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第五章 正義の意味
129. 結界
しおりを挟む第044日―5
「では、『彼女』が今も生きているかどうかだけでも、教えてもらえないですか?」
「生きてはおる。が、それしか言えぬ。すまぬな……」
僕の問い掛けに対し、そう言葉を返してきたイクタスさんはそこで言葉を切り、目を閉じた。
彼の深いしわが刻まれた顔には、苦悩の表情が浮かんで見えた。
それは僕を少しばかり不安にさせた。
『彼女』はもしかすると、今、何か特殊な状況下にあるのだろうか?
であれば、自分に何か出来る事は無いのだろうか?
『彼女』に会って、もう一度話をしてみたい……
その時、右腕に装着された腕輪に嵌め込まれた紫の水晶が仄かな燐光を発した。
同時に、心の中に暖かい何かが流れ込んでくるのが感じられた。
唐突に、この紫の水晶を加工して腕輪にしてくれた謎の人物の事を思い出した。
もしかして、あの人物は……!?
僕の思索を中断するかのように、それまで黙って僕達の会話に耳を傾けていたハーミルが口を開いた。
「ねえ、そろそろ話を戻しても良い?」
「あ、ごめんごめん。そう言えば、僕が『彼方の地』に一旦行って、僕とその禁呪とやらの同期を解除できないかって話だったよね?」
「その事じゃがな……先ほども申した通り、いくつか問題がある」
イクタスさんは、難しい顔をしたまま言葉を続けた。
「まずどうやって『彼方の地』への扉を開くか、じゃ」
「それはイクタスさんが一番ご存知なのでは? 実際、一度は扉を開いたわけですし」
「カケルよ、話はそう簡単では無い。おぬしも知っての通り、メイは魔王エンリルの意を受け、『彼方の地』への扉を開くため、各地の祭壇の封印を解除して回っておった。実は、あとは始原の地、つまり選定神殿奥の祭壇の封印を解けば扉が開かれる、という段階にまでなっておる」
「それなら……」
話は簡単では、と言いかけて、僕はある事に思い至った。
「しかし恐らく、メイに始原の地で儀式の続きをさせるのは、大きな危険を伴う可能性がある。メイの行った儀式は、わしらが17年前行ったものと決定的な差異がある。17年前にはこの世界に存在しなかった霊晶石を、メイは儀式に介在させておった。そして聞くところによれば、始原の地を含め、いくつかの祭壇で、メイの身に異変が生じていた、とか」
僕は改めて、メイが各地の祭壇で行っていた儀式を、霊力の力で“視た”時の情景を思い返した。
仰向けの不自然な姿勢で空中に浮遊し、顕現した宝珠から立ち昇る怪しい力の揺らめき……
あの時も感じたけれど、メイに儀式を完遂させるのは、何か取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうに違いない。
「まあ、始原の地での封印解除の儀式は、ノルン殿下にお願いする、という方法も考えられるが、ノルン殿下の身に何も危険が生じない、という確証も無い」
僕は、ノルン様が始原の地の祭壇にいるメイの居場所を特定しようと、宝珠を顕現した時の異変についても思い出した。
あの時、ノルン様の額から、やはり禍々しい力――僕にはそれが霊力、と感じられたけれど――が、触手のように立ち上っていた。
「仮に『彼方の地』への扉を開くことが出来た、としよう。しかしそれは、直ちに魔王エンリルの知るところとなろう。やつの今までの行動から推測すれば、『彼方の地』と守護者の力に執着しておるのは間違いない。扉が開いた事を知れば、遮二無二わしらを排除して、『彼方の地』へ向かおうとするじゃろう」
ハーミルが口を挟んできた。
「その時は、事前にナイアやアレル達にも声を掛けとけば良いんじゃないかしら? カケルを『彼方の地』に退避させて、ついでに魔王エンリルも皆でやっつければ、一石二鳥だと思うけど」
イクタスさんはチラッとハーミルに視線を向けてから、話を続けた。
「魔王エンリルの問題が解決したとしても、最後に残る問題がある」
「残る問題?」
「『彼方の地』への扉を、誰が再び閉じるか、じゃ。守護者は扉を解放し続けるのは、この世界に良くない影響を与える、と申しておった。そして守護者はわしらが扉を開いて1ヶ月足らずで、再び『彼方の地』を封印してしまった」
