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7巻
7-3
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最初に撃ち出した、喧騒を生み出す光球【サイレントノイズ】は弱体3系と呼ばれもので、本来は魔法の効果を阻害する弱体魔法でしかない。しかし機械によって生み出された邪妖精には効果覿面だ。
続けて、青い水の精霊ウンディーネをバックに魔力を漲らせたアネッテから放たれた契約魔法【ウォーターブロウ】。
それは、彼女の感情の昂ぶりによって、現実世界への行使力を大きく強められていた。さらにこの地の水の精霊の強さ。そして巨大なホールの影響力も加わる。
ゴゴゴゴと大地を揺るがすほどの振動。
それとともに深い穴の底から、穴自体を砲身にして凄まじい水流が撃ち出される。
「ば、馬鹿な! ぐぁぁぁ!」
追っ手たちも邪妖精の操者も例外なく、水流から伸びた幾つものウンディーネの腕に捕らわれていった。邪妖精もウンディーネに握りしめられ、一瞬で破壊されていく。
フゥッと息を吐いて、魔力を制御するアネッテ。その背後からウンディーネの姿が消え、魔法が収束していく。
すると、あれほど巨大だった水の柱がその姿を消した。そこにはホールだったものはなく、ただ静かに水を湛えた湖があるばかりだった。
そして、空から何かが落ちてくる。
水流に捕まり、天高く打ち上げられた刺客たちだ。どんな体術を持とうが、これほど高所まで打ち上げられた者に助かる術はない。
落下し、地面に叩きつけられた彼らは皆一様に事切れていたが、リキオーとマリアは一応、とどめを刺して回った。
敵を全滅させたことを確認したリキオーが、皆に告げる。
「よし、行こう」
こうしてホールの底の埋没都市を脱出し、アルタイラからの刺客を振りきった銀狼団一行は、一路、南を目指して歩き始めた。
金竜がいるという、海人の都市を目指して。
4 海人の国 その1
アルタイラからの追っ手、刺客たちを葬り去ったリキオーたち銀狼団のパーティ。彼らはスタローシェを抜けて、シルバニア大陸を南下していた。
とりあえず危険は去った。先行きには不安が残るものの、それほど逼迫した感じはない。
とはいっても相変わらず、この先の目標やこの辺りの地理に関しては、リキオーのゲーム知識に頼りきりなので、やはり不安と言えば不安だ。
「この先は何があるんですか?」
「ああ、そうだな。話しておくか」
リキオーは、アネッテとマリアに、これから向かうであろう都市やそこに住む種族の特徴について、歩きながら話すことにした。
この先は、金竜公の支配地域、海人族のテリトリーである。
海人族とは、月齢によって体の仕組みを変えるという、非常に不思議な種族である。
そもそも、この星の月は二つある。
兄月の、アレス。
弟月の、ユウリテ。
いつも赤い月アレスを追うように登ってくるのが、巨大な月ユウリテ。弟月のほうが大きく見えるのは距離が近いため。アレスのほうが周回軌道が遠い。
海人族は、弟月の新月の日、外に出ないのが習わしとなっている。その日、部族の中で先祖帰りした者が海に入っていくからだ。
先祖返りを起こした者は、足がイルカのようになる。そうなった彼らは街を走る水路から海を目指す。なお、翌日には、眷属を汚すと恐れられるため、魚を食すのはタブーとされている。
とは言っても、こうした月齢の変化を別にすれば、海人族の外見はヒト族と全く変わらない。エルフのように耳が尖っているわけではないし、海に馴染み深いとはいえ指の間に水掻きがあるわけでもない。
この先は運河が発達している。都市群の間を縫うようにして幾つもの水路が走り、そこを通る船が馬車の代わりを務めている。
スタローシェのように小さな陸地が連なっているのと違い、人が住むのに十分な広さの島が幾つもある。水路と水路を跨ぐように、橋が掛けられていた。
とりあえずリキオーたちが目指すのは、ここから最も近いアンバールという都市だ。
そしてその次が、トゥグラ。
ここまでは地方都市で、海人たちの首都はルフィカールという。陸軍ばかりのアルタイラに対して、ルフィカールは海軍が幅を利かしている。
今リキオーたちがいるのは、草原が広がる島の一つだ。
これまでは、すぐ足首まで水に濡れてしまうような不安定な地面で、しかもホールといった恐怖があった。しかしここの地面はそんなことを味わわなくて済む、しっかりと踏みしめられる土の感触だ。頼もしい大地である。
一緒に歩いているカエデが耳を動かす。しかし、その表情は穏やかなので敵ではないのだろう。
とはいえ、シルバニア全土を統一するという野望を持っているアルタイラにとっては、ここも攻略地点だ。
獣人拠点を落とした今、アルタイラの軍兵は刻々と南下しつつあるのだ。警戒しておく必要がある。
しばらく進むと検問所があった。
ハヤテとカエデ、二匹の姿を見せて怯えられても困るため、リキオーは生活魔法であるシェイプシフターを使って小さくし、それぞれアネッテとマリアに抱かせている。
