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第壱章  循環多幸  壱之怪

第22話 人によって禁句はまちまち

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 「なんだか、パッとしない陰気臭い山ね。ちょっと鏡佑きょうすけ。本当にここが山の入り口なの? 山に登る階段がどこにも無いし、急な坂になってる細い獣道しか無いじゃないのよ」



 灰玄かいげん六国山ろっこくやまの入り口前で文句を垂れている。

 僕は六国山の入り口前で早く帰りたいと思っている。


 と言うか……思った通り、過去のトラウマがよみがえり、体中に悪寒が走って震えが止まらない。


 ちなみに、この山は起伏が非常に激しいので、当然、山の斜面も急な坂になっている。

 人の出入りなんて無いから、以前は山に登る階段があったのかもしれないが、成長して、もう雑草と言うより草木に近いほど背丈の伸びた草が邪魔をして、細い登り坂を、よりいっそう細くさせている。


 山の高さはそれほど高く無いので、過去に僕が登った時は十五分から二十分程度で山頂の廃工場に辿り着いた。


 その時の季節は確か、冬だったのだが、登り坂が余りに急なので、気温は雪が降りそうなほど寒かったのに大量の汗をかいた思い出がある。



 「あの馬鹿女は、この山でいったい何してるのかしら。ちょっと鏡佑。アンタこの山のこと、どれぐらい知ってるの?」



 きっと、灰玄のお目当ての馬鹿女こと、ローザが潜伏しているであろう場所は、この山の山頂にある廃工場の中だろうな。

 まあ、断言は出来ないが。



 「えっと。山はそんなに高く無いけど、坂は凄く急で──」

 「そんなの見れば分かるわよ。もっと他に無いの?」

 「山頂に……廃工場があるけど……」

 「ふうん。廃工場ね」



 にやりと、不気味に笑う灰玄。




 「あの馬鹿女は、その廃工場にいるってことね」

 「何で言い切れるんだ?」

 「女の勘よ」

 「え? お前って女だったのか?」

 「どこからどう見ても女でしょ。アタシが男に見えるの?」

 「いや……そう言うわけじゃ無くて……」

 「じゃあどう言うわけよ」



 僕は性別の話しでは無く、灰玄が人間かどうかの話しをしているのだ。


 見た目は二十代半ばぐらいの容姿端麗の灰玄だが、僕の目の前で切断された腕を一瞬で再生させたり、人間とは思えないほどの速さで動いたり、オマケには天まで届きそうなジャンプまで披露させたこいつを、人間だとは思えない。



 「だから……男とか女じゃなくて……お前って化け物や怪物なんじゃないかと──」



 灰玄にビンタされた。

 吹っ飛びはしなかった。

 きっと加減をしてくれたのだろうが、しかし──凄く痛い!



 「痛ってええええええ! な、何しやがるんだ!」

 「アンタがふざけたこと言うからでしょ。誰が化け物や怪物よ、アタシはれっきとした人間なんだから、今度また馬鹿なこと言ったら本気でビンタするわよ」



 やっぱり加減していたみたいだ。



 「で、でもさ。僕は切断された腕を再生させたりする人間なんて見たことないぞ。それにあの身体能力はどう考えても人間離れしてるじゃねえか」

 「まー。あれは色々よ。とにかくアタシは人間なんだから、また化け物や怪物なんて言ったら承知しないわよ」



 出たよ灰玄名物。
 困ったら色々と言って言葉を濁す。


 こいつの色々はなんの説明も無いから全く分からないんだよな。



 でも……あの大怪獣や怪魚人かいぎょじんについては、訊かなかった。


 それは、訊かなかったんじゃ無くて、訊けなかったからだ。


 理由なんて僕には分からないが──あの時の灰玄の悲しい顔を思い出すと……それだけは、訊いてはいけないことなのだと思ったから……。

 灰玄にそれを訊いてしまったら──嫌なことを思い出させてしまう気がしたから……。


 誰だって、思い出したく無い過去があるし、僕にだって悲しい過去の思い出がある。

 悲しい過去の思い出と言うか──僕の場合は恥ずかしい過去の思い出だが……。


 あれは……中学生の時の出来事だ。

 運動会の時に女子達から名前で「九条くじょうくん君頑張って」と、黄色い声援を受け、自分にも春が来たのだと思って、応援している女子達を意識してチラチラ見ると、僕の方を見ていなかった。

 女子達が応援していたのは──僕と同じ『九条』と言う名前の、他の男子だったのである。

 つまり、僕は見向きもされていなかったわけだ。

 僕はそれ以来、運動会が大嫌いになった。

 と言うか──スポーツ全般が大嫌いになった。


 なんだか、思い出したら余計に恥ずかしくなって来た……。

 本当に……二度と思い出したく無い過去である。

 記憶を消去出来る機械があるなら──消したい!
 

