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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第八話「ワスレナ診療所」⑵
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夏彦がいる病室の場所を看護師から教えてもらい、廊下を進む。
廊下は窓から日が差し、明るい。外は夏の高原が広がっている。澄み切った青い空と青々とした芝生が眩しかった。
「へぇ。この診療所、いいところにあるんですね」
「でしょう? ハイキングの名所としても有名だったみたいですよ。街から二時間くらいかかるので、お見舞いに来る人は少なかったですけど」
由良は景色をよく見ようと、窓を開ける。
すると、青空と高原は窓と共に横へスライドし、代わりに見慣れた夜景が現れた。窓から見える景色は、偽りのものだった。
「……」
由良は無言で窓を閉めた。
夏彦の病室のドアには嫌がらせかと疑うほど、彼の名前が書かれたプレートが貼り付けられていた。
「こんなに貼らなくても、一枚で十分でしょうに」
「そうですね」
「それだけナナコさんを待ち焦がれていたということでしょうか?」
「そうですね」
「……もしかして緊張されてます?」
「しないわけないじゃないですか。ずっと探していた相手が、ドアの向こうにいるんですよ?」
「私がノックしましょうか?」
「いえ……自分でやります」
ナナコは緊張を和らげようと、深く息を吐く。何度もためらいつつも、ドアを軽くノックした。
「はい」
病室から若い男の声が返ってくる。
「し、失礼します! 尾上夏彦さんのお見舞いに来ました!」
「それはそれは……」
「遠いところをわざわざ」
(……ん?)
後半、夏彦の声が少し老けた気がした。
「どうぞ、お入りください」
さらに老けた声が、二人を招く。
(この病室って、夏彦さんしかいないんじゃないの?)
不審に思う由良をよそに、ナナコは「お邪魔します」とゆっくりドアを開いた。
十数人の大部屋で、手前のベッド以外はカーテンで隠れている。奥の窓にも高原の風景が見えた。
「やぁ、貴方だったんですね。またお会いできるとは夢にも思いませんでしたよ」
手前のベッドに座って本を読んでいた、若い男が目を細める。
「夏彦さん……」
ナナコも嬉しそうに微笑む。彼がナナコの探していた「尾上夏彦」なのだろう。
その時、隣のベッドのカーテンが開いた。
「本当だ! 僕が愛した"彼女"だ! 僕のことを覚えてくれていたんだね」
「夏彦さん!」
「え?」
その男は夏彦とそっくりだった。年齢は手前のベッドの夏彦よりも二、三歳上に見える。
続けて、向かいのカーテンが開いた。四十代くらいの男性で、その顔には夏彦の面影があった。ナナコを見るなり駆け寄り、手を取る。
「おぉ! 貴方は、あの時の! 私はこのとおり、すっかり体調が良くなりました! またお話してくれますか?」
「もちろんです、夏彦さん」
「この人も?」
残りのベッドからも様々な年齢の夏彦が現れ、ナナコのもとへ集った。
子供の夏彦、老人の夏彦、スーツ姿の夏彦に、寝巻きのままの夏彦、元気な夏彦もいれば、起き上がるので精一杯な夏彦もいた。ナナコはそれら全ての夏彦を「夏彦さん」と懐かしそうに呼んだ。
「……で? どの夏彦さんが、ナナコさんが探されていた〈心の落とし物〉なんです?」
ナナコは穏やかに微笑み、答えた。
「全員です」
ナナコは一旦夏彦達を各々のベッドへ帰させると、足りない分の花瓶を診療所のスタッフから借り、ひとりひとりに話しかけながら花を生けて回った。花束から花を数本抜き取り、花瓶に挿す。
ナナコとの会話が終わると、夏彦はひとり、またひとりと満足そうに病室を去っていった。起き上がるのもやっとな夏彦は、他の夏彦に車椅子で押してもらっていた。
最後に、カーテンを開くことすらしなかった夏彦のもとへ歩み寄った。由良もナナコの後に続く。
カーテンを開くと、どの夏彦よりも弱々しく老いた夏彦がベッドに横たわっていた。全身にさまざまな現代の計器をつながれ、今にも事切れそうだ。
ナナコはAlrauneで購入した花瓶に残り全ての花を生け、夏彦の枕元へ飾った。
「夏彦さん、お久しぶりです。私を覚えておいでですか?」
夏彦の手を取り、声をかける。
夏彦は虚な目で天井の一点を見つめていた。ナナコの声に反応し、ゆっくりと顔を動かす。虚だった目が、はっきりとナナコの顔を捉えた。
「あぁ……懐かしい。この歳で貴方ともう一度会えるとは思ってもみなかった。あるいは、彼女に化けた死神かな? だが、今はそれでもいい。私を看取りに来てくれたんだね」
「……そうです」
ナナコは重々しく頷く。唇を噛み締め、涙を浮かべていた。
夏彦は「そうか」と安心した顔で、目を閉じた。
「こんな場所まで来てくれてありがとう。本当は、私が君を探しに行かなければならなかったのに。おかげで、〈探し人〉人生最後の贈り物になったよ。本当にありがとう」
計器のブザーが鳴り響く。夏彦は静かに息を引き取った。
廊下は窓から日が差し、明るい。外は夏の高原が広がっている。澄み切った青い空と青々とした芝生が眩しかった。
「へぇ。この診療所、いいところにあるんですね」
「でしょう? ハイキングの名所としても有名だったみたいですよ。街から二時間くらいかかるので、お見舞いに来る人は少なかったですけど」
由良は景色をよく見ようと、窓を開ける。
すると、青空と高原は窓と共に横へスライドし、代わりに見慣れた夜景が現れた。窓から見える景色は、偽りのものだった。
「……」
由良は無言で窓を閉めた。
夏彦の病室のドアには嫌がらせかと疑うほど、彼の名前が書かれたプレートが貼り付けられていた。
「こんなに貼らなくても、一枚で十分でしょうに」
「そうですね」
「それだけナナコさんを待ち焦がれていたということでしょうか?」
「そうですね」
「……もしかして緊張されてます?」
「しないわけないじゃないですか。ずっと探していた相手が、ドアの向こうにいるんですよ?」
「私がノックしましょうか?」
「いえ……自分でやります」
ナナコは緊張を和らげようと、深く息を吐く。何度もためらいつつも、ドアを軽くノックした。
「はい」
病室から若い男の声が返ってくる。
「し、失礼します! 尾上夏彦さんのお見舞いに来ました!」
「それはそれは……」
「遠いところをわざわざ」
(……ん?)