検問所は、掘っ立て小屋もいいところといった感じだった。その街道の両脇には、村人らしい純朴そうな顔付きの中年の男たちがいた。
リキオーたちは三人ともローブ姿であるし、得物は隠して歩いている。旅人ぐらいには見えているはずだろう。
尤も、アルタイラの方向から来る旅人など、不審者以外の何者でもない。そもそもこの辺りには、人家も街道すらもないのだから。
検問所に立つ中年の男が、やや不審げな様子を見せながら問いかけてくる。
「ここへはどんな目的で? ここは海人の国エルマァアド、その北限の都市アンバールだ」
「俺たちはカメリアから来た。海神様への参詣のために立ち寄った。目的地は、ルフィカールのつもりだ」
カメリアの名前を口にすると、検問所の村人たちが一様にほう、と感嘆したような声を漏らした。
「ほう。スタローシェを越えてきたのかね。それは大変だっただろう」
「ああ、ホールにも何回か遭遇したよ。あれは肝が冷えるな」
「それは災難だったな」
南下してくる人はほとんどいないのだろう。村人はリキオーたちを物珍しそうに見ていた。
特に村人たちの視線はアネッテに向けられていた。海人族の見た目はヒト族と変わらないため、リキオーやマリアは見慣れた顔なのだろうが、アネッテは違う。とはいえ、その眼差しに嫌な色はなかった。
しかし、村人が言ったようにここは海人領の北限。リキオーたちのような冒険者自体、かなり珍しいはずなのに、それほど奇異の目は向けてこない。
街の中心部のほうを見てみると、剣や槍を携えた荒くれ男たちの姿がある。無骨な鎧を着けた恰好は、到底、村人には見えない。
「何かあるのか。物々しい恰好をしてる連中がいるが」
「ああ、この先の村でダンジョンの口が開いてね。トゥグラやルフィカールのほうからも騎士団が出張ってきてるのさ」
「ほう。ダンジョンか」
リキオーたち以外にも訪問者がいたらしい。
ダンジョンについては、以前にも、竜人の里の近くでフィールドタイプのものや、アルタイラ近郊の洞窟タイプのものにも入ったことがあった。
検問所の男は、やや同情するように言う。
「しかし、騎士団が頑張っているからな。冒険者の出る幕はないかもしれないぞ」
「それは残念」
残念とは言ったものの、そんなに気落ちしたわけではない。元より、それほど期待していたわけではなかったからだ。
ダンジョンからの鹵獲品は、そこを管理する街や軍の力を増強する。アルタイラに備えて、ぜひ海人国家の兵たちには頑張ってほしいところだ。
リキオーたちを一通り調べたあと、中年の男が言う。
「よし、通っていいぞ。問題を起こさないでくれればありがたい」
「ああ、そのつもりだ。ところで宿屋はあるかな? ここまで来るのにゆっくりできなかったものでね。少し滞在したいのだが」
「そうか。この通りをしばらく進むと、三軒ほど軒を連ねている家がある。二階建てだからすぐわかる。名物料理は、最近養殖が始まった珍しいボアだな」
「わかった。ありがとう」
アネッテの膝の上であくびをして暇そうにしていたハヤテは、話が終わったと見るや、ピョンと彼女の膝から飛び下りた。そして検問の先へと走り始める。アネッテはそんなハヤテの様子を見て、クスクスと笑い声を漏らした。
リキオーは、ヤレヤレと呆れながらも、ハヤテに続いて検問を抜けてアンバールの街へと入っていった。カエデも静かに地面に降り立って、マリアの歩幅に合わせて付いてくる。
柔らかい風が運ぶ緑の匂いに、リキオーたちの疲れも癒やされる。
このところ、水辺にばかり縁があったので、ぽかぽかと暖かい陽気と土の匂い、そして緑の気配には安心した。
検問所の人たちに言われた通り、やがて三軒が連なったような造りの二階建ての建物が見えてくる。
そこでは、鍋を片手に持った恰幅のいい中年の婦人が、衛兵らしき革の鎧を着けた若い男を追い出しているところだった。
「もし、ご婦人。こちらの方か」
リキオーが声を掛けると、婦人は表情を変えて商売っけたっぷりに微笑んでくる。そうしてリキオーたちを上から下まで眺める。
どうやら客として合格したらしく、さらに媚びるように言う。
「なんだい。お客さんかい? お泊まりなら朝と晩の二食付きで一日、銀貨一枚半だよ。三日いるなら少しはお安くしますよ」
婦人はどうやら宿の女将らしい。
アルタイラの、ワニ料理で有名だった麒麟亭が一日金貨二枚だったことを考えると、地方都市の宿とはいえ、三人と二匹で銀貨一枚半とは破格の安さだ。
「ああ、見ての通り三人と二匹なんだが大丈夫かな」
「よく慣れてるじゃないか。他の客に迷惑を掛けないなら問題ないよ」
アルタイラでは、ハヤテたちが一緒だということで敬遠されたので、念のため聞いてみたが、問題ないようで助かった。
「とりあえず食事込みで三日ほど頼みます」
「あいよ。あんたァ、お客さんだよ」
宿の女将は、吠えずに足元に佇んでいるハヤテとカエデに優しい眼差しを向けると、宿の入り口から奥に叫んだ。
