【完結】今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?

SKYTRICK

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第一章

3 『お前はもう用済みなんだよ』

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 小屋は二階建てになっており、一階にキッチンとトイレが備え付けてある。元々庭師か誰かが住んでいたのだろう、家具はそれなりに揃っている。
 軋む階段を登っていくと、二階は寝室になっていて、空のベッドが一つ置いてあった。暫くすればメイドたちがブランケットやらを運んできた。ユリアンは「どうもありがとう」と簡単に礼を言って、小屋の外に出た。
 近くには小川が流れていて、川の奥には森が広がっている。小屋は若干丘になった箇所に建っているが、この川が増水したらあまり安全ではないな、と淡々と考える。
 不意に森の方へ視線を遣ると、牝鹿がこちらをジッと見つめているのに気付いた。
 目を逸らさずにいれば、向こうから視線を外してトトッと奥へと逃げていく。なるほど。ここら辺は鹿が通るのか……。
 するといきなり目の前をアブがすり抜けていった。ユリアンは咄嗟に手を伸ばして、丸めた指の内側に閉じ込めた。
「奥様」
 声をかけられて振り向くと、先ほどの若いメイドが立っている。
 やはり怪訝な顔をしてあからさまにこちらを睨みつけてくるので、ユリアンは気弱な笑みを描いた。メイドは眉間に皺を込め、「夕食は日が沈みましたらお運びします」と告げる。
「ありがとう」
「それでは失礼します」
 颯爽と立ち去るメイドに合わせて、手のひらを開きアブを解放する。
 大きな羽音を響かせて去っていくアブを見上げ、次に足元へ視線を落とす。輝かしい青い草が一面に広がっていた。近くの蜘蛛の巣に露が煌めいて、綺麗だった。
「……ここならマルクスさんと暮らせそうだな」
 ユリアンの呟きに耳を傾ける者は一人もいない。彼との秘密の生活を思うと、胸が弾んでいく。
 小川では、流れの止まった箇所が鏡のように青空を映していた。覗き込むと水面に自分の顔が現れる。
 栗色の髪は首元まで伸びていた。そろそろ髪を切らないとな。考えながらぼうっと水面を見下ろす。そこからは紫の瞳がユリアンを真っ直ぐに見つめていた。
 ……弟は紫の瞳とブロンドの髪が綺麗だった。マルトリッツ家の血を継ぐ証左であるような、黄金の髪だった。
 父も同じ髪色で、男爵夫人である義母もまたブロンド寄りの茶髪だった。あの中で暗い色の髪をもつ自分は異質だったのだ。
 この髪は、実母から受け継いだものだ。ユリアンは七歳まで娼婦である母と共に北の方で暮らしていたが、その春、突然マルトリッツ男爵家の使いが貧困街までユリアンを迎えに来た。
 ユリアンはマルトリッツ男爵の婚外子だったのだ。十年以上も前の記憶なので不確かではあるが母は美しかったと思う。男の人を相手に商売をしている女性で、ユリアンを孕み、そしてユリアンを金と引き換えに手放した。
 教えてくれたのは男爵夫人だ。ただの婚外子ではなく娼婦の子供であるユリアンを心の底から軽蔑していて、『お前は売女の息子なんだよ』と丁寧に蔑んでいた。
 ならばなぜわざわざ娼婦の息子を迎え入れたのか不思議だったが、その理由が弟のアルノーにあった。
 アルノーは一つ年下のベータ性の少年で、ユリアンがマルトリッツにやってきた当初は余命を宣告された哀れな子供だった。
 一向に病状が回復する気配がないので、ユリアンを探し出して連れてきたのだ。アルノーが亡くなった場合には次期当主に。もしも回復したらばオメガ性であるユリアンを別の貴族家に嫁がせる。
 髪の色はマルトリッツに似なかったが、紫の瞳は父から受け継いだ。マルトリッツの傀儡となるため、それなりに教育も受けた。
 そしてユリアンが十一歳になった頃、アルノーの病状が劇的に回復した。
 それからは、男爵家での扱いはより悲惨なものになった。物置小屋に移されて隔離されたユリアンは、たまに虐めにくる弟や義母、そして使用人以外に、接する人間はいなかった。
 実母の容姿を色濃く受け継いでいたので、父や使用人曰く容姿だけなら優れていると評された。だがそのせいで、よりアルノーから手酷い扱いを受けていたと思う。
 十六を超えるとアルノーはパーティで派手に遊ぶようになった。彼の性的指向は男性に向いているらしく、危険な夜遊びを繰り返した。
 誘い文句は『俺はオメガ性だから』だった。オメガ性は貴重で、美しい種族と巷では言われているらしく、アルノーはそれを使ったのだ。
 実際には彼はベータ性でただ嘯いていただけ。しかしアルノーは自らをユリアン・マルトリッツと名乗っていた。
 確かにユリアンは、オメガ性である。
『お前はもう用済みなんだよ』
 これは、アルノーが完治した後の言葉だ。弟は、小屋の隅で蹲るユリアンに冷水とその言葉を浴びせた。
『さっさと死んでしまえばいいのに……』
 今でも不意にアルノーの憎しみを込めた声が耳に蘇る。
『……ほら、見ろ……』
 あらゆる暴力が、頭の内側で暴れ出すのだ。
 水面からユリアンを見つめる紫の瞳に侮蔑と怒りの炎が滲んでいく。川の中から、記憶の中の瞳が今の自分を見つめている。
「つめたっ」
 ユリアンは咄嗟に川へ腕を突っ込む。記憶を誤魔化すように水をかき荒らしてから、立ち上がり、ふぅと息を吐いた。
 やることは沢山あるけれど、一度森へ入って木の実を探してみなくてはならない。マルトリッツ家より南に位置する公爵邸だが、生態系は然程変わらないだろう。
 オメガ性のユリアンだが、ヒートが訪れたことは一度しかない。本で学んだが、極度のストレスがかかるとオメガ性としての役割がうまく機能しないらしい。
 この体は狂っているのだろうか。だとすると妊娠もできない。これを明かすと本当に『用済み』とされて殺されるかもしれないと考えたので、父や義母には明かしていない。
 何にせよ、ロドリックとの契約は二年だ。
 妊娠能力のない体でも何ら問題はないだろう。
 それにしても、父はアルファ性なので、母はオメガ性だったのだろう。でないとユリアンがオメガ性である理由がない。あの人、元気なのかな。どうでもいいか。母はきっとユリアンのことなど考えていない。
 だがユリアンは考えてしまう。果たしてロドリックは、ユリアンが婚外子であり娼婦の息子であることを把握しているのだろうか。
 もしもそれが彼の耳に入っていないなら……ゾッと背筋を冷たいものが撫でる。額にじんわりと汗が浮いた。
 ……二年。二年が経てば終わる。
 それまでおとなしく、していよう。
 息を殺して暮らすのはユリアンの得意分野だ。


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