こちら、輪廻転生案内課!

天原カナ

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思い出した記憶

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 それはいつもと同じ一日だった。
 朝起きて、弁当を作って、卵かけご飯の朝食を食べ、化粧をして、着替えて、役所に行く。そんな朝のルーティンもいつもと同じ。
 役所についてからも、パソコンの電源を入れて、麗たちとお茶を用意して、仕事を開始するのもいつもと同じだ。
 だから、今日もいつもと同じ一日で終わるのだと思った。
 その時までは。
 もうすぐ昼休憩というときだ。
 女性の悲鳴じみた叫び声が聞こえた。
 その声に課の全員が顔を上げる。フロアを見ると、他の課の職員も驚いて顔を上げていた。声の発生源を探そうと、みんなきょろきょろとしていて、一瞬して不穏な空気が流れる。
 来訪者出入り口がなにやら騒がしい。発生源はどうやらそこのようだ。様々な人の小さな悲鳴が聞こえてきて、人の波が分かれる。
 その真ん中を、一人の女性が走ってくるのが見えた。
「輪廻転生案内課はどこ? どこよぉ!」
 叫んで、きょろきょろ役所の中を見渡す。
 どうやら茜たちの課に用があるらしいが、その迫力に気圧されて、茜は呆然とその光景を見るしかなかった。
「ハチ」
「は、はい」
 後ろから神代が小声で話しかけてくる。
「気をつけろ。あれは和久井貴之の母親だ」
「え?」
 ぼさぼさの髪を振り乱して、辺りを見回している女性は、あのときの母親と一致しない。困惑していると、神代が続けるように言った。
「声が一緒だ」
「わかるんですか?」
「ああ」
 叫び声を上げる女性に周りは離れていき、女性の周りには空間ができた。すぐに警備課がくるだろうと思って見ていると、ふっと女性と目が合った気がした。
 まずいと思ったときには遅かった。
「お前だぁぁぁぁ!」
 そう女性が叫んで、こちらに突進してくる。カウンターがあるから大丈夫かと思ったが、どういう力が働いているのか、女性はカウンターをあっさりと乗り越えて、茜の目の前にやってきた。
「ヒッ」
 非常時に悲鳴など上げられないのだと思った。女性の憎しみを全面に出した形相が恐ろしくて、動けない。
 その手に包丁を持っていると気がついたとき、茜の身体はぐいっと後ろに引っ張られた。
「!?」
「ハチ、どけ!」
 そう声が聞こえて、神代の背中が目の前にくる。ドンっと女性が神代にぶつかったのがわかった。
「ぐぅ……」
 呻くような声が神代から漏れ、その身体が崩れる。床に座り込む神代の腹に、包丁が刺さって、そこから血が流れるのが見えた。
「神代さん!」
 床に血が広がる。麗や大川が声を上げて応援を呼ぶのが聞こえた。
 おそるおそる女性を見ると、人を刺して怯えるどころか、憎しみの炎を瞳に燃やし続けて茜を見ていた。
 本能が危機感を伝えてくる。
「ハチ……逃げろ」
 神代の苦しそうな声が聞こえてくるが、足は少しも動いてくれなかった。
「お前たちが、貴之ちゃんを連れて行かなければ……なんてことをしてくれたのっ」
 悲鳴じみた叫び声が聞こえて、その内容でやっとあの母親と一致した。
「お前たちさえいなければ!」
 その言葉とともに、首に圧力がかかる。
 和久井の母親に勢いよく飛びかかられて、首を絞められたのだとわかった。体勢が保てなくて、倒れ込む。それでも首を絞める手の力は弱まらなかった。
「お前たちが来なければよかった。お前たちが来たから」
 呪詛のようにそう繰り返して、母親は手に力を込める。ほんの数秒のはずなのに、茜には随分長い時間に感じた。
「茜!」
 天真の声が聞こえて、ふっと身体が軽くなる。呼吸ができるようになって、咳込んだ。
「茜、大丈夫!?」
 目を開けると、麗と六花の心配そうな顔が飛び込んできた。視線をずらすと、天真に押さえ込まれている和久井少年の母親と、白石と大川に囲まれている神代が見えた。
「神代さんは!?」
 起きあがると、麗が背中を支えてくれた。這うようにして神代に近づくと、その腹に深々と包丁が刺さっているのが見える。
「神代さん!」
「問題ない。ハチは大丈夫か?」
「私のことより自分のことを心配してください。刺されているのに!」
「俺たちは死なないから、ぐっ」
 苦しそうな声を上げて、神代が自分の腹から包丁を抜く。ぼたぼたと血が床に落ち、包丁を傍らに置いた。
