【完結】今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?

SKYTRICK

文字の大きさ
30 / 76
第三章

30 善い人

しおりを挟む
「ユリアン様とお話しする旦那様の姿を見ると、本当にあのロドリック様なのかと不思議になるんです」
 エラは口元をにやつかせてから、以前のロドリックを思い浮かべたのか、わずかに怯えたような顔を見せる。
「やはり」
 と続けた声も心なしか細かった。
「信じられません……私は旦那様とは関わりがなく、お顔を拝見するのも稀でした。子供の頃から耳にしていたのは、ロドリック・エデル公爵様がいかに残忍な騎士であるかということでしたので」
 エラはまるで魔術にかかったように滔々と告げて、口にしてから自分の言ったことを理解したのか、ハッと我にかえる。
「今はそのように考えておりません。実際に公爵邸に勤めてみると、旦那様が使用人に酷い振る舞いをなさることはなかったので」
 エラはベルマニア王国の民の血が流れているらしい。
 彼女の両親が何十年か前の戦争捕虜だったのだ。ルーストランド王国でエラは生まれ、この公爵邸で仕事を始めた。
 それを知ったのは夏の終わりの、件の嵐が過ぎた後。ユリアンがベルマニアの書籍を読んでいると、エラが酷く動揺したので、事情を聞いてみたのだ。
 ルーストランド王国には敵国が複数ある。動乱の世を経た大陸の中でも、多くの国と接しているのがこの王国だ。特に、エデル公爵家が国境を守るベルマニア王国や、ツーツェル帝国との軋轢は深かった。
 そんなルーストランドで、好んでベルマニアの本を読むユリアンの姿が珍しかったらしい。両親がベルマニアの出だと語ったエラは、幼い頃は特に『ベア奴』という蔑称を投げかけられて肩身の狭い生活をしていたらしい。
 そうした経緯も含めて、ロドリックへの恐怖は大きかったようだ。二世は就職も困難だったので、流れ流れて公爵邸へやってきたけれど、働き始めた当初はロドリックが帰還するたび息の詰まる思いだった。
 ロドリックが積極的にベルマニアの子供達を雇っていると知ってからは、そうした恐怖も薄れたが、彼と言葉を交わしたこともなかったので、不信感は拭えなかったらしい。
「冷酷な御方とうかがっておりましたので……」
 エラの中では、『冷酷無慈悲な戦争狂』のままだったのだ。
「ユリアン様とお話ししているお姿を見ていると、どうしてそのような噂が立つのか分からないほどです」
「あぁ……」
 ユリアンは、窓の外の暗闇を眺めながら吐息をついた。
 ロドリックは恐れられ、崇められている。他国からもこの国からも。
 きっと。
「安心するんだろうな」
 エラが首を傾げた。
 ユリアンは紅茶をまた一度飲んでから、淡々と告げる。
「自分たちには理解できない領域の男が、国の守護神であることが。弱さの垣間見える人間味のある男より、イカれた戦争の神が国にいる方が、安心するんだろう」
 戦争で精神をすり減らした男よりも、すり減らす心さえない男の方が、国民にとって好ましい。
 この信仰は快楽でも信念でもなく、保身だった。自分たちの心を守るためには、ロドリックから心を奪う方が楽である。
「我らの神には心なんてない方がいいんだ」
「……」
 もちろんロドリックを狂気的な戦士にすることで戦争の助けにもなっただろう。外聞や情報も立派な武器だ。
 ロドリックからしてもそれらの噂は、本当に知られたくないことの隠れ蓑になったかもしれない。
 ユリアンは続けて、「愛想の良い方でもないしな」と適当に付け足し、笑ってみせる。
 エラは神妙な面持ちで黙り込んでいた。ちょうど紅茶の少なくなったタイミングで、注ぎ足しながら、彼女は言った。
「ユリアン様には素っ気ない態度をなされていたでしょう」
 エラは恐る恐るとばかりに、かつて問いかけてきたのと同じような質問を投げた。
「ユリアン様は怒っていないんですか?」
 嵐の夜はエラにかなりのショックを与えたようだ。エラ自身にはもう怒りなどなく、ひたすらユリアンを気遣う雰囲気がある。
 ユリアンはさほど時間をおかずに答えた。
「怒っては、いないな」
「ユリアン様は良い人すぎます」
 困ったように眉尻を下げるエラに、ユリアンも困った笑顔を渡した。
 星のない夜に視線を転じてから、静かに告げる。
「僕は善い人ではない」
「そんなことありません!」
 窓に映った自分の顔は、真顔だった。
 それにエラは気付かず「とても優しいお人ですよ」と得意気に言っている。
 だがユリアンはそうは思わない。
 ……善い人ではない。
 自分は非常に利己的で、最低な人間だ。
 あの時、ロドリックが語る姿を見て思ってしまったのだから。
 ——『昔、初めて人を殺した夜に……』
 ……ロドリック様よりマシだ。


