そうして中へと案内してくれる女将のあとを追って建物に入っていくと、そこは食堂らしく、カウンターの奥が厨房になっていた。
婦人の夫らしいエプロンをした初老の男が、リキオーたちに鍵を差し出して言う。
「そこのドアから裏に回ると井戸があるから、水浴びはそちらで頼むよ。部屋で湯を使いたいなら別に銅貨十枚をいただくよ。部屋は上の突き当たり。外出するときは鍵を預けていってくれ」
「はい」
リキオーの返事を聞いて、隣に立っていた女将がウンウンと頷く。どうやらリキオーたちを気に入ったようでニッコリと微笑んでいた。
木の階段が僅かに上げる軋みを聞きながら上っていく。
廊下で、輝く銀の鎧を着けた、騎士らしい壮年の男とすれ違う。微かに頷き合って、男の脇を通り過ぎる。そして突き当たりの部屋に入った。
部屋に入って木窓を開くと、外の穏やかな風が吹き込んでくる。風が部屋のやや饐えた空気を洗い流していく。
着ていたローブを脱いで普段着になり、リキオーはぐぐっと両腕を上に伸ばした。そんなリキオーに向かって、アネッテが尋ねる。
「マスター、しばらくここに滞在するんですか?」
「そうだな、アルタイラの追っ手が来る前に距離を稼ぎたい。でも、お前たちも疲れただろう? ここはまだまだ穏やかだ。三日ぐらい羽根を伸ばすには持ってこいだろ」
「ご主人、連中はあれで諦めたんじゃないのか」
マリアに問われたリキオーは、四つ並んだベッドの一つに無造作に腰を下ろす。そしてアルタイラの追っ手のことを考えた。
スタローシェのホールを出たときに襲ってきた者たち。
一度は、ホールに落ちたリキオーたちを諦めたかに思えた。
しかし、彼らは執拗にホールの出口まで追ってきた。結局は倒したものの、彼らがアルタイラの尖兵であることを考えれば、自分たちにのんびりできる猶予はあまりないと言える。
尖兵のあとに本隊がスタローシェを越えてやってくるにしても、それはまだかなり先だと思われる。陣を構えるには向かない土地の事情と、連中がホールに早々に対処できるとは思えないからだ。
となればやってくるのは、特殊部隊に準じた少数の精鋭になるのではないか。
本隊かそれとも精鋭か。どちらにせよ気の重い話である。リキオーは考えを纏めた上で、ゆっくりと口を開いた。
「いや、それはないだろう。だが、ここからは海人族の領地だからな。今までのようにおおっぴらにこちらを襲ってくることはないと思うぞ。連中にとってここは敵地だからな」
長閑なこの土地が戦場になるかもしれないと考えると憂鬱だが、ここにはルフィカールからやってきたダンジョンを調査するための騎士隊が駐留しているという。
あまり派手な行動を取れば、アルタイラの兵たちがぶつかるのは、リキオーではなく彼らになるのだから、大それたことはしてこないだろう。
「ふわああ、俺はちょっと寝る。お前たちも好きにしろ」
「おやすみなさい、マスター」
あくびをしながらラフな格好でベッドに横たわったリキオーに、アネッテが優しく声を掛ける。アネッテとマリアもローブを脱いで寝支度を始める。
二人はチラッと彼の寝顔を見ると、ともに笑みを浮かべた。そして部屋の片隅にある衝立の陰に入ると下着になった。
衝立のスクリーンは、風通しの良さそうな粗い網目になっていた。そのため、後ろに立つ人物のシルエットが朧げながらも垣間見える。それは、逆に想像を逞しくする眺めだった。
二人の女性たちが上げる嬌声に、実は狸寝入りしていたリキオーは薄らと目を開けた。そして衝立を眺めながら、ウンウンと満足げに頷く。
(やっぱり年頃の女の子と旅する楽しみはこれに尽きるよなあ)
シェイプシフターによってちっちゃくなったままのハヤテが、主の横たわるベッドの端に上がってきた。そうしてリキオーの背中に擦り寄ってきて、スンスンと鼻を鳴らしている。
カエデは、そんなハヤテと主を、隣のベッドからクールな眼差しで見つめていた。
5 海人の国 その2
夕刻、起き出してきたリキオーと他のメンバーは、アルタイラで誂えた着心地のいいラフな格好になり、一階の食堂で宿の女将に出された熱いティーを啜っていた。そして周囲からやたらと視線を浴びて困惑している。
「何なんだ。俺たちは見世物じゃないぞ」
憤慨して声を荒らげるリキオー。
食堂に集まった周囲の連中は、そう言われた瞬間は顔を背けるものの、またすぐに視線を向けてくる。中にはリキオーの声など意に介さず、女性陣に食い入るような視線をジトーッと向けている者もいた。
女将は、太い腕を組んでくっくっと笑いながらリキオーに言う。
「仕方ないじゃないか、お客人。あなたがたが魅力的すぎるんだ。中身はともかく、その服がね」
確かに、この辺りの飾りもない簡素な民族衣装に見慣れた目からは、アルタイラで買ってきたファッションは物珍しいのかもしれない。しかし、中身はともかくという言葉にはカチンと来る。が、ここは呑み込む。
リキオーは、クルタと呼ばれるチュニックのような、ゆったりとした上着にズボン。足元はサンダルという姿だった。
アネッテは、昔リキオーに買ってもらったアオザイに似たドレス姿である。