「なんてことするんですか!」
「死なないと言っただろう」
「でも痛いとか苦しいとかあるでしょう!」
「大丈夫だ。もう傷も塞がる。シャツとスーツがダメになったくらいだ」
 神代が言うとおり流れていた血は止まり、傷が塞がっていく。
「このままじゃ帰れないな。あとでシャワー室に行くか」
 何事もなかったかのように言って、神代が立ち上がる。ほんの数分前まで包丁を刺されていたとは思えない回復ぶりだった。
「はなせぇぇぇ!」
「静かにしろ!」
 母親はまだ暴れているようで、そちらを見ると天真と天真の上司である高橋に二人がかりで押さえられていた。
 その目は確かに神代と茜を睨みつけていて、憎しみは人にそんな目をさせるのだと知った。
 他の課の職員も、居合わせた来訪者も、立ち尽くすようにして現場を見ている。誰も動けなくて、ただ母親の呪詛だけが響いていた。
 時間にしてはすぐだが、長い時間が経ったように思う。警備課の職員が来て、天真と高橋から母親を受け取って、どこかへ連れて行った。訓練されているその動きは鮮やかで、あっという間に母親に手錠をかけると、暴れる彼女をものともせず引きずっていった。
 止まっていた時間が動き出す。
 他の課の職員は仕事を再開させ、来訪者は自分の目的は果たすべく動き出す。壁に寄って噂話をするように話す来訪者たちもいた。
「大丈夫か?」
 天真の顔が目の前に現れて、ふっと我に返る。心配そうな天真に、大丈夫だと笑って見せた。
「大丈夫」
「無理すんな」
「無理なんて……」
「首あざになってるぞ」
「あ、」
 首を絞められたのだ。その手には確かに憎しみが込められていて、息ができなくて、苦しかった。
 一度目をつぶって、深く息を吐く。
 もう呼吸はできるし、苦しむこともない。
 大丈夫だと言い聞かせて、茜は天真を見た。
「あの人、どうなるの?」
「次の転生まで収容されるって」
「収容……」
「危険人物と認定されるだろうって」
 人が死なないあの世では、殺人事件は起こらない。だから、比較的平和だといえる。でもあの母親は神代を刺して、茜の首を絞めた。場所が役所というのも背中を押して、危険人物認定は即座に降りたらしい。
「あの人、息子さんに来世で会えるかな」
「どうかな。息子の方は会いたくなさそうだったけど」
「そうだね」
「必要以上に背負い込むなよ」
「わかってる」
 神代を見ると、白石と一緒に雑巾で自分の血で汚れた床を拭いていた。麗は神代の替えのシャツを買いに行ったし、六花と大川は警備課と話している。
「じゃあ、オレ戻るけど」
「うん。助けてくれてありがとう」
「仕事だからな」
 そう笑って、天真が高橋と一緒にお迎え課に戻っていく。いつもと同じ日常が、ゆっくりと戻ってくるようだった。
 脱力するように椅子に座ると、手のひらになにかついている感触がした。見ると、赤くなっている。神代の血だとすぐにわかった。
「あの、神代さん、白石さん」
 呼ぶと床を拭いていた二人が顔を上げる。もうだいぶ拭き終えていて、白い床がピンク色に染まっているように見えた。
「どうした、ハチ」
「手を洗ってきてもいいですか?」
 血で汚れた手のひらを見せると、神代が頷く。
「ああ、行ってこい。汚して悪かったな」
「いえ、神代さんは気にしないでください。神代さんがかばってくれなかったら、刺されてたのは私ですし」
「ペアなんだ。庇うのは当たり前だろう」
 なんでもないように言って、神代が床を拭く。隣に置いてある水の入ったバケツは真っ赤に染まっていた。
 血が乾く前に洗った方がいいと、茜は立ち上がってトイレに向かった。すれ違う人が茜の手を見てぎょっとするのがわかったが、無視をした。
 早足で職員トイレに行き、取っ手を汚さないようにドアを開けると誰もいなくてほっとした。
 すぐに洗面台で水を流すと、手のひらを洗う。あらかた流れたところで、今度は石鹸をつけて洗った。泡と血が混ざってピンク色になる。水で流して、また石鹸をつけて洗ってを繰り返して、納得するまで洗い続けた。
 手が冷たくなる頃、やっと気が済んで水を止める。設置されている紙で手を拭くと、丸めた紙をゴミ箱に捨てた。
 息を吐いて、鏡を見る。
 そこには酷い顔をした自分がいた。
 首を見ると、天真が言うとおり、指の形にあざができていた。そんなになるまで首を絞められたのかと改めて思う。憎しみを受けるのは、重い。
 茜はふらふらと個室に行くと、蓋をしてあるトイレに座り込んだ。
 水で冷たくなった手で、首に触れる。
