。それも癪だなぁと思っていると、不思議そうに天真が見下ろしてくる。
「ここは免許いらないらしーぜ?」
「じゃあなんで私は落ちたのよ……」
「身長だろ。うちの課みんなデケーよ?」
「うっ」
確かに高橋も身長が高かったし、天真も高身長だ。それを理由にされたらぐうのねも出ない。
「車の免許は持ってたんだけどな」
「へぇ」
「バイクの免許って思う前に死んだし」
普通の人は生前の記憶があるのだ。天真のように。そうして懐かしむような目をして話す。
「はい! カツ丼とカレーお待たせ! 新人さん」
食堂のおばちゃんの威勢のいい声がして、目の前にカツ丼とカレーが置かれる。ここにいるということは、目の前で味噌汁をよそっているおばちゃんも死んだ人間ということだろう。生前の記憶を持ったまま、ここでも普通に暮らすというのは不思議なものだ。
置かれたカレーをお盆に移動させて、空いている席を探す。その茜の後ろを天真がついてきた。
「なんでついて来るの?」
「別に座るより、顔見知り同士相席した方が効率がいいだろ。このあと混むだろうし」
「……そりゃそうだけど」
「ほら、ここでいいだろ。今お茶持ってくる」
天真は空いている席を見つけると、そこにカツ丼と味噌汁の乗ったお盆を置いて、お茶を取りに行った。このまま離れるわけにもいかず、茜は観念してその前に座った。
目の前にはカレーと味噌汁。
食べた記憶はないが知っている食べ物だ。辛くて、美味しくて、みんなが好きな味。スパイシーな匂いが鼻孔をくすぐり、腹が空腹だと知らせてくる。
「ん」
「え?」
目の前にお茶が置かれる。天真は自分の分以外に茜の分も持ってきてくれたらしい。
「私の?」
「そりゃそうだろ。一人分だけ持ってくるとかイジメか」
「あり、がと」
「おう。感謝して飲め」
二人で「いただきます」と言って、食べ始める。
その言葉も、いつの間にか知っていた。食べる前は「いただきます」。食べ終わったら「ごちそうさま」。それは魂が覚えている記憶なのだろうか。
「カツ丼うめぇ」
「カレーも美味しいよ」
「一口くれよ」
「別にいいけど」
天真の箸が伸びてきて、器用にカレーとご飯を取る。それを口に運んで、なにかを検分するかのように咀嚼した。
「んん、まぁ美味いけど。オレの好みよりちょっと甘口だな」
「じゃあ自分で作れば?」
「作るよ」
「え、作るの?」
嫌みのつもりで言えば、あっさりとそう返ってくる。天真とは同じ日時に面接を受けただけで、詳しいことは知らない。どんな死に方をしたとか、生前どんなことをしたとか。なんでここで働いているのかも。
「やっぱカレーはそれぞれの家の味ってのがあんじゃん? いろんなとこでカレー食べても、結局うちのカレーに落ち着くんだよね。お前ん家は辛口? 甘口? ルーなに使ってる?」
「えっと……」
「どうした?」
「私、生前の記憶なくて」
「そっか、じゃあそのうち思い出したらな」
「思い出したら?」
「忘れてんなら、思い出すだろ」
天真がトンカツを食べながら、そう言う。神代は生前の記憶がないことをよくあることだと言った。その人たちは思い出すことができたのだろうか。
「本当に大事なことは覚えてるもんだぜ。今は忘れてるだけ」
「そういうもの?」
「だって死んだってことは、生前があるだろーが」
「確かに」
カレーも知っている。スプーンの使い方も、箸の使い方もわかっている。ただ、生前の記憶がないだけだ。
「そのうち思い出すかもね」
「おう。今はカレーを食え」
「そうする」
いつか自分が食べていたカレーの味を思い出すことがあるかもしれない。そのときはその味を作りたいと思いながら、茜はカレーを平らげた。
「俺たちの仕事は地味だが、大切な仕事だからな」
神代がそう言って始まったのは、輪廻転生案内課の仕事内容のレクチャーだった。
死んだ人間はあの世に来て、60年過ごすと転生する。その転生を案内するのが、輪廻転生案内課の仕事だ。
ではどう案内するのか。
それは転生一年前に郵送でお知らせを送って、一ヶ月前になるとまたお知らせを送るというものだった。
「アナログでしょー? 最近はスマホとか普及してるけど、古い人たちにはこの方法がいいみたいでね」
目の前の席で、麗が笑いながら折られた紙を封筒に入れている。その横では白石は必死に書類を折っていた。
「あの世は十二区画に区切られていて、住人は六十の記号が割り振られる。今年死んだお前は辛丑。来年転生する住人は壬寅」
「ってことは今年転生する人は辛丑ってことですか?」
「そういうことだ。お前の住む区画は丑区と呼ばれているだろう。他の区との行き来は自由だが、転居はいかなる場合も無理だ。ハチ、パソコンの電源入れてみろ」
「八巻です。えっと、これですか?」
茜がデスクトップPCの本体にあるボタンのようなものを押す。でも手応えがなくて、何度も押していると、横から呆れたような声が聞こえた。
「それはパソコンのロゴだな」
「え!」
「本当に現代人か? 電源はここ」
神代の指さす場所を押すと、ブンっと音がしてパソコンが動く気配がした。
「その様子じゃエクセルも知らないだろうな」
「えくせる?」
「一から教える……」
「よろしくお願いします」
目の前にあるものがパソコンだということはわかる。だけど、それの使い方まではわからない。
生前の自分はパソコンを使うような生活をしてこなかったのだろうか。そんなことを考えても仕方ないので、神代に文字通り手取り足取り教えてもらう羽目になった。