腰の辺りからスリットが深く切れ込まれ、細身のズボンが覗いている。それが、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
背中まである長い髪は、マリアに手伝ってもらったのか、今はアップに纏められていて、リキオーの目にも見違えるような美しさだった。足元のサンダルも、彼女によく似合っていた。
マリアは、裾のゆったりしたワンピースチュニック姿で、裾から伸びた生脚を惜しげもなく晒している。足元は柔らかい布製のシューズ。
特に破壊力抜群なのが、彼女のバスト。
普段は鎧の下に隠されているそれが服の布地を押し上げている眺めは、男なら十人が十人惹きつけられてしまうだろう。
さっきからリキオーが憤慨しているにもかかわらず、男たちの眼差しの先にあるのはマリアの胸だ。ブルネットのショートカット、そして青い瞳も、エキゾチックな色気を醸し出している。
「こりゃあ失敗だったかな」
リキオーを別にすれば、アネッテもマリアもそうした視線には大抵は慣れっこだったが、これほどの執拗な視線には、多少は居心地の悪さを感じているようだ。
リキオーたちにしてみれば、ただリラックスして食事を楽しみたいだけだったのだが、そのラフさが逆に刺激的だったのかもしれない。尤も客たちの視線は、二人の美女にのみ注がれていたのだが。
「ほうらお前さんたち、見惚れてないで、さっさと片付けておくれ」
女将が声を荒らげると、二人に食い入るように視線を向けていた男たちが、すっかり冷めた料理を一気に掻き込み始める。食堂では女将が神だ。彼女の言に逆らう者は、以前リキオーたちが目撃した若者のように追い出されるだけだ。
「うちの客が迷惑を掛けたね。お詫びに一品付けさせてもらうよ」
そう言って女将は、豪快なウインクをしてリキオーの背中をバンバンと叩いた。そうして何が楽しいのか、笑いながら奥に引っ込んでいく。
出された料理は、検問の男たちが言っていた、イノシシに似た獣であるワイルドボアの肉だった。
肉質が柔らかく量もたっぷりあったので、マリアにも好評だった。ボアのような野生の獣を、本当に飼育・繁殖することに成功したのなら、この地の住人は大したものだとリキオーは思った。
アネッテはその肉の豪快な味に舌鼓を打ちつつも、添えられた香草の風味の繊細さにも驚いていた。
その土地の料理というのは、リキオーたちのように各地を移動する冒険者に新鮮な驚きを与えてくれる。肉料理に添えられていたこの地方独特の芋のサラダとスープもとても美味く、全員が完食していた。
この場におらず料理を堪能できなかったカエデとハヤテには、あとでシェイプシフターを解いてやってご機嫌を取らなければならないとリキオーは考えるのだった。
***
三人とも宿の料理に大満足して部屋に戻ってくると、ちっこいハヤテが飛びついてきた。
そうして彼はクーンクーンと、まるで子犬のように訴えかけてきた。主たちだけで先に食事を済ませたのを知って咎めているらしい。カエデもいつものように澄ましながらも、チラッチラッと視線を投げかけてくる。
リキオーはその様子にククッと笑い声を上げると、二匹に謝罪した。
「ああ、悪かったよ。今、戻すから」
シェイプシフターの不便なところが一つだけあるなら、こういうところだろう。小さくなっても食事量は変わらないのだ。不思議と胃袋までは小さくすることができないらしい。
とりあえずハヤテの大きさを戻してやると、ミシッと床が軋んだのでリキオーは冷や汗を掻く。何しろ、今では馬車も引けそうな巨体である。ハヤテには悪いが、再び小さくなってもらう。
ハヤテは、ううーっと唸り、リキオーの足首を甘噛みした。
「あっ、こら、いてぇ! やめなさい。俺はちょっとこいつらに餌やってくるよ」
「はぁい。いってらっしゃい」
アネッテの甘い声に送り出されて、リキオーはハヤテを抱え、さらに背中に飛び乗ってきたカエデとも一緒に宿を飛び出した。女将が怪訝な顔をして見ていたが、この際無視する。
リキオーは、宿の裏手の丘の上に人気のない藪を見つけると、そこに飛び込んで早速二匹を戻してやった。
待ちきれないとばかりに、ハヤテは自分のインベントリからでかいボアの肉を取り出す。そしてガツガツ勢いよく齧り始めた。カエデもそこまで浅ましくはないものの、二匹並んで食べ始める。
「あの部屋はお前たちには狭すぎるな。よって別行動な。カエデもいるし、捕まらないと思うが、自重しろよ」
リキオーは、ハヤテの後ろのもふもふした毛を掻き上げてやりながら呟く。
自分たちの食事をぺろりと済ませた二匹はもう機嫌を直したのか、リキオーに頭を擦りつけてくる。
控えめなカエデもしっぽをパタパタと振っていた。黒くしなやかなカエデの背中を撫でながら、リキオーは彼女にハヤテのことを頼み込んだ。
「何かあったら報告してくれ。何もなくてもな」
了承という風に目を細めるカエデ。
彼女にリキオーが頷きかけるや否や、ハヤテはもう水を得た魚のように駆け出す。そして後ろを振り返って、カエデに早く行こうと盛んにしっぽを振る。