 まだあの感覚が生々しく残っていた。
 殺したいと思うほどの憎しみで、首を絞められる感覚。
 それを茜は知っていた。
「……思い出した」
 蓋が壊れてしまったように、頭の中に情報が押し寄せる。座っていられないほどの目眩に、茜は壁に手をついた。
「茜、大丈夫?」
 トイレに麗の控えめな声が聞こえる。返事をしないといけないと思いつつも、声が上手く出ない。
「うら、ら、さ」
 絞り出した声は弱々しくて。麗が焦るのがドア越しにわかった。
「遅いから来てみたの。茜、大丈夫? 動ける?」
「だい、じょ、ぶ」
 足に力を入れて立ち上がると、なんとか動けることがわかった。ドアを開けると、すぐに麗が近づいてきた。
「茜!」
「うらら、さん」
「やだ、酷い顔色。もう今日は帰っていいから、家で休みなさい。一人が無理そうなら送っていくわ」
「だいじょうぶです」
 頭の中で暴れていたものは、ゆっくりとおさまってくる。それと同時に目眩もなくなってきた。
「ちょっと目眩がしただけです。もうおさまりました」
「そう? でも顔色はまだ悪いし、早退しなさいな」
 麗に連れられて課に戻ると、床はすっかり元通りの白に戻っていた。ほんの数分前にここで人が刺されたなんで誰も思わないだろう。
 神代は身体についた血を洗いにシャワー室に行ったらしい。落ちていた包丁も、いつの間にかなくなっていて、警備課が持って行ったと教えてもらった。
 結局その日は早退した。
 茜自身の意志というより、大川から言われたからだ。早退することと、明日休むこと。
 課長命令だと言われてしまったら従うしかない。心配そうにこちらを見る大川に、反論することはできなくて、茜はそれは受け入れた。
 社宅に帰ると、開けていた窓を閉めて、ベッドに寝ころんだ。休みでもないのに、こんな明るい時間に部屋で寝ているのは居心地が悪い。
 でも、背中になにか重いものが乗っているように、身体は怠かった。あの凶行はお昼前に行われたから、昼に食べようと思っていた弁当はバッグの中に入れっぱなしだ。
 時計を見るともう十五時で、昼食を食べていないというのになにも食べる気がしなかった。水分だけでも取っておこうと思ったけど、ベッドから起きるのも億劫で、茜はそのまま目を瞑った。
 それからどれほど時間が経ったのか、チャイムの音がして茜は目を覚ました。部屋の中は薄暗くなっていて、枕元の時計を見ると十七時を過ぎたところだった。
 ゆっくりと起きあがって、電気をつける。
 この家のチャイムを鳴らすのは、天真か宅急便くらいだ。
 覚束ない足取りで玄関まで行くと、覗き穴を見る。そこには想像通り天真が立っていた。
 鍵を開けて、ドアを開ける。
 チャイムが鳴ってから出るまで時間がかかったからか、ほっとした表情の天真がいた。
「よぉ、お疲れ」
「お疲れさま」
「悪い。寝てたか?」
「うん。でも起きないと」
「なにか食ったか?」
「ううん」
 茜が首を振ると、天真がビニール袋を差し出した。
「見舞い」
「風邪引いたわけじゃないんだよ」
「俺たち病気しないもんな。でもまぁこういうのは気持ちだよ」
「ありがと」
 ビニール袋を受け取ると、中にはスポーツドリンクとゼリーとプリンが入っていた。
「腹減ってるなら、とんこつラーメンでも食べに行くか?」
「食欲ない」
「……どうした?」
「え?」
「今日のあのこともあるけど、それ以外になにかあったか?」
 そんなに鋭くなくていいのに。
 茜の顔をのぞき込む、天真の顔には心配と書いてある。ここでは天真は、茜にとって隣人であり、職場以外で親しい存在だ。
 それに約束した。
 思い出したら言うと。
「……た」
「ん?」
「思い出した。生前のこと」
「え、マジか! よかったじゃん」
 自分のことのように喜んでくれて、笑う天真がいる。
「あ! 祝わないといけないよな、記憶復活祝い。ゼリーとプリンよりケーキがいいかな。ケーキ屋開いてるだろうし、オレ買ってくるわ。なんのケーキが好き? なんなら食える?」
 天真が喜べば喜ぶほど、泣きたくなった。思い出した記憶は、そんな祝ってもらうようなものじゃなかった。
「いらない」
「え?」
「祝われるようなことじゃないよ」
「どうした? だってお前、記憶取り戻したいって言ってたじゃん」
「だって、いい記憶じゃなかったんだもん」
 ぽたりと涙が落ちた。
 ここに来て、泣くのは初めてだ。喉が張り付くような感覚があって、なにかがせり上がってくる。それを止めることなどできなかった。
