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第1章 きっと純情可憐な彼女。
第1話 落ちてしまえば、世界は変わる。
しおりを挟む「一目惚れ」なんて、本当にあるのだろうか。
そりゃあ、初対面の女の子に「可愛いな」と思うことはもちろんある。クラスの女子のちょっとした仕草に思わずドキッとしてしまうことも、17歳の男子高生には日常茶飯事だ。
でもそれは、どちらも「その時だけ」の話。本気で好きになるのとは違う。もちろん、そういうのをきっかけに意識し始めて、一緒に過ごす時間の中でだんだんと「好き」に変わっていくことはあるかもしれないけれど……
それはもはや、「一目惚れ」とは呼ばないだろう。
飽きるほど騒がしい、昼休みの教室にて。
控えめであまり主張しない性格のためか、クラスの中でも地味で目立たないポジションをすっかり確立してしまっている比呂川瑞帆は、「バスケ部の大会で知り合った他校の女子に一目惚れした」と大騒ぎする友人の話を聞きながら、そんなことを考えていた。
「どうして俺、連絡先を聞かなかったんだろ…せめて名前だけでも……」
机に伏して、遠い目をする友人。この台詞を聞くのも、もう6回目だ。
ぼんやりと宙を見つめている彼曰く、「落としたスマホを拾ってもらったことがきっかけで、相手の子を好きになった」のだとか。その子が好みのタイプ過ぎて、目が合った瞬間頭の中が真っ白になったらしい。ちなみにその時交わした言葉は、
『これ、落としましたよ』 と
『…ありがとうございます』 だけ。
「そんなに落ち込まなくても、試合は来月もあるんだろ?そこでまた会えるって」
パックのコーヒー牛乳を飲みながら、友人の肩を叩いて励ます。だが瑞帆は、目の前の友達にいまいち共感しきれなかった。
どうして顔以外何も知らない相手のことを、ここまで好きになれるのだろう。そもそもこんなになる前の友人は、「俺は、ちょっと意地っ張りだけど根は優しくて甘えん坊で俺のことが大好きで、金曜日は俺と一緒に朝までFPSゲームをしてくれる可愛い女の子と付き合いたい」という理想を大声で堂々と語り、周りの女子をドン引かせていたというのに。あんなにこだわっていた条件はもはや、どうでもよくなってしまったのか。
いや、もしやそれほどまでに相手の女の子が魅力的だということなのか?
……だめだ、わからない。さっきからずっと堂々巡りだ。
きっとどんなに考えても、自分にはわからないのだろう。女の子に興味がないわけではない。でも、誰かに強く心を惹かれたことはない。だから彼女がいないのはもちろん、悲しいことに女の子の友達もほとんどいない。そのうえ高校2年生にもなって、好きなタイプと聞かれても「優しい子」くらいしか思い浮かばない…そんな自分には。
そう思ってしまうと、名前も知らない女の子への恋心で盛り上がっている友人が、瑞帆には半ば羨ましく…そして、眩しく見えたのだった。
……いや。今となってはもはや、「眩しく見えていた」、と言った方が正しいのかもしれない。
「ふざけないで。そんな簡単に謝って済む話じゃないの。あんたが余計なことをしてくれたせいで、私の大事な研究が台無しになったんだから。当然、この責任はとってくれるんでしょうね?」
とある平日の夕方。人が大勢いる駅のホームの、ど真ん中。
瑞帆は見惚れるほど綺麗な顔立ちの女子高生に、制服のネクタイを乱暴に掴まれ締め上げられていた。
嚙みつくような目に、苛立ちを含んだ棘のある声。ついさっきまで、柔らかな栗色の髪をたなびかせて凛と佇んでいた“清楚なお嬢様”の面影は…もはやどこにもない。
「何事だ」とざわつく周囲の視線が痛い。彼女に容赦なく絞められている首が苦しい。
けれど瑞帆にとっては、彼女の顔がこんなにも近くにあることの方が大事だった。動揺と緊張のせいで、顔が熱くなっているのがわかる。ものすごい速さで脈打つ自分の鼓動がうるさい。
そして思い知らされる。自分はもう彼女のことが、どうしようもなく好きなのだと。
たとえそのきっかけが、“あの日”彼女が偶然見せた、ほんの些細な表情だけだったとしても。
そして今目の前にいる彼女が…この数日間の姿とは、まるで別人だったとしても。
興奮と混乱がひしめき合う頭の中に、瑞帆があの日見惚れた、彼女の姿が浮かぶ。
それは今からちょうど、5日前のことだった。
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