後半、夏彦の声が少し老けた気がした。
「どうぞ、お入りください」
さらに老けた声が、二人を招く。
(この病室って、夏彦さんしかいないんじゃないの?)
不審に思う由良をよそに、ナナコは「お邪魔します」とゆっくりドアを開いた。
十数人の大部屋で、手前のベッド以外はカーテンで隠れている。奥の窓にも高原の風景が見えた。
「やぁ、貴方だったんですね。またお会いできるとは夢にも思いませんでしたよ」
手前のベッドに座って本を読んでいた、若い男が目を細める。
「夏彦さん……」
ナナコも嬉しそうに微笑む。彼がナナコの探していた「尾上夏彦」なのだろう。
その時、隣のベッドのカーテンが開いた。
「本当だ! 僕が愛した"彼女"だ! 僕のことを覚えてくれていたんだね」
「夏彦さん!」
「え?」
その男は夏彦とそっくりだった。年齢は手前のベッドの夏彦よりも二、三歳上に見える。
続けて、向かいのカーテンが開いた。四十代くらいの男性で、その顔には夏彦の面影があった。ナナコを見るなり駆け寄り、手を取る。
「おぉ! 貴方は、あの時の! 私はこのとおり、すっかり体調が良くなりました! またお話してくれますか?」
「もちろんです、夏彦さん」
「この人も?」
残りのベッドからも様々な年齢の夏彦が現れ、ナナコのもとへ集った。
子供の夏彦、老人の夏彦、スーツ姿の夏彦に、寝巻きのままの夏彦、元気な夏彦もいれば、起き上がるので精一杯な夏彦もいた。ナナコはそれら全ての夏彦を「夏彦さん」と懐かしそうに呼んだ。
「……で? どの夏彦さんが、ナナコさんが探されていた〈心の落とし物〉なんです?」
ナナコは穏やかに微笑み、答えた。
「全員です」
ナナコは一旦夏彦達を各々のベッドへ帰させると、足りない分の花瓶を診療所のスタッフから借り、ひとりひとりに話しかけながら花を生けて回った。花束から花を数本抜き取り、花瓶に挿す。
ナナコとの会話が終わると、夏彦はひとり、またひとりと満足そうに病室を去っていった。起き上がるのもやっとな夏彦は、他の夏彦に車椅子で押してもらっていた。
最後に、カーテンを開くことすらしなかった夏彦のもとへ歩み寄った。由良もナナコの後に続く。
カーテンを開くと、どの夏彦よりも弱々しく老いた夏彦がベッドに横たわっていた。全身にさまざまな現代の計器をつながれ、今にも事切れそうだ。
ナナコはAlrauneで購入した花瓶に残り全ての花を生け、夏彦の枕元へ飾った。
「夏彦さん、お久しぶりです。私を覚えておいでですか?」
夏彦の手を取り、声をかける。
夏彦は虚な目で天井の一点を見つめていた。ナナコの声に反応し、ゆっくりと顔を動かす。虚だった目が、はっきりとナナコの顔を捉えた。
「あぁ……懐かしい。この歳で貴方ともう一度会えるとは思ってもみなかった。あるいは、彼女に化けた死神かな? だが、今はそれでもいい。私を看取りに来てくれたんだね」
「……そうです」
ナナコは重々しく頷く。唇を噛み締め、涙を浮かべていた。
夏彦は「そうか」と安心した顔で、目を閉じた。
「こんな場所まで来てくれてありがとう。本当は、私が君を探しに行かなければならなかったのに。おかげで、〈探し人〉人生最後の贈り物になったよ。本当にありがとう」
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