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第一章

10 色々あるよな

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「早かったな」
「え、そ、そうですか?」
 もう昼だ。だが一成の雰囲気はまるで早朝みたいだった。
「荷物は置いたか?」
「はい、置きました」
「必要なもんあれば適当に買って。その辺に金がある」
 語尾が萎んでいくゆったりとした口調だった。一成は宙を指差した。
 どの辺を指しているのか全く分からないが、玲はひとまず「はい」と答える。
 寝起きは随分と緩いようだ。警戒心が薄い。昨日出会ったばかりの男を招き入れて、ぼうっと俯いている。
 手持ち無沙汰なので玲は、「あの、珈琲でも淹れましょうか」と問いかけた。
「ああ、頼む。オレンジジュースは冷蔵庫の中にあっから」
「……はい」
 玲はキッチンへ移動した。ダイニングテーブルの奥にカウンター式で設置されている。広々としたキッチンだった。
 ダイニングテーブル側はバーカウンターのようになっている。酒のボトルが幾つか並んでいた。かなり酒を嗜むようだ。
 珈琲を淹れている間、冷蔵庫の中身を確認する。それなりだった。デリが多い。食事はどうするのだろう。何か作ったほうがいいかな。
 カップに珈琲を注ぐ。睡眠薬か何か入れても気付かなそうな無警戒ぶりだ。
 と、いきなりチャイムの音がした。
 何かと思ってリビングに戻るも一成は項垂れた体勢のまま完全無視だ。
 仕方なくモニターを確認する。どうやら宅配で、慌てて玄関扉を開けるとマンションのコンシェルジュがいた。
「如月様はご在宅ですか?」
 玲は目を丸くした。
 なるほど。偽名を使って借りるのではなく、さすがに本名でこの部屋を借りているみたいだ。
 玲は「はい」と答えて荷物を受け取った。やたらとデカい。彼は去り際に「こちらの会社からの荷物はすぐにお届けするよう申し付けられているので」と玲に説明もしてくれた。
 荷物を先にリビングへ運ぶ。次に珈琲を手にしてソファへ戻るが、一成はまだ膝に逞しい両腕を置いて俯いているところだった。
「あの、起きてますか?」
「……ああ、起きてる」
 今起きた、みたいな間だった。
「珈琲です、どうぞ」
「ども」
 やはり昨日とは雰囲気がまるで違う。
 もしかしたら普段はもっと遅くまで寝ていたのかもしれない。実際一成は、
「こんな朝早くから……すげぇな」
 と感心している。
 玲はこっそりと携帯を確認する。時刻はちょうど正午だ。早いだろうか? 分からない。玲にとっての朝は五時半だ。
 すると携帯に《どこにいんの? 部屋引き払ったって聞いた》と通知が入る。
 一体誰に聞いたのか。返信は後にしよう。一成が「朝から、どうやってそんなに動き出すんだ。お前は鳥か」と言い出したので。
「ごめんなさい。早すぎましたか」
「すげぇな」
「あの……出直しますか?」
「何を?」
「え、えっと、俺もよく分からないですが……」
「朝飯食べた?」
 朝飯というより昼食だが、玲は従順に「いえ、まだです」と答えた。
「冷蔵庫ん中にハンバーグとかある。オレンジジュースも。勝手に食え」
 一体一成の中でどんなイメージ形成をされているのだろう。お子様ランチを勧められてしまった。
「一成さんは何か食べます?」
「いらねぇよ」
 一成は「朝だぞ、気が狂ってんのか?」と怠そうに言う。朝は食べないようだ。朝ではないが。
「すみません。えと、俺も大丈夫です」
「はぁ? 何が大丈夫なんだそんな細っこい腕して。朝だぞ? 食べろ」
 適当すぎる。玲は「では、後でいただきます」と頷いた。
 先に荷物の話をしなければ。コンシェルジュが急いで届けに来たということは重要物のはず。