 まあ、いいか。
 もう過ぎたことだ忘れよう──今、思い出してしまったばかりだけど……。

 そんなことよりも──僕の道案内の役目は終わったんだ、早く謝礼の十万円を貰ってタクシーで帰ろう。



 「それじゃあ、僕はもう帰るから謝礼の──」

 「ちょっと待ちなさいよ。アンタも一緒に廃工場まで来なさい」

 「え? いやもう──道案内は終わっただろ」

 「アンタはその廃工場まで行ったことあるんでしょ?」

 「あるけど……この坂を登った上にあるから一人で行っても迷わないって」

 「アタシはちゃんと道案内しない奴には謝礼は出さないわよ。廃工場の場所まで案内するのがアンタの仕事でしょ」



 だからさあ……仕事ってなんだよ。

 それに、僕はあの廃工場はトラウマなんだ。

 頼まれたって行くものか!



 「だから、さっきも行った通り、この坂を登ったらすぐ見えてくるから迷わないよ。それに……僕は二度とあの廃工場には行きたく無いんだ……」

 「何で行きたく無いのよ。鏡佑、アタシに何か隠してることでもあるの?」

 「隠すって言うか……」

 「もうじれったいわね。早く言いなさい」



 うーん……ここは素直に言うべきか……でも、心霊スポットなんて言って信じるとも思えないし。

 だがまあ、本当に行きたく無いのだ。

 僕が真剣に説明すれば、こいつも信じて一緒に来いなんて言わないだろ。



 「その廃工場は……心霊スポットなんだけど、とても不気味なんだ。それに……はっきり言って、恐いなんてレベルじゃないんだ。だから僕はもう二度と行きたく無いんだよ」

 「──心霊スポットってなに?」

 「え? えっと……幽霊が出る場所かな」



 僕がそう言うと、くすくすと笑い始める灰玄。



 「アンタ、幽霊なんて信じてるの?」

 「いや……信じては──いないけど」

 「ならいいじゃない。一緒に来なさい」



 やっぱり真剣に話しても信じてもらえなかった。

 しかも笑われたし……。

 けれども、僕は絶対に行きたく無い。

 なので──僕が廃工場に行った時のことを説明することにした。



 「だから、僕は幽霊は信じてないけれど、その廃工場は変なんだよ」

 「変って──なにが?」

 「なんて言うか……その廃工場に行ったら気分が悪くなって、目の前も歪んで来て、しまいには吐き気までしたんだ」

 「それ、ただの体調不良じゃない?」

 「違うんだって。山を登ってる最中は気分なんて悪く無かったんだ。その廃工場に着いたら、いきなり体調がおかしくなったんだよ。本当なんだ信じてくれ」

 「信じろって言われてもねえ……」

 「あっ! それと、廃工場の周囲が本当にヤバいんだよ」

 「周囲?」

 「そう──なんて言うのかな……途轍もなくヤバい瘴気しょうきが漂ってたんだ。これは噓じゃ無くて本当なんだよ」



 灰玄は顎に手を当てて、何かを考えている素振りを見せている。

 やっと僕の言葉が通じたのかな?



 「鏡佑。アンタが瘴気なんて言葉を知ってるなんて意外ね」



 …………全然通じて無かった。

 ていうか意外ってなんだよ……馬鹿にしやがって。

 しかも本気で意外そうな顔していやがるし。
 僕だって、瘴気って言葉ぐらい知ってるっつーの!


 と言うか──瘴気と言う言葉は、ゲームで知った言葉なんだけれど……。

 はあ……そう考えると、やっぱり僕って言葉を知らな過ぎるのかな……。

 なんだろう、この例えようも無い敗北感は。



 「まあ大丈夫よ。アタシが居るんだから来なさい。それに、来なかったら謝礼は出さないし、ここから歩いて帰らせるわよ」

 「あ、歩いてだと!? お前は鬼か!」



 冗談じゃないぞ。

 この山から自宅まで歩いたら、二時間以上はかかってしまう。

 しかも、こんな真夏日に、そんなに歩いたら、自宅に着く前に倒れてしまう。



 「……おい小僧」



 ──ん?