「お母さんに首を絞められて殺されそうになった。暴れて腕を噛んで逃げたら、今度はコードみたいなので首を絞められて死んだの」
「……もしかして、あの女に首を絞められたから思い出した?」
「うん」
 和久井の母親の手が、自分の母親の手と重なった。殺したいという思いも、逃げようとしても追ってくる感じも同じだった。
「お母さん言ってた。お母さんも死ぬから、一緒に死のうって。私は無理心中で死んだの。お母さんもこっちにいるかもしれないし、もしかしたらお母さんは助かったかもしれない。でも会っても、お母さんは私のこと嫌いかもしれない。だって殺そうとするくらいだもん」
 一気にそう言って、溢れる涙を手で雑に拭いた。
 きっと天真は引いてしまうだろう。話を聞く限り、天真の家族は仲が良くて、再会できたら嬉しいという思いがある。
 だけど、天真から出た言葉は、思ってもいないものだった。
「他には、なにを思い出した?」
「え?」
「全部ぶちまけろよ。聞くから」
「大学受験で失敗して、引きこもりになった」
 今の姿は、楽しかった時代のものだ。
 受験に失敗するとも思わず、九州の田舎町で賢いという賞賛を受けていた頃の。
「それから家族がおかしくなった。お母さんは宗教にハマるし、お父さんは家に帰ってこなくなるし、妹も非行に走った」
 それは全部自分のせいだ。
 挫折を受け入れられない弱い心のせいで、家族がバラバラになった。十八から死ぬまで家から出ないで、過ごした。妹が金髪になったのを知ったのも、父親の姿を見たのも、最後に母親に首を絞められているときだった。
「母さんの料理で、なにが一番好きだった?」
「料理?」
「生まれてからずっと引きこもりじゃないだろ? 幸せなときだってあったはずじゃん」
「カレー、あと卵焼き。ハンバーグ」
「ほら、あんじゃん」
「土曜日に家族でラーメン食べに行くのが好きだった」
「とんこつ?」
「うん」
 幸せな時は確かにあった。今日は卵が新しいからと母親が言うと、卵かけご飯にして食べるのが好きだった。休みの日には家族で出かけたし、旅行だって行った。
「私が、家族の幸せを狂わせた」
「誰が悪いとかじゃないだろう」
「でも」
「じゃあ、受け入れろ。今のお前は、立派に働いてるだろ。現世で間違ったと思うなら、ここでやり直せばいい」
「本当に、それでいいのかな」
「そのために、あの世があるんじゃねぇの?」
 それならば、やり直したくて私は記憶に蓋をして、役所で働く資格を得るほど未練を持っていたのだろうか。
 そしてそれはここでなら可能で、許される者なのだろうか。
「迷ってても答えなんて出ねーよ」
「天真……」
「大丈夫、お前は一人じゃない。また挫折しても、立ち上がる手助けくらいしてやるよ」
 また溢れだした涙を手で拭くと、その手を天真に止められた。
「そういう拭き方するなよ」
「うん」
「ほら、ハンカチ」
 天真がポケットからハンカチを出して差し出してくる。それをありがたく受け取って、頬を伝たう涙を拭いた。
「天真もハンカチとか持ってるんだ」
「お前、オレのことなんだと思ってるんだよ」
「だって意外だったから」
 ふふっと笑うと、天真の手が茜の頭を撫でた。
「やっと笑った」
「ごめん、心配かけた」
「いいって。不幸比べしても仕方ないけど、ここにはいろんな人がいる。お前だけじゃないってことは覚えておけよ」
「そうする」
 消えたいと願った川井は、もっと辛い思いをしたのかもしれない。自殺を選ぶほど追い込まれた和久井少年も。
 比べても仕方がない。
 別の人間なのだから、受け取り方は様々だ。耐えられる人もいれば、そうでない人もいる。
「ねぇ、天真」
「ん?」
「やっぱりとんこつラーメン食べに行かない?」
「いいぜ。腹減ってきた?」
「うん」
「生きてる証拠だ」
「死んでるのにね」
「あの世ジョークってブラックだよな」
 くすくす笑って、十分後に出かける約束をした。天真はスーツから私服に着替えたいらしい。茜も部屋に戻って、天真の差し入れを冷蔵庫に入れた。
 お腹は空いていた。
 ここで、生きているということだ。
 記憶をなくしている間に、少しだけ強くなった気がする。今なら、あの挫折も受け入れられる。
 でも過去は戻らない。
 だったら進むしかない。
 小さなバッグにスマホと財布を入れて、茜は玄関に行く。
 その足取りは、しっかりと地面を踏みしめていた。

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