こちら、輪廻転生案内課!

天原カナ

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あの世の職員ということ

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 雨の音で目が覚めた。
 枕元の時計を見ると、起床時間の五分前。
 あと五分ベッドの中で過ごしたい気持ちと戦って、茜はえいっと起きあがった。
 カーテンを開けるとしとしとと雨が降っていて、窓に水滴が流れている。職場である役所が目の前とはいえ、傘はいるし、靴も濡れる。それが憂鬱で、茜はため息をついた。
 あの世にも四季があるのだから、梅雨だってある。どうせなら、一年中最適気温のほどよい晴天であって欲しいのに、そういうわけにもいかない事情でもあるのだろうか。
 寝癖のついた髪を手櫛で整えながら、台所に行って食パンをトースターに入れて、冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを出す。それとマーガリンとジャム。
 この前の休みに大型スーパーへ行って、ラフランスのジャムを買ってきてから、お気に入りになっていた。
 毎日食べているのだから、食パンもスーパーのではなく、美味しいパン屋で買いたい。パン屋も開拓したいなぁっと思っていると、チーンととースターの音がした。
 いつもの皿に乗せて、テーブルに持って行く。マーガリンとジャムを塗って、一口かじった。
 朝食にトーストを食べ出してから、米の消費が減った。あの大型スーパーにはよく行くが、卵を買うことはない。
 川井の一件は、まだ茜の中でくすぶっていた。
 神代や麗は初めてだったのだから、そんなもんだと言ってくれたが、消化しきれない自分が嫌だった。
 仕事は慣れたし、他の課にも顔見知りができた。電話に出て用件を聞いても理解できるようになったし、タイピングだって両手でできるようになった。
 これからも仕事をしていけば、川井のようなことは何度だってあるだろう。ここで足止めをしている場合ではないのに、心はいうことを聞いてくれない。
 トーストを食べ終えて、皿とグラスを流しに置くと、充電していたスマホを手に取った。
 今月の給料が入ってすぐに買ったそれは、思っていた以上に便利だった。麗や六花と美味しいもの情報を交換できるし、地図だって見れる。電話もできるし、音楽だって聞けた。
 初めてのスマホだと言うと、麗がすぐに手帳型のスマホケースを買ってくれた。名前入りのそれは茜色で、誰かにプレゼントされた記憶のない茜は嬉しくて麗に抱きついた。
(今日は一日雨か……)
 真新しいスマホの画面には、今日一日の天気予報が映っている。今日も明日も明後日も、梅雨らしく雨の予報だ。
 紺色の無地のスカートと取り込んだ洗濯物から適当に半袖のシャツを着る。梅雨が来る前にレインブーツは買ったから、足下の心配はいらない。
 出勤するにはまだ時間があったから、掃除機をかけて、麗に教えてもらった化粧を少しだけしてみた。クリームを塗って、ファンデーションを乗せる。チークとアイシャドウを塗れば、それなりに大人に見えそうだ。
 役所で働いているとはいえ、外見年齢はどうにもならない。16、7にしか見えないのだから、こうやって少しでも外見年齢を上げるしかないのだ。
 きっとその年齢で死んだのだろうとは思うけど、本当かどうかは誰にもわからない。
 いつもの出社時間になって、寒さ対策のカーディガンを羽織って、鞄を持つ。玄関でレインブーツを履いて、傘を持って、ドアを開けると雨の匂いがした。
 玄関の鍵を締めていると、隣のドアが開かれる。
「よお、おはよ」
「おはよ」
 スーツ姿の天真が出てくる。その手にも傘が握られていた。
「あれ、今日化粧してる?」
「時間があったから」
「いいじゃん。社会人って感じ」
 同じ場所に住んでいて、同じ場所に働きに行くのだから、出社時間がかぶることはよくあることだ。ここに来てすぐは天真がお迎え用の車の練習に朝早く出かけていて、会うことはなかったが、最近はほぼ毎朝出会って、一緒に出社することが多い。
「車の運転、上手くなった?」
「まぁな。元々免許は持ってたし。でも大型車はやっぱ運転する感覚違うし、空も飛ぶしやべーわ」
「バイクは?」
「あれは乗車拒否した人を捕獲して連れてくる最終手段。ベテランが乗るもので、オレなんてあと何十年経ったら乗れるのやら」
 お迎え課は唯一現世に行く部署だ。
 その日亡くなった人を一人ずつ回収して、あの世に連れて行く。
「やっぱり乗車拒否する人っているんだ」
「いるいる。オレまだ補助でしか乗ってないけど、家族とまだいたいから乗らないとか、そういう人結構いるよ」
「そうなんだ」
 以前天真と話したとき、天真は現世に残してきた家族に会いたいと言っていた。家族とはそんなに大切なものなのだろうか。
「天真はそういうときどうするの?」
「あの世のことを伝えて、納得してもらう。六十年いるからまた会えますよーとか。でもそれでも無理で暴れる人とかはベテランの出番だな。屈強な人多いし」
「天真、ひょろひょろじゃん」
 天真は背は高いが、細身だ。暴れる人を押さえ込めるとは到底思えなかった。
「うるせー今筋トレしてんだよ。生前は空手もやってたし、いつかはオレもベテランバイク乗りだぜ」
「はいはい。叶うといいねー」
 そんな話をしていると、あっという間に社宅から役所だ。お迎え課に行く天真とわかれて、茜は自分の課に行った。
「おはようございます」
「おはよう」
 先に来ていた麗が挨拶を返してくれる。
「梅雨ってやぁね。髪が纏まらないわ」
 麗はいつもは下ろしている髪を、今日は結い上げている。着物が似合いそうだなと茜が思っていると、麗が茜の肩をつついた。
「ねぇ、あかね」
「なんですか?」
「あのお迎え課の子、いいじゃない」
「天真ですか?」
「最近毎朝一緒に出社してくるし」
「家が隣なんです」
「まぁ、運命」
「いえ、死亡日が一緒なだけです」
 どうやら一緒に出社してくるのを、麗に見られていたらしい。といっても、別に恋人でもないし、ただの友人だ。他に友達のいない茜にとっては、なんでも言い合える相手というところだ。
「えーあかねと恋バナしたかったのにー」
「なんですかそれ」
「楽しいわよぉ、恋愛話。ここで恋人になる人だっているんだから、もっと気楽にね」
「それって私で遊びたいだけじゃないですか!」
「あ、バレた?」
 そんなことを話していると、六花の悲痛な叫びがやってきた。
「あーもうやだ! 鞄、雨に濡れたよぉ」
「おはよう、六花。今日の髪型可愛いじゃない」
「おはよう。だってまとまんないんだもん」
 今日の六花は左右の頭の高いところでお団子を結っている。それに淡い水色のリボンをつけていて、器用だなと思う。
「あかねも化粧してきてるし、恋バナできると思ったのに」
「え! あ、ほんとだ! 茜ちゃん今日化粧してるじゃん。似合ってるよ」
「ありがとう。でもこれは大人っぽく見せる戦術なので」
「あかね可愛いし、落ちる男はいると思うわぁ」
 恋バナも恋愛もしたことがないので、わからない。それはいいものなのだろうか。どうやったらできるものなのだろうか。
 これは知識としてあるわけでもないので、わからないなと茜は首を傾げる。
 パソコンを起動させながらそう思っていると、男性陣が出社してきた。
 今日も多分、いつもと変わらない一日が始まる。