 灰玄の奴どうしたんだ?

 なんか……こっちをもの凄い目つきで睨んでるぞ。

 殺気なんてレベルじゃない、なんだか灰玄の周りが、ぐにゃぐにゃと歪んで見えるし……まさか!?

 これは、よく漫画やゲームに出て来る、オーラとか言うやつなのか?

 いやいや、ふざけている場合では無いぞ……これは、本気で怒っている目だ。



 「二度とアタシの前で、鬼と言う言葉を使うな。分かったか?」



 その、今にも僕を食い殺そうとするような、重く、冷たく、尖った口調は。決して眠りから醒ましてはいけない魔物を、何も知らずに起こしてしまい、逆鱗に触れてしまった感覚を僕にあたえた。



 「おい小僧。二度も言わすな、分かったのかと訊いているんだ」

 「あ……ああ。分かったよ、もう二度と……その言葉は言わない」



 押しつぶされそうな威圧感だ。 

 ある意味で廃工場よりも怖えよ……。

 なぜ怒っているのかは分からないが、どうやら灰玄にとって『鬼』と言う言葉は禁句のようだ。

 これで、もし、何で『鬼』と言う言葉が禁句なのか訊いたら、今度は「色々」とは言わずに無言で殺されるだろうな……。

 本気で僕なんて軽く殺してしまいそうな目だったもん。

 冗談抜きにマジで!



 「分かったならそれでいいわ。まっ、大丈夫よ。アタシが居るから平気平気」



 すぐに軽い口調に戻った。

 このスイッチの切り替わりの早さもなんだか怖い。

 ていうか、切り替わり早過ぎだろ。

 くしゃみをしたら人格が変わっちゃう、どこかのお姉さんじゃ無いんだからさあ……。


 まあ──廃工場よりも灰玄の方が怖いから仕方が無い。

 一緒に行くか。

 それに灰玄が大丈夫だと言うと、何だか妙に説得力がある。


 ちなみに、その説得力とは、こいつの人間性に対する説得力では無く、人間離れした怪物性に対してだが。

 つまり何かがあっても、こいつが味方でいる限りは怖いもの無し、と言うわけである。

 逆に言えば、絶対に敵に回したく無い奴なのだ。


 しかし──どうにも分からないことが、一つある。

 それは、どうして灰玄が車を簡単にプレゼントしてもらえたのかだ。


 確かに灰玄は容姿端麗の美人だ。

 それに──胸も大きいし、大きいと言うか、爆乳だし。

 けれども、それだけで簡単に車をプレゼントしてもらえるなんて考えられない。



 「なあ。ちょっと訊きたいんだけど、さっきまで乗ってた車って、本当に車が無いって言ったら、プレゼントしてもらえたのか?」

 「そうだけど」



 あっさり肯定する灰玄。



 「でもさ、高級車だぞ? 確かに相手はあの有名な錦花にしきばなだけど、車が無いなんて言って二つ返事で買ってくれるなんて思えないんだよな」

 「アタシはツルちゃんに車が無いなんて言ってないわよ」

 「──え? だって車が無いって言ったからプレゼントしてくれたんだろ?」

 「確かに車が無いとは言ったけど、大事な用事で行く場所があるってアタシが言ったら、ツルちゃんの方から、車は有るのかって訊いて来たから、無いって言ったの。そしたら車をくれたのよ」



 大事な用事で行く場所ねー。

 大事な用事で行く場所とは、この場合一つだろう。

 灰玄は土地勘が無く知り合いも居ないから、僕か臥龍がりょうを連れて行く為に車が必要だった。

 つまり臥龍の店が、大事な用事で行く場所だったのだろう。


 しかし、そんなことよりも、僕が訊きたいのは錦花がどうしてそこまで、灰玄の面倒を見るのかと言うことなのだ。


 でもなあ──これ以上しつこく詮索したら、また灰玄の逆鱗に触れそうだし……また機会を見て今度訊いてみよう。


 それにしても、さっきから僕の中にある違和感はなんだろう。

 とても重要なことを見落としているような…………あっ!