ハヤテを追うようにしてカエデも軽やかな足取りで駆け出す。
そんな二匹に苦笑しながら、リキオーは彼らを送り出した。そして夜の空気を楽しみ、宿に戻ってきた。
続けて、青い水の精霊ウンディーネをバックに魔力を漲らせたアネッテから放たれた契約魔法【ウォーターブロウ】。
それは、彼女の感情の昂ぶりによって、現実世界への行使力を大きく強められていた。さらにこの地の水の精霊の強さ。そして巨大なホールの影響力も加わる。
ゴゴゴゴと大地を揺るがすほどの振動。
それとともに深い穴の底から、穴自体を砲身にして凄まじい水流が撃ち出される。
「ば、馬鹿な! ぐぁぁぁ!」
追っ手たちも邪妖精の操者も例外なく、水流から伸びた幾つものウンディーネの腕に捕らわれていった。邪妖精もウンディーネに握りしめられ、一瞬で破壊されていく。
フゥッと息を吐いて、魔力を制御するアネッテ。その背後からウンディーネの姿が消え、魔法が収束していく。
すると、あれほど巨大だった水の柱がその姿を消した。そこにはホールだったものはなく、ただ静かに水を湛えた湖があるばかりだった。
そして、空から何かが落ちてくる。
水流に捕まり、天高く打ち上げられた刺客たちだ。どんな体術を持とうが、これほど高所まで打ち上げられた者に助かる術はない。
落下し、地面に叩きつけられた彼らは皆一様に事切れていたが、リキオーとマリアは一応、とどめを刺して回った。
敵を全滅させたことを確認したリキオーが、皆に告げる。
「よし、行こう」
こうしてホールの底の埋没都市を脱出し、アルタイラからの刺客を振りきった銀狼団一行は、一路、南を目指して歩き始めた。
金竜がいるという、海人の都市を目指して。
4 海人の国 その1
アルタイラからの追っ手、刺客たちを葬り去ったリキオーたち銀狼団のパーティ。彼らはスタローシェを抜けて、シルバニア大陸を南下していた。
とりあえず危険は去った。先行きには不安が残るものの、それほど逼迫した感じはない。
とはいっても相変わらず、この先の目標やこの辺りの地理に関しては、リキオーのゲーム知識に頼りきりなので、やはり不安と言えば不安だ。
「この先は何があるんですか?」
「ああ、そうだな。話しておくか」
リキオーは、アネッテとマリアに、これから向かうであろう都市やそこに住む種族の特徴について、歩きながら話すことにした。
この先は、金竜公の支配地域、海人族のテリトリーである。
海人族とは、月齢によって体の仕組みを変えるという、非常に不思議な種族である。
そもそも、この星の月は二つある。
兄月の、アレス。
弟月の、ユウリテ。
いつも赤い月アレスを追うように登ってくるのが、巨大な月ユウリテ。弟月のほうが大きく見えるのは距離が近いため。アレスのほうが周回軌道が遠い。
海人族は、弟月の新月の日、外に出ないのが習わしとなっている。その日、部族の中で先祖帰りした者が海に入っていくからだ。
先祖返りを起こした者は、足がイルカのようになる。そうなった彼らは街を走る水路から海を目指す。なお、翌日には、眷属を汚すと恐れられるため、魚を食すのはタブーとされている。
とは言っても、こうした月齢の変化を別にすれば、海人族の外見はヒト族と全く変わらない。エルフのように耳が尖っているわけではないし、海に馴染み深いとはいえ指の間に水掻きがあるわけでもない。
この先は運河が発達している。都市群の間を縫うようにして幾つもの水路が走り、そこを通る船が馬車の代わりを務めている。
スタローシェのように小さな陸地が連なっているのと違い、人が住むのに十分な広さの島が幾つもある。水路と水路を跨ぐように、橋が掛けられていた。
とりあえずリキオーたちが目指すのは、ここから最も近いアンバールという都市だ。
そしてその次が、トゥグラ。
ここまでは地方都市で、海人たちの首都はルフィカールという。陸軍ばかりのアルタイラに対して、ルフィカールは海軍が幅を利かしている。
今リキオーたちがいるのは、草原が広がる島の一つだ。
これまでは、すぐ足首まで水に濡れてしまうような不安定な地面で、しかもホールといった恐怖があった。しかしここの地面はそんなことを味わわなくて済む、しっかりと踏みしめられる土の感触だ。頼もしい大地である。
一緒に歩いているカエデが耳を動かす。しかし、その表情は穏やかなので敵ではないのだろう。
とはいえ、シルバニア全土を統一するという野望を持っているアルタイラにとっては、ここも攻略地点だ。
獣人拠点を落とした今、アルタイラの軍兵は刻々と南下しつつあるのだ。警戒しておく必要がある。
しばらく進むと検問所があった。
ハヤテとカエデ、二匹の姿を見せて怯えられても困るため、リキオーは生活魔法であるシェイプシフターを使って小さくし、それぞれアネッテとマリアに抱かせている。
検問所は、掘っ立て小屋もいいところといった感じだった。その街道の両脇には、村人らしい純朴そうな顔付きの中年の男たちがいた。
リキオーたちは三人ともローブ姿であるし、得物は隠して歩いている。旅人ぐらいには見えているはずだろう。