 書類を印刷して、折って、封筒に入れる。稀にある戻ってきた郵便は、住民課に連絡を入れて、住居が変わっていないか聞く。だいたいはそこで正しい住所がわかって、エクセルの住民表を変えるだけだ。
 それでも返ってくる場合は、住民届けをしていないという違反になって、捜索課が動くことになる。見つけられると罰金または禁固刑だ。
 ここではここのルールがある。
 茜はまだそんな対象に出会ったことはないが、珍しいことではないらしく、町中で該当者と捜索課の追いかけっこが行われることもあるらしい。
 書類の封入作業が終わる頃、神代と茜は転生の扉に行く。それは麗、白石ペアと交代で行くものだが、今日の担当は茜たちだ。
 転生の扉の受付最終時間、残り三十分になったら、扉に行って転生課の人たちと一緒に見守るのだ。
 元々は麗、白石ペアがやっていたことらしいが、茜ももうこの仕事ができると判断されて、交代で行くようになった。
 扉を見守るようになって、ギリギリに来る人はあまりいないし、みんな希望に満ちた目で扉をくぐっていくのだと知った。少しだけあの世の生活に未練があっても、転生して死んだらまた戻ってくるからと言って笑って光の洪水の中に吸い込まれていく。
 みんなここでの生活が嫌なのではない。ただここは準備期間をするための場所なのだと茜は思った。
「今日の転生者は全員、扉に入りました」
「お疲れさまでした」
 転生課の職員のその言葉に、ほっとして茜は肩の力を抜く。誰か一人でも扉に入らないと、その人はあの世のどこかで消滅しているということだ。
 人知れずなのか、親しい人に囲まれてなのかはわからないが、消滅することに良い印象を持つことはできなかった。
 あんな風に砂のように消えてしまうのは、悲しすぎる。それが希望だったとしても、せめて来世の希望はもってほしかった。
 それが川井にとっても重荷でも、生前の記憶がない茜が言うのは筋違いでも、そう思うのだ。
「ハチ」
「はい」
「帰るぞ」
「そうですね」
 片づけている転生課の職員に挨拶して、自分たちの課のある一階に下りていく。
「この仕事、辛いか?」
「転生の扉の見守りですか?」
「そうだ」
「正直わかりません」
「ゆっくり考えればいい。時間ならある」
 そう言って神代が階段を下りていく。それについて行きながら、いつでも目の前のこの人はどうやって乗り越えたのだろうかと思った。
 時間ならある。
 役所の職員である茜は六十年で転生しなくてはいけないということはない。七十年でも百年でもここで仕事をすればいい。
 そんな未来のことなんて、今は考えられないけど、慣れてしまうのも、嫌だと思う。
 いつかは消化できるてしまうのだろうかと、思いながら、茜は階段を下りた。
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