パソコンに電源を入れる。マウスの使い方を理解する。ファイルを開いて、エクセルを見る。そんなことを教えてもらうと、未知のものに茜の頭は沸騰寸前だった。
「今日はこのくらいだな。あとは手作業するぞ」
「手作業?」
「ん」
どさりと茜のデスクに置かれたのは、窓のある封筒だった。
「それにこれを入れる」
そう言って神代が、これまた茜のデスクに書類を置く。
一枚中身を読んでみると、来年転生ですということが簡潔に書かれているだけだった。
「これをこういう風に折って、中に入れるだけ。簡単だろ」
「はい」
すっすっと神代が書類を三つ折りにする。慣れているのかその手つきは早くて正確だ。
「窓のところに住所と名前が来るのを確認するんだぞ」
「わかりました」
宛名の位置に気をつけながら、書類を三つ折りにしていく。対面にいる麗と白石も同じように書類封入作業をしているからか、課内は静かで紙の音だけが響いた。
隣の生活案内課では電話が鳴り響き、それに答える声が聞こえてくるし、カウンターには住人が相談に来ているようだが、ここを訪れる人はいない。
大川と六花は会議に行っているらしく不在で、今この課は四人しかいない。
黙々と作業をしていると、不意に人差し指に鈍い痛みを感じた。
「いっ」
「どうした?」
「いえ、紙で切ったみたいで」
見れば痛みを感じたところにうっすらと赤い線が入っている。もう死んだ身だというのに、痛みを感じるというのは不便なものだ。
「あら、大丈夫? アタシ絆創膏持ってるわよ」
神代とのやりとりを聞いていた麗が、すぐに引き出しから絆創膏を出してくれ、パソコン越しに渡してくれた。
「すみません」
「こういうときはありがとうよ」
「……ありがとうございます」
笑う麗に、お礼を言う。
もらった絆創膏を開けるとやけに可愛らしい柄のものだった。小さな傷一つに使うのがもったいなく思えたが、それを指に巻く。花柄の絆創膏が指に巻かれて、装飾品のようだ。
もう指を切らないようにと書類を折って、今日の分が終わった頃、ちょうど終業の鐘が鳴った。
九時から十七時が役所の勤務時間だ。
他の課からも立ち上がったり、片づける音が聞こえてくる。
「あかね、手を出して」
「はい?」
麗に言われるままに手を差し出すと、手の甲にハンドクリームを塗られた。
「紙で手の水分取られて荒れちゃうから」
「あ、ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
自分で指先にハンドクリームを塗り込むと、いい匂いがした。それが何の香りかはわからないが、ハンドクリームからだということはわかる。
今度の休みにはハンドクリームを買いに行こうと思っていると、横から神代が声をかけてきた。
「ハチ」
「八巻です」
「お前シャットダウンとかわからないよな」
「しゃ?」
「パソコンの電源落とすんだ。そこの左下のアイコンを左クリックして、シャットダウンを選べ」
「はい」
言われた通りにしていると、パソコンの画面が真っ暗になる。これが「電源を落とす」ということらしい。
「じゃあ、帰るぞ」
「疲れたわね。あかねも今日は疲れたでしょ? ゆっくり休んでね」
「お疲れさまです」
帰る準備をし出す神代と、伸びをする麗、それにいつの間に用意をしたのか帰り支度をしてさっさと出て行く白石。そんな三人を見ながら、茜もロッカーからコートを取り出した。
「あかね、コートそれしかないの?」
「え、ええ。おかしいですか?」
「ううん。うちはオフィスカジュアルでいいから、好きな色のコートを着ればいいわ。スーツでもなくていいの」
「おふぃ、おふぃすかじゅある?」
「麗さん、そういうのはおいおい慣れればいいでしょ」
聞いたことのない単語に茜が戸惑っていると、神代が口を挟んだ。役所では男性陣はスーツで、女性陣はシンプルな服装をしている。ようはそれを真似すればいいのだろう。
麗だって、白いレースのシャツにピンクのカーディガン、それに花柄のスカートというスタイルだ。ロッカーから取り出した青いコートは上品で麗に似合いそうだった。
「ハチ」
「八巻です」
「今は仕事に慣れればいいから。服装は気にしなくていい」
「はい」
全員がコートを羽織って、カウンターを出る。
「結局課長も六花も帰ってこなかったわね」
「会議長引いているんでしょ」
「そうねぇ」
そんなことを神代と麗が話していて「お疲れさまでした」と口々に言って別れる。この役所には十二の出入り口があって、それぞれの区画に繋がっている。
神代も、麗も、茜も、自分の住む区画に繋がる方へ歩き出す。同じ方面に進む、知らない職員たちの波に乗って、茜も歩く。
出入り口付近になったら、外気が入ってきて寒くなった。社宅から役所まですぐだからと、手袋もマフラーもしていない。
ポケットに手を入れて外に出ると、目の前には社宅がある。早く家の中に入りたいと社宅を見上げると、その向こうに月があった。
(ここにも月がある)
死んだ世界なのに。あの世なのに。月は存在するし、寒いという感覚もある。
ここには現世と同じように四季があるのだ。
(私が死んだのは冬なんだ)
月も四季も寒いということもわかる。
でも生前の記憶だけがない。
ここに来て一週間。それを考えない日はなかったけど、不安に思うことはなかった。だけど、他人との交流が生まれれば知りたくなるのだと、知らなかった。
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