「それなら……」
ハーミルが僕の顔を見た。
「カケルも、『彼方の地』を再封印してしまう事、出来るんじゃないの?」
「やってみないと分からないけれど……」
僕は、ここで少し言葉に詰まってしまった。
『彼女』に出来たからと言って、自分にも可能とは限らない。
自分は、『彼女』程にはうまく霊力を操ることが出来ていない自信がある。
僕はとりあえず聞いてみた。
「あの……『彼方の地』への扉が開きっぱなしだと、どんな問題が生じるのでしょうか?」
イクタスさんがやや浮かない顔になった。
「それが、当の守護者自身も詳しい理由を語らなかったのじゃ。しかし守護者が、扉を閉ざす事にこだわっておったのも事実。そこには、守護者自身も覚えておらぬ、何か重大な理由が存在するのかもしれぬ」
ハーミルがイクタスさんに話しかけた。
「じゃあ結局、リスク承知で『彼方の地』への扉をこじ開けるか、他の方法でカケルとその禁呪との同期を解除する方法を探すか、の二択って事ね……」
「そういう事になるかのう」
ハーミルの言葉を受けて、イクタスさんが頷いた。
話が一区切りついた所で、僕は改めて周囲を見回した。
コイトスで乗せてもらったクルーザーより一回り以上大きな船。
甲板上には、そこかしこに魔法陣が描かれている。
そし、船から数百m程離れた位置に、周囲を切り立った崖に囲まれ、大部分が濃霧で覆われた大きめの島が見えている。
僕は今更ながらの質問を口にしてみた。
「ところで皆さんは、こんな場所で何をなさっていたんですか? まさか、僕をあの禁呪から守るためだけに、ここに集まってらっしゃる……って訳では無いですよね?」
「皆おぬしを守るために……と、恩着せといても良いのじゃが、実は本来の目的は他にあってな。今回、カケルを守ったのはあくまでもついでじゃ」
イクタスさんは悪戯っぽく笑うと言葉を続けた。
「あの400年前の世界で、勇者ダイスと行動を共にしておった銀色のドラゴンの事、覚えておるじゃろう?」
僕が頷くのを確認したイクタスさんが、濃霧に覆われた島を指差した。
「実はあのドラゴン、どうやらあの島に隠棲しておるようなのじゃ」
「本当ですか?」
「うむ。とあるつてから入った情報じゃが、相当確度は高い。で、色々聞いてみたい話もあって、皆で押し掛けたのじゃが、島自体が結界で守られておってのう。ここ5日程、結界解除を試みておるのじゃが、手こずっておるところじゃ」
やれやれといった雰囲気でそう口にするイクタスさんに、僕は、あの魔法陣から守ってくれたお礼も兼ねて申し出てみた。
「皆さんには色々お世話になっていますし、もし宜しければ、お手伝いしましょうか?」
「おおっ! カケルが手伝ってくれるなら心強いな」
嬉しそうに答えるイクタスさんと周りの人々に軽く会釈して、僕は目を閉じた。
そして意識の深淵から、光球を顕現させた。
そのまま霊力を増幅させつつ、島を覆う結界に意識を集中していき……
?
妙なモノを感知してしまった。
束の間、首を傾げていると、イクタスさんが問い掛けてきた。
「カケル、どうかしたのか?」
「……霊晶石が、島の周囲に配置されているのが“視える”んですが……あの銀色のドラゴンが結界を張るのに使用しているって事でいいんでしょうか?」
イクタスさんが、怪訝そうな顔になった。
「まことに、霊晶石が“視える”のか?」
「はい。あの仄かな光とそこから放たれている霊力、見間違えようが無いです」
僕の言葉を受けて、なぜかミーシアさんやガスリンさんまでが、怪訝そうな表情になった。
皆の意外な反応の理由が知りたくて、僕はとりあえず聞いてみた。
「霊晶石、あの島にあると何かまずいんでしょうか?」
「まずいという程でも無いが……霊晶石は、元々『彼方の地』にしか存在しない。つまり17年前、わしがエンリルやディース様達と扉を開くまで、この世界にもたらされた事は無かったはずじゃ」
「えっ?」
「つまり魔王ラバスが打倒されて以降、400年間あの島に隠棲しているはずのドラゴンが、霊晶石を使って結界を張っておるとすれば、少々奇妙な話という事になる」
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