尤も、アルタイラの方向から来る旅人など、不審者以外の何者でもない。そもそもこの辺りには、人家も街道すらもないのだから。
検問所に立つ中年の男が、やや不審げな様子を見せながら問いかけてくる。
「ここへはどんな目的で? ここは海人の国エルマァアド、その北限の都市アンバールだ」
「俺たちはカメリアから来た。海神様への参詣のために立ち寄った。目的地は、ルフィカールのつもりだ」
カメリアの名前を口にすると、検問所の村人たちが一様にほう、と感嘆したような声を漏らした。
「ほう。スタローシェを越えてきたのかね。それは大変だっただろう」
「ああ、ホールにも何回か遭遇したよ。あれは肝が冷えるな」
「それは災難だったな」
南下してくる人はほとんどいないのだろう。村人はリキオーたちを物珍しそうに見ていた。
特に村人たちの視線はアネッテに向けられていた。海人族の見た目はヒト族と変わらないため、リキオーやマリアは見慣れた顔なのだろうが、アネッテは違う。とはいえ、その眼差しに嫌な色はなかった。
しかし、村人が言ったようにここは海人領の北限。リキオーたちのような冒険者自体、かなり珍しいはずなのに、それほど奇異の目は向けてこない。
街の中心部のほうを見てみると、剣や槍を携えた荒くれ男たちの姿がある。無骨な鎧を着けた恰好は、到底、村人には見えない。
「何かあるのか。物々しい恰好をしてる連中がいるが」
「ああ、この先の村でダンジョンの口が開いてね。トゥグラやルフィカールのほうからも騎士団が出張ってきてるのさ」
「ほう。ダンジョンか」
リキオーたち以外にも訪問者がいたらしい。
ダンジョンについては、以前にも、竜人の里の近くでフィールドタイプのものや、アルタイラ近郊の洞窟タイプのものにも入ったことがあった。
検問所の男は、やや同情するように言う。
「しかし、騎士団が頑張っているからな。冒険者の出る幕はないかもしれないぞ」
「それは残念」
残念とは言ったものの、そんなに気落ちしたわけではない。元より、それほど期待していたわけではなかったからだ。
ダンジョンからの鹵獲品は、そこを管理する街や軍の力を増強する。アルタイラに備えて、ぜひ海人国家の兵たちには頑張ってほしいところだ。
リキオーたちを一通り調べたあと、中年の男が言う。
「よし、通っていいぞ。問題を起こさないでくれればありがたい」
「ああ、そのつもりだ。ところで宿屋はあるかな? ここまで来るのにゆっくりできなかったものでね。少し滞在したいのだが」
「そうか。この通りをしばらく進むと、三軒ほど軒を連ねている家がある。二階建てだからすぐわかる。名物料理は、最近養殖が始まった珍しいボアだな」
「わかった。ありがとう」
アネッテの膝の上であくびをして暇そうにしていたハヤテは、話が終わったと見るや、ピョンと彼女の膝から飛び下りた。そして検問の先へと走り始める。アネッテはそんなハヤテの様子を見て、クスクスと笑い声を漏らした。
リキオーは、ヤレヤレと呆れながらも、ハヤテに続いて検問を抜けてアンバールの街へと入っていった。カエデも静かに地面に降り立って、マリアの歩幅に合わせて付いてくる。
柔らかい風が運ぶ緑の匂いに、リキオーたちの疲れも癒やされる。
このところ、水辺にばかり縁があったので、ぽかぽかと暖かい陽気と土の匂い、そして緑の気配には安心した。
検問所の人たちに言われた通り、やがて三軒が連なったような造りの二階建ての建物が見えてくる。
そこでは、鍋を片手に持った恰幅のいい中年の婦人が、衛兵らしき革の鎧を着けた若い男を追い出しているところだった。
「もし、ご婦人。こちらの方か」
リキオーが声を掛けると、婦人は表情を変えて商売っけたっぷりに微笑んでくる。そうしてリキオーたちを上から下まで眺める。
どうやら客として合格したらしく、さらに媚びるように言う。
「なんだい。お客さんかい? お泊まりなら朝と晩の二食付きで一日、銀貨一枚半だよ。三日いるなら少しはお安くしますよ」
婦人はどうやら宿の女将らしい。
アルタイラの、ワニ料理で有名だった麒麟亭が一日金貨二枚だったことを考えると、地方都市の宿とはいえ、三人と二匹で銀貨一枚半とは破格の安さだ。
「ああ、見ての通り三人と二匹なんだが大丈夫かな」
「よく慣れてるじゃないか。他の客に迷惑を掛けないなら問題ないよ」
アルタイラでは、ハヤテたちが一緒だということで敬遠されたので、念のため聞いてみたが、問題ないようで助かった。
「とりあえず食事込みで三日ほど頼みます」
「あいよ。あんたァ、お客さんだよ」
宿の女将は、吠えずに足元に佇んでいるハヤテとカエデに優しい眼差しを向けると、宿の入り口から奥に叫んだ。
そうして中へと案内してくれる女将のあとを追って建物に入っていくと、そこは食堂らしく、カウンターの奥が厨房になっていた。
婦人の夫らしいエプロンをした初老の男が、リキオーたちに鍵を差し出して言う。
「そこのドアから裏に回ると井戸があるから、水浴びはそちらで頼むよ。部屋で湯を使いたいなら別に銅貨十枚をいただくよ。部屋は上の突き当たり。外出するときは鍵を預けていってくれ」