 その夜、日付が変わって暫くしてからようやく眠ることができたが、恐ろしい夢を見た。
 ユリアンは一人で廃屋の扉を開けている。これはマルトリッツ男爵家の、塔だ。かつて国境を監視するために作った砦が廃れ、役目を失い、寂しくそこに立っている。中に入ってみると、正面に、ところどころ割れた大きな鏡が置いてあった。そこに映ったユリアンの顔は奇妙に歪んでいて、口の周りがめり込み、体は異様なほど痩せ細り、チョーカーは外れて、その顔から感情の一切を感じられない。ユリアンの体は階段を上り始めた。塔の上へ向かうごとに、より暗闇が強くなっていく。蜘蛛の巣が張られた階段は、そこかしこに壊れた椅子や、松葉杖、顔の見えない男の絵が捨て置かれている。
 ユリアンは上へ、上へと進んでいく。より朽ちていく塔を上がっていく。階段が次第に濡れていった。これ以上進んではダメだ。分かっているのに止まれない。
 まるでそれは、落ちていくのと同じくらい不可逆な歩みだった。
「……はっ、!」
 ユリアンは死に物狂いで目を覚ました。
 荒れる心臓を押さえて呼吸を整える。大丈夫、ここは公爵邸。悪夢の残滓が溶けるのを待ってから、時計を見やると、まだ眠ってから二時間も経っていない。
 頭では理解していても心が置いてけぼりだった。今は、夜。いつの夜? 時間の感覚が把握できずに茫然とする。たまにこういうことがある。昼も夜に感じたり、昔の記憶が混濁して、何年も前のことがたった今し方過ぎたことのように感じるのだ。
 落ち着いてから、ユリアンは寝室を出た。
 これ以上眠るのは無理そうだ。マルクスに会いに行くため、ランプを持って、小屋へと向かうことにした。
 草むらは穏やかな夜風に吹かれて静かだった。小屋へ入ってから、マルクスの箱の上蓋を外す。
 マルクスは落ち葉の中で眠っているはず——……
「……マルクスさん?」
 だが、マルクスは眠っていなかった。
しおりを挟む
感想 220

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 希望したのは、医療班だった。  それなのに、配属されたのはなぜか“炊事班”。  「役立たずの掃き溜め」と呼ばれるその場所で、僕は黙々と鍋をかき混ぜる。  誰にも褒められなくても、誰かが「おいしい」と笑ってくれるなら、それだけでいいと思っていた。  ……けれど、婚約者に裏切られていた。  軍から逃げ出した先で、炊き出しをすることに。  そんな僕を追いかけてきたのは、王国軍の最高司令官――  “雲の上の存在”カイゼル・ルクスフォルト大公閣下だった。 「君の料理が、兵の士気を支えていた」 「君を愛している」  まさか、ただの炊事兵だった僕に、こんな言葉を向けてくるなんて……!?  さらに、裏切ったはずの元婚約者まで現れて――!?

【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

【8話完結】いじめられっ子だった僕が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

処理中です...