 しかし玲がその話を切り出す前に、一成が言った。
「闇金に借金してんだって?」
「え……」
 玲は息を呑んだ。
 借金のことは大江が知っているのだから一成も把握しているのは自然なこと。
 だが普通の金融債権ではないと既に知られているとは思わなかった。
 一気に背が熱くなる。こうも突然言われては心の準備が出来ていない。頭の中に土砂降りが浮かんだ。傘は半透明に濁って破れている。高層階の部屋に雨の音はしないのに、脳裏に悲鳴みたいな雨の音が蘇った。
 幻聴を押し込めて、小さく頷く。
「は、はい……」
 誤魔化すことは出来ない。認めるしかないが、どうしよう。
 闇金へ借金をしている身なんか厄介に決まっている。いずれ知られるにしてももう少し関係を保てたら見過ごしてくれるかもしれないと楽観的に考えていた。が、初日で把握されているなんて。
 面倒な男は切り捨てられるかもしれない。
 だめだ。
 それだけは……。
 一成は短く言った。
「いくら」
 玲は自然と俯いていた顔を上げる。
 一成は背もたれに寄りかかって、眠そうにこちらを見つめていた。
「……結構多い方です」
 不自然に濁してしまったが、意外にも額は「へぇ」と追求されなかった。
 一成の口調は淡々としていて変わらなかった。玲への怒りは一切ない。
 続けて聞かれたのは別のことだ。
「誰の借金」
「え」
「保証人にでもされたんじゃねぇの」
「……」
 玲は思わず目を丸くした。一成は、玲が作った借金だと思っていない。
 玲は唇を噛み締めた。
 目の奥が途端に熱くなる。唾を飲み込み、すぐに答えた。
「いえ、違います。俺が作ったんです」
「ふぅん」
 またしても一成の反応は想像外のものだった。
 てっきり非難されるかと思ったのに、一成はそうしない。
「まぁ、色々あるよな……」
 どうでもよさそうに、ぼんやりと、呟いたのだ。
 ……分かっている。一成は単に眠いだけ。だから適当にそう返した。
 分かってはいるのに玲は心が締め付けられる。一方で緊張で張り詰めた体が弛緩する。
 玲は何も言えなかった。一成は容易く言葉を発する。
「知り合いが病気ってのは婆さんだったのか」
「は、はい」
「婆さんな、婆さん」
 大江から聞いた情報を確認しているようだ。これにも深く踏み込まれない。玲はひたすら動揺していた。
 一成は思い出したようにテーブルの端にあった煙草を手にして、素早く火をつける。
 一服するとまた、項垂れるような体勢になる。終いには無言になってしまった。相当朝が弱いらしい。顔は見えないが目を瞑っているかもしれない。
 まだ胸に言いようのない切なさが染みていた。どう整理すればいいか分からない。借金のことを知って、ここまで態度を変えられなかったのは初めてだから。
 でも切り替えないと。静寂が心地良い関係ではない。どうしよう。玲は何か言わなくてはと焦って考えて、そうだ、と閃いた。
「あの、今日はご在宅なんですか?」
「ご在宅だな。怠いし……」
 一成の声は恐ろしく低かった。
 玲は意を決して問いかける。
「なら、今日、しますか?」
「何?」
 一成が顔を上げる。「あの、あれです」と玲はモゴモゴと呟いた。
 恋人の距離感に必要なことだ。ヒートも遠いし、玲の体調は安定している。
 セックスはできる。だが一成はぼうっとこちらを見上げて、煙草を吸っていた。
 煙を吐いてから「アレ?」と首を傾げている。
 そうして訝しげに眉根を寄せた一成だが、その視線が廊下の方へ移る。
 リビングの入り口にはあの、やたらと大きいダンボールがある。
「あっ」
 すると一成は突然声を上げると、すっと立ち上がった。
 煙草を灰皿に投げ置いて、真っ直ぐ荷物へ向かう。その腕力で強引にダンボールを開けた。
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