「はい」
リキオーの返事を聞いて、隣に立っていた女将がウンウンと頷く。どうやらリキオーたちを気に入ったようでニッコリと微笑んでいた。
木の階段が僅かに上げる軋みを聞きながら上っていく。
廊下で、輝く銀の鎧を着けた、騎士らしい壮年の男とすれ違う。微かに頷き合って、男の脇を通り過ぎる。そして突き当たりの部屋に入った。
部屋に入って木窓を開くと、外の穏やかな風が吹き込んでくる。風が部屋のやや饐えた空気を洗い流していく。
着ていたローブを脱いで普段着になり、リキオーはぐぐっと両腕を上に伸ばした。そんなリキオーに向かって、アネッテが尋ねる。
「マスター、しばらくここに滞在するんですか?」
「そうだな、アルタイラの追っ手が来る前に距離を稼ぎたい。でも、お前たちも疲れただろう? ここはまだまだ穏やかだ。三日ぐらい羽根を伸ばすには持ってこいだろ」
「ご主人、連中はあれで諦めたんじゃないのか」
マリアに問われたリキオーは、四つ並んだベッドの一つに無造作に腰を下ろす。そしてアルタイラの追っ手のことを考えた。
スタローシェのホールを出たときに襲ってきた者たち。
一度は、ホールに落ちたリキオーたちを諦めたかに思えた。
しかし、彼らは執拗にホールの出口まで追ってきた。結局は倒したものの、彼らがアルタイラの尖兵であることを考えれば、自分たちにのんびりできる猶予はあまりないと言える。
尖兵のあとに本隊がスタローシェを越えてやってくるにしても、それはまだかなり先だと思われる。陣を構えるには向かない土地の事情と、連中がホールに早々に対処できるとは思えないからだ。
となればやってくるのは、特殊部隊に準じた少数の精鋭になるのではないか。
本隊かそれとも精鋭か。どちらにせよ気の重い話である。リキオーは考えを纏めた上で、ゆっくりと口を開いた。
「いや、それはないだろう。だが、ここからは海人族の領地だからな。今までのようにおおっぴらにこちらを襲ってくることはないと思うぞ。連中にとってここは敵地だからな」
長閑なこの土地が戦場になるかもしれないと考えると憂鬱だが、ここにはルフィカールからやってきたダンジョンを調査するための騎士隊が駐留しているという。
あまり派手な行動を取れば、アルタイラの兵たちがぶつかるのは、リキオーではなく彼らになるのだから、大それたことはしてこないだろう。
「ふわああ、俺はちょっと寝る。お前たちも好きにしろ」
「おやすみなさい、マスター」
あくびをしながらラフな格好でベッドに横たわったリキオーに、アネッテが優しく声を掛ける。アネッテとマリアもローブを脱いで寝支度を始める。
二人はチラッと彼の寝顔を見ると、ともに笑みを浮かべた。そして部屋の片隅にある衝立の陰に入ると下着になった。
衝立のスクリーンは、風通しの良さそうな粗い網目になっていた。そのため、後ろに立つ人物のシルエットが朧げながらも垣間見える。それは、逆に想像を逞しくする眺めだった。
二人の女性たちが上げる嬌声に、実は狸寝入りしていたリキオーは薄らと目を開けた。そして衝立を眺めながら、ウンウンと満足げに頷く。
(やっぱり年頃の女の子と旅する楽しみはこれに尽きるよなあ)
シェイプシフターによってちっちゃくなったままのハヤテが、主の横たわるベッドの端に上がってきた。そうしてリキオーの背中に擦り寄ってきて、スンスンと鼻を鳴らしている。
カエデは、そんなハヤテと主を、隣のベッドからクールな眼差しで見つめていた。
5 海人の国 その2
夕刻、起き出してきたリキオーと他のメンバーは、アルタイラで誂えた着心地のいいラフな格好になり、一階の食堂で宿の女将に出された熱いティーを啜っていた。そして周囲からやたらと視線を浴びて困惑している。
「何なんだ。俺たちは見世物じゃないぞ」
憤慨して声を荒らげるリキオー。
食堂に集まった周囲の連中は、そう言われた瞬間は顔を背けるものの、またすぐに視線を向けてくる。中にはリキオーの声など意に介さず、女性陣に食い入るような視線をジトーッと向けている者もいた。
女将は、太い腕を組んでくっくっと笑いながらリキオーに言う。
「仕方ないじゃないか、お客人。あなたがたが魅力的すぎるんだ。中身はともかく、その服がね」
確かに、この辺りの飾りもない簡素な民族衣装に見慣れた目からは、アルタイラで買ってきたファッションは物珍しいのかもしれない。しかし、中身はともかくという言葉にはカチンと来る。が、ここは呑み込む。
リキオーは、クルタと呼ばれるチュニックのような、ゆったりとした上着にズボン。足元はサンダルという姿だった。
アネッテは、昔リキオーに買ってもらったアオザイに似たドレス姿である。
腰の辺りからスリットが深く切れ込まれ、細身のズボンが覗いている。それが、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
背中まである長い髪は、マリアに手伝ってもらったのか、今はアップに纏められていて、リキオーの目にも見違えるような美しさだった。足元のサンダルも、彼女によく似合っていた。
