心の落とし物

緋色刹那

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夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』

第五話「水溜りに沈む」⑶

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 しばらく水溜りに沈んでいると目が慣れてきたのか、何もないと思っていた暗がりに建物が沈んでいるのが見えてきた。
 どれも由良にとっては見覚えのある建物ばかりで、ビルや民家、洋燈商店街など、LAMP周辺にある建物が、水面から上下逆さまに生えていた。さながら、水溜りに映った鏡像が実在しているかのようだった。
 同時に、水底から色とりどりの紙片が浮き上がってくるのが見えた。
(あれって、紙吹雪……?)
 由良は目の前に漂ってきた一枚をつかんでみた。
 紙片には何やら字が書かれているようだったが、紙が千切れているせいで読めなかった。
(あ、あれなら読めそう)
 やっと読めるサイズの紙片を見つけ、手に取る。
 それは七夕の笹飾りに吊るす、短冊だった。水色の短冊に、ピンクのサインペンで願い事も書いてある。
 そこにはこう書かれていた。
『お母さんの病気が治りますように。ナオコ』
「……」
 一生懸命書いたのだろう、つたないながらも力強い字で記されている。
 他にも、原型を留めている短冊がいくつか浮き上がってきた。
「彼女とヨリを戻したい。タクヤ」
「志望校に受かりますように。田辺」
「世界平和☆ by俺」
 中には「わざわざ短冊に書く必要があるのか?」と疑ってしまうような内容のものもあったが、大半はこんな訳の分からない場所で漂っていてはならない、大切な願い事を記した短冊ばかりだった。
 紙片は由良が沈むにつれ、サイズが大きくなっていく。やがて水底の光景が見えた時、由良は紙片の正体に気がついた。
(……そうか。あの紙吹雪は短冊が劣化して、バラバラになったものだったんだ)
 水溜りの底には、膨大な量の笹飾りが沈んでいた。どの笹も古く、枯れて黄ばんでいる。
 笹には無数の短冊がくくりつけられ、まるで水草に群がる熱帯魚のようにヒラヒラと美しく揺らいでいた。しかし笹の劣化に伴い、枝が一本、また一本と千切れ、短冊達はそれぞれバラバラに散っていった。
(幻想的な景色だけど……あの中に入るのは、マズい気がする)
 由良の足首に巻きついている笹も、水底に沈んでいる笹飾りから伸びていた。
 どうやら、この笹は由良を笹飾りの森へ連れ去ろうとしているらしい。あれらの笹飾りも足首に巻きついている笹と同じ強度ならば、捕まったら最後抜け出せなくなるだろう。
(でも、今さらどうにも出来ないしなぁ)
 由良が頭を悩ませていると、目の前に一枚の短冊が漂ってきた。
 黄色い短冊に丸文字で"はむらひなこ"と書いてあった。
(これ……日向子が書いた短冊? 何でこんなところに?)
 思わず手に取る。字体からして、小学生の時のものだろう。
 今はそれどころでないのは分かっていたが、ずっと思い出せなかった日向子の願い事が何なのか気になり、たまらず目を通した。
「……は?」
 その願い事があまりにも予想外で、由良は自分が置かれている状況も忘れて目を見張った。

「というか、声出るじゃん。水中だから喋れないと思ってたのに」
「お前、こんなところで何をしている?」
 そこへ黒い雨傘を差した渡来屋が近づいてきた。屋根裏部屋にあった薄荷色に光る石をカンテラに入れ、灯りとして使っている。
 渡来屋は傘を閉じ、由良の足首に巻きついていた笹の蔓へ振り下ろす。あれだけ由良が力を込めても千切れなかった笹が、いとも容易く切断された。
「その傘、どういう仕組みになってるの?」
「ここは人間が入って来られるような場所ではないはずだ。どうやって入った?」
 渡来屋は由良の質問には答えず、一方的に問い詰めた。
 由良を責めるというよりは、心配している様子で、由良は何故彼がそのように自分の身を案じるのか、理解出来なかった。
「……貴方がさっき切った笹に引っ張られて、水溜りに落ちたのよ。そうしたら、この〈心の落とし物〉に繋がってた」
「ここは〈心の落とし物〉から生まれた空間じゃない。人の記憶から忘れ去られた〈心の落とし物〉の溜まり場だ。人の身で沈めば、他の人間共の記憶からお前の存在が抹消されるぞ」
「げっ。何でそんな危険な場所に連れて来たんだか……」
「お前は他人の願いを自分のことのように気にするような奴だからな。気に入られたんじゃないか?」
「う……嬉しくない」
 由良はあからさまに顔をしかめる。
 渡来屋はその顔を見てケラケラと笑うと、傘を開き、由良の手を取って浮上した。
「今のお前の言葉を聞いて、連中も諦めただろう。帰るぞ」
 由良は渡来屋に手を引かれ、一緒に上昇する。笹飾りの集団はあっという間に見えなくなった。
 渡来屋が来た道を戻っているかは分からない。由良は水中を漂っているうちに、すっかり方向感覚を失ってしまっていた。
「アンタは何でここにいるの?」
「仕入れ」
 そう言って渡来屋が指差したコートのポケットには、輪ゴムでまとめられた短冊の束がぎっしりと入っていた。
 短冊が原型を留めているのか、ポケットの上からでは分からなかったが、厚みからして、少なくとも笹飾り一本分の短冊が集められていた。
「こんなにたくさん……?!」
「人の記憶から忘れられた〈心の落とし物〉はここへ流れ着き、二度と浮上することはない。〈探し人〉もここへは入れない。だからこうして、俺がわざわざ拾いに来てやってるのさ」
「その拾った短冊を、またバカみたいな値段で〈探し人〉に売りつけるつもりなんでしょう?」
「値段を決めているのは〈探し人〉の方だ。俺はそれを口に出して、提示しているだけ。そいつにとって価値の高いものなら、手に入れるのに値が張って当然だろう?」
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