 そうだ、灰玄なら車を使わずとも、僕ぐらいなら担いで移動出来るはずだ。

 しかも車を使うよりも、速く走れそうだし。



 「あのさあ、ちょっと訊きたいんだけど、もし車が無かったら、僕を担いで目的地に行くつもりだったのか?」

 「まあ、そうなるわね」



 またもや、あっさり肯定する灰玄。



 「じゃ、じゃあさあ。車で来るのと、灰玄が走るのだったら……どっちが早く目的地に着いたんだ?」

 「そんなの決まってるじゃない。アタシが鏡佑を担いで走った方が早く着いたわよ」



 ──だったら車を使った意味ねえじゃん!

 ま、まあ。僕も灰玄に担がれている姿を想像したら、車で良かったとは思うけど。



 「でも、まあ。逆に車が手に入って良かったわよ。道具も車の中に隠しておけるし」

 「道具? なんの道具だ?」

 「道具は道具よ。それに、あの馬鹿女はこの山の上の廃工場に居るって分かったから、後はその廃工場を見て、どれぐらい準備すればいいかだけよ」

 「いや、まだ廃工場に居るなんて分からないだろ」

 「絶対に居るわよ。アタシの勘は当たるんだから」



 やけに自信たっぷりだな。

 女の勘はよく当たると聞くが──それよりも気になることが一つ。



 「今──準備って言ってたけど、なんのこと?」

 「道具の準備に決まってるじゃない」

 「それは分かってるけど、今仕返しするんだろ? だったらもう、その準備とかは済ませてるはずじゃ──」

 「何言ってんの? 今は物見で夜に仕返しするのよ」



 物見ってことは──今は見学だけってことか。

 まあ、この場合は見学では無く、偵察と言った方がいいのかもしれないが。

 そうだよな、いくら人気ひとけの無い山とは言え、真っ昼間よりかは夜の方がいいだろう。



 「まあ頑張ってくれ。それじゃあ廃工場までの道案内をするから──」

 「頑張ってくれじゃ無くて、夜も一緒に来るのよ」

 「はあ!? そんな話し聞いてねえぞ!」

 「アンタは道具持ちなんだから、夜も来るのよ。なにか文句あるの?」

 「文句しかねえよ! だいたい、道案内だけって約束だったじゃねえか!」

 「本当に細かいわね。乗りかかった船なんだから、最後まで付き合いなさい」

 「なにが乗りかかった船だよ! お前が無理矢理乗せた船じゃねえか。それにどんな道具かも知らないで手伝えるわけねえだろ!」

 「あらそう、別にアンタが嫌ならそれでいいのよ。謝礼も出さないし、ここから一人で歩いて帰りなさい」



 くそっ!

 僕の足下見やがって。

 しかも道具ってなんだよ──よく分からないが、危ない道具だったら洒落にならないぞ。

 でも、この炎天下の中を歩いて帰るのは自殺行為だ。

 と言うか、炎天下の中という表現だと、重言になるから、腹痛が痛いとか、そんな変な意味になってしまうが。


 だが、しかしだ。

 ここは炎天下の中という表現でいいのである。

 僕は自慢では無いが誰よりも暑いのが嫌いな人間だ。

 つまり、そんな暑さが弱点の人間が炎天の下に晒される訳なのだから、暑さを重言してより強調する意味でも正しいのだ。


 そもそも『暑』という漢字は、者の上に太陽の『日』がある。

 それに、炎天下の『炎』は『火』と言う漢字がダブルになって、熱さを強調しているではないか。


 なので、ここで言う炎天下の中と言う表現は、『日』に晒される者と、『火』に晒される者と言うダブルの意味なのである。


 ていうか、今日はいつも以上に暑い!

 まだ朝早く携帯電話ショップに行った時には、すでに四十度近くあった訳で、きっと今日は昼近くに四十度を超えるだろう。

 ちなみに、今はまだ午前中である。


 だからだから、冗談抜きで歩いて帰るのは自殺行為なのだ!



 「それで、どうするのよ。最後まで手伝うのか、それとも──」

 「ああもう分かったよ! 手伝えばいいんだろ! その変わり本当にヤバい場所だから、何かあったら……僕を助けてくれるんだろうな?」

 「分かってる分かってる。ちゃんと助けてあげるから、それにアタシが大丈夫って言ったら大丈夫なのよ。そうと決まれば準備があるから、早く山を登るわよ鏡佑」



 なんかもう、こいつの掌の上で踊らされてるようにしか、思えなくなって来た。
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