マリアは、裾のゆったりしたワンピースチュニック姿で、裾から伸びた生脚を惜しげもなく晒している。足元は柔らかい布製のシューズ。
特に破壊力抜群なのが、彼女のバスト。
普段は鎧の下に隠されているそれが服の布地を押し上げている眺めは、男なら十人が十人惹きつけられてしまうだろう。
さっきからリキオーが憤慨しているにもかかわらず、男たちの眼差しの先にあるのはマリアの胸だ。ブルネットのショートカット、そして青い瞳も、エキゾチックな色気を醸し出している。
「こりゃあ失敗だったかな」
リキオーを別にすれば、アネッテもマリアもそうした視線には大抵は慣れっこだったが、これほどの執拗な視線には、多少は居心地の悪さを感じているようだ。
リキオーたちにしてみれば、ただリラックスして食事を楽しみたいだけだったのだが、そのラフさが逆に刺激的だったのかもしれない。尤も客たちの視線は、二人の美女にのみ注がれていたのだが。
「ほうらお前さんたち、見惚れてないで、さっさと片付けておくれ」
女将が声を荒らげると、二人に食い入るように視線を向けていた男たちが、すっかり冷めた料理を一気に掻き込み始める。食堂では女将が神だ。彼女の言に逆らう者は、以前リキオーたちが目撃した若者のように追い出されるだけだ。
「うちの客が迷惑を掛けたね。お詫びに一品付けさせてもらうよ」
そう言って女将は、豪快なウインクをしてリキオーの背中をバンバンと叩いた。そうして何が楽しいのか、笑いながら奥に引っ込んでいく。
出された料理は、検問の男たちが言っていた、イノシシに似た獣であるワイルドボアの肉だった。
肉質が柔らかく量もたっぷりあったので、マリアにも好評だった。ボアのような野生の獣を、本当に飼育・繁殖することに成功したのなら、この地の住人は大したものだとリキオーは思った。
アネッテはその肉の豪快な味に舌鼓を打ちつつも、添えられた香草の風味の繊細さにも驚いていた。
その土地の料理というのは、リキオーたちのように各地を移動する冒険者に新鮮な驚きを与えてくれる。肉料理に添えられていたこの地方独特の芋のサラダとスープもとても美味く、全員が完食していた。
この場におらず料理を堪能できなかったカエデとハヤテには、あとでシェイプシフターを解いてやってご機嫌を取らなければならないとリキオーは考えるのだった。
***
三人とも宿の料理に大満足して部屋に戻ってくると、ちっこいハヤテが飛びついてきた。
そうして彼はクーンクーンと、まるで子犬のように訴えかけてきた。主たちだけで先に食事を済ませたのを知って咎めているらしい。カエデもいつものように澄ましながらも、チラッチラッと視線を投げかけてくる。
リキオーはその様子にククッと笑い声を上げると、二匹に謝罪した。
「ああ、悪かったよ。今、戻すから」
シェイプシフターの不便なところが一つだけあるなら、こういうところだろう。小さくなっても食事量は変わらないのだ。不思議と胃袋までは小さくすることができないらしい。
とりあえずハヤテの大きさを戻してやると、ミシッと床が軋んだのでリキオーは冷や汗を掻く。何しろ、今では馬車も引けそうな巨体である。ハヤテには悪いが、再び小さくなってもらう。
ハヤテは、ううーっと唸り、リキオーの足首を甘噛みした。
「あっ、こら、いてぇ! やめなさい。俺はちょっとこいつらに餌やってくるよ」
「はぁい。いってらっしゃい」
アネッテの甘い声に送り出されて、リキオーはハヤテを抱え、さらに背中に飛び乗ってきたカエデとも一緒に宿を飛び出した。女将が怪訝な顔をして見ていたが、この際無視する。
リキオーは、宿の裏手の丘の上に人気のない藪を見つけると、そこに飛び込んで早速二匹を戻してやった。
待ちきれないとばかりに、ハヤテは自分のインベントリからでかいボアの肉を取り出す。そしてガツガツ勢いよく齧り始めた。カエデもそこまで浅ましくはないものの、二匹並んで食べ始める。
「あの部屋はお前たちには狭すぎるな。よって別行動な。カエデもいるし、捕まらないと思うが、自重しろよ」
リキオーは、ハヤテの後ろのもふもふした毛を掻き上げてやりながら呟く。
自分たちの食事をぺろりと済ませた二匹はもう機嫌を直したのか、リキオーに頭を擦りつけてくる。
控えめなカエデもしっぽをパタパタと振っていた。黒くしなやかなカエデの背中を撫でながら、リキオーは彼女にハヤテのことを頼み込んだ。
「何かあったら報告してくれ。何もなくてもな」
了承という風に目を細めるカエデ。
彼女にリキオーが頷きかけるや否や、ハヤテはもう水を得た魚のように駆け出す。そして後ろを振り返って、カエデに早く行こうと盛んにしっぽを振る。
ハヤテを追うようにしてカエデも軽やかな足取りで駆け出す。
そんな二匹に苦笑しながら、リキオーは彼らを送り出した。そして夜の空気を楽しみ、宿に戻ってきた。
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