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第二章

29 知らなかったんだ

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「ご迷惑でしょう。弟を部屋に入れてしまったので」
「部屋に入れたのは俺だ」
「そう、ですか」
「あいつ、お前に似てるな」
 体格は似ても似つかないが、顔はそっくりだ。瞳の色が違うだけで兄弟共に整った顔立ちをしている。
 涼……あの弟は初めて会うはずなのに不思議と親しみのある少年で、生意気なことを言われても受け入れてしまえる。
 玲と似ているからだろう。
「さすが兄弟。そっくりだ」
 すると玲はなぜか放心したように一成を見上げた。
 天を見上げる首の傾きになっているからか瞳の中に光が敷き詰められている。玲は光を隠すようにゆっくりと瞼と唇を閉じた。
 静かに、息を吐いて、
「そうですか」
 と囁く。
 玲は俯いた。一成はその顔を覗き込みたくなる。玲がかすかに微笑んでいる気がしたからだ。
 笑っているのか? 顔を上げてほしいがこれまでのように強引に頬を掴むわけにはいかない。
 こちらを向いてほしくて続け様に言った。
「今日はもう家にいるだけだろ?」
「そう、ですね」
 しかし既に玲の表情は戻っている。まるで微笑みなど幻だったかのように、無表情だ。
 一成は内心で残念に思いながらも会話を続けた。
「なら病院へ行こう」
「え」
 玲はぱちっと大きく瞬きする。瞳に動揺が入り混じった。
「具合が悪いなら一度見てもらったほうがいい」
「……い、嫌です」
「は?」
 いきなり断ってくるので一成は眉根を寄せる。
 玲も負けじと眉を顰め、反抗的に睨み上げてきた。
「オメガの薬は今日ちょうどもらってきたところなんです。だから、医者に用事なんかありません」
「それは結構だが、俺が言ってるのはお前の体調だ」
 眉間のシワが消えた。玲はポカンと口を開いて、ちょこっとだけ首を傾げる。
「お、俺の体調?」
「あぁ。……悪かったな。色々無理させてただろ」
「色々って?」
 なんで鈍感なんだ。
 一成は声に苛立ちが混じらぬよう抑えて、出来る限り穏やかに告げる。
「セックス。連日させてたから」
 ちょっと待て。
 なぜ俺はこれほど玲に気を遣っているのだ。
 今になって自覚するがもはや会話は止められない。玲が「あぁ」と気付いたように呟き、少し寂しげに視線を伏せるので、一成の胸により焦りが湧く。
「そうですね。大変でした」
「だろ。いくら契約とはいえやりすぎた」
「はい。本当に毎度毎回、気持ちいいし……」
「……」
 こいつはまだ寝惚けているのだろうか。玲が長い睫毛を上げて「でも」と一成を上目遣いで見つめる。
「一成さんって謝るんですね」
「……とにかく予定がないなら医者へ行く」
「え、待って。それは嫌です」
「あぁ?」
 あ、と思った時にはもう玲の瞳にまた恐怖が滲んでいる。あ、やらかした。クソ。一成は反射で威嚇したり、凄んだりする癖がある。
 後悔するももう遅い。玲がまた目元を震わせた。
「お、怒らないでください」
「……怒ってねぇよ」
 何なんだ、やけに調子が狂う。
 玲の反応に振り回されすぎている。他人の一挙一動でここまでペースが崩れるのは初めてだ。
 こんな自分は、知らなかった。
 一成は一度息を吐き、改めて問いかけた。
「病院行きたくない理由でもあんのか?」
「逆に好きな人がいるんですか?」
 ご尤も。
 一成が口を噤むと二人の間に沈黙が流れた。それを同意と受け取ったらしく、玲は「あの」と話を続ける。
「病院は大丈夫です……見てください、元気です」
 と言って玲がその場で一度だけ飛び跳ねた。ちょこんと。うさぎみたいに。
 一成は怒鳴った。
「おいふざけんなよ」
「なにっ、何で怒ってるんですかっ」
 分からん。自分でも瞬間的に感情が暴発した。玲の体調が悪いと分かっているのに無性に抱き潰してやりたくなったのだ。
 額に手のひらを当てて息をつく。玲は怯えながらも一成の顔を覗き込むような角度に顔を傾けた。
「それで、弟が何か失礼をしましたか?」
「特に何も。俺からも聞きたいことがある」
「はい」
「由良晃って男に金を借りてるんだろ」
 玲はきょとんとした顔をした。
 五秒ほどの沈黙の後、「はぁ」とはっきりしない返事を寄越す。
 一成はそこで体の向きを変える。いつまでも玄関で話しているわけにはいかない。数歩歩んでから横顔だけで振り返り、顎で示唆する。玲が意思を汲んでついてきた。
「お前、嵐海組のヤクザから金を借りてんだろ」
 ソファに二人腰掛けて、すぐに話を再開する。
 玲は自分の膝を見つめながらゆったりと呟いた。
「……やっぱり調べていたんですね」
「勝手に調べたことに驚かないのか?」
 あまりにも静かな返答を寄越すので思わず問いかけると、玲は唇を噛み締めるようにして黙りこくった。
 動揺はしているが、そこに驚きはないようだった。こちらの反応を伺いながら「……闇金に借金してるとバレた時点で」とおずおずと切り出す。
「いつか由良さんのことまで、バレるんじゃないかなとは思っていました」
 その時間をかけるような口調は玲らしくもあるが、それにしてはいつもより慎重だった。
 当然だ。反社会的勢力との繋がりについて堂々と語れる者は居ない。玲は不安げな視線を一成へ向けた。
「俺を解雇しますか?」
「いいや、しない」
 一成は即座に言い切った。
 玲が目を見開く。大きな目が更に丸くなる。
 弟とは似ていない、透き通るようなグレーの瞳だった。
「だって……嵐海組の人と関わってるんですよ。俺は面倒な奴でしょう」
「……」
「嵐海組です。何も思わないんですか? ヤクザですよ」
 玲は『嵐海組』を強調した。
 だが一成は首を横へ振る。
「知らねぇ組織だしな。俺には関係ない」
 言い放つと、玲は奥歯を噛み締めるように頬を痙攣させた。
「お前だって金借りてるだけだろ」
「……」
「ヤクザに金借りてるからってお前を解雇する気はない。それは理由にならない、関係ねぇよ」
 その時、一成は続けようとした言葉を止めた。
 ……一瞬、玲が泣くかと思ったからだ。
 なぜかその時、玲が表情を切なげに歪めた。
 綺麗な目を苦しそうに細める。その瞳が妙に潤む。
 やがて、仕方なさそうに眉を下げて言った。
「そっか……知らなかったんだ。なら、仕方ないですよね」
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