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タイムアウト
しおりを挟む「ハチ」
「八巻です」
「今日は新しい仕事があるぞ」
「新しい仕事?」
書類を印刷して、折って、封入するといういつもの作業をしていた茜に、神代がそう言う。キーボードを打つのはまだぎこちないが、パソコンにも慣れてきたし、そういう仕事が増えるのかと思っていたら、神代が立ち上がった。
「行くぞ」
「え?」
「転生の扉」
それだけ言うと、神代が歩き出す。慌てて茜も立ち上がって、神代を追う。早歩きで神代の隣に行くと、茜が疑問を投げるより先に神代が口を開いた。
「今日は川井幸一郎の転生日だろう」
「そう、ですね」
「転生予定者は転生日に役所に来て、転生の扉をくぐることになっている四階にあるからな。今回のように問題のある転生予定者がいる場合、輪廻転生案内課も立ち会うことがある。普段は転生課が転生の扉の管理をしている」
「扉の向こうは……」
「誰も知らない」
「怖くないんですか?」
「人それぞれだろうな」
階段で四階まで行くと、人の列ができていた。みな手には茜たちが送った書類を持っていて、そして誰もそれ以外の荷物を持っていなかった。
「この人たち全員今日の転生者ですか?」
「そうだ。扉は九時から五時までしか開いてない」
「川井さんは……いないですね」
並んでいる人たちを一人ずつ見ながら、扉の前に来る。それでも川井はいなかった。もう扉をくぐったのだろうかと神代を見ると、険しい顔をしている。
「すまん。輪廻転生案内課の神代だ。今日転生予定の川井幸一郎は来たか?」
扉の横にいたスーツ姿の職員に神代がそう聞く。すぐに職員は持っていた書類を調べるが、やがて首を横に振った。
その間も転生の扉は別の職員によって開けられては、人が入り、閉められるを繰り返していた。
「今十六時だな。あと一時間でくればいいが」
「神代さん……」
「待つしかないな」
「迎えに行くとか……」
「俺たちにそういう強制力はない」
「そんな」
壁にかかっている時計の長針は嫌でも進み、人の列はどんどん短くなっていく。それと比例するように茜にも焦りが出てきた。
あの転生の扉をくぐらないと、川井は消滅してしまうのだ。まだ二回しか会ったことのない人だが、消滅という結果は悲しすぎると思った。
今朝だって川井が働いていたという養鶏場の卵で、卵かけご飯を食べてきた。いつも買う卵より濃厚で美味しくて、もういつものものに戻れないと思った。そんな些細なことを伝えたかった。
「あと五分」
冷静に時間を刻む神代に苛立って、茜は時計から目を逸らした。もう転生の扉に並ぶ者はいない。転生課の職員たちも片づけの準備を始めている。
秒針が進む音がやけに大きく聞こえる。早く来て欲しいと階段の方を見ていると、足音が聞こえてきた。
階段に走っていくと、誰かが上がってくるのが見えた。
「川井さん!」
声をかけると、川井は茜を見上げて微笑んだ。
「八巻さん」
ゆっくりと上ってくる川井がもどかしい。でもまだ時間はあるし、転生の扉はもうそこだ。そう自分に言い聞かせて、茜は川井を待った。
「川井さん、転生の扉はあれです。あと、あの卵すっごく美味しかったです!」
「それはよかった」
笑みをこぼす川井に、茜は安堵する。もう大丈夫だと思った。これで川井は転生できる。
「あと一分」
扉の前で、神代がそう呟く。
川井も茜も扉の前に来た。あとはくぐるだけだ。一分あれば充分だろう。
「八巻さん、神代さん。僕のわがままをきいてくれてありがとうございました」
そう言って川井がお辞儀をする。
「川井幸一郎さんですね。どうぞ、転生の扉に」
転生課の職員が川井の持っている書類を確認して、扉を開ける。光が溢れるその先は、どうなっているかわからなかった。
「八巻さん」
「川井さん、どうぞ、中に」
「私は、何でもない、無の存在になりたい」
「え?」
あとは一歩進むだけ。
だが、川井はそれをしなかった。
「タイムアウトだ」
五時の退勤の鐘が鳴り、神代の声が聞こえる。
微笑んだ川井が、砂のように消えるのが見えた。
「川井さん!?」
「これでいい……」
消えるように川井の声が聞こえた。川井がいた場所には川井が持っていた封筒が落ちている。
転生課の職員たちは慣れているのか「川井幸一郎、消滅」と言うのが耳に入ってきたが、どこか遠くに感じた。
「ハチ」
「……神代さん」
「戻るぞ。退勤時間だ」
「川井さん、消滅しちゃった……」
「そうだな」
「これもよくあることですか?」
「そうだな」
ぽんと神代が茜の肩を叩いて、輪廻転生案内課のある一階へと戻る。その後ろをのろのろとついて行くと、退勤時間を過ぎているのに、みんながまだいた。
「お疲れさま」
そう言って、麗が茜を抱きしめる。誰かに抱きしめられるという経験は、茜の記憶にはない。
こんなにも安堵するものだと初めて知った。
川井は確かに言ったのだ。無の存在になりたいと、これでいいと。なら泣くのは違う気がする。
ただ川井が求めたものを手に入れられたことを祈って、茜は麗の背中をぎゅっと抱きしめた。
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